臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(084:総・其のⅠ・出会えた奇跡信じてみない?)

2012年04月20日 | 題詠blog短歌
(おちゃこ)
○  総人口一億ちょっとその中で出会えた奇跡信じてみない?

 同じ概数を指して言うにしても、「総人口一億ちょっと」という言い方と「総人口一億余り」という言い方では、自ずから受け取り方が違って来るはずである。
 本作の作者は、「おちゃこ」という四股名からして“なんちゃって歌人”とでも言うべき歌人のように思われるが、その種の歌人が共通して持っている欠点の一つとして、“表現の甘さ”つまり“推敲不足”が上げられ、本作の作者の場合も、その例外ではない。
 女性が恋愛対象者の男性に対して、「私と貴方は、『総人口一億』以上も居るこの国で『出会えた』のだから、その出会い自体、『奇跡』とでも言うべき現象である。だから、貴方も私もこの『奇跡』をしばらく『信じてみない?』」と呼び掛けるという発想そのものは、“なんちゃって短歌”の作者としては、かなり優れた発想である。
 したがって、本作の作者のおちゃこさんは、そうした優れた発想をもっともっと大切に扱い、本作を詠むに当たっては、推敲の上に推敲を重ねる必要があったのである。
 〔返〕  女性人口四十億余のこの星で貴方は私を選んで呉れた   鳥羽省三


(吾妻誠一)
○  うきうきと観劇へ出たばあちゃんの総入れ歯笑むちゃぶ台の上

 私は経験者であるから言えるのであるが、「総入れ歯」をして「観劇」に出掛けることは、そんなに容易なことではありません。
 作中の「ばあちゃん」にしてみれば、傘寿のお祝いの一つとして、お孫さんから浜町の明治座の入場券を頂戴し、いそいそ「うきうきと観劇」に出掛けたまでは良かったのであるが、その後があまり宜しくない。
 歯ぎしりする音が煩いからという理由で隣席の若い男女からいちいち睨まれ、煎餅をぼりぼり噛むのが恥ずかしいからという理由で同行した息子の嫁から窘められ、挙句の果てには、ストレスが原因の口内炎が出来てしまったのである。
 「ばあちやん」の「総入れ歯」が「ちゃぶ台の上」に乗っかって居たら、せっかくの特上寿司も不味くなりはしましょうが、ここ一番、ご家族一同我慢の上に我慢を重ねて、余命いくばくも無い「ばあちゃん」の傘寿の祝いを盛り上げましょう。
 〔返〕  総入れ歯洗浄剤にはポリデント100%効果が期待できます   鳥羽省三


(新田瑛)
○  自分だけを信じて生きてきた人は総じて耳に毛が生えている

 ご本人が、そんなことを仰っておられるからには、さしずめ本作の作者・新田瑛さんの「耳」には「毛が生えている」ことでございましょう。
 〔返〕  「信じるに足りるのは我ひとりのみ!」新田瑛師はかくのたまいき   鳥羽省三


(原田 町)
○  総括の言葉とともに記憶せる永田洋子の訃報を知りぬ

 このままでも充分に傑作として称賛するべき作品ではあるが、欲を言えば、詠い出しの語句「総括の」の「の」に疑問が感じられる。
 この場面では、初五の字余りを気にしないで「総括とふ」とするべきでありましょうか?
 作者の原田町さんに於かれましては、いかがお考えでありましょうか?
 〔返〕  総括とふ言葉と共に記憶せる永田洋子の訃報に接す   鳥羽省三


(ネコノカナエ)
○  「総持寺」と御詠歌に聴き掃除する祖父をおもった幼い夏の日

 一口に「総持寺」と言っても、横浜市鶴見区に在る、曹洞宗の大本山「総持寺」を初めとして、石川県輪島市門前町の“総持寺祖院”、更には、牡丹の名所として知られている、滋賀県長浜市の「総持寺」など、様々な寺院が在りましょうが、作中の「総持寺」とは、西国二十二番の札所として名を馳せている、大阪府茨木市の「総持寺」を指して言うのでありましょう。
 畏れ多くも、仁和二年(886年)、山蔭中納言政朝卿のご開基になる、高野山真言宗の古刹「総持寺」のご本尊は千手観世音菩薩である。
 事もあろうに、その有り難き千手観世音菩薩をご本尊として戴く、「総持寺」の御寺号を「御詠歌に聴き」、「掃除する祖父をおもった」とは、いかに「幼い夏の日」の出来事とは言え不届き千万、その罪業は、地獄の針山追放にも値いしましょう。
 ネコノカナエさんとやら、いざ、いざ、御覚悟の程を。
 〔返〕  「総持寺」とご詠歌に聴き母を思ふ千手観世音菩薩にも似し母よ   鳥羽省三


