まだ夫が平社員なのに、三人の子供をかかえての妻の家計のやりくりは、決して
楽ではなかった。だから今夜のように、夕食に生タマゴが一個ずつ各人につけられる
ということは、大サービスである。子供たちは、はしゃいで、暖かいご飯の上へかけて
その口当たりのよい滋味を楽しんだ。フト末の子が母の前にはタマゴのないのを見て、
「母ちゃん、どうしてタマゴ食べないの」
と不思議そうにいった。すると妻はうなずくように笑いをうかべながら、
「いいのよ、母ちゃんは、サアよそ見しないで召し上がれ、タマゴは高いしね」
このことばに夫はハシを止めた。長女の中学生もハシを止めた。小さい子らは、
何がなんだかわからないまま同じようにハシを止めてきょとんとしている。
せっかくの楽しい夕食がこの一言でぺしゃんこになってしまった。
「そんなつまらない奉仕感はよしてくれ」
夫がかんで吐き出すように言った。長女はベソをかいて、今にも泣き出しそうである。
妻は以外な反応に腹にすえかねたらしい。が、夫にとってみれば、大変な犠牲を
払ってでもいるように、自分を捨てて全体への奉仕感にひとり満足している賢妻ぶり
に腹がたった。
「楽しみは皆で分け合えば二倍にふえ、悲しみは皆で分け合えば半分にへる、
というコトワザがある、一個のタマゴを倹約してそれ以上の心の損失を出している
ことに気がついてもらいたい」
と夫はしみじみ言うと、再びハシを取った。子供たちもほっとしてハシを取った。
今の今まで賢夫人の誇りに満足していた妻はがくぜんとしたが、すぐ自分の
愚かな虚栄に反省した。
「お父さんのいう通りね、じゃ母さんもただくわ」
と素直に応じた。
─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院より
昭和の時代のエピソードだが、あらためて、分け合えることの大切さを
考えられる。虚栄心がどういうものかも考えてみることができる。
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