オ ジ 記 

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     よみがえれ! 福島・双葉・・・

自由な遊び・・・

2018年01月17日 | 日記・エッセイ・コラム

天真爛漫な子どもたち・・・。
思う存分に、身体を動かし、自由に遊んでほしい。

成長著しい子ども、身体を動かす楽しさや歓びを知ってほしい。
しかし今日、我々の子ども時代とは少し、いやかなり様変わりしたようだ。

自由な遊びを奪われた要因は一つではないようだ。
危ないことをして、怪我をしたら、責任は自分にあることを、子どもはよく知っている。
何か起こりそうなことは、初めからさせない。
そうすることが、他人に迷惑をかけないための「しつけ」で、現代の親たちは、そう思い込まされている。
何かあったときの責任を追及する社会風潮が強まった影響は大きい。





子どもにとって、この世の体験は生まれて初めてのことばかりです。
転んだりぶつかったり痛い思いを何度もしながら、さらに挑戦を続け、やがて歩くこと、走ること、跳ぶことを体得していくのです。





子どもって、いろいろ工夫をして、考えて、自分たちの遊びを楽しむのです。
やったことのないことに興味を持ち、自分の限界に挑み続けるのだから、危ないことがあっても当然です。
しかし、それは自分で育とうとする気持ちの表れで、リスクが生じることを、子どもは百も承知しているのです。

放任はいけないことですが、生きる主体を子どもから乗っ取ってしまってはだめだと思うのです・・・。
あくまでも、私の考えることですが・・・。



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社会教育への思い・・・

2017年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 以前より、子供たちの体力低下が言われています。
文部科学省の調査では、少しづつ改善傾向が見られるものの、まだ低いレベルのままであることが報告されています。
この背景には、運動子する子としない子の二極化、あるいは日常せいかつにおける、身体活動量の低下があるようです。
また、運動・スポーツへの興味や関心が薄れていることも考えられます。
手軽に運動できる環境も整っていないこともあるのでしょうか。

 東日本大震災及び原発事故により、避難生活を余儀なくされ、社会体育の指導からは遠ざかってしまいました。
6年前までは、生活の中に、組み込まれていた社会体育・教育。
そんな中で、私の心にあった思いを、少し述べてみたいと思います。
現役で、社会体育を指導されてる先生方の参考になれば幸いです。

 
 スポーツを通じて心と身体を育てよう、身体を動かす歓びを、そして良い思い出づくりをと考え、スポーツ少年団の指導をしながら、子供たちと楽しく時間を過ごしていた。
指導を始めた頃と今日を比べると、子供も親もかなり様変わりをした。態度や言葉づかいが荒くなったし、集団での活動が苦手な子供や親も多くなった。
今日の子供たち、よくムカついたりキレたりする。なぜムカつきキレたのか、その理由さえもきちんと説明できない。
メディアでは毎日のように殺人や未遂、そして想像もできないような、年少者の犯罪を報道している。
子供たちの凄惨な事件が繰り返される昨今、若い世代への諦めムードが漂っているが、希望の芽を大切にしたい。
子供たち自身の心は、本当は昔と少しも変っていないのです。大人たちが見逃さず見守り、大切に育てていかなければならないのだと思う。
 
 他人の痛みを教えるのは教師、それは学校の先生だけではなく、親や地域の人たちで教えるのです。
学校・家庭そして社会教育・体育指導者をまじえた話し合いの場が、数多く開かれることを願っている。
ある哲学者の言葉です、「凡庸な教師は、ただしゃべる よい教師は説明をして納得させようとする 優れた教師は、自らやってみせる 偉大な教師は、心に火をつける」。 
子供たちのそして親たちの心に火をつけて欲しいものです。
 
 人と人との関わりを学ぶ場、集団の中で子供たちは成長します。
年齢・経験・能力の異なる子どもと成人が一緒に活動することで、社会人として必要な基本的な態度や能力が育つと考えます。
幼児期や少年期に受けた感動や思い出は、子供たちの将来の生き方や感じ方に大きな影響を与えます。
人と人との出会いから、人の心の温かさ、人のために役立つ喜び、そういうものを感じてほしいという思いが、指導の基礎となっているのです。
 
 心も身体も発育発達の途上にあるこどもたち、そして将来に向かって伸びていこうとする子供たち。
どんな環境にあっても自分を見失わず、力強く生き抜く力、それを育てるための場は、生活と結びついた地域社会の中、子供たちの集団による社会活動の場以外にはありません。
しかし、今日の社会体育、子供たちに良いことばかりとは言えないようです。
勝利至上主義の目立つ種目もあり、それらに参加している児童生徒が学校で見せる、排他的かつ乱暴な言動である。
同じ種目を選択している子が何人か集まると、ほとんど学校での集団的取り組みが困難に陥るとも聞きます。
女子に顕著にみられる「いじめ」という現実もおそらくどの学校でもあるのだろう。
小学校低学年から、監督の大人たちの罵声の中で、ほとんどの日曜祝日を過ごすのだから、当然のことである。
せっかくの社会体育の中で、子供たちの心を歪ませているとしたら、悲しいことである。
学校生活を大切にしてほしい。そして我々社会体育を指導する者として、考えなければならないことだ。

