オ ジ 記 

てくてく人生「オジキワールド」へようこそ!!
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     よみがえれ! 福島・双葉・・・

春よ来い・・・

2010年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

今週はとても暖かい・・・

まもなく花咲く春が来ます

いや、もう春が来たのかな、そんな予感のする一日です。

日当たりのよい所には、ちっちゃいけど咲き始めた花がありました。

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いつも忙しいばかりで、ゆっくりと花を観ることなんかあまりない。

今年は、久しぶりに写真撮影を復活してみようか。

    悲しくて 花を見れば

    花はともに 悲しみ

    うれしくて 花を見れば

    花はともに よろこび

    こころ 荒れた日

    花を見れば 花は静かに咲く


雪です・・・

2010年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

また雪が降りました・・・

降ったからどうだということはないのだが、融けてビチャビチャがいやですね。

午後になって、温かくなり、どんどん融けている。

前回の時は、降りやんでも木々からはなかなか落ちなかったが、今回はもうほとんど木の上に雪はない。

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子供の頃の朝、布団の中で聞いたあの懐かしい音。

バスであろう、「タイヤチェーン」の音。あぁ、今朝は雪が降ったんだなとわかったものだ。

今では、あまりこの音は聞こえて来ない。ほとんどがスタッドレスタイヤであり、除雪もするので装着の必要もなくなってきたのだろうか。

私の住んでる所は、太平洋に面しているため、もともと雪の少ない地方だが、昔から比べると、やはり降雪量はぐっと少なくなった。

以前、山越えをして通勤していたことがある。

この季節は、行き先の空の雪雲を見て明朝の山越えを思い、胃が痛くなったものだ。

早朝、まだ夜が明けない時間帯、不安と緊張の中、除雪車を追い越して通勤していたあの頃を懐かしく思い出す。


育ちにはリスクがつきもの・・・

2010年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

子どもが、自由な遊びを奪われてはいないか・・・

以前、新聞のコラムで「子どもの人生盗まないで」という記事を読んだことがある。

自由な遊びを奪われた要因は一つではない。

危ないことをして、怪我をしたら、責任は自分にあることを、子どもはよく知っている。

何か起りそうなことは、初めからさせない。

そうすることが、他人に迷惑をかけないための「しつけ」で、現代の親たちは、そう思いこまされている。

何かあったときの責任を追及する社会風潮が強まった影響は大きい。

子どもにとって、この世の体験は生まれて初めてのことばかりだ。

転んだりぶつかったり痛い思いを何度もしながら、さらに挑戦を続け、やがて歩くこと、走ること、跳ぶことを体得していく。

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今日、ダブルダッチサークルの練習があった。

毎回欠かさずやって来る双子の「KORIN」「KONON」、今日も体育館を縦横無尽に走り回っていた。

ダブルダッチの練習は勿論、ガッツリやるが、休憩だと言っても走り回る。

縄を跳んでいて、ひっかかり、よく転ぶ。でも、すぐ起き上がってまた跳ぶ、元気いっぱい。

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休憩時間は、皆自由に遊んでいる。

子どもって、いろいろ工夫をして、考えて、自分たちの遊びを楽しむ。

やったことがないことに興味を持ち、自分の限界に挑み続けるのだから、危ないことがあっても当然である。

しかし、それは自分で育とうとする気持ちの表れで、リスクが生じることを、子どもは百も承知している。

放任はいけないことだが、生きる主体を子どもから乗っ取ってしまってはだめだと思う。

とにかく、子どもたちとの活動、遊びは、私の生きがいである。限界はあるが、もう少し続けたい!

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休憩時間に、「MIHO」お姉ちゃんと、みんなでお勉強・・・

そうそう、FDDCきってのダッチャー「MIHO」、高校の入学試験合格しました・・!!

おめでとう!!


