臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(028:陰)

2010年06月07日 | 題詠blog短歌
(中村梨々)
   まなざしの陰を過ぎてく麦藁の少女に引かれやってくる初夏

 「まなざしの陰を過ぎてく」という措辞の解釈が難しくかつ魅力的である。
 作中の「麦藁の少女」は「まなざしの陰を過ぎてく」のであるから、彼女は本作の作者・中村梨々さんの「まなざし」が及ばずに「陰」になっている部分を通り過ぎて行くと解釈するべきであろう。 だが、歌人は本来全智全能であるはずであるから、この地上で本作の作者・中村梨々さんの「まなざし」の及ばない部分などは在り得ないはずである。
 在り得ないはずの「陰」の部分を「通り過ぎてく」「少女」は、本質的には存在し得ないはずの「少女」である。
 存在し得ないはずの「少女」とは<幻>の「少女」である。
 今年の「初夏」はその幻の「少女に引かれ」て「やってくる」のである。
 ところで、その幻の「少女」とは誰か?
 イタリアルネサンス初期の画家・ボッティチェリの代表作『春』は、愛と美の女神ヴィーナスを中心にして、その左側にヘルメスと三美神を配し、右側に春の女神プリマヴェーラ・花の女神フローラ・西風ゼフェロスを配した、艶麗にして荘重なる構図で描かれている。
 察するに、本作中の「麦藁の少女」とは、あのボッティチェリの名画・『春』に描かれている<春の女神プリマヴェーラ>の親戚に当たる「少女」ではないでしょうか?
 私は、本作の観賞に当たって、インターネットのホームページで「夏の女神」なる存在の行方を突き止めようとしたのであるが、その殆んどはアダルトサイトの登場人物や日焼けサロンの客引き的存在の人物であり、私たちのような地道に生きる者の前に「初夏」という爽やかで健康な季節を招来してくれるような清純な「少女」には出会わなかった。
 そこで行き着いたのが上記の結論である。
 ボッティチェリの『春』に描かれている<春の女神プリマヴェーラ>は、花柄の透け透けの妖艶なドレスを身に纏っているが、本作に登場する<初夏の女神>の「少女」は、極東の国・日本の平成社会に逞しく生きて行く「少女」らしく、「麦藁」帽子を被り、ユニクロのTシャツを身に纏っているのである。
  〔返〕 ワンコ連れユニクロのシャツ身に纏い初夏の少女は木陰に立てり   鳥羽省三
 
 
(秋月あまね)
   心には陰謀あらむ泣きじやくる同母弟(いろど)の髪を指に梳きつも

 本作に接した瞬間、私の脳裡に甦ったのは、万葉集の女流歌人・大来皇女が同母弟・大津皇子の悲劇に際して詠んだ次の六首の和歌である。
   ○ わが背子を大和に遣るとさ夜深けて暁露にわが立ち濡れし
   ○ 二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ
 以上二首は、大津皇子が密かに伊勢神宮に下向してきた時に大来皇女が詠んだ歌。
   ○ 神風の伊勢の国にもあらましを なにしか来けむ君もあらなくに
   ○ 見まく欲りわがする君もあらなくに なにしか来けむ馬疲るるに
 以上二首は、大津皇子の薨去後、大来皇女が伊勢を去って帰京する途上で詠んだ歌。
   ○ うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟背とわが見む
   ○ 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありといはなくに
 以上二首は、大津皇子を二上山に移葬した時に大来皇女が詠んだ歌。
 大来皇女と大津皇子とは、天智天皇の娘・大田皇女と天智天皇の弟・天武天皇との間に生まれた同母姉弟である。
 女性から見て、母を同じくする男性の中の年上の男性を<いろせ(同母兄)>と言い、年下の男性を<いろと(同母弟)>と言う。
 全くの濡れ衣とも言われている大津皇子の例の謀反事件について、同母姉の大田皇女がどの程度関わっていたか、関わっていないかは私は全く与り知らないが、同母弟・大津皇子を思って、同母姉の大来皇女が詠んだこれら六首の和歌は、部外者の私の胸を打つものがある。
 おそらくは、本作の作者・秋月あまねさんに於かれても、私と同じような思いに囚われて、この傑作をものされたものと拝察される。 
  〔返〕 陰謀の是非については知らねどもただに愛しきいろと(同母弟)なるかも   鳥羽省三 

