臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(031:SF)

2010年06月13日 | 題詠blog短歌
(空音)
   SFの『アバター』VS社会派の『ハートロッカー』受賞の行方

 「題詠blog2010」の主催者・五十嵐きよみさんが発表した今回の<お題>は、<半角>の「SF」となっているが、一首の中に「SF」と「VS」が共存している本作を目前にしていると、五十嵐きよみさんのそうした措置が、一種の手抜きによって生じたものであることがあからさまになる。
 すなわち、今回の<お題>は<半角>の「SF」では無く、<全角>の「SF」なのである。
 さて、本題に入ろう。
 本年度のアカデミー賞・各賞の受賞作品などを示すと次のようになる。 
 作品賞─「ハート・ロッカー」/監督賞─キャスリン・ビグロー(ハート・ロッカー)/主演女優賞─サンドラ・ブロック(しあわせの隠れ場所)/主演男優賞─ジェフ・ブリッジス(クレイジー・ハート)/外国語映画賞─「瞳の奥の秘密」/編集賞─「ハート・ロッカー」/長編ドキュメンタリー賞─「ザ・コーヴ」/視覚効果賞─「アバター」/作曲賞─「カールじいさんの空飛ぶ家」/撮影賞─「アバター」/音響録音賞─「ハート・ロッカー」/音響編集賞─「ハート・ロッカー」/衣装デザイン賞─「ヴィクトリア女王/世紀の愛」/美術賞─「アバター」/助演女優賞─モニーク(プレシャス)/脚色賞─「プレシャス」/メイクアップ賞─「スター・トレック」/短編実写賞─「The New Tenants」/短編ドキュメンタリー賞─「Music by Prudence」/短編アニメーション賞─「Logorama」/脚本賞─「ハート・ロッカー」/主題歌賞─「クレイジー・ハート」“The Weary Kind (Theme from Crazy Heart)”/ 長編アニメーション賞─「カールじいさんの空飛ぶ家」/助演男優賞─クリストフ・ワルツ(イングロリアス・バスターズ)。
 結果からすると、本作に於いて、作者・空音さんがご指摘になられた「SFの『アバター』VS社会派の『ハートロッカー』」「受賞の行方」は、見事に的中したことになる。
  〔返〕 本作はいつご投稿をなさったか? 時期によっては面白くない   鳥羽省三


(穂ノ木芽央)
  よのなかはSFなれどにんげんはおひつけなくてわらわれてゐる

 「SF」の件はさて措いて、本作は、作品全体をひらがな表記にし、<歴史的かなづかひ>にしようとするなど、表記表現にそれなりの工夫が凝らされているように見受けられるが、それだけに、五句目を「わらはれてゐる」では無く、「わらわれてゐる」とした点が惜しまれる。
 「弘法にも筆の誤り」の類か?
  〔返〕 世の中のミスとミセスの差は僅か昨日のミスが今日のミセスで   鳥羽省三


(斉藤そよ)
   パーキングエリアは濃霧 SFの扉のごとくひかる自販機

 冬の遠距離ドライブの途中に「濃霧」のかかった「パーキングエリア」に立ち寄り、「自販機」に幾許かのコインを入れ、熱い「缶コーヒー」などを買い求めようとすることはよくあることですが、そうした折、ガスのかかった「パーキングエリア」の「自販機」は、見ようによっては「SF」に出て来る秘密基地の「扉」のように見えないでもありません。
 日常生活の出来事に取材しながら、よくその日常を脱して、お題「SF」を生かし得た点が優れている。
  〔返〕 自販機の缶コーヒーは秘密めき我よ我よと煌めいている   鳥羽省三


