ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

便利さ、豊かさにあえてストップをかける

2017-05-31 15:59:55 | 知恵の情報
贅沢しか知らない若い世代とちがって、私たちはもののない生活も知っています。
物質的な豊かさ、便利さ、高度さが必ずしも「善」ではないことを知っているのは、
私たちの強みです。

たとえば、飛行機で12時間かかるニューヨークまでの距離を、音速移動でわずか
2~3時間に縮める必要はあるのか。私には弊害の方が多いような気がします。
高度すぎる文明は、人間の心を破壊しかねません。

極端な豊かさや便利さにストップをかけるのも、私たち老人の役目です。詩人
ワーズワース(1770~1850)の言う「生活は簡素に、志は高く」を実行すべき
は、いまなのです。

若い人に老人のパワーを見せてやりましょう。その気になれば、年老いてから
でも新しいことは始められます。人間は生きているあいだに脳の三分の一しか
使っていないという説もあるのですから、なおさらです。

私は90歳になりますが、いまだに現役で、創造力も行動力も若い人には負けない
つもりです。いま75歳の人なら、私と同じ90歳まで、たっぷり15年もあるでは
ありませんか。

「老人」ということばはストレートすぎるからと、最近ではもっぱら「高齢者」と呼ぶ
ようですが、私は寧ろ老人と呼ばれたい。それも新老人と。

「老」という字は本来、尊敬される対象に使われてきたことばなのです。若い人
に「あんなふうに年をとりたい」と思わせるくらいの老人になりましょう。尊敬を
取り戻すためにも、老人自らが行動を起こすときです。

─『生き方上手』日野原重明 いきいき株式会社

夫婦ゲンカは極地戦でおさめる

2017-05-30 16:39:15 | 知恵の情報
「急いでポストへ出してくれ」と大田さんは二階からかけおりて妻の貞子さんに言った。
この手紙には、仕事をまわしてくれた某先輩へ、対して、それを引き受ける、という
承諾の返事がしてあり、それは急ぐ内容のものでもあった。大田さんが二階へもどって、
しばらくしてタバコを取りに茶の間へおりたとき、さっきの手紙がまだ茶ぶ台の上へ
のかっていた。大田さんはカチンと頭へきた。「まだ出さないのか、急ぐと頼んだじゃ
ないか」

貞子さんにしてみれば、今あみかけている夫のセーターが、ひとくぎりまでくれば、
買い物のついでに出しておこう、と思っており、そのあみ止めまで今少しなのだ。

「何も、そんなにガミガミ言わなくても、あたしだって、忙しいんだから」
何の気なしに貞子さんもつい反抗を示したことから、問題はポストへ行くことから、
大田さんの独善ワンマンぶりへ、大田さんは貞子さんの自分の気持ちを少しも
察してくれない思いやりなさわめきたてるなどに発展して、夫婦の感情はこじれて
しまった。あたかも精巧な機械がわずかなホコリのはいったために働かなくなった
と同じように。そして最後通牒のセリフを投げつけた貞子さんが坊やを連れて
中野の実家へ行こうと玄関へおりたとたん、伯父さんが来た。まさに時の氏神
伯父さんは次のような三か条を出して次のような三か条を出してこのケンカを
まるくおさめた。

(一)ケンカの原因となったポストへ行く行かない問題を限りそれ以上に発展
   させない。
(二)一方が話しているときは、一方は聞き役にまわる。
(三)「なにもそんなささいな事を」という考え方をどちらも捨てる。相手にとって
   は生命にもかかわる重大事なばあいもあるのだから。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武 編 光文書院より

本当に科学を弾圧したのは何か?

2017-05-25 17:45:26 | 科学
「近代科学」はドロドロした神秘主義の真っ只中から産声をあげました。当初は
「近代科学」と神秘主義の境界はなく、ともに絶対的な権力を握っていた教会
から見れば弾圧の対象であり、それに対して、ともに激しく闘ってきたわけです。

ニュートン以後は実験と観察に基づく近代科学的な方法論が定着し、あれほど
頑迷だったキリスト教的「宇宙モデル」も、次々に覆されていきました。それにともない、
教会の権威は失墜し、十八世紀のおわりのころにはさしもの「異端審問」も
「魔女狩り」も見られなくなりました。

・・・・・・これを歴史では、中世の終わり、近代の始まり、と位置づけております・・・・・

「科学対宗教の闘い」は、その変革を彩るひとつのエピソードだったのでしょう。
これにより、社会の規範は「宗教」から「科学的合理主義」にバトンタッチされたわけ
です。科学はますます発展し、社会における宗教の守備範囲は、著しく狭くなって
いまいました。「科学的合理主義」は、やがて古代ギリシャ的な神秘主義と訣別
して今日にいたっております。

また、一般にはこれが、"社会の進歩”だと考えられております。たしかに、異端
審問や拷問や火刑を歓迎する人はいないでしょう。言論や思想や信教の自由が
いかに大切かは、それを失ったことのない今日の人々にはなかなか実感が湧かない
かもしれません。