(五十嵐きよみ)
   陰鬱な顔つきなんて馬鹿らしい片目でこっそり楽しめばいい

 こちらの女性の方は、全くなんて気楽なこと。
 「陰鬱な顔つきなんて馬鹿らしい」「片目でこっそり楽しめばいい」と、気楽に仰って居られますが、あの五十嵐きよみさんが、いったい何を「片目でこっそり楽しめばいい」と仰るのでありましょうか?
 まさか、アダルトサイトの<夏の女神>の悩ましいポーズではないでしょう?
  〔返〕 ボルドーの赤を片手にウインクし片目でそっと覗いたりする   鳥羽省三


(牛 隆佑)
   今週も隣の町で陰惨な事件があったわ た し し あ わ せ

 こちらの牛さんはまた、なんと陰鬱なことよ。
 宮崎牛が壊滅状態の憂き目に晒されている今日、その「牛」という文字を苗字にして居られる<牛隆佑>さんのお気持は、この鳥羽省三にも十二分に解りますよ。
  〔返〕 来週は鬼首村に怪事件起きれば私とても幸せ   鳥羽省三 


(山口朔子)
   行くあてのない者同士もう少しここにいようよ日陰のトカゲ

 こちらの方の陰鬱さは、更に念が入っているが、「日陰のトカゲ」の境遇に共感を覚えているのには、薄気味悪さが感じられる。
 <日陰の女>という存在は、かつての映画ストーリーのヒロインであったが、この頃はすっかり影を潜めてしまったような感じである。
 これは、世の中が良くなったせいであろうか? 悪くなったせいであろうか?
 〔返〕 眼の周り厚く隈取りケイタイでメール打ってる日向の女   鳥羽省三


(斉藤そよ)
   月にだけ素直なからだ陰暦で生きてゆきたい年頃がある

 私にはよく解らないことであるが、女性特有のあの生理現象は、月の満ち欠けを中心とした<太陰暦>と密接な関わりがあるのでしょう。
 だとすれば、「月にだけ素直なからだ」という、一見奇怪な断言にも頷け、「陰暦で生きてゆきたい年頃がある」という断定にさえも、素直に従えるのである。
 そう言えば、閉経の時期を過ぎたと思われる女性が、急に元気になり、太陽が燦々と照りつける湘南海岸でフラダンスなどに興じている有様などは、何か曰く有り気である。
 こんな冗談めかしたことを綴りながら、たった今、気が付いたことであるが、あの『竹取物語』のヒロイン・かぐや姫が陰鬱な気分に囚われるのは、月の満ち欠けと密接な関連があったのではないだろうか?
  〔返〕 金にだけ素直になれる吾である競馬競輪たまにやってる   鳥羽省三 


(珠弾)
   陰暦で言えば何月何日にあたるのだろうカレンダー見る

 こちらの「陰暦」は単純至極。
 ただ単にお日柄を占いたかっただけである。
 今日の<珠騨>さんは<お馬さん>とデイトする<珠騨>さんであり、今夜の<珠騨>さんは<珠騨>さんならぬ<酒乱>さんで有馬賞。
  〔返〕 「ありましょう」と打ったつもりが「有馬賞」有馬記念で去年は勝った   鳥羽省三


(じゃみぃ)
   その昔陰気な感じと評された根は変わらぬとしんみり語り

 「根は変わらぬとしんみり語り」合っているのは、同窓会の席上でありましょうか?
  〔返〕 その昔マドンナなどと言われてた学級委員の末路について   鳥羽省三


(丸井まき)
   光だけ浴びては生きていけなくて日陰木陰を探して歩く

 「光だけ浴びては生きていけなくて」という措辞からすると、本作の作者・丸井まきさんは必ずしも隠花植物でも<インカ帝国>の国民でも無いらしい。
 それにしても、今日も暑いですね。
 私は今日の午後、<MADAMU・SHINCO>を買いに町田の小田急百貨店に出掛けますが、この暑さでは、帰宅するまで溶けてしまいそうです。
  〔返〕 溶けたなら<MADAMU・SHINCO>は食えぬからドライアイスをたっぷり入れる   鳥羽省三