第15列車午前2時・・・

2010年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

前回お話した、夜行列車乗務員の手記をご紹介します。

今から10数年前のもので、勿論この列車は、今は走っていない。

この手記は、実際のものであり、この乗務員のお名前もわかりますが、あえて伏せておきましょう。おそらく、もう退職され、健やかにお暮らしのことと思います。

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 第15列車はすでに1時間半走り続けている。名古屋を零時21分に発車、大阪までの途中42駅をすべて通過し、275基の信号機を確認注視し、190.4Kmを連続無停車で走破する、名古屋第2機関区第1仕業の往路である。

 米原を通過して大阪管内に入ると、信号機間の距離がぐんと短くなって緊張をしいられるが、大津までは変化の少ない坦々たる線路と、疲れと倦怠のため睡魔がしのびよってくる。深夜の連続無停車は苦痛である。停車駅があれば、必然的に機器扱いが増えるし、気分転換になる。一瞬すべての騒音が止まって、まったく静寂そのものとなり、機関車が静止し、線路、信号機や周囲の風景が、高速のベルトコンベアーに乗って眼前に次から次へと移動してくるような錯覚におそわれる。

横窓を開いて、列車の状態を見る。冷気が頬に心地よい。寝台車13両、電源車、食堂車を含めて計15両の編成がうねうねと続いている。青大将とはよくいったものだ。定員638名とのことであるが、新幹線博多開業で寝台特急の利用客が減少したといわれるけど、はたして乗客数がどれだけか、われわれには判らない。われわれにはただ、乗客の安らかな眠りを妨げまいと、衝動を少なくするために、細心の注意を払いつつ機器を取り扱うのみ。

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 30年以上も昔になる。教導機関士のNさんは、機関助士見習いの私に、客室の中で一心に読書している学生、乳房をふくませている若い母親、眠りこけたり飲食しながら談笑する人たちをプラットホームからさししめしながら、名古屋の待ち合わせ時間に言った。「眠くなったら、客車に乗っているこの人たちの事を思い出して心を引き締めるんだな。もっとも、眠い眼をこすって汽車を動かしている人の存在など誰も思ってくれないが・・・」 そのNさんも、数年前亡くなった。

 1時55分15秒、時速90Kmで草津駅を通過する。15秒早通である。この駅を出ると複々線になり、すべての信号機は内側、外側と二機ペアとなる。今日は所定通り外側線運転であるが、工事などで内側線運転になると、駅の出口のポイントの制限時速が60Km/hなので、うっかりしていられない。

上り列車が接近してくる。素早く前照灯を減光する。「おたがい商売だもんね、ま頑張りましょうや」という同病あいあわれむ(?)連帯のあいさつをおくる。間髪を入れず、相手も減光してくる。

 15秒早通を石山駅の通過で定時にすべく、早めに楕行に移る。長針と秒針が「12」のところで重なる。2時ジャスト、やがて瀬田川の橋梁にさしかかる。石山駅出口の75km/hの制限速度のため、おもむろに自動制御弁ハンドルを移動させる。大阪乗泊のベットが一瞬、眼に浮かぶ。まだ58kmの鉄路が残っている。


夜汽車・・・

2010年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム

夜汽車に乗って、遠くへ行きたい・・・

漆黒の中、レールの継ぎ目を打つ車輪の音と短い警笛。

少年の日に夢見た、猛々しくもあり、孤独で哀愁に満ちた夜汽車・・・。

昨年12月、夜汽車に乗って、雪また雪の北国へ行って来たのだが、レールが継ぎ目を打つ音はなかったように思う。

近年、レールは、継ぎ目がないように加工されていると聞いたことがある。

でも、窓から遠くに見える街灯を眺めながら物思いにふけるのは何とも言えず、旅情を掻き立てるものです。

部屋を片付けていたら、夜行列車の乗務員の手記をみつけた。

10年以上も前になるだろうか、私も動かすのは違うが、乗務員をしていたこともあり、興味を持って、残しておいたものである。

人知れず、眠い眼をこすりながら、13両という長い客車を引っ張って、目的地に向かう一乗務員の手記である。

長くなるので、この手記は次回に紹介したい。