しかしながら、その反面「科学的合理主義」が規範となった社会では、人間の
「精神性」の重要さの認識が希薄になっていったことも否定できません。
「金」と「物」と「法律」と「論理」でもって社会が動くとすると、そこには「精神性」
の入り込む余地は少なくなってしまいます。

もっとも、中世の暗黒時代を支配していたキリスト教団の「精神性」が高かったとは、
とえもいえないでしょう。もし高かったとしたら、「異端審問」も、「魔女狩り」も「科学対
宗教の闘い」も起きなかったでしょう。

教会や聖職者たちが「権力欲」「物欲」「金欲」「性欲」に狂い、レベルの低い神学者
たちが怪しげな「論理」を駆使して「法」を作り、「宇宙モデル」を捏造したからこそ、
悲劇が起きたわけですから。

──「科学対宗教の闘い」で、「科学」が闘った本当の相手は、何だったのでしょうか?
宗教の仮面をつけていますが、実は「本物の宗教」からもっとも遠いもの、が相手だった
のかもしれません。仏教の言葉を借りると、その実体は「科学対煩悩の闘い」と
言い換えてもいいでしょう──

─『ここまで来た「あの世」の科学 魂、輪廻転生、宇宙のしくみを解明する』
  天外伺郎著 祥伝社 NoN bookより

●煩悩:迷いを言う。肉体煩悩とは肉体にまつわるさまざまな迷いであって、地位、
名誉、金、その他もろもろの執着からくる、肉体を主体とした、ものの考え方を言う。

自然の法則と人生哲学

2017-05-24 15:52:29 | 科学
17,18,19世紀の科学者は、自然の法則を神の技ととらえ神の証明のために自然法則を
見つけ出してきたといわれる。現代は、そういった姿勢は、科学的でないと、とらえられ、
その純粋な姿勢が迷信のように考えられている。科学は、現象の分析のみに走り、
そこから、人生哲学を見つけることをしていない、そのほうが科学だと、誇っている。
それは、おごりである。今一度、昔の科学者たちの姿勢に立ち戻り、自然の法則の中に
神の技を見出し、自分の生きる道を新たにすべきではないか。

ここに二十世紀後半に宇宙人的天上界からのメッセージが著された書籍がある。
それをみると、科学の中で導き出された法則がどういう意味を持っていたのかが、
表されている。それをしばし、紐解いて、人生哲学について考えてみたい・・・
その書籍では、科学法則の発見は、現象の発見だけでないことを語っている。

「17世紀には、本体として、イギリスの物理学者ニュートンに生まれました。
この時には、"光についての研究”や、"微分・積分法”、"万有引力”など多くの
ものを残しました。"光、”それは、すべての人間に平等に照らされている神の
心のようなものです。そして、"万有引力”は、すべての物体に平等に生じる力
です。このように、私が科学的に、あらゆる人間には、平等に"光””引力”などが
働き、それは、けっして一人だけを特別扱いにしてはいないということによって、
人間はこの自然のなかにおいてすべて平等なのである、ということが言いたかった
のです。」
と語っている。ここには、ただ、現象だけを追い求め、現代科学がおちいりそうな
非情な哲学は、見えない・・・

また、
「そして、18世紀に、リンネとして生まれました。この時も、私は本体として生まれ、
知られているように、植物学者で、”二名法”などは良く知られていると思います。
そして、この時には、動物も植物も、すべてのものは、移り変わっているという
法則を残しました。これは仏教にもありますね。輪廻といって、すべての魂は
転々と、人間は人間に、動物は動物に、植物は植物に、移り巡って、永久に
滅びないということですが、このようなことは単に宗教用語だけでなく、自然界
でもこのように証明されていることなのです。」
歴史の中で、霊として、異次元世界へ移行し、霊の循環も法則として存在する
ことをここで示していることは、驚きである。ただ現象面の研究の弱い、精妙な
データを取り除いた法則だけを正統とする現代科学者に理解できるだろうか・・・

著述はまだつづく・・・
「私たちの霊の存在も確かなことです。科学的に説明することもできるでしょう。
私は、ニュートンとして生まれた時、先程、書きましたように、科学的、数学的な
発見もしましたが、その反面、神の神秘性についても興味を持ち、"神秘論”
や”悪魔論”なども書きました。そして、神や天使の存在、また、どうして
奇蹟が起こるか、などについて疑問に思っておりました。この時、このことを
はっきりと人びとに伝えることはできませんでしたが、この地球上のあらゆる
ものは、すべて平等だということだけは、はっきり伝えることができました。
そして、すべての物は法則に従って、科学的に働くのだと知りました。
宗教も科学と結びつけられます。すべての物事は科学的に証明できるのです。」
ここでは、科学の現象、法則から、人間の哲学規範が導き出せることを語っている
のではないだろうか・・・科学的にとらえたものは、平等であるととらえている。

─『天国の扉』千乃裕子編著 たま出版参照

■霊の問題、死後の異次元の問題は、まだ、解明できていないが、霊が
語ったり、歴史書の中に、存在を示していたり、実体験としての臨死体験
など、研究できるデータは、存在する。上記本のデータもその一端である。