清流無間断・・・

2015年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

清流に間断なし・・・。


絶え間なく流れる水は綺麗である。
清らかな流れは、絶えることがない。
絶え間なく流れるから、清流であり、止まっていては淀んでしまう。

生きることは、間断なしです。
まさに清流のように生きたいものです。

諦めずに続けていれば、結果は出るということなのかな。


このブログ、最近投稿回数が少なく、訪問してくれた方々に申し訳ないなと思ってます。

2009年10月にリニューアルして、続けていましたが、あの大震災の影響で中断せざるを得ませんでした。
2011年3月8日のことです。震災3日前のことですね。
でも、1か月間は中断したものの、翌4月1日には再開しました。
どうしても、自分の無事を知らせたいし、思いも届けたいとの考えでした。
強いと思ってた私の心も、時々挫けそうになったけど、避難生活の中でUPしていたあの頃を懐かしく思います。

そんな中、2012年1月、「オジ記」の終了を宣言してしまいました。
辛い避難生活、過酷な業務、その他責任ある立場の諸々の事。
アップアップの状態でしたので、決断してしまいました。
しかし、終了後、オジキファンの皆様からの励ましや、ブログ「オジ記」復活という熱い要望もありました。
リニューアル前からずっと書いてきたブログ、やっぱり続けてみようかなという思いになりました。
2012年3月に復活、今現在に至っております。

今後も、毎日は無理としても、やはり間断なく書いて行こうかなと考えています。
どうぞ、他愛もない私の日常をお楽しみ頂ければと思います。



近況・・・!!
先日、安達太良山に登ってきました。
山頂の天気は、決して良いとは言えませんでしたが、気分は爽快でした。
ただ、老体なものですから、股関節を痛めてしまい、下山までかなりきつかったですね。
でも、面白かったし、さぁて次回はどの山だっ・・・!









楽しい1年、ありがとう!! ・・・

2014年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

今年も、残すところ、あと3日。

あっという間に、過ぎて行く時間。
私にとっては、充実した楽しい1年でした。
ラジオ福島の「チエちゃん日記」ではないけど、お天とう様に感謝・・・。

東日本大震災及び原発事故による、避難生活も早3年9か月。
新しい生活に踏み切る人たちも、多くなってきました。
後ろを見ても戻れない、前に進みましょう。
どんな風に生きて行ったらいいのか、みんなで考えましょう。



「リフレーミング」ってご存じだろうか。
震災前に、このブログで書いていました。
でも、今回の避難生活で、途切れてしまいましたね。
もう一度、書いてみようと思います。
きっと、避難生活のその先が見えてくるのではないかな。

同じ物事でも、人によっては、見方や感じ方が異なり、ある角度見たら長所になり、また短所にもなります。
以前、青少年健全育成にのめり込み、スポーツ少年団で子供たちを指導。
よく話していたこともありましたし、子供たちの育っていく過程で、この考え方は大切だと考えていました。

富士山、主に太平洋側からの写真が多いようです。
素晴らしい、日本を代表する綺麗な山です。
でも、反対の山梨県側から見た富士山も、それは綺麗な日本自慢の山ですよね。

体験と解釈は、一致しないのです。
いろんな見方考え方があっていい、その人次第なんですよね。
体験していることに、否定も肯定もありません。
だったら、楽しいとらえ方をしませんか。


今年は、この日記で最後かな・・・。
来年早々から、このリフレーミング、参考までに書いてみたいと考えています。

  「のんびりしている」 ⇒ 「細かいことにこだわらない・マイペース」

こんなところです・・・。



皆さん、良いお歳をお迎えくださいませ。




表彰状と感謝状・・・

2014年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

先月、12月4日に、福島県スポーツ少年団創設50周年記念式典のおり、県本部より表彰状を頂いた。

正直、今まで誰かに褒められようとか認められようとか・・・、まったく考えたこともなかった。

ただただ、子供たちとのふれあいや、本心から子供たちが健全にそして健やかに、そしてまた良い思い出を・・・との思いで、指導・・・生活の一部・・・として生きてきました。

でも、気持ちは・・・嬉しいです、まだまだ福島県の子供たちのため、突き進みます。

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10年前にも、実は、感謝状を頂いたんです。

当時の日本スポーツ少年団本部長「長沼健」さん、懐かしい名前ですね。

長い間指導を続けていれば頂ける・・・、と言ってしまえばそれまでで、まったく軽いものになってしまいますけど。

実績を自慢することはなくても、形を残すことに抵抗はありません。

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で、表彰状と感謝状の違いは?

なんて考えてしまいました。

「感謝状とは部外の協力者からの善意や協力があった場合、感謝の意を表するために贈呈される。一般的には表彰状の一種といってよい。表彰状は職員や部内者・関係者など一定の職務や義務を滞りなく実行後、その勤務成績や労苦を讃える意味として用いられることが多い。それに対して感謝状は民間人や部外者など職務に関わらず任意の協力に基づく点で表彰状よりも丁重な文面が用いられることが多い。報道では「感謝状を授与した(された)」という文言を用いることが多いが、一般的に感謝状は贈呈即ち贈るものであって、授与するものではない。

表彰状の文面が、「君は」で始まり「よって、ここに表彰する」「(同、記念章などを)授与する」と締められるのに対して、感謝状は「あなたは」で始まり「よって、(ここに)感謝状(と記念品)を贈り(感謝の意を表し)ます」と締めにも敬語が用いられるのが普通である。また、表彰状を受けることを受彰などというのに対し、感謝状を受けることを“受領”、謙譲する場合は“拝受”という。」

こんなところのようです。

長くなりました、これらの「状」は、私が没した後も長く残っていくのでしょうか?

あまり価値はないと思われますが・・・・・。



その記念式典のおり、公演に来て下さった「大山加奈」さんとのツーショットです。

最初、気を使ってくれて、膝をおってましたが、気がひけたのか、普通にして撮影に応じてくれました。

すごく気さくで、いい人・・・、やさしい人でした。

でも、大きかった・・・・・・・・・。

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