(星川郁乃)
○  どこまでを総意と呼ぶの 晩秋の庭にくずれてゆくゼラニウム

 「創意」とは、あくまでも“総員の意志”ということであり、一例を挙げて説明すれば、現在の総理大臣・野田某は、自党の「総意」で以って、消費税増税案を今季国会に提案出来よう筈はありません。
 〔返〕  極寒の平壌に崩るるゼラニウム総員決起せよとの号令を発す   鳥羽省三


(鳥羽省三)
○  亀戸で総武緩行お下車して天神様とかくれんぼしましょ

 あの総武沿線の住民の口から「お下車」などというお上品な言葉が、本当に漏れるかしら?
 〔返〕  亀戸の芸者総員入れ揚げて藤見物に出掛けましょうか   鳥羽省三

一首を切り裂く(083:溝・其のⅠ・お互いの溝をあまりに埋めすぎて)

2012年04月20日 | 題詠blog短歌
(西中眞二郎)
〇  露天風呂の排水溝に紅き葉のひとひら落ちて流され行けり

 電車賃をかけてはるばる山間の温泉まで遣って来たという思いが、西中眞二郎氏をして、「『露天風呂の排水溝』に紅葉した『葉』が『ひとひら落ちて流され』て行った」というが如く格別に珍しくも無いような光景を見ても、一首をものしたくなるような気持ちに誘うのでありましょうか?
 〔返〕  人恋し街の灯りが恋しくて紅葉流るる水路に見入る   鳥羽省三


(松木秀)
〇  お互いの溝をあまりに埋めすぎて洪水のとき対処できない

 例えば、新しい団地に引っ越して来たばかりのママ同士の交際に、「お互いの溝をあまりに埋めすぎて洪水のとき対処できない」といった短歌に比喩されるような支障が見られるのである。
 子供同士の喧嘩や学習塾での席次、或いは、ご亭主同士の学歴や勤務先及び所得金額の差といったものは、いつ如何なる時に「洪水」になるかも知れません。
 したがって、女性同士の関係、なかんずく、新しい団地に引っ越して来たばっかりのママ同士の付き合いは、“浅く淡く”あるべし。
 〔返〕  上善は水の如し。水は善く万物を利して而も争はず。   鳥羽省三


(伏木田遊戯)
〇  溝苺繋(みぞいちごつなぎ)という名の植物を初めて知って諦めました

 「溝苺繋」と「いう名の植物を初めて知って諦め」た内容が何であったのか、と少しく興味を持ちましたが、このところしばらくの間健康状態が勝れず、それ以上の詮索は止めました。
 ところで、徒然なるままに病臥中に読んだ書物、『たとえば君~四十年の恋歌』(河野裕子・永田和宏共著)所載の、河野裕子氏が角川『短歌』の平成十八年十月号に発表したエッセイ『眠い人』の中に、ご夫君の永田和宏氏が、「段戸襤褸菊」という帰化植物を知らないままに「透明な秋のひかりにそよぎいしだんどぼろぎく ダンドボロギク」(『華氏』)という作品を詠んで得意になっていた様が描かれていたり、彼ら二人が「付き合い始めて間もない頃、京都の京阪七条駅のホームに葉牡丹が植えてあるのを見て、永田和宏が、あ、キャベツと指さしたときはびっくりした」と書かれていたのには、感動と言っては少し大袈裟過ぎますが、それに類似したような思いをしてしまいました。
 よくよく考えてみると、葉牡丹を指さして「あ、キャベツ」と言うのは論外中の論外とでも申すべき無知と言えましょうが、「溝苺繋という名の植物を初めて知って」、人生の何かの場面を諦めたりするような歌人や、「段戸襤褸菊」を知らないままに、その語呂の良さに魅せられて「透明な秋のひかりにそよぎいしだんどぼろぎく ダンドボロギク」という傑作をものして、悦に入っているような歌人はそれほど珍しくはありません。
 〔返〕  我が庭に段戸襤褸菊咲きました溝苺繋の花はまだ見ず   鳥羽省三


