(おちゃこ)
○ 総人口一億ちょっとその中で出会えた奇跡信じてみない?
同じ概数を指して言うにしても、「総人口一億ちょっと」という言い方と「総人口一億余り」という言い方では、自ずから受け取り方が違って来るはずである。
本作の作者は、「おちゃこ」という四股名からして“なんちゃって歌人”とでも言うべき歌人のように思われるが、その種の歌人が共通して持っている欠点の一つとして、“表現の甘さ”つまり“推敲不足”が上げられ、本作の作者の場合も、その例外ではない。
女性が恋愛対象者の男性に対して、「私と貴方は、『総人口一億』以上も居るこの国で『出会えた』のだから、その出会い自体、『奇跡』とでも言うべき現象である。だから、貴方も私もこの『奇跡』をしばらく『信じてみない?』」と呼び掛けるという発想そのものは、“なんちゃって短歌”の作者としては、かなり優れた発想である。
したがって、本作の作者のおちゃこさんは、そうした優れた発想をもっともっと大切に扱い、本作を詠むに当たっては、推敲の上に推敲を重ねる必要があったのである。
〔返〕 女性人口四十億余のこの星で貴方は私を選んで呉れた 鳥羽省三
(吾妻誠一)
○ うきうきと観劇へ出たばあちゃんの総入れ歯笑むちゃぶ台の上
私は経験者であるから言えるのであるが、「総入れ歯」をして「観劇」に出掛けることは、そんなに容易なことではありません。
作中の「ばあちゃん」にしてみれば、傘寿のお祝いの一つとして、お孫さんから浜町の明治座の入場券を頂戴し、いそいそ「うきうきと観劇」に出掛けたまでは良かったのであるが、その後があまり宜しくない。
歯ぎしりする音が煩いからという理由で隣席の若い男女からいちいち睨まれ、煎餅をぼりぼり噛むのが恥ずかしいからという理由で同行した息子の嫁から窘められ、挙句の果てには、ストレスが原因の口内炎が出来てしまったのである。
「ばあちやん」の「総入れ歯」が「ちゃぶ台の上」に乗っかって居たら、せっかくの特上寿司も不味くなりはしましょうが、ここ一番、ご家族一同我慢の上に我慢を重ねて、余命いくばくも無い「ばあちゃん」の傘寿の祝いを盛り上げましょう。
〔返〕 総入れ歯洗浄剤にはポリデント100%効果が期待できます 鳥羽省三
(新田瑛)
○ 自分だけを信じて生きてきた人は総じて耳に毛が生えている
ご本人が、そんなことを仰っておられるからには、さしずめ本作の作者・新田瑛さんの「耳」には「毛が生えている」ことでございましょう。
〔返〕 「信じるに足りるのは我ひとりのみ!」新田瑛師はかくのたまいき 鳥羽省三
(原田 町)
○ 総括の言葉とともに記憶せる永田洋子の訃報を知りぬ
このままでも充分に傑作として称賛するべき作品ではあるが、欲を言えば、詠い出しの語句「総括の」の「の」に疑問が感じられる。
この場面では、初五の字余りを気にしないで「総括とふ」とするべきでありましょうか?
作者の原田町さんに於かれましては、いかがお考えでありましょうか?
〔返〕 総括とふ言葉と共に記憶せる永田洋子の訃報に接す 鳥羽省三
(ネコノカナエ)
○ 「総持寺」と御詠歌に聴き掃除する祖父をおもった幼い夏の日
一口に「総持寺」と言っても、横浜市鶴見区に在る、曹洞宗の大本山「総持寺」を初めとして、石川県輪島市門前町の“総持寺祖院”、更には、牡丹の名所として知られている、滋賀県長浜市の「総持寺」など、様々な寺院が在りましょうが、作中の「総持寺」とは、西国二十二番の札所として名を馳せている、大阪府茨木市の「総持寺」を指して言うのでありましょう。
畏れ多くも、仁和二年(886年)、山蔭中納言政朝卿のご開基になる、高野山真言宗の古刹「総持寺」のご本尊は千手観世音菩薩である。
事もあろうに、その有り難き千手観世音菩薩をご本尊として戴く、「総持寺」の御寺号を「御詠歌に聴き」、「掃除する祖父をおもった」とは、いかに「幼い夏の日」の出来事とは言え不届き千万、その罪業は、地獄の針山追放にも値いしましょう。
ネコノカナエさんとやら、いざ、いざ、御覚悟の程を。
〔返〕 「総持寺」とご詠歌に聴き母を思ふ千手観世音菩薩にも似し母よ 鳥羽省三
(星川郁乃)
○ どこまでを総意と呼ぶの 晩秋の庭にくずれてゆくゼラニウム
「創意」とは、あくまでも“総員の意志”ということであり、一例を挙げて説明すれば、現在の総理大臣・野田某は、自党の「総意」で以って、消費税増税案を今季国会に提案出来よう筈はありません。
〔返〕 極寒の平壌に崩るるゼラニウム総員決起せよとの号令を発す 鳥羽省三
(鳥羽省三)
○ 亀戸で総武緩行お下車して天神様とかくれんぼしましょ
あの総武沿線の住民の口から「お下車」などというお上品な言葉が、本当に漏れるかしら?
〔返〕 亀戸の芸者総員入れ揚げて藤見物に出掛けましょうか 鳥羽省三
○ 総人口一億ちょっとその中で出会えた奇跡信じてみない?
