オ ジ 記 

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第15列車午前2時・・・

2018年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

国鉄時代の名古屋第二機関区機関士の手記である。
たまに、こういった類のコラムもいいかな。
国鉄解体以前の、古き良き時代。
「安全は、輸送業務の最大の使命である」と、眠い目を見開き頑張っていた一機関士の手記、お楽しみください。


第15列車はすでに1時間半走り続けている。名古屋を零時21分に発車、大阪までの途中42駅をすべて通過し、275基の信号機を確認注視し、190.4Kmを連続無停車で走破する、名古屋第2機関区第1仕業の往路である。
米原を通過して大阪管内に入ると、信号機間の距離がぐんと短くなって緊張を強いられるが、大津までは変化の少ない坦々たる線路と、疲れと倦怠のため睡魔がしのびよってくる。深夜の連続無停車は苦痛である。停車駅があれば、必然的に機器扱いが増えるし、気分転換になる。一瞬すべての騒音が止まって、まったく静寂そのものとなり、機関車が静止し、線路、信号機や周囲の風景が、高速のベルトコンベアーに乗って眼前に次から次へと移動してくるような錯覚におそわれる。
横窓を開いて、列車の状態を見る。冷気が頬に心地よい。寝台車13両、電源車、食堂車を含めて計15両の編成がうねうねと続いている。青大将とはよくいったものだ。定員638名とのことであるが、新幹線博多開業で寝台特急の利用客が減少したといわれているけど、果たして乗客数がどれだけか、われわれには判らない。われわれはただ、乗客の安らかな眠りを妨げまいと、衝動を少なくするために、細心の注意を払いつつ機器を取り扱うのみ。
30年以上も昔になる。教導機関士のNさんは、機関助士見習の私に、客室の中で一心に読書している学生、乳房をふくませている若い母親、眠りこけたり飲食しながら談笑する人たちをプラットホームからさししめしながら、名古屋駅の待ち合わせ時間に言った。「眠くなったら、客車に乗っているこの人たちの事を思い出して心を引き締めるんだな。もっとも、眠い眼をこすって汽車を動かしている人の存在など誰も思ってくれないが…」そのNさんも、数年前亡くなった。
1時55分15秒、時速90㎞で草津駅を通過する。15秒早通である。この駅を出ると複々線になり、すべての信号機は内側、外側と二基ペアとなる。今日は所定通り外側線運転であるが、工事などで内側線運転になると、駅の出口のポイントの制限速度が60㎞/hなので、うっかりしていられない。
上り列車が接近してくる。素早く前照灯を減光する。「おたがい商売だもんね、ま頑張りましょうや」という同病あいあわれむ(?)連帯のあいさつをおくる。間髪を入れず、相手も減光してくる。
15秒早通を石山駅の通過で定時にすべく、早めに惰行に移る。長針と秒針が「12」のところで重なる。二時ジャスト。やがて瀬田川の橋梁にさしかかる。石山駅出口の75㎞/hの制限速度のため、おもむろに自動制動弁ハンドルを移動させる。大阪乗泊のベットが一瞬、目に浮かぶ。まだ58㎞の鉄路が残っている。