私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『サンクチュアリ』 フォークナー

2008-05-11 15:28:39 | 小説(海外作家)

ミシシッピー州のジェファスンの町はずれで、車を大木に突っこんでしまった女子大生テンプルと男友達は、助けを求めて廃屋に立ち寄る。そこは、性的不能な男ポパイを首領に、酒を密造している一味の隠れ家であった。女子大生の陵辱事件を発端に異常な殺人事件となって醜悪陰惨な場面が展開する。
アメリカのノーベル賞作家ウィリアム・フォークナーが”自分として想像しうる最も恐ろしい物語”と語る問題作。
加島祥造 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)


個人的にまず目を引いたのは文章だ。
その叙述は人物の行動を深い背景描写なしにただありのまま描き出し、心理描写をなるべく排除することに終始していて、読んでいると即物的という印象すら受ける。背後に隠された心理も自分自身で想像せねばならならないために実に読みづらい。しかしその厄介な文章にはクセになるような魅力があった。
たとえば車の事故のシーンや、ポパイがトミーを殺すシーン、テンプルが錯乱している姿、裁判で判決が下るシーンを描いた文章などはどうだろう。
その叙事的なタッチが力強い雰囲気を生み出しており、非常に印象深い。

そしてその叙事的な文章が陰惨な事件を描出するのにうまくマッチし、暗示的な効果を生み出すのに一役買っている。
特にテンプルを巡るシーンではその暗示的な雰囲気が上手く生かされている。
テンプルが襲われる直前の「何かがあたしに起るのよ!」と叫ぶ姿や、ポパイの車の中で「まだ流れているのよ、感じるのよ」と訴えるシーン、錯乱したように事件当時を回想し語るシーンの情景は、即物的であるだけに変に寒々しく、すばらしい限りだ。
またリーが虐殺されるシーンの冷静な文章は情景が陰惨なだけにより恐怖をかき立てるものがあった。

そしてそれらのシーンの中から、登場人物たちのリアルの不在が立ち上がってきているように僕には見える。
誤読を恐れずに言うならば、この小説の登場人物の多くは現実から遊離している、という印象を受ける。
放心したようなテンプルの姿も、衝動的な殺人をくりかえし、代替行為でしか性欲を満たせない殺伐とした雰囲気のポパイも、自分の弁護が容易にできないグッドウィンも、誰もがそうだ。
即物的な叙述の力もあるかもしれないが、彼らは人生や現実というぐちゃぐちゃなリアルとしっかり接することができていない。あるときは錯乱し、ときに投げ槍になることで、人生と現実から目をそむけているように僕には映った。

しかしその中で、しっかりとリアルに向き合う人物もこの小説の中には登場する。
裁判で無罪を勝ち取ろうと奔走するホレスも、生きるために身を売るより仕方なかったルービーもきっちり現実と向き合い、敗れるかもしれない現実と格闘している。彼らの姿に僕は読んでいてほっとしたし、一つの希望を見る思いがした。
また時折挿入されるバプティスト派に対する皮肉や、女性たちの言葉には作者のモラリズムが感じ取れて、陰惨な中にもある種の優しさを読み取ることができる。

際立った暴力のシーンが目立つ作品だが、その中で生きる人間を叙事的に紡ぎ出しているのが心に残る。
フォークナーは苦手な作家だが、この作品はわかりやすくて僕は好きである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


そのほかのノーベル文学賞受賞作家の作品感想
・1929年 トーマス・マン
 『トニオ・クレエゲル』
 『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』
・1947年 アンドレ・ジッド
 『田園交響楽』
・1982年 ガブリエル・ガルシア=マルケス
 『百年の孤独』
・1999年 ギュンター・グラス
 『ブリキの太鼓』
・2003年 J・M・クッツェー
 『恥辱』
 『マイケル・K』
・2006年 オルハン・パムク
 『わたしの名は紅』

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