同じ概数を指して言うにしても、「総人口一億ちょっと」という言い方と「総人口一億余り」という言い方では、自ずから受け取り方が違って来るはずである。
本作の作者は、「おちゃこ」という四股名からして“なんちゃって歌人”とでも言うべき歌人のように思われるが、その種の歌人が共通して持っている欠点の一つとして、“表現の甘さ”つまり“推敲不足”が上げられ、本作の作者の場合も、その例外ではない。
女性が恋愛対象者の男性に対して、「私と貴方は、『総人口一億』以上も居るこの国で『出会えた』のだから、その出会い自体、『奇跡』とでも言うべき現象である。だから、貴方も私もこの『奇跡』をしばらく『信じてみない?』」と呼び掛けるという発想そのものは、“なんちゃって短歌”の作者としては、かなり優れた発想である。
したがって、本作の作者のおちゃこさんは、そうした優れた発想をもっともっと大切に扱い、本作を詠むに当たっては、推敲の上に推敲を重ねる必要があったのである。
〔返〕 女性人口四十億余のこの星で貴方は私を選んで呉れた 鳥羽省三
(吾妻誠一)
○ うきうきと観劇へ出たばあちゃんの総入れ歯笑むちゃぶ台の上
私は経験者であるから言えるのであるが、「総入れ歯」をして「観劇」に出掛けることは、そんなに容易なことではありません。
作中の「ばあちゃん」にしてみれば、傘寿のお祝いの一つとして、お孫さんから浜町の明治座の入場券を頂戴し、いそいそ「うきうきと観劇」に出掛けたまでは良かったのであるが、その後があまり宜しくない。
歯ぎしりする音が煩いからという理由で隣席の若い男女からいちいち睨まれ、煎餅をぼりぼり噛むのが恥ずかしいからという理由で同行した息子の嫁から窘められ、挙句の果てには、ストレスが原因の口内炎が出来てしまったのである。
「ばあちやん」の「総入れ歯」が「ちゃぶ台の上」に乗っかって居たら、せっかくの特上寿司も不味くなりはしましょうが、ここ一番、ご家族一同我慢の上に我慢を重ねて、余命いくばくも無い「ばあちゃん」の傘寿の祝いを盛り上げましょう。
〔返〕 総入れ歯洗浄剤にはポリデント100%効果が期待できます 鳥羽省三
(新田瑛)
○ 自分だけを信じて生きてきた人は総じて耳に毛が生えている
ご本人が、そんなことを仰っておられるからには、さしずめ本作の作者・新田瑛さんの「耳」には「毛が生えている」ことでございましょう。
〔返〕 「信じるに足りるのは我ひとりのみ!」新田瑛師はかくのたまいき 鳥羽省三
(原田 町)
○ 総括の言葉とともに記憶せる永田洋子の訃報を知りぬ
このままでも充分に傑作として称賛するべき作品ではあるが、欲を言えば、詠い出しの語句「総括の」の「の」に疑問が感じられる。
この場面では、初五の字余りを気にしないで「総括とふ」とするべきでありましょうか?
作者の原田町さんに於かれましては、いかがお考えでありましょうか?
〔返〕 総括とふ言葉と共に記憶せる永田洋子の訃報に接す 鳥羽省三
(ネコノカナエ)
○ 「総持寺」と御詠歌に聴き掃除する祖父をおもった幼い夏の日
一口に「総持寺」と言っても、横浜市鶴見区に在る、曹洞宗の大本山「総持寺」を初めとして、石川県輪島市門前町の“総持寺祖院”、更には、牡丹の名所として知られている、滋賀県長浜市の「総持寺」など、様々な寺院が在りましょうが、作中の「総持寺」とは、西国二十二番の札所として名を馳せている、大阪府茨木市の「総持寺」を指して言うのでありましょう。
畏れ多くも、仁和二年(886年)、山蔭中納言政朝卿のご開基になる、高野山真言宗の古刹「総持寺」のご本尊は千手観世音菩薩である。
事もあろうに、その有り難き千手観世音菩薩をご本尊として戴く、「総持寺」の御寺号を「御詠歌に聴き」、「掃除する祖父をおもった」とは、いかに「幼い夏の日」の出来事とは言え不届き千万、その罪業は、地獄の針山追放にも値いしましょう。
ネコノカナエさんとやら、いざ、いざ、御覚悟の程を。
〔返〕 「総持寺」とご詠歌に聴き母を思ふ千手観世音菩薩にも似し母よ 鳥羽省三
(星川郁乃)
○ どこまでを総意と呼ぶの 晩秋の庭にくずれてゆくゼラニウム
「創意」とは、あくまでも“総員の意志”ということであり、一例を挙げて説明すれば、現在の総理大臣・野田某は、自党の「総意」で以って、消費税増税案を今季国会に提案出来よう筈はありません。
〔返〕 極寒の平壌に崩るるゼラニウム総員決起せよとの号令を発す 鳥羽省三
(鳥羽省三)
○ 亀戸で総武緩行お下車して天神様とかくれんぼしましょ
あの総武沿線の住民の口から「お下車」などというお上品な言葉が、本当に漏れるかしら?
〔返〕 亀戸の芸者総員入れ揚げて藤見物に出掛けましょうか 鳥羽省三