(梅田啓子)
○ わが町のはけより出づる湧水を飲みておりけむ志賀直哉氏は
「土地の人はなぜそこが『はけ』と呼ばれるかを知らない」という書き出しで始まる、故・大岡昇平氏の小説『武蔵野夫人』は、評論家・福田恒存氏に拠って「失敗作」と評価され、今でこそ読もうとする者が殆ど居なくなった古めかしい恋愛小説である。
しかし、昭和二十五年にこの作品が文芸誌『群像』に連載され、講談社から単行本として刊行された当時は、日本全国の青年男女が競い合うようにして読んだベストセラーであった。
本作中に、「はけ」という語が用いられているが、その語は、恐らくは、未だ住宅地として開発される前の東京西部郊外に在る、清らかな地下水が湧き出している段丘崖を指して言う、特殊な“方言”であったように思われ、手元に在る辞書『大辞林』もこの語については何ら解説していない。
本作の作者・梅田啓子さんは、千葉県我孫子市にお住いの方である。
作者ご自身が、本作中に「わが町のはけ」という語句を用いている以上は、作者の居住地の安孫子市内にも「はけ」と言うべき湧水が湧き出している箇所が存在すると思われますが、その湧水を以って「はけ」と称するのは、本作の作者・梅田啓子さんの人並み以上の知性と読書歴の然らしむる所であり、千葉県我孫子地方の地付きの人々が、件の湧水を「はけ」と呼んでいるのではなかろうと思われる。
短編小説の神様と謳われた志賀直哉が、大正時代に手賀沼の畔(今の我孫子市内)に居住していたことは、文学ファンなら何方でも知っていることである。
「その『志賀直哉氏』が、手賀沼の畔に居住していた当時、梅田啓子さんの仰る『わが町のはけより出づる湧水』を飲んでいただろう」と推測するのが、本作の内容である。
熱狂的な文学ファン、志賀直哉ファンの彼女であってみれば、時代こそ異なれ、同じ「はけ」から湧き出る水を、ご自身もご自身の尊敬してやまない志賀直哉氏も飲んでいただろうと思うと、一首の短歌に仕立て上げて満天下の人々に誇示したいような気持になったのも、人情として当然のことでありましょう。
ところで、この傑作に突然水を射すようではありますが、作中の四句目「飲みておりけむ」は、「飲みてをりけむ」とするのが適当でありましょう。
〔返〕 我が家の前の石段をハーモニカを吹きて往きけむ庄野潤三氏 鳥羽省三
私の尊敬してやまない小説家・庄野潤三氏は、老境に達してからも、一日一万歩以上の散歩を欠かさなかったということであり、また、氏のご趣味の一つとしてハーモニカ演奏が上げられる。
本返歌は、そうした戦後文学史的な事実に、作者自身の想像を加味して詠んだ作品である。
(原田 町)
○ 「清正の井戸」と伝わる湧き水も飲用禁止になりて久しく
作中の「清正の井戸」は、明治神宮の御苑内に湧いている「井戸」であるが、数年前から、件の「井戸」を巡る黒い噂が在り、今では管理者の手を拠って「飲用禁止」の措置が採られているのでありましょうか?
