○ 疲れたり草刈るよりも半日を黙りこくってゐる総代会 (山形県) 佐藤幹夫
本作での「総代会」は、土地改良区か森林組合の「総代会」でありましょうか?
評者は子供の頃、どんな集団の「総代会」にしろ、「総代会」と言ったいかにも頭脳明晰で物持ちで金持ちの人々の集まりのように思わせる会合の名称を耳にしたら、その場はその地域を代表するような知識人や人格者の会合のように思っていたのであった。
ところが、今にして思うと、「総代会」なる会合は、損害保険会社のそれにしろ、土地改良区のそれにしろ、寺院の檀徒たちのそれにしろ、単なる愚直ならまだしも、愚にして直ならざる人たちの集まりの場、保守的、因習的集団の生命維持装置、「半日」を「黙りこくってゐる」だけで、本作の作者のような感受性に秀でた人を「草刈るより」も「疲れ」させるような場でしかないことに気付いたのである。
本作は、素朴なる表現の中に田舎集団の為す事の下らなさを余すこと無く抉剔した傑作である。
誤解の無いように申し上げるが、評者の言う「田舎集団」とは、単なる田舎者の集まりを指すものでは無い。
たとえその集まりが、都会人の集まりであったとしても、それが単なる、因習的、保守的集団の生命維持装置の役割りしか果たしていないような場合は、それを「田舎集団」と私は呼ぶのである。
願わくば、短歌結社誌、短歌同人誌などの幹部クラスの人々の集まり、乃至は、某短歌結社誌中の<流星衆>といった集まりが、「田舎集団」と<後ろ指さされ組>にならないように。
〔返〕 円寿組流星衆など気負っても結局南極田舎集団 鳥羽省三
歌会始め選者経験歌人等の集まりもまた田舎集団 々
○ はつ夏をこうして抱かれていたいだけずっと年上このたぶの木に (新潟市) 太田千鶴子
「はつ夏をこうして抱かれていたいだけ」と、あなたに思わせるような「たぶの木」は、あなたよりも「ずっと年上」に決まっています。
包容力といった偉大な力は、十年や二十年で獲得されるものではありませんから。
〔返〕 青葉梟棲むよな洞を持つ樹々はたぶの木よりもずっと年上 鳥羽省三
○ 大欅大楢伐られ青葉梟帰らぬ闇の深き空洞 (蓮田市) 斎藤哲哉
つい先日、屋久島関係の報道映像を視ていた時に、「中世から近世初期にかけての寺院建築や城郭建築のブームが無かったならば、屋久島の森林相はもっともっと濃く、深かったに違いない」と感じました。
「大欅大楢伐られ青葉梟帰らぬ闇の深き空洞」とは、まさしく言い得て妙なる表現かと思われます。
「闇」の中の「深き空洞」とは、二重の薄気味悪さである。
〔返〕 姉の家の隣りの寺の老ひ杉に棲みて夜な夜な五郎助奉公 鳥羽省三
○ 両の手で鍵盤を押さえるように独占したいあなたの心 (神戸市) 野中智永子
「両の手で鍵盤を押さえるように」して弾いていたピアノ曲はなんだったのでしょうか?
