ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

まず自分が憎むことをやめる──日野原重明

2016-06-30 18:38:34 | 知恵の情報
いさかいのあるときこそ、私たちは、自分と相手の「どちらが正しいか」ということに
心をとらわれるのではなく、人の生きる道として「何が正しいか」を問えるようでなけ
ればなりません。こうして、問いの方向を転換することができれば、そこから出てくる
行動も自ずと違ってくるはずです。相手がどうあれ、まず自分に何ができるかを
問い、自分が変わることが求められているのです。

まず自分を変えると言う勇気ある行動を私たちは、1938年にアメリカのフランク・
ブックマン(1878~1961)が起こした平和運動MRA(Moral Re-Armamennto
=道徳的再武装)に見ることができます。ブックマンはまだ人々の心が第二次世界
大戦直後のドイツへの憎しみにとらわれていたヨーロッパ各地を廻って、
「ドイツを憎み続けたままで、平和に向けたヨーロッパの復興が実現できるでしょうか」
と一人ひとりに問い、
「まず自分が自分の心のなかから憎しみを捨てる」
という行動を起こす意味を訴えました。

政府や国家の思惑やその歩む方向を一斉に変えることは至難であっても、湖に
投げ込まれた小石の波紋のように、小さな存在ある一人ひとりが自らの考えと
行動をかえることによって、それが徐々に周辺に波及してついには大きなうねり
になることをブックマンは信じ、そして行動したのです。

武器によってではなく、一人ひとりの心の変革によって世界を平和に導こうとした
このMRA精神運動は、「変革へのイニシエーター(創始者)」(Initiatives of
Change)と名称を変えたいまも、世界各地で、また日本では相馬雪香さんらを
中心に活動が継続されています。

─『続生き方上手』日野原重明著 ユーリーグ株式会社刊より


「自分の気に入らないことをしたからといって、その人を責めるというより、相手の
立場を思いやる方が後で自分の善なる心に照らして見て、気持ちがよいでしょう。
相手が自分の思うようにしてくれなかったのを、怒るのは間違いです。自分中心
に考えず、相手の立場を考え、もう一度、なぜ腹が立つかを反省してみる方が
よいのです。」(釈迦)

自分が悪くても相手が悪くても、私の場合は、その相手と仲良くやっていきたい
という心、理念がある限り、相手を見捨てたりしない。

人とつき合う上で、日本人に欲しいのは──河盛好蔵

2016-06-29 19:25:11 | 知恵の情報
人とつき合う上で、日本人に欲しいのは、エスプリよりユーモアであるように思われる。
機知縦横で、他人の悪口に巧妙で、世相について毒舌を弄する人は日本人のなか
にも決して乏しくない。

しかし、彼らの毒舌は妙に人の心を冷たくする。他人の欠陥を突く目は実に鋭いが、
自分自身に対してはひどく点が甘いから、聞いているうちに、本人の根性のケチ臭さが
だんだん見え透いてきて浅ましくなってくる。
もともと風刺というものは、われわれに圧迫感を与える強力な存在に向けられるものであり、
またそれであればこそ意味があるのであるが、徒に自分だけをえらく見せようとする
頭のよさは、エスプリにしても、あまり高級なエスプリとはいえないだろう。

たしかに日本人には自己を他人の目で眺めることのできる感覚に乏しい。われわれの
ユーモアは、「言葉でひとの精神をくすぐる技術」以上には出ていない。他人の愚かさを
笑う前に、まず自分の愚かさを笑うことから始めたら、われわれのつき合いは、もっと
なごやかなものになるにちがいない。

─『人とつき合う法』河盛好蔵~『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2 
  谷沢永一著 PHP研究所より

枡添氏のことで、マスコミに踊らされると大衆は簡単に他人の愚かさを笑う、ということが
よくわかった。インタビューを見ていても相手の愚かさは笑うが自分もずるいところが
あるとか、相対的な捉え方をする人は、いなかった。

河盛氏のように「日本人が自己を他人の目で眺めることのできる感覚に乏しい」とは
思わない。この感覚は、人間が本来持っている感覚だと思うから。相手の立場になれない
というのは、昔に比べて物質文明が豊かになり、他人と助け合わないと生きていけない
という大事なことに気がつかなくなっているからではないか・・・

歩きながら考える──ルソー

2016-06-28 18:38:27 | 知恵の情報
ひとり徒歩で旅したときほど、ゆたかに考え、ゆたかに存在し、ゆたかに生き、
あえていうならば、ゆたかに私自身であったことはない。徒歩は私の思想を
活気づけ、生き生きさせる何ものかをもっている。

じっと止まっていると、私はほとんどのものが考えられない。私の精神を
動かすためには、私の肉体は動いていなければならないのだ。

田園の眺め、快い景色の連続、大気、旺盛な食欲、歩いてえられるすぐれた
健康、田舎の料亭の自由さ、私の隷属を思い起こさせる一切のものから
遠ざかることが、私の魂を解放し、思想にいっそうの大胆さを与える。
(『告白』)


