臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

さだまさし解剖学(『前夜<桃花鳥>』篇)

2010年06月17日 | ビーズのつぶやき
     前夜(桃花鳥)
             作詩・作曲 : さだまさし

 桃花鳥が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に
 写りの良くない写真を添えた記事がある
 ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥がたぶん
 僕等の生きてるうちにこの世から姿を消してゆく
       わかってるそんな事は  たぶん
       ちいさな出来事  それより
 君にはむしろ明日の僕達の献立の事が気がかり
  I'm all right I'm all right
 それに僕は君を愛してる それさえ間違わなければ

 今若者はみんなAMERICAそれも西海岸に
 憧れていると雑誌のグラビアが笑う
 そういえば友達はみんなAMERICA人になってゆく
 いつかこの国は無くなるんじゃないかと問えば君は笑う
       馬鹿だねそんな風に自然に
       変わってく姿こそ  それこそ
 この国なのよさもなきゃ初めからニッポンなんてなかったのよ
  I'm all right I'm all right
 そうだねいやな事すべて切り捨てて こんなに便利な世の中になったし

 どこかの国で戦さが起きたとTVのNEWSが言う
 子供が実写フィルムを見て歓声をあげてる
 皆他人事みたいな顔で人が死ぬ場面を見てる
 怖いねと振り返れば番組はもう笑いに変わってた
       わかってるそんな事は  たぶん
       ちいさな出来事  それより
 僕等はむしろこの狭い部屋の平和で手一杯だもの
  I'm all right I'm all right
 そうともそれだけで十分に僕等は忙し過ぎる

