(紗都子)
〇 しなやかに片手で卵を割るひとの肩のラインがちいさく揺れる
それが「しなやか」な振る舞いであるかどうかは見る側、つまり紗都子側の問題でありましょう。
だが、少なくとも、「卵」を「片手」で「割る」ような振る舞いをする「ひと」側の気持ちとしては、「こうした自分の振る舞いを見たら、私の愛する紗都子さんは、きっと、『しなやか』でスマートな振る舞いをする男だと思ってくれるに違いない」と堅く信じて遣っているのでありましょう。
それにしても、本作の作者・紗都子の眼力の鋭さと冷徹さに対しては感服せざるを得ません。
何故ならば、紗都子さんは、「紗都子さんご自身が見たら、さぞかし『しなやか』でスマートな振る舞いに見えるに違いない」と信じて、「片手で卵を割る」彼の「肩のラインがちいさく揺れ」ている有様をも見逃さずに、一首の歌を仕立て上げているからである。
「片手で卵を割る」彼の「肩のラインがちいさく揺れ」ているのは、彼が震えているからでありましょう。
彼が震えているのは、彼の振る舞いが不自然な振る舞いであるからでありましょう。
紗都子さんにいい格好を見せたいばかりに不自然な振る舞いをする彼を、紗都子さんの慧眼と冷徹さは、許そうともしないのである。
〔返〕 しなやかに片手で帯を解く時の彼女の膝は固まっている 鳥羽省三
(桑原憂太郎)
〇 一卵性双生児でも中一の後半からは成績違へり
「中一の後半」という時期は青春の目覚めの時期であり、この時期を境として、例え「一卵性双生児」でも、学力や学習成績が極端に違って来たり、趣味嗜好や服装の好みまで違って来るような時期である。 「中一の後半」とは、言わば「人生の曲がり角に差し掛かった時期」なのである。
〔返〕 お茶大の付属中には一卵性双生児枠で容易く入れる 鳥羽省三
(伊倉ほたる)
〇 戻せない時間ばかりが増えていく固ゆで卵の黄身は蒼くて
「固ゆで卵の黄身」が「蒼く」見えようが、「青く」見えようが、「赤く」見えようが、それとは一切関わり無く「時間」というものは、永久に過去に戻せないものである。
その事を知悉しながら、本作の作者がこうした矛盾した内容の歌を詠んだのは、時間というものと色感というものが、何らかの関わりがあることを感じているからでありましょう。
一例を上げて説明すれば、恋をしている時の男性の目には、彼女と一緒に出掛けたズーラシアのペンギンの嘴の色さえもピンクに見えるそうである。
あのペンギンたちが嘴桃色症候群を患っている訳でも無いのに、彼の目に、あのペンギンたちの嘴がピンクに見える理由は、いずれ科学的に解明されるに違いありません。
〔返〕 返せない借財ばかりが増えて行く年金暮らしは楽と言えない 鳥羽省三
(鳥羽省三)
〇 啓蟄は卵立つあさ市も立つ蛇蝎ぞろぞろ連れて歩かむ
立春の朝に「卵」が「立つ」ということは、科学的に証明されていることである。
本作は、それならば、立春からたかだか一箇月後でしかない「啓蟄」の朝にも「卵」が「立つ」に違いないとする、独断と偏見に満ちた発想に基づいての一首である。
しかしながら、本作を創作した作者の狙いは、必ずしもそうしたところにばかり在るのではありません。
因って、本作の鑑賞者は、本作に見られる自由無碍なる言葉の流れに注目なさると同時に、「啓蟄」という「卵」が「立つあさ」になると、「卵」のみならず「あさ市も立つ」のであり、また、その頃になると、変態的な嗜好を持った者は「蛇蝎」どもを「ぞろぞろ連れ」て朝市の辺りを歩き回るに違いない、とする、本作の作者の変態的な発想をも十分に感得されるべきなのである。
〔返〕 立春は卵立つ日で泡も立つ白身掻き混ぜマヨネーズ造れ 鳥羽省三