(青野ことり)
   SFの表紙に指をかけながらためらう心地に少し似ている

 北東北の田舎住いをしていた頃の我が家の押入れには、「SF」に属する本が数百冊も堆積していたのであったが、昨年の転居に際して、私はその殆んどを読まないままに廃棄処分にしてしまった。
 したがって、本作中の「SFの表紙に指をかけながらためらう心地」という「心地」は、今の私には実によく解ります。
 ところで、「SFの表紙に指をかけながらためらう心地」に、何が「少し似ている」のでありましょうか?
 それを秘密めかして言わないところが、本作の作者の小賢しく小悪魔的なところであり、本作の魅力でもありましょう。
 作者が口を閉ざして言わなければ、向きになって言わせようとしたり、それも叶わぬと知ると、勝手に想像して言ってしまうのが評者が持っている数々の悪癖の一つである。
 察するに、本作の作者は、近頃ご自宅の周囲を徘徊している高校生たちの一人を、つまみ食いしたいと思ったりもするが、そんなことをしたら身の破滅だ、などとも思っているのでありましょう。
  〔返〕 口に出し言ってしまえば味気無し言わぬが花の<ことりごと>かな   鳥羽省三
      小鳥らはぽつりぽつりと突っつくが我の与える餌を食べない        々

(伊藤夏人)
   修羅場からSF的な展開で抜けられますよう切望します

 「修羅場」及び「SF的な展開」について、あれこれと想像してみるのが楽しい一首である。
 仮に、「ああ、憎い。そして愛しくて愛しくてならない。あなたのあそこが。こんなに憎くて、愛しくてならない物は、私一人で独占したい。だから、私はあなたのあそこを、この果物ナイフでちょん切ってしまおう」などと、往年の阿部定紛いのことを彼女から言われ、迫られたような「修羅場」を想定する。
 すると次に、その「修羅場」に於いて、最初、伊藤夏人さんのあそこが、夏の夜に子供たちが興じる安物の線香花火の火玉のように「じゅー」と音立てて消えたかと思うと、それに続いて下半身全体が消え、やがては伊藤夏人さんの逞しい肉体全部が消え失せてしまって、結局難局、危機一髪の所で、伊藤夏人さんが、その「修羅場」を脱してしまったなどという場面が想定される。
 作中の「切望」の一語が、消え入りそうな私の想像力を掻き立てたのである。
  〔返〕 その挙句修羅場脱した彼氏だがそれからずっと立つもの立たず   鳥羽省三


(髭彦)
   ル・グウィンのSFまでも百円で売られにけりなブックオフでは

 さすが髭彦さん、お題「SF」が<全角>になっている。
 「ル・グウィンのSFまでも百円で売られにけりなブックオフでは」とありますが、拙宅最寄りの
「ブックオフ」では、「ル・グウィンのSF」どころか、栗木京子著『けむり水晶』、坂井修一著『牧神』、澤村斉美著『夏鴉』、岩田正著『和韻』、奥村晃作著『ピシリと決まる』といった希覯本まで、たった105円で売って居りました。
 しかも、<謹呈>栞付きの美本です。
 そうした中でも、特に哀れをとどめたのは澤村斉美著『夏鴉』であり、これにはそれほど達筆とは思えない自筆の謹呈栞が添えられて居りました。
 「ブックオフ」の経営者やアルバイト店員の不見識にも程がありますが、それ以上に憎らしいのは、著者から歌集を「謹呈」されながら、読みもせず、謹呈栞も取らないで「ブックオフ」に売り払ってしまった有名無名の歌人どもです。
 その昔、神田の日本書房には、国文学関係の学術書が、宛名入りの封筒に入ったままで平棚に並んで居りました。
 また、その頃には、同じ神田の小宮山書店の特価品台に、あの塚本邦雄氏の歌集が山積みされて居りました。
 歌人や歌人ちゃんの皆さん、歌集を出すならインターネットで。
 インターネット歌集なら、「ブックオフ」の105円棚に並べられる恐れがありませんよ。
  〔返〕 ブックオフの105円棚に並べられ綺羅も褪せたり『けむり水晶』   鳥羽省三
 近頃の私は、あのブツクオフの105円棚に、栗木京子歌集『しらまゆみ』が並ぶ日を心待ちにして居ります。
  〔返〕 早々と『しらまゆみ』一冊並びたり 紀伊国屋書店否(いな)ブックオフ   鳥羽省三