 桃花鳥が七羽に減ってしまったと
 新聞の片隅に……

   桃花鳥(とき)が七羽に減ってしまったと
   新聞の片隅に
   写りの良くない写真を
   添えた記事がある


 表題の『前夜(桃花鳥)』は、1982年12月11日にリリースされたシンガーソングライター<さだまさし>の七枚目のアナログアルバム『夢の轍』のA面の5曲目として世に出た作品である。
 この曲を聴いてから二ヶ月ほど過ぎた冬のある日、私は、新潟県の<佐渡トキ保護センター>に電話を入れ、応対に出た係員にこの曲の存在を知らせたうえ、「さだまさしさんの曲にあるような内容の記事を書いた新聞の名をご存じですか」と尋ねたところ、その係員が答えて言うには、「そのような曲が発表されたことは知ってはいるが、私はまだその曲を聴いたことが無い。また、その曲に書かれているような内容の記事を書いた新聞があることは、私も知らないし、当センターとしてもおそらくは把握していないであろう」ということであった。
 そこで私は、重ねて「トキが七羽に減ってしまった時期はいつ頃ですか」と尋ねたのであったが、それに対する先方の答もかなり曖昧なものであり、結局私は、「桃花鳥が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に/写りの良くない写真を添えた記事がある」という、この曲の歌詩が事実に基づいて書かれたものであるかどうかについては、何ひとつ確認することが出来なかった。
 しかしながら、フリー百科事典『WIKIPEDIA』の記すところに拠ると、<佐渡トキ保護センター>が、それまで佐渡島に棲息していた野生のトキの全部・五羽を捕獲し、それぞれ足環の色に基づいて「キ・アカ・シロ・アオ・ミドリ」と命名したのは、1981年1月のことであり、同センターには、それ以前に、2003年10月10日に自殺とも思われる壮絶な死を遂げ、<日本産・野生のトキの絶滅>として話題となった「キン」も保護されていたはずであるから、「日本産の野生のトキが七羽ないし六羽になってしまったのは、『夢の轍』がリリースされた時期から幾年も遡らない時期であろう推測される」とだけ述べて、この問題に決着を着けたいと思うのである。
 シンガーソングライター<さだまさし>は、『夢の轍』を出す以前に六枚のアナログアルバムを発表しているが、それらに盛られた曲は、どちらかと言うと、彼の私生活に取材したといったようなポーズで作詩したものや、私小説的題材に基づいて作詩した作品が中心であったが、この曲は、同アルバム・A面2曲目の『極光(オーロラ)』及びB面4曲目の『償い』と共に、マスコミで話題となったニュースに取材した作品である。
 したがってこの曲は、それまで自分自身の内部にしか関心を示そうとしなかったようなポーズをとっていた<さだまさし>が、「私は、私自身の生い立ちや私の性欲を刺激するような女性への関心だけでは無く、社会的な事件にだって問題意識とまでは行かなくとも、関心ぐらいは持っていますよ。あんまり見損なわないで下さいね」と宣言したような意味合いを持っている作品なのである。
 例によって、前置きともつかない本論ともつかないものを長々と書き連ねてしまったが、先を急ごうと思う。
 歌い出しの「桃花鳥が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に/写りの良くない写真を添えた記事がある」までは、マイホーム主義者を装っていた<さだまさし>らしくも無く、最近読んだ新聞記事の紹介である。
 この記事の内容の真偽やこの記事の有無については、先刻決着済みのことであるから、それ以上の詮索はしないが、注目すべきは、この記事を紹介するに当たっての作詩者・さだまさしの<何気なさ>である。
 「桃花鳥が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に/写りの良くない写真を添えた記事がある」という紹介の仕方は、昨今ならば、言わば「鳩山内閣が瓦解してしまったと新聞の片隅に、仏頂面した鳩山首相と小沢幹事長の白黒写真を添えた記事がある」という紹介の仕方とそれほど変わらない<何気なさ>なのである。
 したがって、それを聴いている私たち<さだまさしファン>の心の中には、格別な感動も湧いては来ないし、格別な失望の念が生まれるわけでも無い。
 しかし、それに続いて、ファン誑しの素質充分の<さだまさし>は、私たちのそうした心理を見透かしたようにして、「ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥がたぶん/僕等の生きてるうちにこの世から姿を消してゆく」と、今度はかなり気になるようなことを言う。
 このフレーズの中で特に注意するべき語句は、「ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥が」及び「僕等の生きてるうちに」という二つの連文節なのである。
 「カラスというあのけたたましい声で鳴く黒い鳥が」「今世紀中に」という言葉ならともかく、「ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥が」「僕等の生きてるうちに」という言葉が、他ならぬあの<さだまさし>さんの口から出てしまったら、私たち<さだまさしファン>としては、黙っては居られないような重大事が、他ならぬ私たちの<ご本尊様>からご託宣されたような気持ちにもなるからである。
 しかし、そこは、髪の毛の薄いことも人並み以上であるが、意地の悪いことも人並み以上の<さだまさし>である。
 彼<さだまさし>は、私たち単細胞植物系<さだまさしファン>をすっかりその気にさせて置いて、「わかってるそんな事は/たぶん/ちいさな出来事」と言い、そして、それに重ねるようにして、「それより/君にはむしろ明日の僕達の献立の事が気がかり」とまで言って、私たち<さだまさしファン>を安心させるような失望させるような気持ちにさせて弄ぶのである。
 評者がここまで述べてしまうと、私たち単細胞植物系<さだまさしファン>の中でも、ご先祖様から特に単細胞的なDNAを濃厚に受け継いでいる者は、「この論は根底から間違っている。何故なら、作中の『君』とは、私たち<さだまさしファン>のことでは無く、<さだまさし>さんの奥さんのことであるからである。この作品は、<さだまさし>さんが私たちファンに語り掛けているのでは無く、新婚間もない奥様に、生活を共にしていらっしゃる丸映子さんに、語り掛けているのである。作中に『君にはむしろ明日の僕達の献立の事が気がかり』と在るのが、何よりのその証拠ではありませんか」などとがなり立て、評者に喰ってかかって来るに違いない。
 だが、間違いはあくまでも間違いであり、単細胞植物系はどのように飾り立てて言ってもあくまでも単細胞植物系なのである。