ニュートンと魔女

2017-05-23 17:28:48 | 科学
アイザック・ニュートンが、近代科学の礎となった「ニュートン力学」を完成し、
『プリンキピア』という題名の書物にまとめたのが、ガリレオの宗教裁判からちょうど
半世紀の1687年です。

今日の常識で考えると、きっと彼は近代科学的な合理主義を体現した人に違いない、
と誰しもが思うでしょう。

・・・・・ところが、そうでもないのです・・・・

『プリンキピア』を出版したとき、彼は四五歳でしたが、それから八五歳にいたるまでの
四〇年間、夢中になって「錬金術」の実験に取り組み、それに関する論文を発表する
論文を発表しております。

前述のように、この当時はまだ「錬金術」は、コペルニクス、ガリレオ、ケプラーたちの
近代科学より、はるかに広く社会で受け入れられている伝統的な学問であり、ニュートン
が熱中したとしても驚くにあたりません。

錬金術師たちは、自らの精神的徳性の高さが、物質の変成過程に影響を与えると
信じており、常日頃から禁欲的な修行を行なっていました。また、作業の前には
「瞑想」や祈祷を行なって、作業の成功を願う習慣がありました。

ニュートンも、あとで述べる「ニュー・サイエンス」派の科学者と同じように、長年に
わたって「瞑想」を実習していたのは明らかです。

もし、『プリンキピア』出版以前から「瞑想」を行なっていたとしたら、それが「万有
引力」の発見に貢献した可能性も否定できません。今日では、多くの科学者たちが
「瞑想」によって新しい仮説を生んでおります。

ニュートンはまた、イギリスでナイトの爵位を授けられた最初の科学者だったのですが、
同時に宗教への関心も深く、神学に関する論文を書いたり、反カトリックの政治運動
で活躍したりもしました。なお、当時のイギリス王室は、ローマ法王庁に反旗を翻し
ており、反カトリックということは、もちろん体制側を意味しております。

ニュートンは、「魔女」の存在も信じていたといわれており、どうやら体制側の一員
として、むしろ弾圧するほうに加担したようです。

─『ここまで来た「あの世」の科学 魂、輪廻転生、宇宙のしくみを解明する』
  天外伺郎著 祥伝社 NoN bookより

■1977年に『天国の扉』たま出版の書籍で霊媒を通して、ニュートンの転生を
語っているが、そこで、伝えている内容がある・・・

宇宙人はこれまで限られた権力層にアプローチしてきましたが、 これからは一般の人に向けてメッセージを送ってきます

2017-05-22 16:45:47 | 異星人情報
「進化した宇宙人なら、なぜ姿を現して地球人を指導してくれないのだろう?」
という質問をよく受けます。

基本的に宇宙人は、私たちの自由意志を守るために見えないところから地球を
観察し、緊急事態に備えて待機し、応援だけを行なっていました。
精神的に進化した文明が、他の惑星の生命の存在すらも知らない文明に手を
加えたり、直接的な干渉を与えたりするのは宇宙法則で禁止されているのです。
(不干渉の法則)

上の次元と、私たちの三次元の世界の関係は、ワープロとプリンターの関係に
たとえられます。シナリオはあっても、そこに自由意志がプラスされるのです。

人生に起こる出来事は、場所や出会う人、タイミングなど、かなり細かい部分まで
シナリオがあります。上の次元の存在が、ワープロに打ち込む作業をしています。
フラッシュバックでそうしたシーンの記憶がよみがえったこともあります。
上の次元でつくられたシナリオを、この三次元でプリントアウトします。物質社会で
実現するわけです。実現結果は、上の次元へフィードバックされます。

シナリオがすべてで、私たちはその通りに演じているだけだと誤解しないでください。
自由意志はあります。ただし、道をまちがえないように、いい意味での邪魔が
入ることがあります。一種の調整です。

それはさまざまな形を取ります。出会う人、受け取るメッセージなど。やりたいこと
があるのに、うまく進めないといった展開になることもあります。あるいは体力や
エネルギーを消耗して、休んでも回復しない時期もあります。

必要なメッセージを受け取るために、他者の口を借りることもあります。その人が
受け取らなくてはいけないメッセージを、誰かから聞くのです。

そして、自分がメッセンジャーになることもあります。口を開くと、全く考えても
いなかった言葉が出てしまう時など、ハプニングのようでいて、それは必然
です。私は英語でも日本語でも、そうした体験をしてきました。その結果、人との
関わり方が変わり、後々にそこに意味があったことがわかるのです。

地球人は二十一世紀に入ったというのに、まだ戦争に熱中している状態です。
危険な武器を乱用し続けています。
このまま放置しておくと、他の惑星にも危険を及ぼしかねない状態になってきました。
そのため、地球への不干渉の姿勢は、ある程度緩和されました。

友好的な宇宙人は、私たち、人類が自発的に学べるよう、影ながらサポートを
しています。宇宙人の立場から考えると、地球人のほうこそ、野蛮で怖い存在
かもしれません。

2009年から、中国やシカゴの空港でのUFO目撃など、世界中のあらゆる場所で、
UFOをどんどん確認できるようになってきています。

これまで、宇宙人が地球を侵略するなど誤ったイメージが伝えられてきましたが、
今こそ、宇宙人やUFOには危険性も脅威もないことを知るのが一番大事です。
そして、次に、宇宙人とコンタクトし、なぜこのタイミングで地球に来ているかを
聞き出すことです。