〔返〕 弘法水といふ名の湧水の日本全国八十八箇所に在り 鳥羽省三
(小夜こなた)
○ 復興を謳えば正義となるうねり熱波のごとく列島に湧く
作中の二、三句目の語句「謳えば正義となるうねり」の「謳えば」に要注意。
即ち「謳えば」とは、「謡えば・詠えば・唄えば・歌えば」などとは異なり、「讃美すれば」ということであり、作中に件の語句を用いている事を根拠として、私たち読者は、東日本大震災からの復興を主題とした短歌が雨後の竹の子のように盛んに詠まれているといった、昨今の歌壇の在り方に対する、本作の作者・小夜こなたさんの姿勢を窺がい知ることが可能なのである。
〔返〕 震災を詠えば歌人と看做される熱波の如き風潮が湧く 鳥羽省三
(芳立) 〈温泉旅情〉
○ 来ぬひとをまつ浦亜弥の柔肌に湧くや熱海の湯もけぶりつつ
格好付けて詞書を置き、掛詞や序詞を使ってはいるが、意味するところは、要するに「待ち人来たらずで、彼女の柔肌に恋い焦がれながら、ひとり淋しく熱海の湯に入って居る」、つまりは「振られた男の未練心を吐露している」というだけのことである。
はっきり言って、「くだらん!勝手に得意になっていろ!」。
〔返〕 来ぬ人と松浦あややと較べたら肌の柔らかさがかなり違うぞ 鳥羽省三
(伊倉ほたる)
○ ふつふつと疑心暗鬼が湧き上がる貝のピアスをひとつ外せば
江の島土産の「貝のピアスをひとつ」耳から外した瞬間、作者の胸中に「ふつふつと」昨今の彼の行状に対する「疑心暗鬼が湧き上が」ったのである。
婚約時代の彼からプレゼントされた江の島土産の「貝のピアス」を、後生大事に耳に付けているような慎ましやかな妻でも、人生のとある瞬間、夫への激しい「疑心暗鬼」に駆られることがあるのである。
〔返〕 をみなごは蛇千匹を飼ふといふ炎の如き舌持つ蛇を 鳥羽省三
(今泉洋子)
○ 木洩れ日の濃淡君とわけ合ひて湧き出る水のかがやきを汲む
「木洩れ日の濃淡」を「君とわけ合ひて」、「君」を「木洩れ日」があまり射さない所に押し遣り、われ自身は「木洩れ日」がかなり射す所に居て、「水のかがやきを汲む」と言うのでありましょうか?
だとしたら、本作の作者は短歌創作や買い物や寺社詣でに感ける余り、演歌歌手・三船和子のヒット曲『だんな様』の歌詞さえ知らないものと判断される。
三船和子は切なくも「わたしの大事なだんな様/あなたはいつでも/陽のあたる/表通りを歩いて欲しい」と、いつも歌っているではありませんか。
〔返〕 あれこそは貞婦の鑑ばかにせず三船和子を見習いなさい 鳥羽省三
そばかすの濃淡にさえ目を瞑り彼は貴女を愛してくれる
(鳥羽省三)
○ 湧出量日本一の玉川の岩盤浴でも20ミリシーベルト/年
作中の「20ミリシーベルト/年」の読みが問題である。
〔返〕 ひと夏を春日井建の通ひにし玉川温泉の岩盤浴よ 鳥羽省三
○ わが町のはけより出づる湧水を飲みておりけむ志賀直哉氏は
「土地の人はなぜそこが『はけ』と呼ばれるかを知らない」という書き出しで始まる、故・大岡昇平氏の小説『武蔵野夫人』は、評論家・福田恒存氏に拠って「失敗作」と評価され、今でこそ読もうとする者が殆ど居なくなった古めかしい恋愛小説である。
しかし、昭和二十五年にこの作品が文芸誌『群像』に連載され、講談社から単行本として刊行された当時は、日本全国の青年男女が競い合うようにして読んだベストセラーであった。
本作中に、「はけ」という語が用いられているが、その語は、恐らくは、未だ住宅地として開発される前の東京西部郊外に在る、清らかな地下水が湧き出している段丘崖を指して言う、特殊な“方言”であったように思われ、手元に在る辞書『大辞林』もこの語については何ら解説していない。
本作の作者・梅田啓子さんは、千葉県我孫子市にお住いの方である。
作者ご自身が、本作中に「わが町のはけ」という語句を用いている以上は、作者の居住地の安孫子市内にも「はけ」と言うべき湧水が湧き出している箇所が存在すると思われますが、その湧水を以って「はけ」と称するのは、本作の作者・梅田啓子さんの人並み以上の知性と読書歴の然らしむる所であり、千葉県我孫子地方の地付きの人々が、件の湧水を「はけ」と呼んでいるのではなかろうと思われる。
短編小説の神様と謳われた志賀直哉が、大正時代に手賀沼の畔(今の我孫子市内)に居住していたことは、文学ファンなら何方でも知っていることである。
「その『志賀直哉氏』が、手賀沼の畔に居住していた当時、梅田啓子さんの仰る『わが町のはけより出づる湧水』を飲んでいただろう」と推測するのが、本作の内容である。
熱狂的な文学ファン、志賀直哉ファンの彼女であってみれば、時代こそ異なれ、同じ「はけ」から湧き出る水を、ご自身もご自身の尊敬してやまない志賀直哉氏も飲んでいただろうと思うと、一首の短歌に仕立て上げて満天下の人々に誇示したいような気持になったのも、人情として当然のことでありましょう。
ところで、この傑作に突然水を射すようではありますが、作中の四句目「飲みておりけむ」は、「飲みてをりけむ」とするのが適当でありましょう。
〔返〕 我が家の前の石段をハーモニカを吹きて往きけむ庄野潤三氏 鳥羽省三
私の尊敬してやまない小説家・庄野潤三氏は、老境に達してからも、一日一万歩以上の散歩を欠かさなかったということであり、また、氏のご趣味の一つとしてハーモニカ演奏が上げられる。
本返歌は、そうした戦後文学史的な事実に、作者自身の想像を加味して詠んだ作品である。
(原田 町)
○ 「清正の井戸」と伝わる湧き水も飲用禁止になりて久しく
作中の「清正の井戸」は、明治神宮の御苑内に湧いている「井戸」であるが、数年前から、件の「井戸」を巡る黒い噂が在り、今では管理者の手を拠って「飲用禁止」の措置が採られているのでありましょうか?