 
(伊藤真也)
   表向きの陰をかざして目眩ます 何ひとつとしてばれちゃいけない

 文字通りの「陰」とは別に、「表向きの陰をかざして目眩ます」とは、なかなかの高等戦術である。
 ここまで用意周到であれば、「何ひとつとしてばれ」ないはずと思うのも浅墓。
 大日本帝國参謀本部からの暗号電報の全ては、アメリカの頭脳によって解読されていたのである。
  〔返〕 建前の建前言って誤魔化した本音の本音が建前だった   鳥羽省三


(理阿弥)
   星霜に摩滅せる碑の片陰の白き撫子ゆれをる刹那

 そう言えば、「摩滅」している「碑」の「片陰」には、白い川原撫子がよく咲いていたものでした。
 その「白き撫子」の「ゆれをる刹那」を、見事に写し取った理阿弥さんのカメラ捌きの素晴らしさよ。
  〔返〕 「顕彰碑・阿南大佐」と刻みたりその余の文字は毀れて見えず   鳥羽省三


(鮎美)
   をとめごの紺のプリーツスカートの陰翳ふかくけふ新学期

 「紺のブリーツスカート」の深い「陰翳」は、今日「新学期」を迎えた「をとめご」の青春の「陰翳」にも通うものである。
 何はともあれ、「今日」から「新学期」。
 「友だち百人できるかな」などと歌うのは頑是無いガキどもであり、青春に「陰翳」は付きものでる。
 だから、「紺のプリーツスカート」の「をとめご」よ、悩んで悩んで悩み通し、青春を突き抜けろ。
  〔返〕 スカートの襞に見紛ふ心の襞をとめごの顔はつか蒼ざむ   鳥羽省三


(水絵)
   岩陰にひっそりおわす地蔵尊 経の衣に笑みて包まれ

 水絵さんにこんなことをお伺いするのもなんですが、その「地蔵尊」は<水子地蔵尊>でしたでしょうか?
 だとしたならば、「経の衣」に「包まれ」て笑っているのも納得され、「その周囲ではセルロイド製の風車がくろくろと回っていませんでしたか」とも、お尋ねしたくもなるのです。
  〔返〕 横丁の水掛け地蔵に水掛けて女難に遭はぬやうにと願ふ   鳥羽省三


(原田 町)
   裏日本表日本はアウトでも山陰山陽まだまだセーフ

 かつて「裏日本」の住民であった者の一人としては、充分に納得の行く一首である。
 「裏」とは異なって、「陰」にはそれなりの文学的な(但し、極めて安直な)雰囲気がありますからね。
 それが、「山陽」に対する「山陰」を未だに「セーフ」にしている一因でありましょうか?
  〔返〕 山陰の女性と聞けば優しいが逢えばなかなか鳥取女   鳥羽省三


(南葦太)
   日陰者では終われない反骨の葦の茎なら太くあれかし

 我が歌友・南葦太さんは、この場を利用して、ご自身のブログネーム(本名かも?)の由来を説明しようとなさっているのである。
 それにしても、「日陰者では終われない」という言い方には、いささか驚嘆致しました。
  〔返〕 日陰には生ゆるはず無き河原もの難波の葦は伊勢の浜荻   鳥羽省三


(飯田和馬)
   物陰は息を殺して祈る場所一円玉と鉄色の僕

 「物陰」に信仰対象めいた何かが鎮座ましますのでありましょうか?
 もし鎮座ましますとすれば、「一円玉」はお賽銭であり、「鉄色の僕」は、それに跪いて「息を殺して」必死に祈っているのでありましょう。
 それにしても、お賽銭が「一円玉」とは、ちとけち臭い。
  〔返〕 物陰に息を殺している猫は隣りの三毛のお尻を狙う   鳥羽省三


(虫武一俊)
   人類の陰の部分を見たあとの身にカフェオレのやさしかったこと

 本作の作者は、奥方様とご一緒にご愛息様のお昼寝姿をご覧になりながら、お茶していらっしゃるのでありましょうか?  
 だとすれば、ご自身の不始末の結果を目にしてしまったことを、「人類の陰の部分を見た」と言うのは、かなり大袈裟な言い草でありましょう。
 間違っていたとすれば、篤く篤くお詫び申し上げます。
  〔返〕 ご自身の陰の部分を熟視した後のビールのなんとも苦き   鳥羽省三