〔返〕 両手もて鍵盤叩きショパン弾く辻井伸幸神の申し子 鳥羽省三
○ 学校に山羊を預ける人のいて児等に見せたり山羊のお産を (前橋市) 荻原葉月
この長閑な一首に接して、その昔、夏休み中の鶏の世話が大変だからと、児童たちが可愛がって育てていた鶏を学校の敷地に穴を掘って埋めた狂頭先生が居たことを思い出しました。
〔返〕 山羊のお産牛の交尾なども見せゆとり教育意外に難産 鳥羽省三
校長は山羊のお産の済むまでを卒業証書の員数数え 々
○ 父母は薄闇に顕つ影にして吾が心弱る時に現る (横浜市) 池松勝紀
「父母」は草葉の陰で我が子を見守っているから「薄闇に顕つ影にして」と言うのでありましょう。
その「影」は「吾が心弱る時に現る」とありますが、全くその通りでございます。
〔返〕 薄闇で我を守れる父母の影心弱りのする日々に顕つ 鳥羽省三
○ テレビ見て酒くらいおり禅堂でひたすら坐りし夜もありしに (三原市) 岡田独甫
「テレビ見て」「酒」を食らっている場所は、「禅堂」では無く<方丈>でありましょう。
いかなる生臭坊主でも、それぐらいの最低の常識は弁えているはずです。
〔返〕 禅堂でひたすら坐りしあの頃も読経の合い間に酒を飲んでた 鳥羽省三
○ 野ネズミの子どもに出会う登山道五糎未満の身がまえ見たり (鳥取県) 長谷川和子
「五糎未満の身がまえ見たり」という表現が秀逸である。
「五糎未満」の「野ネズミの子ども」の「身がまえ」に出会ったことはありませんが、犬嫌いの私は、<五十糎未満>の<仔犬>の「身がまえ」には、再三出会って居ります。
〔返〕 身構えて「省くん嫌い!」と言う孫の雪菜と芽衣の顔の憎さよ 鳥羽省三
○ 「視神経だいぶやられていますねェ」問診十秒精算子細 (蒲郡市) 古田明夫
「視神経だいぶやられていますねェ」と言うだけの「問診」であるが、医療費自動支払機から吐き出される<医療費精算書>には、それ以外の事柄についても「子細」に書かれている。
真に<医は仁術>ならぬ<医は算術>である。
〔返〕 「脳神経ほとんどやられていますねェ」医者が言ったらそれでお終い 鳥羽省三
○ 四、五軒は同じ地名の向う岸かくも昔は暴れ川なり (焼津市) 増田謙一郎
焼津市内を流れている「川」と言えば、桜の名勝<木屋川>である。
あの美しい川は、その昔は「暴れ川」で、これを挟んだ両岸に「同じ地名」の土地が在るのでしょうか?
「四、五軒は同じ地名の向う岸」という捉え方が、言うに言われぬ絶妙さである。
〔返〕 四、五軒のうちの三軒親戚で、残り二軒と犬猿の仲 鳥羽省三
○ 向い合う小さき工場に車満ち迷惑なれどなにか嬉しい (堺市) 平井明美
評者としては、「迷惑なれどなにか嬉しい」と言ったところが嬉しい。
人の気持ちはみな同じようなものであるからである。
「迷惑なれど」と言っても、朝夕の通勤時にブレーキ音や発車音などがする、といった程度のことでありましょうか?
〔返〕 向い合う小工場がビルを建てお蔭で陽射しが悪くなったよ 鳥羽省三
○ うかうかと生きて白寿よ庭中の新芽の紅き紅葉を愛す (東京都) かしまふさ
「うかうかと生きて」とは謙遜。
熱心にお仕事を励まれ、その余暇に「庭中の新芽の紅き紅葉を愛」された長年の生活の結果として、「白寿」をお迎えになったのでありましょう。
何はともあれ、<かしまふさ>さん、おめでとうございます。
〔返〕 生き抜いて白寿迎えし<ふさ>さんの両眼に映る楓の新芽 鳥羽省三
○ 柚子胡椒すこしきかせただんご汁苗代寒の夜をあたたまる (大分市) 岩永知子
大分と言えば「柚子胡椒」であるが、作中の「柚子胡椒」は、岩永知子さんお手作りの品でありましょうか?
その「柚子胡椒」を「すこしきかせただんご汁」は、「苗代寒」で冷めたご家族の体を心底から温めてくれるのでありましょう。
〔返〕 苗代に苗取る習ひは今無きも苗代寒の冷えは変はらず 鳥羽省三
○ らんちゆうの尾鰭と紛ふ夏衣逆光に透け肢体あらはに (名古屋市) 木村久子
美しい「らんちゆうの尾鰭」と、「逆光」を受けて「肢体」の「透け」て見える女性の「夏衣」姿の対比は見事である。
当然のことながら、モデルは作者ご自身でありましょう。
だとすれば、ナルシスムの極致をお詠みになったのである。
〔返〕 艶やかな浴衣に袖を通しても透ける姿態か逆光を受け 鳥羽省三
本作での「総代会」は、土地改良区か森林組合の「総代会」でありましょうか?