今まで宇宙人は、一部の限られた権力層にアプローチしていましたが、これからは
一般の人たちに向けてメッセージを送ってくるはずです。
誰でも宇宙人とコンタクトできる時代になってきました。世界中で、さまざまな形
で地球と人類の目覚まし作業が進んでいますが、その仲でもUFOの目撃が
増えています。

数多くのUFOの目撃情報が伝えられている状況を見ると、一般の人々の認識
が変わりつつあるのを如実に感じます。私たちの恐怖心を減らせば、宇宙人
とコンタクトを取るのは可能です。   (グレゴリー・サリバン/ワンダラー)

─『あなたの前に宇宙人が現れます』グレゴリー・サリバン 田村珠芳 
  ヒカルランド

20世紀後半に知らされた異星人からの地球について

2017-05-22 16:44:10 | 異星人情報
三億六千五百年前にこの地球に飛来し、ようやくにして約一万年前より私たちの
地球に住む人類の大半と、ベー・エルデと名づけられた星から来た霊たちが合体し
ともに、現れては消える文明と、歴史の大河を浮きつ沈みつしてきたという
驚天動地の事実を、私たちはつい昨年知ったのです。(1976年)略・・・

知らぬ間に地球が太陽系外の他の惑星から飛来した宇宙人たちによって、その
魂によって占められ、文明および科学の多くがそれに与(あずか)るところ多し
ということは、驚愕すべきことでもあり、また、背筋を寒からしめるものでもあります。

私たち地球人はいままで、何に精力を費やしてきたのでしょう。築いては崩れる
文明という砂上の楼閣を単なる天災として受け入れてきたのでしょうか。
ベー・エルデ星の人々が善なる心を持って地球を訪れ、ひたすら調和と平和とを
願って正しい法則(自然の法則を正しくとらえた生き方)というすばらしい神理をもたらされ
たことは、驚きや不安を消し去るに余りある至福であるといいうことを感じずには
いられません。ベー・エルデ星のみならず、仮名のM45,M36,M35,の星の
人々はすでにユートピアを築づき、互いに条約を結びあっていられるのです。
この太陽系が、天のかたがたが、エル・ランティ様の下に(地球史では、ヤーウェ、
エホバと呼ばれているが、実際は、エル・シャルレア・カンタルーネとおっしゃられる)
調和を目指しつつ努力していられる最後の星だと聞きます。

私はそれを伺うとき、私たち地球人はもっと文明人として精神的な成長に重点を
置き、互いに明るく思いやりを持って、与える心と譲りあう心と、愛と、正義と、
心を清らかにすること、素直にすべてを受け入れる心─という極く当たり前の
生活態度を人生に取り入れるこという、正しい法則(共存共栄)を軽視せず、そして、
それを基盤とすれば、闘争はなくなること、破壊は無くなることにきづかねばならないと
思うのです。破壊がなくなれば文明や科学はもっと前進するのではないだろうか
と思うのです。

─『天国の扉』千乃裕子編著 たま出版より


■あっというまに時間がすぎてしまったが、1970~1980年代の時期に上記のように
異星人が地球の歴史について語っていた。異星人からの情報は、たくさんある。
だから、その中の一つとして考えてみればよいが、デニケンから異星人が来訪して
いたことを知ったが、その後の内容をよくとらえ、生き方の方向を見て考えて
見たいものだ。今後もオーパーツなど古代の遺跡からも出てくるだろうし、現代の
通信もあるに違いない。それを、現代の地球人がどう受け入れていくか、それに
かかっている・・・




蜜だけ吸って花弁をこわすな

2017-05-21 15:12:38 | 知恵の情報
法句経の中に「蜂が花弁と色とかをそこなわずに蜜だけを取って飛び去るように、
智者が村々を乞食して行くのも同じようでなければならない」と言う有名な句が
ある。蜂はどんなにブンブン花のまわりを飛び回っても花弁も落とさずただ蜜だけ
を吸い取る。同じように教えを説いて村々を訪れる智者(僧)は食だけ恵まれれば
よく村のことにかかずらわってはいけない、というのが大意であるがこれは実生活
にあてはめても、含蓄の深い名文句である。

風景の美しいところへ行ったら、ただその美しい自然にひたって、喜びを感ずれば
よいので、来遊の記念などといって、樹木や建造物に名前を刻んだり、花や草木を
持ち続け帰るのは、まさしく蜂が花弁をこわさないで蜜だけ取る行為にははるかに
劣る蛮行ではないか。

人はだれでも自分の生活のために人間関係を持つ。大ざっぱにいえば家庭と
社会、小さい単位をとれば夫婦と職場ということになる。職場で人を使うことは、
その人の持っている能力を借りることで、同時にそれを伸ばし、自分もそれに
つれて啓発されることであって、決して彼を踏み台などにしてはならない。自分の
目的のために花弁を傷つけたり枝を折ったりしてはならないのだ。

夫婦の人間関係には一層蜂と花弁のたとえはよくあてはまる。夫婦生活という
ものは、そのいずれもが、相手から甘い蜜を取得するもので、そのために相手
の花弁や香りを傷つけてはならないのだ。しかしながら世の中には、年齢に
ふさわしい女の色彩を失った妻、妻の過重な期待にたえ切れず、早く白髪を
ふやす夫、そういった夫婦が案外少なくないものである。蜂は蜜だけ取って花弁を
損じないことを、もう一度再認識しよう。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武 編 光文書院より

日本の深みがわからん者たちが英語でしゃべったからって、何ができると思っているんだ!!