 私は、<さだまさし>の伝記作者でも、ストーカーでも無いから、この作品を作った当時の<さだまさし>が丸映子さんという良き伴侶を得ていたかどうかを問題としない。
 その当時の<さだまさし>が妻帯者であろうが無かろうが、この作品の中で、さだまさしが「君」と呼び掛けている存在が、丸映子さんを含めた愛すべき日本人女性全体であり、「僕達」の「僕」とは、 <さだまさし>自身を含めた勤勉なる日本人男性全体なのである。
 評者がここまで言ってしまうと、「I'm all right」「I'm all right」と、優しく二度労わられ、「それに僕は君を愛してる」「それさえ間違わなければ」とも言われる幸福な女性が、他ならぬ貴女ご自身であることを、賢明なる<さだまさしファン>の女性、並びに<さだまさしファン>ならずとも<さだまさしファン>の女性同様に賢明なる日本人女性の方々は、「そんなことは、とうの昔に承知しておりますよ」と仰るに違いない。
 そうです。その通りなんです。
 それよりも、日本産トキが絶滅の危機を迎えているという事実よりも、私たちにとって一番大切なことは、日々の平凡な暮らしを大切にすること。
 男性が女性を愛していること。
 ご亭主が奥様を愛していること。
 「それさえ間違わなければ」、<あとはどうでもいい>と言うこと。
 と、ここまで書いてしまったが、私は少し調子に乗りすぎて、言わずもがなのことを言ったしまったようである。
 少なくとも、「日本産トキが絶滅の危機を迎えていることよりも、私たちにとって一番大切なことは、日々の平凡な暮らしを大切にすること。/男性が女性を愛していること。/ご亭主が奥様を愛していること。/『それさえ間違わなければ』、<あとはどうでもいい>と言うこと。」といった件(くだ)りについては、かなり注釈をして置かなければならないようである。
 ところで、この作品の中で<さだまさし>が数回繰り返す、「I'm all right」「I'm all right」という英語を、私たちはどのように解釈するべきであろうか?
 「私は問題無い。問題無い。」などと、何処かの翻訳サイトのような硬直した訳をするべきだろうか? 
 それとも、「僕は気にしない。気にしない。」などと、ごく軽く受け止めるべきであろうか?
 『滝川エミリの英語教室』では無いから、そんなことはどうでも良いことではあるが、「問題無い」とは、「問題とするべき要素そのものが存在しない」ということでは無い。
 「気にしない」とは、「気にかけるべき点そのものが存在しない」ということでは無い。
 この作品の中で、シンガーソングライター<さだまさし>が数回繰り返して歌う「I'm all right I'm all right」とは、日本産トキが絶滅の危機を迎えていることや、「どこかの国で戦さが起きたとTVのNEWSが言う/子供が実写フィルムを見て歓声をあげてる/皆他人事みたいな顔で人が死ぬ場面を見る/怖いねと振り返れば番組はもう笑いに変わってた」ことなどについては、大いに問題を感じていない訳では無いが、この場面では、一先ずは<気にしない>で置こう、と言うことである。
 <この場面>とは、<どんな場面>のことであろうか?
 <この場面>とは、「君にはむしろ明日の僕達の献立の事が気がかり」な場面であり、「僕等」が「この狭い部屋の平和で手一杯」な場面である。
 つまり、この作品は、「遠い明日しか見えない僕」が、少し余裕を持って「足元のぬかるみを気に病む君」の考え方を受け入れ、労わりを示した作品なのであるが、この場合の「僕」が<さだまさし>個人だけを指すものでは無く、<君>が<さだまさし>の<配偶者>個人だけないしは<恋人>個人だけを指すものでは無いことは、申し上げるまでも無いことである。
 話は少し変わるが、シンガーソングライター<さだまさし>の『関白宣言』が社会現象となったのは、1979年の7月のことであった。
 それから二年半遅れで発表されたこの作品は、あの『関白宣言』の<さだまさし>自身に拠る<アンサーソング>であったと推測しても、それは必ずしも的外れな推測ではない。  
 もしも、評者のそうした推測が的を得たものであるとすると、其処には、<女誑し・さだまさし>の面目の躍如たるものが在る。
 時にきつい言葉で叱り、時に優しい言葉で慰めるのが、<さだまさし>のみならず、私たち日本人男性の、古典的、伝統的な○○操縦法なのであり、彼<さだまさし>は、未だにその<因習的な轍>から脱却することが出来ないで居るのである。
 一度置いた筆を、更に手にして書きたいと思うのは、この作品の二番の歌詩にまつわる思い出についてである。
 私の教員時代の三番目の勤務校の英語科にNさんという仕事熱心、研究熱心、部活熱心な教師が居た。
 彼の最大の自慢は、国立の語学系の最難関大学の最難関学科を卒業したということであり、二番目の自慢は、ギターを弾かせたらプロ並みの腕を持っている、ということであった。
 彼は母一人、子一人の家庭で育ち、高校教員になってからの彼は、たった一人の母親の待っている自宅にもめったに帰らず、勤務校の研究室に所帯道具の一部、例えば、冷蔵庫、扇風機、電器釜、毛布や寝袋などを持ち込み、休日以外の大半は勤務校の研究室を塒にして居て、他の教員たちから大いに迷惑がられていたのである。
 その彼は大のアメリカ好きで、この曲の二番の歌詩は、彼の為に用意されているかのように錯覚することも、私にとっては再々であった。
 私は出勤時間が他の教職員より早く、毎朝、八時前には出勤していたのであるが、その私が勤務校の玄関扉を開けると、彼の弾くギターに合わせて、彼が顧問を務めているフォークソング部の生徒たちが、「今若者はみんなAMERICAそれも西海岸に/憧れていると雑誌のグラビアが笑う/そういえば友達はみんなAMERICA人になってゆく/いつかこの国は無くなるんじゃないかと問えば君は笑う/馬鹿だねそんな風に自然に/変わってく姿こそ/それこそ/この国なのよさもなきゃ初めからニッポンなんてなかったのよ/I'm all right I'm all right/そうだねいやな事すべて切り捨てて/こんなに便利な世の中になったし」と元気良く歌う声が聞こえて来たのであったが、それも、今となっては忘れられない思い出である。
 彼はそうした奇癖を持っている教員であるが故に、英語科の教員たちや一部の生徒たちからは嫌われていたが、彼から教わった生徒たちの大半は、他の教師から教わった生徒たちより、格段に英語の学力が高かったので、私は、彼の教師としての実力を高く評価し、他の教師と一風異なっていた彼の人柄に好感を持っていた。
 その彼も数年前に定年退職し、彼より五歳ほど年上の私は、今日・六月十七日に七十回目の誕生日を迎えた。
        足元の泥濘からも脱し得ず古希を迎ふる梅雨入り三日   鳥羽省三