オ ジ 記 

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     よみがえれ! 福島・双葉・・・

コミュニケーション・・・

2020年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム
緊急事態宣言解除・・・。
終息に向かっているのであろうが、まだまだ悪さをするコロナウィルス。
これからの気の緩みが、恐い・・・。
今日も、リフレーミングで気持ちを切り替えよう!!

リフレーミング(reframing)
同じ物事でも、人によって見方感じ方がちがう。
ある角度で見たら、長所になり、また短所になる。
たとえば試験で、残り時間が15分あった場合、悲観的に考えたら「もう15分しかない」と思うし、
楽観的に考えたら「まだ15分ある」と思う。
枠組み(フレーム)でたずさえられている物事を、枠組みをはずして、違う枠組みでみる。
自分や身近な人を悪くみていませんか。
柔軟な発想でリフレーミングすることで、自分や他人とのコミュニケーションの仕方も変わってくるかもしれない。
同じ物を見たり体験したりしても、人それぞれ感じ方やとらえ方がちがう。

さぁ、以前書いたリフレーミングの続きです。

さわがしい⇒明るい・活気・元気
しつこい⇒粘り強い
自慢する⇒自己主張できる・自己を愛してる
地味⇒素朴・ひかえめ
消極的な⇒ひかえめ
ずうずうしい⇒行動力がある・堂々としている

また次回へつなげよう・・・。

思い通りに生きるということ・・・

2019年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム
思い通りに生きる・・・

最近、思い通りに、自分勝手に、気ままに生きている人が、とても多くなったような気がする。
それも、人の幸せや不幸せを省みることなく・・・、踏みにじってまで。

人は、それぞれの生まれ育った環境によって、そのしがらみの中で、生きていくしかない。
なかなか思い通りに生きられない、だからこそ・・・の言葉。

自分を大切にして、自分を失わずに、思い通りに生きるということと、自己を中心にして、
尊大放漫に、思い通りに生きるという事は、まったく次元の違うことだ。

第15列車午前2時・・・

2018年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

国鉄時代の名古屋第二機関区機関士の手記である。
たまに、こういった類のコラムもいいかな。
国鉄解体以前の、古き良き時代。
「安全は、輸送業務の最大の使命である」と、眠い目を見開き頑張っていた一機関士の手記、お楽しみください。


第15列車はすでに1時間半走り続けている。名古屋を零時21分に発車、大阪までの途中42駅をすべて通過し、275基の信号機を確認注視し、190.4Kmを連続無停車で走破する、名古屋第2機関区第1仕業の往路である。
米原を通過して大阪管内に入ると、信号機間の距離がぐんと短くなって緊張を強いられるが、大津までは変化の少ない坦々たる線路と、疲れと倦怠のため睡魔がしのびよってくる。深夜の連続無停車は苦痛である。停車駅があれば、必然的に機器扱いが増えるし、気分転換になる。一瞬すべての騒音が止まって、まったく静寂そのものとなり、機関車が静止し、線路、信号機や周囲の風景が、高速のベルトコンベアーに乗って眼前に次から次へと移動してくるような錯覚におそわれる。
横窓を開いて、列車の状態を見る。冷気が頬に心地よい。寝台車13両、電源車、食堂車を含めて計15両の編成がうねうねと続いている。青大将とはよくいったものだ。定員638名とのことであるが、新幹線博多開業で寝台特急の利用客が減少したといわれているけど、果たして乗客数がどれだけか、われわれには判らない。われわれはただ、乗客の安らかな眠りを妨げまいと、衝動を少なくするために、細心の注意を払いつつ機器を取り扱うのみ。
30年以上も昔になる。教導機関士のNさんは、機関助士見習の私に、客室の中で一心に読書している学生、乳房をふくませている若い母親、眠りこけたり飲食しながら談笑する人たちをプラットホームからさししめしながら、名古屋駅の待ち合わせ時間に言った。「眠くなったら、客車に乗っているこの人たちの事を思い出して心を引き締めるんだな。もっとも、眠い眼をこすって汽車を動かしている人の存在など誰も思ってくれないが…」そのNさんも、数年前亡くなった。
1時55分15秒、時速90㎞で草津駅を通過する。15秒早通である。この駅を出ると複々線になり、すべての信号機は内側、外側と二基ペアとなる。今日は所定通り外側線運転であるが、工事などで内側線運転になると、駅の出口のポイントの制限速度が60㎞/hなので、うっかりしていられない。
上り列車が接近してくる。素早く前照灯を減光する。「おたがい商売だもんね、ま頑張りましょうや」という同病あいあわれむ(?)連帯のあいさつをおくる。間髪を入れず、相手も減光してくる。
15秒早通を石山駅の通過で定時にすべく、早めに惰行に移る。長針と秒針が「12」のところで重なる。二時ジャスト。やがて瀬田川の橋梁にさしかかる。石山駅出口の75㎞/hの制限速度のため、おもむろに自動制動弁ハンドルを移動させる。大阪乗泊のベットが一瞬、目に浮かぶ。まだ58㎞の鉄路が残っている。