2017-05-19 16:35:14 | 社会
菅沼     いま、学校教育で何をやっているか。大学をみてくださいよ。これからは
        英語だとか言って、みんな「入ったらすぐアメリカに留学させます」とか
        そんなことばかりやっている。日本語も日本文学も何も知らないくせに
        英語?その辺のパーティーでならしゃべれるかも知れませんが、日本
        についての知識が何もないんだから、深いことはしゃべれませんよ。
      
飛鳥     英語をしゃべれるやつはいっぱいいても、向こうに行って、歌舞伎とか、
        日本のことを説明してくれと言われたときに説明できない。

菅沼     日本のことを何も知らない日本人が国際化だなんて笑われるだけです。
        それは、「国際舞台で活躍できる人材を養成するため」とか言って、
        社員を留学させたりしている企業だって同じです。

飛鳥     全くそのとおり、それなのに、小学校から英語を習わせるとか、さらには
        幼稚園からとかそんなことをやっている。

菅沼     小学校から英語を教えるって、小学校は読み書きソロバンに徹すればいいんです。

飛鳥     そういうふうに今の動きと真逆をやったほうが成功する。

フルフォード カナダではフランス語と英語のバイリンガル教育をやりますが、子どもには
        まずネーティブが必要だということがわかります。思春期まで一つの言葉を
        ネーティブとしてビシットとっておく。僕も日本語が多少できるけれども、
        英語にはかなわない。英語の基盤があったから自信を持って日本語で 
        話すこともできたわけです。

菅沼     ヨーロッパの人はみんなその奥にラテン語があります。一生懸命やる人は
        みんなそこまで行く。国際政治でも国際経済でも、まじめにやっている
        先生方は、西洋の本当の精神の根源はどこにあるのか、ラテン語まで
        突っ込んでいく。その上に立って初めて、できる人は日本語とかほかの
        言語をやる。

飛鳥     今の日本を見ていると、薄っぺらな日本人をどんどん大量生産するシステム
        としか思えない。

菅沼     今の学校なんか最低よ。今、東大が入学式を秋に行なうと言っています。
        入学試験に合格して秋に入学するまでその子は何をやるのか。「みんな
        自衛隊に入れろ」とか言っているけれどもそんなことは不可能です。
        その間、一番大事な時期だから、本当は哲学をはじめ、リベラルアーツ
        を勉強して人格を形成してほしいのだけれども、その子たちはこれから
        就職しなくちゃいけない。だから、みんな就職予備校。コンピュータの
        技術的なこととか、何も中身がない語学とか、就職の勉強。

─『国家非常事態緊急会議』 菅沼光弘 ベンジャミン・フルフォード 飛鳥昭雄
  ヒカルランド

■英語は好きで、私も勉強している。しかし、お二人の話で改めて考えてみると、
日本の伝統の教育などは、戦後、米国にずたずたにされ、3S政策をとられ、
(岡潔氏も『日本のこころ』講談社で3Sを指摘している)、それがなかば、成功した。
日本人は、スポーツ、映画(スクリーン)、セックス、ちまたにはこの様相が
定着している・・・それとともに米国などの音楽を取り入れている若者をみると、
軽い人間に育てられているように見える。アメリカの文化がすべて悪いと
はいわない。それによって、日本の欠点も見直されてもいる。民主主義は、戦後
日本人が自ら獲得したものでなく、入れられたものだが、それによって、個人の人権
が守られるようになったと思う。しかし、上記のお二人のおっしゃるように言語に関して
気をつけなくてはいけない面があるように思う。ネイテブの言語の大切さをわかって
バイリンガルの教育はよいがなにもわからずにやっては、自分のアイデンティティの
無い日本人が生まれてきそうだ。テレビでアメリカナイズされた日本の若者を
みると一目瞭然、頭のおかしな人に見える・・・

人の生涯に憂い(心配や気がかり)

2017-05-18 17:42:47 | 知恵の情報
人の生涯に憂いの伴わないことはありえない。憂いと共にありながら、それどころか
往々に幾多の憂いをもちながら、しかも憂いなしに生活して行くこと、これこそわれわれ
の修得すべき生活の技術なのだ。

