臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

『NHK短歌』観賞(米川千嘉子選・6月27日放送・改訂版)

2010年06月28日 | 今週のNHK短歌から
○ 言葉なく遠吠えしたくなる夜を何もて鎮めむ人間われは  (松戸市) 豊本華乃子

 私は一昨日から、川村湊氏著『狼疾正伝~中島敦の文学と生涯~』を熟読中である。
 <狼疾>とは、不朽の小説家・中島敦に終世執り着いていて、彼をして、夜毎夜毎「遠吠えしたくなる」ような気分にさせたものであり、「何」を以ってしても「鎮め」難き<宿痾>だったのである。
 「言葉なく遠吠えしたくなる夜を何もて鎮めむ人間われは」という佳作を以ってして、<NHK短歌>の特選一席をせしめられた、本作の作者・豊本華乃子さんは、本作の内容から推察すると、一見、あの中島敦同様に、<狼疾>という終世不治の<宿痾>に魅入られた人のようにも思われるが、その実はまるで逆、いたって健康で常識的かつ魅力的な女性なのかも知れない。  
 だとすれば、本作を特選一席としてご推奨になられた選者の米川千嘉子氏こそ、中島敦の文学に毒され、本物の<狼疾>と偽物の<狼疾>との区別をもつかないような<宿痾>に魅入られた女性、それを敢えて名付けて言えば、<短歌疾>に囚われた女性なのかも知れない。
 ところで、評者は、中島敦の小説に親しみ、中島敦という人格に対する認識を深めるにつけても、「何もて鎮めむ人間われは」といった、大時代的かつ倒錯的かつ楽観的なる発想に対しては、嘔吐感すら感じるのである。
 「人間われ」なることを懐疑する者、即ち評者にとっては、「言葉」無き「夜」は在っても、「遠吠えしたくなる夜」は無い。
 そうした点が、本作の作者と評者との違いである、と言うよりも、「言葉なく遠吠えしたくなる夜を何もて鎮めむ人間われは」と言う一首に見られる本作の作者・豊本華乃子さんの心情は、悲観主義的、厭世主義的哲学や文学にかなり毒されている、と言うよりも、殆んど毒されてはいないにも関わらず、毒されているかのような境地に自らを置いて、その境地をお楽しみになって居られるのではないか感じる、とするのが、本作に対する評者の考え方である。
  〔返〕 金が無く泣きたくなった夜も在りけむゲゲゲの女房よくぞ耐へたる   鳥羽省三


○ 夏空を遠近法でかく男動くけむりをかきはじめたり  (松戸市) 吉田正男

 画家が「雲」や「動くけむり」を描いているという題材は、近代の詩人によって頻繁に歌われた風景であるので、私は、この一首から格別に新しいものは何一つ感得出来ませんでした。
 特選二席。
  〔返〕 風景を赤一色で描く画家が空往く雲をかき始めてる   鳥羽省三


○ 湧水を遠く遠くへめぐらせて温めて入れる谷津の植田は  (匝瑳市) 椎名昭雄
    
 「湧水を遠く遠くへめぐらせて温めて入れる」と、観察がよく行き届いていて、特選三席に相応しい佳作である。
  〔返〕 渓々に小魚湧ける曲(わだ)ありてその先にある早稲の植田は   鳥羽省三


○ コンビニも車椅子ならやや遠出媼はかむる水色の帽子  (小林市) 福留佐久子

 「媼はかむる水色の帽子」がよく効いております。
 作中のお「媼」さんは、都会で生活しているお孫さんが不要になって置いて行った「水色の帽子」を被って「車椅子」に乗り、少し遠出して隣り集落の<セブンイレブン>まで南瓜コロッケの買出しに来たのでしようか?
 今日は農協の組合長さんちの法事とかで、いつもやって来る移動販売車(通称=走るデパート)がお休みなのである。
  〔返〕 週二日家の前までやって来て何でも売ります<走るデパート>   鳥羽省三


