私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『マイケル・K』 J.M.クッツェー

2006-11-14 20:29:45 | 小説(海外作家)


2003年にノーベル文学賞を受賞した南アフリカの作家、J.M.クッツェーの1983年度ブッカー賞受賞作。
内戦下の南アフリカ、マイケルは手押し車に病気の母を乗せて、ケープタウンから内陸の農場をめざし進み行く。しかしその道程にはいくつもの暴力が待ち受けていた。
くぼたのぞみ 訳
出版社:筑摩書房(ちくま文庫)   


本作の舞台は、戦争の足音が響く南アフリカだ。主人公のマイケル・Kは公園管理局の庭師だが、母親とともに彼女の故郷へと向かうことになる。

その話の展開は実に早い。
文体が淡々と叙事的に描き上げていくため、そう感じるのだろう。そしてその叙事的な文体が緊迫感を物語全体に与えていたのが印象深い。特に、マイケルが近くを通り過ぎる人間をやり過ごすときの描写なんかは最高にクールである。そのテンポのおかげで、さくさくと読み進めることができた。

物語の中で、Kが味わうのは理不尽な暴力だ。
現実的な暴力もあれば、仕事に追われて余裕がない人たちによる精神的な暴力もある。全体主義的な組織の暴力もあるし、主従関係を強要するものだってある。そこにある暴力は様々だ。
そのような暴力的な状況の中で、Kが欲するのは自由である。しかもそれは中途半端な自由などではなく、何者にも所属することのない完全なる自由のことだ。誰からも養われないし、誰をも養わない。
その行動理由には恐らくKが集団に馴染めないというのもあるだろう。けれど、その徹底した態度はどこか驚異的ですらある。

だが、そんなKに、僕はアウトローという印象をまったくもたなかった。
そう感じた理由として、たとえば、キャンプで男が刺されるというシーンを上げられるだろう。
Kはその場面に出くわし、刺された人間を助けようと彼なりの努力をする。だが一方、そんな彼に対してキャンプの人間は、自分の面倒は自分で見ればいい、と早い話、自己責任の問題だという態度をとり続けている。
このシーンはなかなかに象徴的だと僕は思った。
集団の人間は集団のひとりを助けず、集団から離れたがっているKが人を助けようとしている。つまり、集団という単位からはもっとも離れているKが実は集団の連帯においてもっとも大切な他人を思いやるという感情で動いているのだ。
集団という単位で縛り付けること自体が絶対なる正しさではないのかもしれない。こういうシーンを読むと強く思う。むしろそういう風に縛り付けることこそ、先述した暴力の一形態なのかもしれない。
時には他人から見て外れた方法で生きていても、それが完全なる過ちとは限らないのだろう。

第二章で視点が転換してしまったこと、僕がアホだということ、以上の2点により内容が整理しきれず、読後は若干難解にも感じられた。
しかしその内容は実に示唆に富んでいて、深い余韻を残すものがあった。硬派な良作であることはまちがいないのだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)


その他のブッカー賞受賞作感想:
・M・オンダーチェ『イギリス人の患者』はこちら

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