第一の理由は、傲慢・軽薄にならないために、である。憂いは、時計の進行を正しく
調節する振り子みたいなものなのだ。

第二の理由は、他人に対して同情の心を持つことができるために、である。あまりに
裕福で普通の心配事のないような人は、とかく利己主義(エゴイスト)になる。こういう
連中は、心配事で顔も蒼ざめているような人を見ても、もはや同情もせず、なにか
不当な存在、自分たちののんびりした快適さを邪魔するものぐらいにしか感ぜず、
それどころか、かえって心からそういう人たちを憎むようなことにもなりかねないのだ。

最後に第三の理由として、憂いこそ、われわれに神を信じて、その助けを求めることを
力強く教えてくれるからである。なぜなら、われわれの願いを聞き入れて、その結果
われわれを憂いから解放することこそ、唯一の確実な神の証明であり、キリスト教の
真理であることを実際に証拠だてるものだからだ。
それゆえ、悪い日がかえってよいのだ。もし悪い日がなかったら、たいがいの人は
決してまじめな考えに行きつくことはないであろう。(『幸福論』第二巻「罪と憂い」より)

─『希望と幸福 ヒルティの言葉』 秋山英夫訳編 現代教養文庫
  社会思想社

■なにごとも経験を持ってそれに打ち勝つ勇気が大事だと思う。人間の弱さを自覚して
いない人間は、人の痛みを理解できない。憂いはその一つだ。弱さを自覚して、勇気に
よって弱い自分を立て直していく・・・それしかない。

「あすのことを思いわずらうな。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」 (マタイによる福音書六の三四)

2017-05-17 16:57:00 | 知恵の情報
人間には空想力という危険な賜物が与えられているが、これはわれわれの実力
以上に広い活動領域を持っている。空想力はわれわれの意図する仕事の全部を、
成し遂げられるはずのものとして、いちどきにわれわれの眼前に広げてみせる。
ところが、われわれの力のほうは、ただ順を追うて一つ一つこれを克服してゆける
だけなのであり、毎日この目的のために完全に新たにされていかねばならぬのだ。
それゆえ、習慣的にただ今日のために働くがよい。明日はおのずから来ている
のであり、それとともに新しい明日の力もまた訪れてくるのである。
(『l幸福論』第一巻「仕事の要領」より)

─『希望と幸福 ヒルティの言葉』 秋山英夫訳編 現代教養文庫
  社会思想社

共存共栄の法則の根拠になる「今西進化論」

2017-05-16 15:35:43 | 科学
鴨川で「すみわけ理論」に至った今西錦司



「イギリスのダーウィンは『種の起源』をあらわし、生物は、弱いものは生存競争に
敗れてほろび、環境に最も適したものが生きのびて進化していくと説き」
(中学校社会科教科書)いわゆる「進化論」を提唱しました。1859年のことです。

さて、この進化論は唯物論の隆盛という時代背景とともに大衆に広まり、支持を
受け、その基本的な考えはもはや常識といえます。ところがこの「競争と自然選択」
に異を唱えた学者がいました。日本の今西錦司です。

今西は1902年(明治三十五年)、京都西陣の織元に生まれました。幼いころから
祖母に連れられ鴨川の自然に親しみました。七歳のころには蝶の蒐集に熱中します。
そして、旧制の中学、高校時代には登山に夢中になり、西堀栄三郎(後に京大教授、
南極観測越冬隊長)と第三高等学校の山岳部を創設しました。このような少年・青年期
の体験が後の「今西自然学」の基礎になったといえます。

京都帝大の農林生物学科に入学し、昆虫学を専攻しました。そしてフィールドワーク
ともいえる各地の登山にも精力を注ぎ、剣岳の未踏の屋根の初登攀に成功、登山史
に名前を残しました。

1933年(昭和8年)夏、京大理学部の講師をしていたころ、いつものように自宅
近くの鴨川のほとりで昆虫採集をしていてひとつの発見をします。川の中に四種類
のヒラタカゲロウの幼虫が川の流れの速さに応じてきれいに分布しているのです。
「今西進化論」の誕生でした。

つまり、このカゲロウの幼虫のように、生物は「すみわけ」という現象によって独自の
生き方をしていると考えたわけです。生物同士の生存競争は生き残りゲームではなく、
共存して」すみわけ」によって四種類のカゲロウの種の社会は進化していくと考えた
わけです。そしてこの考えを他の場所でも検証し、発表したのが『生物の世界』でした。
1941年(昭和十六年)、今西が「遺書のつもりで書いた」まさに大東亜戦争(太平洋
戦争)勃発の年でした。

今西は明治以来ダーウィン進化論が日本の生物学会で主流であった中で、ダーウィン
の生物観に真正面から挑戦した一人といえます。

今西はヒラタカゲロウの「すみわけ」と「共存」の発見をきっかけに、日本ばかりでなく
アジア・アフリカに出かけ、自分の学説を検証するかのように、チンパンジーやゴリラ、
植物分布の様子と、学問の範囲を広げます。そのため多くの研究者が今西の魅力
にひかれ「今西山脈」といわれるような多数の研究者が育ち、現在でも各方面で
活躍しています。

