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惑星ソラリスを探査中のステーションで異変が発生した。謎の解明のために送りこまれた心理学者ケルヴィンの目の前に自殺した恋人ハリーが姿を現し、彼はやがて悪夢のような現実と甘やかな追憶とに翻弄されていく。人間とはまるで異質な知性体であるソラリス。そこには何らかの目的が存在するのだろうか。
沼野充義 訳
出版社:国書刊行会
比較的、物語世界に入り込めやすい作品だと僕は感じた。
典型的なハードSFなので、その手の作品が苦手な人には合わないかもしれないけれど、冒頭はミステリアスで単純におもしろい。
映画を見たことがあるので、先の展開は知っているけれど、それでもこの展開には惹きこまれてしまう。
なぜソラリスにとどまる学者たちはケルヴィンの到着に奇妙な反応を示すのか、ケルヴィンの前に現われた女は何者なのか、ソラリスが人間たちに及ぼす反応の正体は何なのか。
そういった思わせぶりな謎はどういうことだろう、とワクワクさせられるし、ケルヴィンとハリーとのラブストーリーの要素もおもしろい。
そのエンタテイメント性には引きつけられる。
そんなエンタメな作品が、どんどん複雑になっていき、最終的には哲学的な問いへと発展していく。その過程は鮮やかだ。
そして物語のテーマは個性的であり、非常に深い。
テーマ性に関しては解説にくわしく述べられているので、はっきり言って、僕が語ることはほとんどない。
だが、それでも重複と主に誤読を交えて、個人的な印象を語るならば、僕は本書を以下のように受け止めた。
それは、人間は自分の心を、ひいては自我を防衛するために戦わざるをえないということ。
そしてそのため、結果的に他者との間でコミュニケーション不全になるということ。
作者は違うことを言っているけれど、これが、解説を読む前に達した誤読交じりの僕の解釈である。
自我を防衛するための戦いとは、ケルヴィンとハリーとの関係性にある。
物語では、ソラリスがケルヴィンの思考を読んで、自殺した元カノを彼の前に送り出すことになっている。
最初ケルヴィンはハリーの存在に戸惑い拒絶する。
そんなケルヴィンの態度に、ハリーも自我を持ちようになり、自分が何者なのかを問うようになる。
物語はそういう流れだ。
だが、そのハリーはどこまでが、ハリー個人の人格なのだろう。
「人は自分の潜在意識に対して責任を持てるのだろうか?」とケルヴィンは自問自答しているが、ハリーという存在は果たして、独立した一人の人格なのだろうか、という気もしないではない。
はっきり言うなら、ハリーの存在のすべては、ケルヴィンが、(意識的であれ無意識的であれ)一人で考えたものではないか、僕には見えるのだ。
自分の人格を疑うハリーの言葉も、最終的に自殺を考えるハリーの行動も、すべてはケルヴィンの一人相撲でしかない。
つまり、ケルヴィンは心のどこかで、二つの対立する意識があったと、僕は思うのだ。
それは、苦いけれど、甘い、元カノとの過去の記憶に溺れていたいという気持ち。
そしてもう一つは、そんなものはまやかしだと拒絶したい気持ち。その二つである。
最終的には、異質な存在であるハリーが消滅することになる。
そして僕の解釈によれば、それを消したのも、ケルヴィンの意識でしかないということになる。
異質なものや、向き合いたくない、たとえば過去の傷やらに直面したとき、人は(それを受け止めようと願っても)、ちゃんと受け止められず、拒絶するしか術はなくなる。
その展開は、そんなことを言っているように感じられた。
そして異質なものを排除したい、という気持ちこそ、自分以外の他者とのコミュニケーション不全につながる要素でもあるのだろう。
自分に合っているものだけを受け入れたい、という気持ちは多分誰だって、程度の大小はあれど、心のどこかにもっていると思う。
だがそれはソラリスだって同じなのではないか、という気もしなくはない。
ソラリスも地球人を理解したいと思ったのかもしれない。
だがそれと同じくらい、自分にX線を打ち込む、地球人という異質の存在を否定したかったのかもしれない。
ソラリスは地球人の思考を読んで、彼らが望む存在を送り込んだ。
だが、それはソラリスなりの好意であり、同時に復讐だったのかもしれないのだ(この解釈は人間形態主義的かな)。
そういう意識が、双方の心のどこかに引っかかっている限り、自分と異なる他人とは、完全にコミュニケートしあうことはできないのかもしれない。
僕はこの作品を読んでそう感じた。幾分悲観的かもしれない。
だが本書は必ずしも悲観だけで終わっているわけではないと思う。
ラストでケルヴィンは、自分でもうまく説明できない「期待」を持つことになる。
それは異質で(無意識的には)排除したいと考えている存在とも、いつかはコミュニケートできるという期待であろうという気がする。
その「期待」を捨てない限りにおいて、希望もまた捨てられることはないのだろう。
そうして、自分とまったく異なる異物とも、いずれ共存し、認め、コミュニケートできるときが実際に来るのかもしれない。
その予感が読後の印象をポジティブなものにしている。
無駄にダラダラ書いたが、本書は単純に楽しいし、ハッタリもきいているし、いろいろ考えることができる作品である。
一言ですますなら、満足の一品ということだ。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
本作の映画版の感想
「惑星ソラリス」
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