評者は子供の頃、どんな集団の「総代会」にしろ、「総代会」と言ったいかにも頭脳明晰で物持ちで金持ちの人々の集まりのように思わせる会合の名称を耳にしたら、その場はその地域を代表するような知識人や人格者の会合のように思っていたのであった。
ところが、今にして思うと、「総代会」なる会合は、損害保険会社のそれにしろ、土地改良区のそれにしろ、寺院の檀徒たちのそれにしろ、単なる愚直ならまだしも、愚にして直ならざる人たちの集まりの場、保守的、因習的集団の生命維持装置、「半日」を「黙りこくってゐる」だけで、本作の作者のような感受性に秀でた人を「草刈るより」も「疲れ」させるような場でしかないことに気付いたのである。
本作は、素朴なる表現の中に田舎集団の為す事の下らなさを余すこと無く抉剔した傑作である。
誤解の無いように申し上げるが、評者の言う「田舎集団」とは、単なる田舎者の集まりを指すものでは無い。
たとえその集まりが、都会人の集まりであったとしても、それが単なる、因習的、保守的集団の生命維持装置の役割りしか果たしていないような場合は、それを「田舎集団」と私は呼ぶのである。
願わくば、短歌結社誌、短歌同人誌などの幹部クラスの人々の集まり、乃至は、某短歌結社誌中の<流星衆>といった集まりが、「田舎集団」と<後ろ指さされ組>にならないように。
〔返〕 円寿組流星衆など気負っても結局南極田舎集団 鳥羽省三
歌会始め選者経験歌人等の集まりもまた田舎集団 々
○ はつ夏をこうして抱かれていたいだけずっと年上このたぶの木に (新潟市) 太田千鶴子
「はつ夏をこうして抱かれていたいだけ」と、あなたに思わせるような「たぶの木」は、あなたよりも「ずっと年上」に決まっています。
包容力といった偉大な力は、十年や二十年で獲得されるものではありませんから。
〔返〕 青葉梟棲むよな洞を持つ樹々はたぶの木よりもずっと年上 鳥羽省三
○ 大欅大楢伐られ青葉梟帰らぬ闇の深き空洞 (蓮田市) 斎藤哲哉
つい先日、屋久島関係の報道映像を視ていた時に、「中世から近世初期にかけての寺院建築や城郭建築のブームが無かったならば、屋久島の森林相はもっともっと濃く、深かったに違いない」と感じました。
「大欅大楢伐られ青葉梟帰らぬ闇の深き空洞」とは、まさしく言い得て妙なる表現かと思われます。
「闇」の中の「深き空洞」とは、二重の薄気味悪さである。
〔返〕 姉の家の隣りの寺の老ひ杉に棲みて夜な夜な五郎助奉公 鳥羽省三
○ 両の手で鍵盤を押さえるように独占したいあなたの心 (神戸市) 野中智永子
「両の手で鍵盤を押さえるように」して弾いていたピアノ曲はなんだったのでしょうか?