「すみわけ論」を中心とした独自の進化論により、1972年に文化功労賞、79年
には文化勲章を受章します。しかしこの間、今西には休む暇もありませんでした。
戦後の研究成果をふまえ、「反ダーウィン論」を集大成した論文を次々発表します。
同じころ、イギリスの科学雑誌に「日本における反ダーウィン説」として紹介されました。
これを機に国内の「今西ブーム」としてではなく、世界的に「進化論」論争が繰り広げ
られました。そして現在では「今西進化論」今西自然学」と呼ばれています。

今西は「探検的な開拓者精神」で学問に挑み、「生物学者は生物を通じて、もっと
積極的に彼の自然観・世界観を展開すべき」を持論とした科学者だったのです。
                                  (福持次郎 記)

─『教科書が教えない歴史 3 』藤岡信勝・自由主義史観研究会
  産経新聞ニュースサービス 扶桑社



■ダーウィンの進化論から、素直には、共存共栄が導き出せないでいたが、自然選択や自然淘汰でなく、
「すみわけ」という考え方は、納得がいく。自然淘汰というとらえかたでなく、生存の自然な選択は
互いの共存の上に、つまり生かしあいのなかに選択されているというとらえ方がなんとも精妙に感じる。
自然淘汰というものではなく、自然互助である。ダーウィンの進化論は客観性を重視しているのだろうが、
起こる性質にもっと神(自然)の愛を感じるべきではないか・・・

この世の生活はどんな目的を持っているか

2017-05-15 18:28:57 | 知恵の情報
われわれはすべてなかば動物的本能を持って生まれてくるのであるが、この動物的
本能から精神的人格へ発展することこそ、その目的に他ならない。一般的に言って、
これが人間の生の目的である。「地上の子らの最高の幸福は人格である」という、
あの有名なゲーテの言葉(『西東詩集』の「スライカ書」)もまたこれと符号する。

それゆえ、動物的な享楽生活を送ったり、動物に似た欲求や機能をあまりに強く
顧慮したりすることは、たといそれがこの世でどんなに必要なことであろうとも、われわれ
の生の目的からは離れているのであり、以前の状態への隔世遺伝的転落にほか
ならない。

─『希望と幸福 ヒルティの言葉』 秋山英夫訳編 現代教養文庫
  社会思想社

元気をくれた、励ましてくれた"言葉”

2017-05-14 15:48:08 | 知恵の情報
「ゆっくりでいい」
二年前、私はストレスから心の風邪をこじらせてしまい、休養と治療のため、会社を
辞めて入院することになりました、。不安で落ち込む私に、友人がこんなメモをくれ
ました。
「ムリしないでね。
がんばらないでね。
一人だと思わないでね。
ゆっくりでいいんだからね」
この四行を見つめながら、私にはこんなに思慮深い言葉をかけてくれる友人が
いることに感謝し、嬉しかったのを覚えています。
今でもときどき読み返して、頑張りすぎてないか確認しています。
(ペンネーム・らっこ 25歳主婦)

「やって失敗してね」
だんだん重い責任を負う仕事が増えてきましたが、仕事は常に」順調とは限らず、
落ち込むとき、自信をなくすときが少なくありません。
そんなとき、妻から、「会社で失敗して首になったらそれでいいじゃない。そうしたら
私も働くよ。でも、やって失敗してね。やらないで失敗して会社を辞めさせられたんじゃ、
はずかしいから」と言われ、俄然勇気が湧いてきました。
(坂巻紀久 43歳 会社員)

「いるだけでいいんだ」
いつも子どもを怒ってばっかり。家事も手抜き。いい親とは程遠く、「こんな母親・妻
でいいのか」と悩みました。
でも、夫が「それでいいんだ」と言ってくれました。他のママ仲間と自分を比べたり、
あれこれ他にも欲張っていた自分に気づきました。
(ペンネーム きよ 34歳 主婦)

「聞いたら楽になるやろ」
私がPTAの学年委員長をしていて人づきあいや仕事のやりくりに苦労していたとき、
夫は「俺が聞いたら楽になるやろ」と言って、後はだまって延々と続く私の愚痴を
聞いてくれた。
おかげで本当に気持ちが楽になり、無事乗り切ることができた。今では良い経験
ができたと、夫にはとても感謝している。
(ペンネーム ゼラニウム 42歳 主婦)

「無償の笑顔を見せてくれる」
高校時代の友人が先日、無事女の子を出産しました。一日も早く会いに行きたかった
のですが、体調不良のためなかなか実行できずにいました。
Eメールでそれを伝えると、「元気になったら会いに来てね。無償の笑顔を見せて
くれるはずだから」と返事が。赤ちゃんの顔を想像するだけで元気が湧いてきました。
(ペンネーム ミコ 34歳 派遣社員)

「長く続けること」
麻雀がものすごく強い人に、「どうやったらそんなに強くなれるんですか?」とたずね
たことがあります。そうしたらひと言、「長く続けることですよ」。
人生がなかなか思い通りにいかないとき、このシンプルな言葉を反芻しながら、
淡々と歩み続けることにしています。
(小松 光 30歳 大学研究員)