〔返〕 弘法水といふ名の湧水の日本全国八十八箇所に在り 鳥羽省三
(小夜こなた)
○ 復興を謳えば正義となるうねり熱波のごとく列島に湧く
作中の二、三句目の語句「謳えば正義となるうねり」の「謳えば」に要注意。
即ち「謳えば」とは、「謡えば・詠えば・唄えば・歌えば」などとは異なり、「讃美すれば」ということであり、作中に件の語句を用いている事を根拠として、私たち読者は、東日本大震災からの復興を主題とした短歌が雨後の竹の子のように盛んに詠まれているといった、昨今の歌壇の在り方に対する、本作の作者・小夜こなたさんの姿勢を窺がい知ることが可能なのである。
〔返〕 震災を詠えば歌人と看做される熱波の如き風潮が湧く 鳥羽省三
(芳立) 〈温泉旅情〉
○ 来ぬひとをまつ浦亜弥の柔肌に湧くや熱海の湯もけぶりつつ
格好付けて詞書を置き、掛詞や序詞を使ってはいるが、意味するところは、要するに「待ち人来たらずで、彼女の柔肌に恋い焦がれながら、ひとり淋しく熱海の湯に入って居る」、つまりは「振られた男の未練心を吐露している」というだけのことである。
はっきり言って、「くだらん!勝手に得意になっていろ!」。
〔返〕 来ぬ人と松浦あややと較べたら肌の柔らかさがかなり違うぞ 鳥羽省三
(伊倉ほたる)
○ ふつふつと疑心暗鬼が湧き上がる貝のピアスをひとつ外せば
江の島土産の「貝のピアスをひとつ」耳から外した瞬間、作者の胸中に「ふつふつと」昨今の彼の行状に対する「疑心暗鬼が湧き上が」ったのである。
婚約時代の彼からプレゼントされた江の島土産の「貝のピアス」を、後生大事に耳に付けているような慎ましやかな妻でも、人生のとある瞬間、夫への激しい「疑心暗鬼」に駆られることがあるのである。
〔返〕 をみなごは蛇千匹を飼ふといふ炎の如き舌持つ蛇を 鳥羽省三
(今泉洋子)
○ 木洩れ日の濃淡君とわけ合ひて湧き出る水のかがやきを汲む
「木洩れ日の濃淡」を「君とわけ合ひて」、「君」を「木洩れ日」があまり射さない所に押し遣り、われ自身は「木洩れ日」がかなり射す所に居て、「水のかがやきを汲む」と言うのでありましょうか?
だとしたら、本作の作者は短歌創作や買い物や寺社詣でに感ける余り、演歌歌手・三船和子のヒット曲『だんな様』の歌詞さえ知らないものと判断される。
三船和子は切なくも「わたしの大事なだんな様/あなたはいつでも/陽のあたる/表通りを歩いて欲しい」と、いつも歌っているではありませんか。
〔返〕 あれこそは貞婦の鑑ばかにせず三船和子を見習いなさい 鳥羽省三
そばかすの濃淡にさえ目を瞑り彼は貴女を愛してくれる
(鳥羽省三)
○ 湧出量日本一の玉川の岩盤浴でも20ミリシーベルト/年
作中の「20ミリシーベルト/年」の読みが問題である。
〔返〕 ひと夏を春日井建の通ひにし玉川温泉の岩盤浴よ 鳥羽省三