〇 しなやかに片手で卵を割るひとの肩のラインがちいさく揺れる
それが「しなやか」な振る舞いであるかどうかは見る側、つまり紗都子側の問題でありましょう。
だが、少なくとも、「卵」を「片手」で「割る」ような振る舞いをする「ひと」側の気持ちとしては、「こうした自分の振る舞いを見たら、私の愛する紗都子さんは、きっと、『しなやか』でスマートな振る舞いをする男だと思ってくれるに違いない」と堅く信じて遣っているのでありましょう。
それにしても、本作の作者・紗都子の眼力の鋭さと冷徹さに対しては感服せざるを得ません。
何故ならば、紗都子さんは、「紗都子さんご自身が見たら、さぞかし『しなやか』でスマートな振る舞いに見えるに違いない」と信じて、「片手で卵を割る」彼の「肩のラインがちいさく揺れ」ている有様をも見逃さずに、一首の歌を仕立て上げているからである。
「片手で卵を割る」彼の「肩のラインがちいさく揺れ」ているのは、彼が震えているからでありましょう。
彼が震えているのは、彼の振る舞いが不自然な振る舞いであるからでありましょう。
紗都子さんにいい格好を見せたいばかりに不自然な振る舞いをする彼を、紗都子さんの慧眼と冷徹さは、許そうともしないのである。
〔返〕 しなやかに片手で帯を解く時の彼女の膝は固まっている 鳥羽省三
(桑原憂太郎)
〇 一卵性双生児でも中一の後半からは成績違へり
「中一の後半」という時期は青春の目覚めの時期であり、この時期を境として、例え「一卵性双生児」でも、学力や学習成績が極端に違って来たり、趣味嗜好や服装の好みまで違って来るような時期である。 「中一の後半」とは、言わば「人生の曲がり角に差し掛かった時期」なのである。
〔返〕 お茶大の付属中には一卵性双生児枠で容易く入れる 鳥羽省三
(伊倉ほたる)
〇 戻せない時間ばかりが増えていく固ゆで卵の黄身は蒼くて
「固ゆで卵の黄身」が「蒼く」見えようが、「青く」見えようが、「赤く」見えようが、それとは一切関わり無く「時間」というものは、永久に過去に戻せないものである。
その事を知悉しながら、本作の作者がこうした矛盾した内容の歌を詠んだのは、時間というものと色感というものが、何らかの関わりがあることを感じているからでありましょう。
一例を上げて説明すれば、恋をしている時の男性の目には、彼女と一緒に出掛けたズーラシアのペンギンの嘴の色さえもピンクに見えるそうである。
あのペンギンたちが嘴桃色症候群を患っている訳でも無いのに、彼の目に、あのペンギンたちの嘴がピンクに見える理由は、いずれ科学的に解明されるに違いありません。
〔返〕 返せない借財ばかりが増えて行く年金暮らしは楽と言えない 鳥羽省三
(鳥羽省三)
〇 啓蟄は卵立つあさ市も立つ蛇蝎ぞろぞろ連れて歩かむ
立春の朝に「卵」が「立つ」ということは、科学的に証明されていることである。
本作は、それならば、立春からたかだか一箇月後でしかない「啓蟄」の朝にも「卵」が「立つ」に違いないとする、独断と偏見に満ちた発想に基づいての一首である。
しかしながら、本作を創作した作者の狙いは、必ずしもそうしたところにばかり在るのではありません。
因って、本作の鑑賞者は、本作に見られる自由無碍なる言葉の流れに注目なさると同時に、「啓蟄」という「卵」が「立つあさ」になると、「卵」のみならず「あさ市も立つ」のであり、また、その頃になると、変態的な嗜好を持った者は「蛇蝎」どもを「ぞろぞろ連れ」て朝市の辺りを歩き回るに違いない、とする、本作の作者の変態的な発想をも十分に感得されるべきなのである。
〔返〕 立春は卵立つ日で泡も立つ白身掻き混ぜマヨネーズ造れ 鳥羽省三