ルソー(1712~1778):6月28日、この日、ジュネーヴに生まれた
フランスの思想家、文学者。政治、経済、文学、などあらゆる方面において近代の
父といわれる。『社会契約論』『エミール』『告白』

─『一日一言 -人類の知恵ー』桑原武夫編 岩波新書から

ベートーベンもよく散歩をしていた。ゲーテも朝が待ち遠しく、夜が明けると
部屋の向こうからこちらへ歩きながら思索にふけっている。
歩くことは、なにか自分以外の大きな発想がえられるような気がする。
芭蕉もよく歩いた。水戸黄門も歩いたのは、歩く効用を知っていたの
かもしれない。
無目的に歩いてみると自分の脳の枠が解き放たれるような自由な気分に
なる。セレンディピティが得られるかもしれない。




(エル・レグシェリル─ソクラテス─ルソー─中江兆民)

清濁あわせ呑む──美徳は不変ではない

2016-06-27 18:52:23 | 知恵の情報
夏目漱石がようやく文名高くなった頃、その多忙にまぎれて、時々訪問者に
居留守を使った。そんな居留守のある日、どうしても面会を求めて帰ろうと
しない某社の記者に対し、漱石は自分で玄関へ出て行って、「留守だといったら、
留守だよ」と言ってことわった、と言う一つ噺がつたわっている。

この漱石と同じ頃、救世軍日本の司令官山室軍平が、東京の本郷から
京都へ行ったことがあった。このとき京都駅へ大勢の信者が出迎えたが、
山室の二等車から降りるのに、怪訝の目をみはった。救世軍と言う宗教団体
の立場からすれば、節約の道徳から当然三等車へ乗るべきなのに、とあと
で信者間に異論が出た。が、しかし、この議論は少しおかしい。二等車へ
乗れる旅費を持っている人が、三等車へ割り込むことは、満員になって三等
の旅費しか払えない人を立たせることにもなる。これでは救世軍の精神に
反する。山室は、当時の三等の混み方から、その席をゆずる意味で二等車へ
乗ったのであろう。

正直も節約も美徳である。しかし、上記のような事情では、この美徳も
捨てなければならない。そのこともまた一つの徳をなすといえ、この間の
モラルを最も言っているのは、菜根譚七十六条だろう。
曰く、
「地の穢れたる者は多くの物を生じ、
 水の清める者は、常に魚無し。
 故に君子は、当に垢を含み汚れを納むるの量を存すべし。
 潔を好み独り行うの操を持すべからず。」

汚いチリやアクタなどの集っている土地は肥沃なので作物がよくできる。
反対に汚れのない清流には魚は棲めない。だから、君子たるものは
この辺の道理をよくわきまえて、清濁併せ呑むの大雅量がなければなら
ない。あまり潔癖過ぎて自分だけ孤立になるようでは、決して大事業
は成就するものではない。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院より

枡添氏は、どうだったのか。考えさせられる。清濁併せ呑んでいたような
気もするが、仕事は、潔癖だったのではないか。石原氏などは、事務
官僚のお膳立てにうまく乗ったり、政府からの要請に二つ返事で
乗ったり、都民には不都合でも、大きな事業をうまくやってのけていたのかも
しれない。新生銀行の失敗は、枡添氏のところで解決したと聞く。
枡添氏もファーストクラスの問題にしても事務官僚にけち臭いことをいわずに
合わせていたのだろう。政治家だったから、清濁併せ呑むのは
心得ていたのだと思うのだが、残念だったと思う。新しい知事もあまり
潔癖に仕事をするとフィクサーにやられる気がする・・・

平生はみんな善人なんです──夏目漱石

2016-06-26 18:52:32 | 知恵の情報
「君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだと云い
ましたね。然し、悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているん
ですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。
平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、
いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。だから油断が
できないのです。」

──『こころ』夏目漱石 新潮文庫

人間は急に変わる。自分が信じていた人が突然、交流を絶つということは、
随分経験してきた。たぶん自分にも原因があるにちがいない。でも、そのとき
自分の気持ちもいっぱいいっぱいで、どうしようもなかったこともあった。

私の友達で、そういうときは、しっかりなぜ自分を嫌うのかときく人がいる。
嫌われた理由が自分にあっても平気で一応聞いてみるそうだ。すばらしく、
それは、勇気のあることで、見習いたいができないことが多い。自分の
プライドが許さないこともあった。あとで反省して、自分で一応答えを出して
次は、そうしないようにと思うだけだ。本田宗一郎氏のように自分はたいした
ことはないと、無知の自覚はだんだんできているように思うが・・・