○ 雨一過蟋蟀わっと生まれたり木屑を焼きし灰の中より  (神戸市) 名越順子

 「木屑を焼きし灰の中より」「わっと生まれたり」とは、「蟋蟀」という生き物の繁殖力のなんと旺盛なことよ。
 「雨一過」と「わっと生まれた」との呼応の素晴らしさよ。
  〔返〕 その宵は庭一面の大合唱耳に涼しき蟋蟀の声   鳥羽省三  


○ だあれにも今日で三日を会わぬなり望遠レンズは朴の花とらふ  (兵庫県) 江見眞智子

 末尾の語「とらふ」は、<摑まえる>という意味の文語動詞である。
 したがって、三句目の「会わぬなり」は「会はぬなり」としなければならない。
 天下の<NHK短歌>が、かかる初歩的なミスを見逃してはならない。
  〔返〕 望遠のレンズの捕へし朴のはな今しミツバチ飛び立つばかり


○ 遠き遠き砂漠の国の夫想ひまた顔を寄す父に似る子に  (伊勢市) 川口明代

 敢えて誉めて言えば、母子相姦的な怪しげな雰囲気を湛えた一首である。
 だが、森岡貞香氏作の『白蛾』に見られる「うしろより母を緊めつつあまゆる汝は執拗にしてわが髪乱るる」「拒みがたきわが少年の愛のしぐさ頤に手触り来その父のごと」などに見られるそれとは、比すべくも無く、まるで<ままごと>みたいなものである。
  〔返〕 遠き遠き砂漠の国のハレムでは膝を抱きて夫の寝ぬらむ   鳥羽省三  


○ 自転車の遠乗り愛する少年に風の理論を教はる五月  (桑名市) 佐藤浩子

 「風の理論」と言うのは少し大袈裟。
 せめて「風の作用」とでもしたらいかがですか?
 末尾を「五月」で逃げたのも安直過ぎると思います。
  〔返〕 自転車で家出企む吾子と知り風邪薬など持たせむとする   鳥羽省三


○ 爺ちゃんも変身ロボット遊びした?孫に問われし遥かな戦後  (名古屋市) 中村 泰

 「孫」という者は、どんな他愛無いことを言っても可愛いものである。
 しかし、我が孫の質問が余りにもくだらなかったので、カフカの愛読者であった作中の「爺ちゃん」は、「我らにとっての『戦後』とは何か?」と、悩むばかりなのである。
  〔返〕 我らはも何処より来て何処にか去るも去らぬも地獄の戦後   鳥羽省三


○ 遠い国の首相が失言悔いる顔間近に見せてテレビの魔法  (安城市) 内川 愛

 つい最近、ありましたね。
 あの女王様のお国の労働党内閣の首相の大失言が。
  〔返〕 「岡田ジャパン・四位確定・但し予選」これまた失言マスコミ懺悔   鳥羽省三


○ 追いかけてくねくねすべる滑り台孫といっしょに大蛇になった  (横浜市) 出羽紀子

 いくら「孫」が可愛いからと言っても、「追いかけてくねくねすべる滑り台」で「孫といっしょに大蛇になった」は無いでしょう。
 「大蛇」と言ったら、あの恐い「大蛇」ですよ。
 横浜の出羽の紀子お婆ちゃん、本当の「大蛇」をご存じですか。
  〔返〕 我が出羽の郷土力士の大蛇潟・緋縅・照国・清国・豪風   鳥羽省三 


○ テーブルを挟んだままで近づけず六畳半の部屋の二人は  (江戸川区) 中森 舞

 「六畳半の部屋」とはまた、中途半端な広さの部屋ですこと。
 「床の間を半畳と数えたのではないかしら?」とは、本日のゲストの真中朋久氏の弁でしたが、評者は、音数合わせの為に六畳を「六畳半」としたのだと思っている
  〔返〕 テーブルは四本脚の折り畳み次のデートで床の間入りだ   鳥羽省三