フェアプレイ・・・

2018年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム
平昌オリンピックも、終わりました。
数々のドラマが生まれ、数々の名場面がありました。
日本選手の活躍も素晴らしく、メダル獲得数も過去最高でした。
そんな中で、多くのスポーツマンシップやフェアプレイということが取り上げられていました。

今日は、その中でフェアプレイについて書いてみたいと思います。
以下、日体協のキャンペーンより抜粋させていただきます。

フェアプレイには、2つの意味があります。
一つ目は、行動としてのフェアプレイ。
二つ目は、フェアプレイ精神つまりフェアな心(魂)。

行動としてのフェアプレイとは・・・
ルールを守る、審判や対戦相手を尊重する、勝っても驕らず、負けてもふてくされたりしないなど、行動に表れるフェアプレイのこと。

フェアプレイの精神とは・・・
スポーツの場面に限らず日常生活の中でも、自分の考えや行動について善い事か悪い事かを自分の意志で決められること。
自分自身に問いかけた時に、恥ずかしくない判断ができる心(魂)のこと。

行動としてのフェアプレイは、誰が見ても善いと思われる行為です。
一方、フェアプレイ精神は心の在り方によるものですから、他人からは見ることはできません。
しかし、行動と精神は切り離せないもの。
だからこそ、この2つのフェアプレイは、スポーツを真に楽しむ上で欠かせないものなのです。


いかがでしょうか・・・。
皆さんも、フェアプレイ宣言をして、大いにスポーツを楽しみましょう!!


  フェアプレイ宣言

  私は、スポーツを愛する者として、
  何ごとにも全力で取り組み、
  精神・肉体ともに成長させることに努めます。
  そして、フェアプレイを通じて
  思いやり、誇り、努力、勇気を
  最大限に発揮し、その力を人に、地域に、
  社会のために生かしていきます。
  そのための具体的な行動として、
  「あくしゅ、あいさつ、ありがとう」を
  実践していくことを宣言します。


清流に間断なし・・・

2018年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 時は流れる水の如く去って帰らず・・・。

時間が過ぎるのは、本当に早い。
最近特に、こんな風に思えるのは、やはり歳をとったからでしょうか。
リフレーミングして考えると、毎日が充実しているからか・・・。
忙しい日々であっても、満足して過ごすことが大切なのか。

私くらいの年齢になると、自分に与えられている可能性を受け入れて、あまり無理をしないほうがいいのかなと考えることがよくある。
何事にも、歳をとっても積極的なほうが、若さを保てるだろうけど、限界もある。
すなわち、失敗して自己嫌悪に陥ったり、他人に迷惑をかけたりする。
若さがいいということは、こういうことかな。

「清流に間断なし」
絶え間なく流れる水は、綺麗である。
絶え間なく流れるから、清流である。
止まっていては、淀んでしまう。
生きることは、間断なしだ。
つまり、何事も諦めずに続けていれば、結果は出る・・・と解釈。

もう少し頑張れそうな気がします。