人間の弱さの自覚があるからこそ、先人の覚者の教えが必要になる。
慈悲と愛はその中心となるものだ。そうして、共存共栄は、生き方、哲学と
して自分を支えてくれる。弱い自分を意識したとき、そういった教えを
思い出し、学び直し、自分の道を修正していく・・・

人は死ぬとどうなるのか?──イデア界を知る

2016-06-25 19:16:37 | 知恵の情報
死んで約30分くらいで霊体が肉体から離脱します。
悟った霊なら1時間も地上にはいません。そのままスーッと次元の違った世界に行きます。
自分がなくなった自覚がない場合は、しばらくは、ぼーっとした状態でいます。死んだことに
なかなか気づかない人もいます。
そのような場合でも、自分の関係する合体霊や、守護霊、指導霊、など霊の仲間が亡く
なった方に働きかけ天につれていきます。霊の仲間は大体親族や本人がよくわかる霊が
導きます。

天上界(イデア界)への入り口(幽門)をまず通りますが、そこで審問・審判があるようです。
自分の想念体(魂の一部をさすもの。それは、大脳の前頭葉、側頭葉(記憶を司る)、
脳髄、脳幹にある細胞内の有機物+宇宙エネルギーの部分)
に記録された、その人の一生で思ったこと、為したこと、良いことも悪いこともすべて、
守護霊、指導霊、および迎えに出た魂の親族たちの前で告白させられます。
大抵の人はここで嫌になり、一度は地上へ逃げ帰ろうと考えるようです。

審問・審判のあと、修行をやり直す必要のある人は、段階を問わず、修業をし、高次元の方の
話を聞き、反省をして、地上でなした過ちを正し、真の悟りを得て、それぞれの段階に
帰ります。その後も、その場所で、また、魂を磨きその成長を図ります。

段階は修業のレベルにより、4次元から9次元まであります。さらに高次元のレベルに
より太陽界、宇宙界と区分しているようです。
天上世界も進化の法則により、成り立っており、人間が霊になり、作ったものであり、
天上のルールが厳しく確立されております。
次元を上がるには、修業年数が必要になります。悟ったあとでも何回か生まれ変わり
(輪廻転生)、使命を果たすことによって変わります。
悟りのレベルは厳しく、大体は4次元、5次元にいることが多いようです。6次元へは、
3億5千年くらいの年月がかかるとされています。

法事の説明では、死後四十九日の間に、次生の縁が定まるとされ、七日ごとの
誦経礼仏は死者をして善処に生まれさせることができる、ということのようですが、
実際は、二十一日間は、この地上にいて、自由行動ができる仕組みになっています。
したがって、四十九日の根拠の故事来歴はともかく、二十一日間は、死者の魂は、
家の棟にとどまることができます。
しかし、どんなにこの世に執着をもった霊でも、それ以上はこの地上にとどまることは
できません。二十一日という日数は、あの世の仕組みであって、ルールのようです。
これに従わないのであれば、天上からの導きはなくなり、浮遊霊、自爆霊、などになり
悪霊となるしかなくなります。そうして、ある時期には一掃されます。

─『心の対話』高橋信次著 三宝出版/ 『天が証された驚くべき 霊界の真実1
  まちがいだらけのあなたの人生』 エルアール出版/
 『天国の扉』千乃裕子編 たま出版/『生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”
  が人生を変える鍵』 飯田史彦著PHP文庫/
 『「臨死体験」を超える死後体験II - 死後世界を超えた先は宇宙につなが
  っていた!』坂本政道著 ハート出版/
 『中丸忠雄、天上からのメッセージ』中丸薫著 武田ランダムハウスジャパン
 『神との対話』(1)~(3)ニール・ドナルド・ウォルシュ著 サンマーク出版
  他多数参考  

資料がたくさんあり、同じことを言っている内容の意味合いをとると上記の
ようになる。神智学や、各霊能のある方の証言も臨死体験でも共通のものが
あふれるほどある。これらを科学的側面から証明しながら、体系付けられれば
そして、将来、異次元の魂とコンタクトを誰でもとれるようになれば、世の中の
不幸は、ぬぐえるにちがいない・・・


自分の限界を自覚して人にものをきく──本田宗一郎

2016-06-24 18:49:28 | 知恵の情報
いったい自分を利口者だと思っている人間は、他人にものをきかないようである。
自分はインテリであるから、こんなことを人にたずねたりするのは沽券にかかわると
思っているようだ。

そんなことも知らないのかと、いわれることが、彼らにとっては最も恐ろしいことなの
だろう。そういう点では、なまじ勉強した人は気の毒だ。

私など自分の知っていることはあまりにも貧弱だと感じているから、人にものを
聞くことが平気である。

だから、知恵がどんどん入ってくるわけだ。若い従業員にも、
「おい、これはどうなっているんだ」と謙虚な気持ちで聞くことができる。
そういう態度に対しては、誰もが喜んで知恵を貸してくれるのである。

