僕はこれでも、居合いと柔術とが初段です。僕などの流儀は、寝技が得手で、
自分の身体を、いつでも相手の身体にピッタリと寄り添っているのが大切です。
そうすると、当て身もやられる隙がなく、投げられることもない。これは、いわゆる
捨て身の態度であるけれども、熟練しなければ、なかなかできないことです。
この捨て身の態度は、相手にたいして強いて突っ張るとか、自分の態度を工夫
するとかいうことではなく、自分を投げ出したありさまで、いつでも相手の変化に
応じて、臨機の処置がとれるという状態である。禅でいう「まさに無所住にして、
その心を生ずべし」というふうに、心をどこにも固着していないので、そのとき
どきに、自由に心が働くというありさまであります。(森田正馬)
─『現代に生きる森田正馬のことば』生活の発見会編 II 新しい自分で生きる
白揚社より
■武道の捨て身について書いているが、その境地は、武道意外の問題に
応用できる、心構えを説明しているようだ。ものを書くときに無心になるとか、
絵を描くときになる境地、勝負事でも無心で望む・・・とかその姿勢に生かせる
ものだろう。人との交渉においても、相手に寄り添った姿勢が捨て身となる
というのは、興味深い。
自分の身体を、いつでも相手の身体にピッタリと寄り添っているのが大切です。
そうすると、当て身もやられる隙がなく、投げられることもない。これは、いわゆる
捨て身の態度であるけれども、熟練しなければ、なかなかできないことです。
この捨て身の態度は、相手にたいして強いて突っ張るとか、自分の態度を工夫
するとかいうことではなく、自分を投げ出したありさまで、いつでも相手の変化に
応じて、臨機の処置がとれるという状態である。禅でいう「まさに無所住にして、
その心を生ずべし」というふうに、心をどこにも固着していないので、そのとき
どきに、自由に心が働くというありさまであります。(森田正馬)
─『現代に生きる森田正馬のことば』生活の発見会編 II 新しい自分で生きる
白揚社より
■武道の捨て身について書いているが、その境地は、武道意外の問題に
応用できる、心構えを説明しているようだ。ものを書くときに無心になるとか、
絵を描くときになる境地、勝負事でも無心で望む・・・とかその姿勢に生かせる
ものだろう。人との交渉においても、相手に寄り添った姿勢が捨て身となる
というのは、興味深い。