(高松紗都子)
   SFの入口として幾たびも我をいざなう夏への扉

 「夏への扉」とは何か?
 それは、梅雨明けのくっきりと晴れ上がった空でありましょうか?
 それとも、<井上陽水・オン・ステージ>のオープニング曲『恋の神楽坂』でありましょうか?
 或いは、本作の作者・高松紗都子さんが気晴らしに飲みに出掛けた<スナック・夏>の「扉」でありましょうか?
  〔返〕 気晴らしに出掛けた団地の夏祭りバーバや婆々のふらフラダンス   鳥羽省三
 やや非情とも思われる一首ですが、昔気質の私には、「あられも無い。何もあそこまで」と思ったりもするのです。


(ひじり純子)
   図書室の貸し出しカード好きな子の名前を追って読んだSF

 私の知り合いにも、本作に見られるような過程をたどって<読書家>と言われるようなレベルに到達した人がいる。
 但し、彼女の場合は本作の場合とは異なり、「SF」ではなく時代小説であるが。
 その動機はどんなものであれ、彼女は、司馬遼太郎、池波正太郎、藤沢周平、などの作品を読破し、現在は『大菩薩峠』に挑んでいると聞く。
  〔返〕 申すなら図書室版のストーカー千夜千冊読んだら偉い   鳥羽省三   


(龍庵)
   SFに分類されし哀しみを星新一は語っているや

 上場企業・星製薬株式会社の社長を務めて事もある「星新一」の作品の多くは、「SF」と言うよりも「ショートショート」に分類した方が適当な作品である。
 彼には、また、父親や父の恩人・花井卓蔵らを描いた伝記小説『人民は弱し 官吏は強し』や『明治・父・アメリカ』などの作品もある。
 したがって、彼「星新一」を「SF」作家と分類する文学史家が居るとしたら、彼は文学史を知らない文学史家でありましょう。
  〔返〕 「SFは社長同様余技です」と星新一は語るだろうか?   鳥羽省三
 

(中村梨々)
   階段を踏み外したらSFの本を抱えたアリスに出会う

 「階段を踏み外したら」とは、言わば「奈落の底に転落したところ」ということである。
 「奈落の底に転落したところ」、其処に待っていたのは、あの「アリス」であった。
 しかも、あの「アリス」は「SFの本」を抱えて、本作の作者を待っていたのである。
 「アリス」とは<救済者>の別名であり、その救済者の「抱えた」「SFの本」とは<SF世界へ旅立つ地図>であり、<方位磁石>でもある。
 と言う訳で、この一首は、作者・中村梨々さんの<転落と救済の物語>である。
 「階段を踏み外し」て奈落の底に転落し、その転落の挙句に「アリス」と出会って救済された中村梨々さん。
 救済された彼女は、救済してくれた「アリス」に導かれて「SF」の世界に旅立って行ったのである。
  〔返〕 SFの世界で我を待つものはSMかしらと期待もしたり   鳥羽省三


(酒井景二朗)
   SFの舞臺のやうな團地裏拔ければ芒一面の原

 団塊世代の人々の多くが育ち、青春を過ごしたのは「團地」である。
 1950年代半ばに始まった團地建設は、1970年代半ばから1980年代にかけてそのピークに達し、いわゆる団塊世代の人々の多くは、その中で育ち、その中で青春の夢を紡いだり、挫折を味わったりしたのである。
 しかし、彼らが巣立って行った後の「團地」は、彼らにとっては、青春の夢の跡となってしまい、本作に見られるように、「SFの舞臺のやうな團地裏拔ければ芒一面の原」となってしまったのである。
  〔返〕 団地とふかなり汚れて蒼ざめて尾花そよげる夢の跡にて   鳥羽省三 


(五十嵐きよみ)
   SFにさほど興味はないけれどブラッドベリなら好きでよく読む

 「SFにさほど興味はないけれど」とまで言わせてしまうのは、本作の作者に相応しくない見得である。
 何故ならば、<レイ・ブラッドベリ>と言えば、現代アメリカを代表するSF作家であり、彼の代表作『華氏451度』や『火星年代記』などは、「SF」そのものだからである。
  〔返〕 SFとオカルトの間に引く線よその線越えぬブラッドベリよ   鳥羽省三