─『本田宗一郎一日一話』PHP研究所
  『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2 
  谷沢永一著 PHP研究所より

人は、聞かれて、自分の知っていることを話すことは、うれしいと思う。
だから、どんどん自分のわからないことを聞いたほうがよい。
知ったかぶりが一番いけない。

昔、若いころ失敗をしてしまった経験がある。
東京に住んでいるのに私は、秋葉原へは、行ったことがなかった。
地方から出てきた大学で仲良くなった友達に卒業のころ、秋葉原へ行った
ことがないので連れて行ってほしい、と頼まれたことがある。
東京に住んでいたので行ったことがないと思われることがくやしくて、
知ったかぶりで一緒にでかけた。
秋葉原につき、一緒に歩いたが自分もよく知らず、二人で、駅周辺をぶらついた。
大きな電気店があり、少しみた。彼は、感謝していたが、後で自分で行く機会
が来たとき、秋葉原の電気街はもっと奥にあり、ここが有名とされるほど店が
連なり、それを知り自分を恥じた。彼にすまないことをしたと今でも思っている。
自分は何も知らない、無知な人間だということがその当時わかっていなかった。

心の内が映し出されることば

2016-06-23 19:25:29 | 知恵の情報
あなたの「おかえり」の声は、家族を明るく迎えていますか
朝一番の爽やかな「おはよう」のあいさつや、食事の前に「いただきます」と自然に
手をあわせる習慣は時代が変わっても大事にしたいと思いますが、最近はどうなの
でしょう。

私の父は牧師でしたから、食卓を囲むと、まず家族でお祈りをしてから食事を
いただくのがつねでした。食事の前にお祈りする人はむしろ少ないということを
私は、学校に行くようになって知り、急に気恥ずかしさを覚えるようになって、
家の外では食事の前に周囲にそれとわからぬようにテーブルの陰で手を合わせ、
随分早口のお祈りですませていた時期もありました。

それでも昔は、「いただきます」と少し頭を垂れてから食事を始める人を街の
食堂でも見かけましたが、いまは目にすることがあまりありません。照れくさく
思うのでしょうか。それとも、食べられるのが当たり前の豊かな時代になって、
そんなふるまいそのものが忘れ去られたのでしょうか。

「ありがとう」「ごめんなさい」「ただいま」「おかえり」「ごちそうさま」・・・。
声にだせば実に短い、ささやかなあいさつのことばにすぎませんが、声音や
調子にこれほどその人の心の内が映し出されることばもないように思います。

あなたの「おかえり」の声はいまも明るく弾んで家族を迎えていますか。
家族と長い年月をともにするうちに、だんだん「おかえり」の声のトーンが
低くくもって、帰宅した家族に思わず、
「いま帰って来てはまずかっただろうか」
と思わせてしまうようなことがなければよいと思います。

─『続生き方上手』日野原重明著 ユーリーグ株式会社刊より

あいさつは、本当にたいせつ。 そして、あいさつをするときの気持ちが
あいさつのなかにその人の様子が映し出されるというのはそうだと思う。
わたしも職場や、友人と会うとき、思わずうれしくなって、にこっと笑いが
でます。あるとき、「○○さんは、どうして笑っているんだ」とあいさつの
ときに笑顔になることをいぶかしがる人がいました。こちらは、うれしくて
笑っているのにそれを素直に受けてくれないのです。それだけ、世の中は
疑いや、騙されないように用心するそういう姿勢なんだな、とそのとき感じ
ました。初対面の人に笑顔で接したくてもできないとしても、せめて友人同士
では、なんのわだかまりもない、一瞬の無心の笑顔で接したいものです。

人を許せるか否か。それは、人間に与えられた試練です。日野原重明

2016-06-22 17:41:14 | 知恵の情報
人を憎むも自分、人をゆるすも自分
3年前、末期のがんを病んでホスピスに入院されたある女性のことを、私はいつも
思い出します。
彼女は死をとても恐れていました。お話を伺ってみると、死んでいくこと自体を
怖がっているのではなく、大きな悔いを残して人生を終わらざるをえないことに
心を苦しめられておられるようでした。

彼女は夫に裏切られ、大変な苦労を背負ってきたとかで、夫と別居して久しく、
ホスピスへの入院も自分ひとりで決断して夫には何一つ知らせていませんでした。
夫に人生を台無しにされたという恨みの日々を送ってきた彼女が、ホスピスで
幾日かを過ごし、迫り来る死を目前にして、そんな自分自身に怯えていたのです。

私は、彼女にこう申しました。
「ご主人が変わってくれるのを望むには、もう、あまり時間がないようですね。
けれど、あなたが回心してご主人への思いをすっかり変えてしまうことはまだ
できるかもしれませんね」と。

「回心」とは、方向を失っている人生に新たな価値観を手にいれることです。
人生のありかたがそれによって大きな転換をとげる、いわば全人間的な変革
です。再び悪を行わない心を入れ替える「改心」とはちがうものです。