(青野ことり)
   陰口は朝靄のなかとけだして哀しい色でぽとりと落ちる

 「陰口は朝靄のなかとけだして哀しい色でぽとりと落ちる」という出来事は、いかにも<ことりごと>の世界で発生した出来事に相応しい内実を備えている。
 青野ことりさんは、やり慣れていないことをやるべきでは無い。
 「陰口」とは、あの黒い鴉の口から漏れる言葉であって、<青い鳥ことり>の口から発せられる言葉ではないからである。
 したがって、「哀しい色でぽとりと落ちる」という下の句の措辞は、激しい自責の念から出た言葉として解釈される。
  〔返〕 朝靄に溶け行く吾の陰口よ朝の空気に清みて消え去れ   鳥羽省三


(新井蜜)
   暗い顔見せたくなくて道草し陰間のやうに立つて星見る

 「陰間」の少年はいつも笑っているかのように見せながら、その実は、自分を買った大人の男性に対して激しい怒りを感じ、自分の運命に対して呪うような気持ちを抱いているのである。
 したがって、「暗い顔見せたくなくて」と言いながら「道草し」、「星」を見ている話者の気持ちは見せかけ以上に複雑である。
 こうした複雑な心理を詠んだ作品は、評者の手に負えないので、普段から採り上げないようにしているのだが、今回は「陰間」の一語に惹かれて観賞に及んだ。
  〔返〕 薄つすらと笑みを浮かべて星を見る陰間の尻を犬は見てゐる   鳥羽省三


(新田瑛)
   照りつけるときはあなたの陰となってスルメのように干からびるまで

 気温が高く、燦々と照り付ける夏の直射日光に向かって走って行く企画最悪のマラソン競争を題材にした作品であろうか?
 他の選手の「陰」になって走りたいから、ランナーたちの誰ひとりとして、先頭に立とうとはしない。
 しかし、記録はどんどん落ちて行くばかりであるから、それぞれのランナーは気が気で無く、結局は、「スルメのように干からび」てしまうのである。
  〔返〕 君が出ろいや君が出ろ僕は出ぬ結局難局乾びたスルメ   鳥羽省三
 

(黒崎立体)
   背中の広い人がいい 晴れすぎた日はその陰で死んでいられる

 同上。
 でも、いつまでも「死んでいられ」ませんよ。
 みんな「背中の広い人」の「陰」になって「死んで」いたら、そのうちにレースそのものが三流、四流になってしまうから。
  〔返〕 先頭に立ってレースを引っ張って息が切れたらそれでお終い   鳥羽省三 


(詩月めぐ)
   さよならの言葉もないまま去ってゆく君を見送る花下陰で

 「去ってゆく君」を「花下陰」で「見送る」話者の心理はかなり複雑である。
 彼女には、「さよならの言葉もないまま去ってゆく君」に、見送られているという負担を感じさせないで見送りたいという気持ちとは別に、「君」との別れの場面を、「花」で以って飾りたいという気持ちもあるからである。
  〔返〕 去る友をトイレの窓から見送ったあの日の吾の気持ち訝し   鳥羽省三


(はこべ)
   山陰の宍道湖訪いし夏の日に原子炉のごとき夕焼けに会う

 赤々とした「夕焼け」を形容して述べたのであろうが、被爆者の心理を慮れば「原子炉のごとき夕焼けに会う」というのは、やや穏当を欠く表現と思われないでもない。
  〔返〕 テキーラの照射を浴びた顔をして若者たちは海から上がる   鳥羽省三


(駒沢直)
   草陰をつるりと走る愛蛇(カナヘビ)を追いかけていくアリスの足で

 トカゲを<カナヘビ>と呼ぶのはお馴染みであったが、それを「愛蛇」と書くとは知らなかった。
 「草陰をつるりと走る愛蛇」という措辞は、いかにもそれらしくて宜しい。
 また、「愛蛇を追いかけていくアリスの足で」と言うのも、場面に相応しい表現で素晴らしい。
  〔返〕 藪中にそろり顔出す栗茸をひょいと折り取る白雪姫の手   鳥羽省三


(風とくらげ)
   強い陽を遮る文庫の『恋愛論』たいした陰にはならなかったな

 発想は大変素晴らしいが、詠い出しの拙劣さが致命的である。
  〔返〕 文庫版『猫』を額に昼寝した引っ掻き傷に気付いて覚めた   鳥羽省三