〔返〕 両手もて鍵盤叩きショパン弾く辻井伸幸神の申し子 鳥羽省三
○ 学校に山羊を預ける人のいて児等に見せたり山羊のお産を (前橋市) 荻原葉月
この長閑な一首に接して、その昔、夏休み中の鶏の世話が大変だからと、児童たちが可愛がって育てていた鶏を学校の敷地に穴を掘って埋めた狂頭先生が居たことを思い出しました。
〔返〕 山羊のお産牛の交尾なども見せゆとり教育意外に難産 鳥羽省三
校長は山羊のお産の済むまでを卒業証書の員数数え 々
○ 父母は薄闇に顕つ影にして吾が心弱る時に現る (横浜市) 池松勝紀
「父母」は草葉の陰で我が子を見守っているから「薄闇に顕つ影にして」と言うのでありましょう。
その「影」は「吾が心弱る時に現る」とありますが、全くその通りでございます。
〔返〕 薄闇で我を守れる父母の影心弱りのする日々に顕つ 鳥羽省三
○ テレビ見て酒くらいおり禅堂でひたすら坐りし夜もありしに (三原市) 岡田独甫
「テレビ見て」「酒」を食らっている場所は、「禅堂」では無く<方丈>でありましょう。
いかなる生臭坊主でも、それぐらいの最低の常識は弁えているはずです。
〔返〕 禅堂でひたすら坐りしあの頃も読経の合い間に酒を飲んでた 鳥羽省三
○ 野ネズミの子どもに出会う登山道五糎未満の身がまえ見たり (鳥取県) 長谷川和子
「五糎未満の身がまえ見たり」という表現が秀逸である。
「五糎未満」の「野ネズミの子ども」の「身がまえ」に出会ったことはありませんが、犬嫌いの私は、<五十糎未満>の<仔犬>の「身がまえ」には、再三出会って居ります。
〔返〕 身構えて「省くん嫌い!」と言う孫の雪菜と芽衣の顔の憎さよ 鳥羽省三
○ 「視神経だいぶやられていますねェ」問診十秒精算子細 (蒲郡市) 古田明夫
「視神経だいぶやられていますねェ」と言うだけの「問診」であるが、医療費自動支払機から吐き出される<医療費精算書>には、それ以外の事柄についても「子細」に書かれている。
真に<医は仁術>ならぬ<医は算術>である。
〔返〕 「脳神経ほとんどやられていますねェ」医者が言ったらそれでお終い 鳥羽省三
○ 四、五軒は同じ地名の向う岸かくも昔は暴れ川なり (焼津市) 増田謙一郎
焼津市内を流れている「川」と言えば、桜の名勝<木屋川>である。
あの美しい川は、その昔は「暴れ川」で、これを挟んだ両岸に「同じ地名」の土地が在るのでしょうか?
「四、五軒は同じ地名の向う岸」という捉え方が、言うに言われぬ絶妙さである。
〔返〕 四、五軒のうちの三軒親戚で、残り二軒と犬猿の仲 鳥羽省三
○ 向い合う小さき工場に車満ち迷惑なれどなにか嬉しい (堺市) 平井明美
評者としては、「迷惑なれどなにか嬉しい」と言ったところが嬉しい。
人の気持ちはみな同じようなものであるからである。
「迷惑なれど」と言っても、朝夕の通勤時にブレーキ音や発車音などがする、といった程度のことでありましょうか?
〔返〕 向い合う小工場がビルを建てお蔭で陽射しが悪くなったよ 鳥羽省三
○ うかうかと生きて白寿よ庭中の新芽の紅き紅葉を愛す (東京都) かしまふさ
「うかうかと生きて」とは謙遜。
熱心にお仕事を励まれ、その余暇に「庭中の新芽の紅き紅葉を愛」された長年の生活の結果として、「白寿」をお迎えになったのでありましょう。
何はともあれ、<かしまふさ>さん、おめでとうございます。
〔返〕 生き抜いて白寿迎えし<ふさ>さんの両眼に映る楓の新芽 鳥羽省三
○ 柚子胡椒すこしきかせただんご汁苗代寒の夜をあたたまる (大分市) 岩永知子
大分と言えば「柚子胡椒」であるが、作中の「柚子胡椒」は、岩永知子さんお手作りの品でありましょうか?
その「柚子胡椒」を「すこしきかせただんご汁」は、「苗代寒」で冷めたご家族の体を心底から温めてくれるのでありましょう。
〔返〕 苗代に苗取る習ひは今無きも苗代寒の冷えは変はらず 鳥羽省三
○ らんちゆうの尾鰭と紛ふ夏衣逆光に透け肢体あらはに (名古屋市) 木村久子
美しい「らんちゆうの尾鰭」と、「逆光」を受けて「肢体」の「透け」て見える女性の「夏衣」姿の対比は見事である。
当然のことながら、モデルは作者ご自身でありましょう。
だとすれば、ナルシスムの極致をお詠みになったのである。
〔返〕 艶やかな浴衣に袖を通しても透ける姿態か逆光を受け 鳥羽省三