さて、彼女はしばらく悩んでいましたが、ついに夫にいまの自分の居場所を
知らせました。何年ぶりかでホスピスで再会した夫に、彼女は、
「会にきてくれてありがとう」と「何も知らせなくてごめんなさい」とのことばを
伝えたのです。頑なであった夫の態度は見る間に変わっていきました。

この夫婦のあいだに残された時間はわずかでしたが、二人は互いにゆるし
合う夫婦となれたのです。ゆるすことで彼女の魂は救われ、平安のなかに
死を迎えることができました。

いさかいやわだかまりを残したまま生を終えることほど、死にゆく者の心の
平安を脅かすものはありません。その精神的な苦痛は想像するよりはるかに
耐え難いものです。たとえ、死の間際にあっても、和解をし、心残りをなくす
ことができれば、安らかな心で人は死を迎え入れることができます。

─『続生き方上手』日野原重明著 ユーリーグ株式会社刊より

相手が自分の思うようにしてくれなかったのを、怒るのではなく、自分中心に
考えずに、相手の立場を考え、もう一度、なぜ腹が立つのかを反省してみるとよい
のだろう。

聖徳太子の心掛け──平和は正直から生ず

2016-06-21 17:59:05 | 知恵の情報
聖徳太子は用明天皇の皇子で、厩戸皇子(うまやどのおうじ)とも申し上げ、幼時から
なかなか聡明であった。用明天皇はあるとき、その皇子の知恵をためそうそされ、
伴って庭の桃の花をご覧になり、
「そなたはこの桃の花の紅いを美しいと思うか、またはこちらにある松の緑を美しいと
思うか」と尋ねられた。すると厩戸皇子は、
「紅の桃の花は美しゅうございますが、やがて散るもの。それにひきかえ松の緑は
一年中色が変わりませぬから、私は桃の花より松の方がすきです」
皇子のこの答えに、天皇は驚かれると共にそのさかしさを喜ばれ一層ご寵愛にな
った。

またあるとき、他の皇子たちと庭で騒々しく口論のことがあり、天皇はそれを聞き
とがめられて、こらしめの鞭を持って縁先に立たれたことがある。このとき他の皇子は
いち早く逃げ去ったが厩戸皇子のみは残った。
「そなたはなぜ逃げぬか」
と仰せの父天皇に、皇子は
「たとえ逃げましたところで、天へも昇れず、地へももぐれません。それよりは正直
にお鞭をいただきたいと思いまして、ここにいるのでございます。」
皇子はそういうと、一礼した。天皇の鞭がその頭へ及ばなかったことはもちろん、
その毅然とした正直な態度を大変お褒めになった。

この正直の心掛けが、四季に変わらぬ松の緑のように、聖徳太子の一生を支配
したのかもしれない。そういえば、太子の定められた「十七条憲法」には正直という
ことと、平和ということが主に諭されているのに気がつく。まったく、平和というものは
正直から起こるものである。それは、家庭の場合でも、職場にあっても、さらに大きく
国際間にあってもかわらない。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院より

「冠位十二階」の最初に徳がきていて、智(知)が最後にあるのが興味深い。
人は、世の中は、知の世界である。しかし、人間の徳を重んじていることが
どんなに大切かということがわかる・・・
「徳・仁・礼・信・義・智」の儒教の徳目

 

 





(エル・レグシェリル─聖徳太子─エンゲル/ブリアン)


そのままでよい

2016-06-20 19:22:28 | 知恵の情報
われわれは夢では、心に思うことが実際のように感ずるごとく、醒めているときでも、
あまり一つ事を思いつめていると、ふと気がウットリしたようなとき、そのことを実際に
口外したり、実行したように感じられることがあります。

またわれわれが人を憎んでいろいろ考えていると、何かの際にその人に何かと憎まれ
口をきいたような気がして、その人に対して恐ろしいような心持になることがあります。

これはわれわれの心は、誰でもそのようになることがあるという事実であるから、これを
そう思わないようにとすることは不可能であります。すなわちそう思い、心配し、恐れ
ながらも、そのままであるよりほか、しかたがありません。

しかし、一方には、心ではそう思っても、実際にはわれわれは、それをいったりしたりする
ものではありません。これも実際の事実ですから、これによって、わずかに安心するくらい
のことです。もしそれが特別の場合、思ったとおりになることがあるとすれば、それは万に
一つの例外であるから、その場合はその損害を受けて往生するよりほかありません。

       ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

「夏が来れば暑い」、「それなら暑いと思っていればよいか」と問うてはいけない。
思わなくとも、暑いから、そのままでよろしい。夏は暑い。いやなことは気になる。
不安は苦しい。雪は白い。夜は暗い。なんともしかたがない。それが事実であるから、
どうともべつに考え方を工夫する余地はない。