(東雲の月)
〇  側溝に落ちた車は無念さを傾いだ角度で訴え続ける

 「側溝に落ちた車」に限らず、私たち「落ちた」存在の全ては、己の生き方の空しさを各々の「傾いだ角度で訴え続け」たり、見続けたりしなければならないのでありましょうか?
 〔返〕  側溝に堕ちた車と観念し傾いだ角度で月見もぞする   鳥羽省三


(南葦太)
〇  負け犬の視点で歩く道の端 排水溝に草が生えてた

 「負け犬の視点で歩く」ような場合は、知らず知らずのうちに「道の端」を「歩く」ようになり、「視点」そのものも思わず下向きになってしまい、「排水溝に草が生えてた」ような光景に捉われてしまうのでありましょうか?
 しかしながら、小泉元首相の馬鹿息子を初めとして、上向き加減で大道を闊歩するような若い男女が目に着いてならない今日、本作の作者・南葦太氏の如く、「道の端」を「負け犬の視点で歩く」ような人物は、真に奇特なる人格者と言わねばなりません。
 南葦太さんこそ、我が師として仰ぐべき人物でありましょう。
 〔返〕  首都圏と言っても千葉や埼玉は犬のうんちを踏む危険性大   鳥羽省三


(伊倉ほたる)
〇  U字溝が積み上げられた空き地にはセイタカアワダチソウと口笛

 今日の我が国で見られる「空き地」の特徴の一つとして、「U字溝が積み上げられた」光景及び「セイタカアワダチソウ」が生えている光景に着目した点は、大いに称賛されましょう。
 それだけに、「U字溝」の「U」を無造作に半角文字とした点や、末尾に「口笛」という常套的な一語を置いて逃げた点が惜しまれるのである。
 本作の作者・伊倉ほたるさんは、ご自身の卓越した歌才をもっともっと大切にしなければなりません。
 せっかくのブログを有り触れた料理の写真で埋め尽くしてしまうのは、極めて残念なことと言えましょう。
 〔返〕  U字溝が積み上げられた草原でおんぶばったを捕まえたっけ   鳥羽省三  


(今泉洋子)
〇  側溝に動かぬ鯰を見し夜に地震(なゐ)を伝ふるテロップ流る

 本作の作者の欠点の一つとして、「ご都合主義的な言葉遣い」を指摘して置きましょう。
 本作に詠まれた光景が、例え実景であったとしても、「鯰」と「地震」との組み合わせから成る一首は、あまりにも安易な作品と言えましょう。
 〔返〕  圧力鍋で加世田南瓜を煮てたとき地震を伝えるニュースを聴いた   鳥羽省三


(壬生キヨム)
〇  溝を掘る職業の人が好きな子の脱ぎっぱなしのパンツを畳む

 いくら「溝を掘る職業の人」だって、「好きな子の脱ぎっぱなしのパンツ」ぐらいは畳みましょう。
 但し、その「パンツ」が他人の家の物干しから盗んで来た「パンツ」であったら、後ろに手が回ることにもなりましょう。
 ところで、今日の朝日新聞の朝刊に、痴漢的行為に走って逮捕された警察官についての記事が二件も載っておりました。
 警察官や教員の猥褻行為は、この頃、毎日のように新聞やテレビで報道されておりますが、彼ら、特別公務員はどうして猥褻行為に走るのでありましょうか?
 〔返〕  溝を掘る仕事の人が趣味とする石窟寺院の寝釈迦拝観   鳥羽省三


(鳥羽省三)
〇  溝の口過ぎれば二子玉川で田園都市線三茶でお下車

 「田園都市線」の電車に乗っている時にたまたま耳にした、厚化粧した中年女性同士の会話、「まあ、奥様は三茶でお下車なさるんでざぁますか。私どもはその手前の駒澤大学で下車するのでざぁますのよ」に取材しただけの駄作である。
 それにしても、「お下車」という言い方の、何と下品な言い方であることよ。
 〔返〕  その先は半蔵門線への直通でお堀端まで参りますわよ   鳥羽省三