あなたは私の言葉を憶えていって、それを考えては、思想の矛盾になって、ますます
迷いを深めるばかりです。ただ、「なるほど」と関心しさえすれば、それが事実となって、
簡単に治るようになる。


─『現代に生きる森田正馬のことば Ⅱ新しい自分で生きる』生活の発見会編 白洋社
  より

あるがままということだ。考えすぎず、自然の中に自分がいることを見つめている
ということか・・・

楽しみは分け合えば二倍になる

2016-06-19 18:42:49 | 知恵の情報
 

まだ夫が平社員なのに、三人の子供をかかえての妻の家計のやりくりは、決して
楽ではなかった。だから今夜のように、夕食に生タマゴが一個ずつ各人につけられる
ということは、大サービスである。子供たちは、はしゃいで、暖かいご飯の上へかけて
その口当たりのよい滋味を楽しんだ。フト末の子が母の前にはタマゴのないのを見て、
「母ちゃん、どうしてタマゴ食べないの」
と不思議そうにいった。すると妻はうなずくように笑いをうかべながら、
「いいのよ、母ちゃんは、サアよそ見しないで召し上がれ、タマゴは高いしね」

このことばに夫はハシを止めた。長女の中学生もハシを止めた。小さい子らは、
何がなんだかわからないまま同じようにハシを止めてきょとんとしている。
せっかくの楽しい夕食がこの一言でぺしゃんこになってしまった。
「そんなつまらない奉仕感はよしてくれ」
夫がかんで吐き出すように言った。長女はベソをかいて、今にも泣き出しそうである。
妻は以外な反応に腹にすえかねたらしい。が、夫にとってみれば、大変な犠牲を
払ってでもいるように、自分を捨てて全体への奉仕感にひとり満足している賢妻ぶり
に腹がたった。

「楽しみは皆で分け合えば二倍にふえ、悲しみは皆で分け合えば半分にへる、
というコトワザがある、一個のタマゴを倹約してそれ以上の心の損失を出している
ことに気がついてもらいたい」
と夫はしみじみ言うと、再びハシを取った。子供たちもほっとしてハシを取った。

今の今まで賢夫人の誇りに満足していた妻はがくぜんとしたが、すぐ自分の
愚かな虚栄に反省した。
「お父さんのいう通りね、じゃ母さんもただくわ」
と素直に応じた。


─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院より

昭和の時代のエピソードだが、あらためて、分け合えることの大切さを
考えられる。虚栄心がどういうものかも考えてみることができる。

人間には三つの事件しかない──ラ・ブリュイエール

2016-06-18 19:45:27 | 知恵の情報
人間にとってはただ三つの事件しかない。

生まれること、

生きること、

死ぬこと。

生まれる時は感じない。

死ぬ時は苦しむ。

しかも生きている時は忘れている。


─『カラクテール(中)』関根秀雄訳 岩波文庫

人間は死んで終わるわけではない。死んで輪廻転生が始まる。
イデア界(天上界)について研究しよう。資料は、たくさんある。
宗教流派にとらわれない、立場で考えてみよう。
宗教に関わっている人でも二重の考え方を持っている、
なぜか、それは脳が二つあるからだと思う。
物事は一つに決めるものではなく、一つにあわせていくものだ。
二つ以上のものの意味合いをとりながら、人間は考えていくように
できている。宗教流派の一つで真理を決められないのだ。
それに気がつけば世の中のステージは上がるにちがいない・・・

枡添氏だけがどうして責められるのか・・・

2016-06-17 20:02:48 | 政治
思い立ったらそのときに
やめようと思ったら、思い立ったそのときにやめるべきだ。いずれ適当な機会に、などと
考えていたら、いつまでたってもやめることができない。それはちょうど、息子に嫁を
もらったらすべてをまかせようと思っていても、いざそのときが来ればなかなかそうは
できないし、また、坊主になったらいっぺんに悟りが開けるかもしれないと期待しても、
いざその立場になると、なかなかそうはいかないようなものである。
「やめようと思ったら、今すぐやめよ。時期を見はからっていては、いつまでたっても
やめることができない。」
古人も、こう語っているが、まったくそのとおりである。


人情当下休、便当下了。
要尋個歌処、則婚嫁完、事亦不少、僧道雖好、心亦了。
前人云、如今休去便休去。
若求了時無了時。
見之卓矢。




枡添氏の問題を考えてみた。
彼の政治資金の使い方だが、他の政治家と同じやり方をしていたに違いない。
また、都庁で働いている事務官僚の中にも使い方が間違えている人もいるにちがいない。
それなのに
それを問題に出さずにマスコミは、彼の細かい状態をつつきだした。それが不愉快な気がして
ならなかった。都民のお金ということをしきりに言っていたが、定まった機関に入ったら使い方は
どう使おうとしょうがないのではないか。都民一人一人の納得の使い方などできないと思う。
大胆に都民のためにも使うし、都庁で働いている人の給料となり、タバコや、衣類、食べ物、
娯楽品などに使っていることを考えると、都民の金だというのは、情けない気もする。賭け事に
使ったり、歓楽街に遊びにいくこともある・・・

責任追及
人の責任を追及するときには、過失を指摘しながら、同時に、過失のなかった部分を
評価してやる。そうすれば、相手も不満を抱かない。
自分を反省するときには、成功のなかからもあえて過失を探し出すような厳しい態度
が望まれる。そうすれば、人間的にも一段と成長しよう。


責人者、原無過於有過之中、則情平。
責己者、求有過於無過之内、則徳進。




枡添氏は、謝っていた。それでもはっきりさせようとするのは、人情がないのではないか。
ホテルの領収証の問題も、どちらにしようかと迷い、悪気でなく、そのときの弾みで頼んで
しまうことは絶対あると思う。日常の領収証は、一般の個人でも一杯もらう。奥様が補佐の
仕事をしているから、政治資金でいいな、と判断することもあるにちがいない。
もし、政治資金規正法に触れて、罪としてもどんだけの罪ですか?(何回かの宿泊費用
で記入が問題があるだけなのだから、罰金を払えばよいのではないか)

公用車の問題も毎週湯河原へ行っていたとしても仕事を兼ねているというのは、回数が
多いのでレジャーではないでしょう。使い方を間違えていたなら、議会で指摘して直せば
いいじゃないですか。遠いと指摘されても連絡は常にとれるというのですから
ちゃんとやっているということでしょう。数々の災害に都庁舎にいなかったというが連絡は
入っていて受けていたと語っていた。情報をしっかり受けていて、あとは、なにをするんですか。
緊張して、地方の災害まで、待機している必要があるのでしょうか・・・
おそらく、枡添氏は、いざというときは、なんらかの対策をとろうと心構えがあり、湯河原へ
出向いたにちがいない。湯河原では、次の週の資料の準備をしていたと仕事の内容も
しゃべっている。湯河原だから、レジャー、温泉に入るから、体たらく、贅沢というのは、
それは、妬みではないか。

美術品の問題は、彼の政治団体扱いになっているといっていた。そこに私的な考えが
あったとしても、美術品を都庁に飾ったりしている。政治活動にも使っている。これは、
政治資金に入るように思う。量が多いというがたいした額のものは買っていいない。
私は美術畑だが、何百万程度は、たいした額ではない。名画などを考えてみよ、
その額の差からも政治活動のなんらかの役にたてようとするのは、納得できる。

海外のファーストクラスの問題だが、枡添氏も語っていたが、前例からのものだ。石原、
猪瀬の額を人数で割ってみれば同じ額がかかっている。事務方の常識に従っていただけ
ではないか。枡添氏の問題と一緒にするのではなく、都議会で問題にしてなおすべき
ものだ。海外へ出るのが多いと言ったってオリンピックの宣伝もあっただろうと推察
できる。費用がかかりすぎるなら、議会が指摘すべきだろう。枡添氏を辞めさせるまで
一体議会は何をやっていたのだ。マスコミにおおげさにとらえられるまで黙認していた
のだから、問題なかったはずだ。

ちょっと気になったことを考えてみたが、とにかく、マスコミをみていると枡添氏悪しと
論調を張り、どの局も同じなのには、疑問だった。人情を使って、枡添氏を理解しようと
する動きは全然なかった。もし、枡添氏が家族だったらどうだったろう・・・
マスコミ、キャスター、ゲストは、みな、「人の不幸は蜜の味」というが、にやけた批判をして
いた・・・せめてかわいそうな表情とか、立ち直ってもらいたい、そういう人はいなかったのか。

他人への思いやり
小さな過失はとがめない、かくしごとをあばかない、古傷は忘れてやる。
他人に対してこの三つのことを心がければ、自分の人格を高めるばかりでなく、
人の恨みを買うこともない。

不責人小過、不発人蔭私、不発人旧悪。
三者可以養徳、亦可以遠害。




枡添氏は、
オリンピックの施設建設がお金がかかるので、4580億円かかるものを2580億円に
縮小した(2000億円削減しているのだ、すごい成果ではないか・・・)、政府から、
都の税金から500億だせといわれたのを交渉して、2割削減している(100億円の
削減の成果ですよ!)。国に立ち向かって交渉しているのは、都民のためではないか。
そういうことは、都民は理解していないようだ・・・
また、防災のパンフレットをスイス(『民間防衛』)に見習ってすばらしいものを作っている。
コストもおさえ、一般でも140円くらいで買えるようになっている。厚いちゃんとした
ものだ。パンフレットくらいなんだ、ではないんですよ。個人の防災の意識向上の基本の
ものです。内容は、有識者がほめているものなんです。
非正規社員の採用の件でも国が一人50万円出しているが都でも50万円だして
100万円の補助がでるようにし、35歳未満の若者には、一人あたり、15万円の
補助も決めている。
きちっと事務官僚と仕事をしている。そして、まだ、任期四年の半ばの年だ。
保育所関連では、会議に全然でないというが、都の福祉は充実してきていて、今後の
計画はあったのではないか。事務官僚が計画全般の中心なので、枡添氏が手を
抜くとは考えられない。
福島原発へ行かないというが、国の政策でしょう。都知事がでしゃばることもまずいの
ではと彼の頭にはあったと思う。
彼の政策に不満があれば定例議会で指摘すればよいので、いまさら、セコイ問題
が起きたときについでに攻める材料にするのは、やはり、日本のいじめ社会の
体質か、と考えてしまう。
石原氏などは、マスコミの質問がある定例の会見のとき以外は、都庁に出てきていない
のだ。(息子の良純氏は、父のずさんさを知っているくせに、枡添氏のセコイ失敗を
メディアにあわせてへらへら批判していた。なげかわしい・・・)
そういうことも問題に出さずに枡添氏だけを槍玉にあげるのはどうなのか。

こういうことを考え直してみて、国の指示に従わず、オリンピックの費用を削減交渉を
したり、非正規労働者への援助を国に対抗して50万円だしたりしたので、もしかし
たら、これは、フィクサーがいるのではないかと思った。つねに自然発生的に起こって
いると思ってしまうスキャンダルは、フククサーがいるかもしれないことを考えてみた
方がよい。

節操と経綸
光りかがやく節操も、もとはといえば、人目につかぬ修養のなかで培われたものである。
天地を動かす遠大な経綸も、もとはといえば、慎重な検討のなかからうまれたものである。

青天白日的節義、自暗室屋漏中培来。
旋乾転坤的経綸、自臨深履薄処操出。


─『新釈 菜根譚』守屋洋著 PHP文庫参考

異端科学と正統科学

2016-06-16 19:19:45 | 日記
私は、現代の科学を二つに分けてみています。正統科学というのは、現代の
一般的に世間に認められている科学分野のことです。生物、化学、物理学・・・
などと、学会があり、世界の科学者が同じ知識を共有して研究を進めている
ような流れです。

異端科学は、自由に研究するかたちで、学会などで、制限されていない。
方法は、科学的方法を使うが分野は、限定されていない、場合によっては、
邪魔をされ、破壊される、巷の似非評論家に「とんでも」などといわれる科学です。

科学の本を調べて、読んでいると、政治や闇の権力に破壊された科学研究が
出てきます。どうして、人の世のための研究を破壊するのか。調べてみると
お金です。利権に絡んでいるのがわかってきます。理研の小保方さんの
事件もスタップ細胞の特許の問題が絡んでいるようです。小保方さんもなにか
大きな力を感じるようなことを言っていました・・・
人から聞いた話によると、最近すでに米国がその権利を取ったといわれます。

小保方さんは、大きな流れの中に巻き込まれ、犠牲になった方のように
思います。長くやっている研究者は、口には出さないが感ずいているでしょう。
古くは、テスラーが亡くなった時、彼の研究資料はすべて没収されたと
聞きます。日本の研究者でも自分の研究資料が一夜にしてなくなった人も
いると聞きます。
つまり、まだ、研究が未知の段階で、こういった、裏の力の隠蔽、強奪、破壊
などの動きがあるのです。

ですので、異端科学というのは、超先端の研究で、いろいろなものにとらわれて
いない研究で、権力者も注目するので異端ではないかと私は見ています。
世間に認められているな穏やかな方向性のある研究は、正統です。おそらく、
共有されている研究を追随している研究でしょう・・・

★水から取れる画期的エネルギー「ブラウンガス」
★水で走る車がすでに実現している
★電磁波兵器
★すべての病気が完治するライフ博士の技術
★がん細胞だけを殺すことができる周波数の発見
★ウィルスも見える高性能の光学顕微鏡
★軍に悪用された殺人周波数兵器
★常温核融合
★体内原子転換
★腸造血
★フリーエネルギー

私が知っているだけでもこのようなものが出てきます。このようなものは、
隠蔽されたり、破壊されたりしています。
(─『闇の支配者に握りつぶされた世界を救う技術』と<現代編>の二冊より
  ベンジャミン・フルフォード著 イースト・プレス参照)


最近、井出という方がフリーエネルギーの本を出していましたが、不思議なことに
その方にNASAから、招待が来たといいます。まったく、井出氏は、こちらから
連絡したりしていないのです。彼は、善意を信じて米国に行きました。
講演を開いたといううわさを聞いたことがありますが、その後どうなっているのか。
何らかの動きに取り込まれてしまっていないか心配しています。
超先端の研究は、とても危ない気がします。それこそ命を懸けないとならなくなる。
異端科学こそ未来を切り開いていく本当の科学者の仕事だと思っています。