「一週間たつと・・・」
接客業で店長の仕事をしていたとき、売り上げ不振で悩んでいました。そのとき、
販売商品の取引先の方がみえました。
彼はいつも明るいので「いいですね。悩みなんてないでしょう」
とたずねると、「とんでもない。いつも悩んでいます。でも一週間たつと、違うことで
悩んでますけどね」
その言葉と笑顔に、私の悩みもふっとびました。
(竹内祐司 42歳 会社員)

「いつかいい風邪が吹いてくる」

人生というものは、楽しいことばかりではありません。歯を食いしばったり、苦い
経験を積み重ねていかなければならないとkもあるでしょう、。私が落ち込んで
いたとき、友人が言った言葉が印象に残っています。
「人生悪いことばかりじゃないさ。少し我慢すればいいのさ!気を急がせるから
焦るんだよ。ゆったり身構えていればいいんだ。いつか自分に都合のいい風が
吹いてくるだろう」
そんな何気ない一言で、僕は安心しました。
(奥村信一 30歳 フリーター)

「期待しています」
祖母との思い出を綴った投稿が採用された。妹と弟に見せると、
「文才があるのでは」と言われました。叔母に見せると、その雑誌が欲しいと
言われ送りました。
すると後日ハガキが来て、「先日の投稿はムダのないいい文章で、今後を期待
しています」と書いてありました。とても嬉しく励みになりました。これからもコツコツ
と頑張ります。
(川口聡美 41歳 無職)

「日本より頭の中の方が広い」
悩んだり、悔やんだりしていることが実にチッポケなことに思える不思議な言葉。

夏目漱石の小説『三四郎』から拝借した言葉。大学に入るため、熊本から上京
する主人公の三四郎に、列車の隣の席のヒゲの人物が、語りかけてくる。やがて、
三四郎がはじめて、目にするはずの富士山について、日本にはあれしか自慢する
ものがない、ところが富士山は天然自然に昔からあったものだから仕方がないと
日本人らしからぬことをいう。
三四郎が、「日本も段々発展するでしょう」と応じると、ヒゲはいきなり、「亡びるね」
と断言してニヤニヤしている。そしてさらに、こういったのである。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より・・・」と、ここで言葉を切り、
三四郎が耳を傾けているのを見ると、さらに言葉をついで、「日本より頭の中の
方が広いでしょう」と言った。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓
の引き倒しになるばかりだ」
小・中学生の頃から漱石を読んできたけれど、『三四郎』のこのくだりは、何かある
たびに、スッと自然に頭に浮かんでくるのである。

会社の中の人間関係にしても不快なこと、思うにまかせないことがあるたびに、ヒゲ
の人物の言葉を「会社より頭の中の方が広い。狭い社会の人間関係に囚われて
いたんじゃ駄目だ」とおきかえたりした。そうすると、悩んでいたり、悔やんでいた
ことが、実にチッポケなことに思われてきて、新たな展望が開けるのだった。

もちろん、すべてがうまくいったわけではないけれど、この言葉はいつだって、暗い
山道をあえぎながら登って、峠の上に達した瞬間、パット視野が開け、青空を
翔ぶような気分に、昔も今も、してくれるのである。まことに見晴らしのいい言葉だ。
(轡田隆史 1936年生まれ ジャーナリスト・エッセイスト)

─『PHP 2006年2月号』PHP研究所より

■ちょっとしたやさしい言葉(相手を思う言葉)が相手を励ませる。
日ごろの人への心構えが大切。

慰安婦問題について、知らなければいけない事実がある。いつまでも被害者意識では、韓国人の 良識が疑われる

2017-05-12 17:35:36 | 社会
1 軍専用慰安所にいた慰安婦の総数は一万数千人。

2 民族別では慰安婦は、日本人が最多、比率は、 
  四(日本人)/三(現地人、)/二(朝鮮人)/一(その他)と推定する。
  日本人が四割を占めるのに、韓国ではそのことをまったく取り上げず無視しているようだ。
  (後記述の韓国の教科書参照)

3 軍を含み官憲の組織的な「強制連行」はなかった。

4 戦地慰安所の生活条件は平時の遊郭と同じレベルだった。

5 慰安婦の95%以上が生還した。ちなみに日赤従軍看護婦の死亡率は4.2%。

6 名のりでた慰安婦たちへの生活保護は、他の戦争犠牲者より手厚い。韓国では
  「五重取り」する例も出た。
                    (『慰安婦と戦場の性』 泰郁彦 新潮社 1999参照)

泰郁彦氏の調査資料研究の結果の事実である。─『昭和史20の争点』(泰郁彦著)より

まず、従軍慰安婦という呼び方がおかしなことになっている。
韓国では「挺身隊」と使っているが、大東亜戦争末期の労働奉仕団体の呼び名と「慰安婦」と
混同している。
挺身隊は、勤労挺身隊、農村挺身隊など数種あり、男女の区別なくつけられた名前で
従軍慰安婦を挺身隊とみなすことはできない。韓国では、売春婦という職業のニュアンス
を薄めてくれるから勝手に使っているようだ。
韓国の関係者たちも挺身隊と慰安婦は全く異なることを知っている。しかし、純潔イデオロギー
から、「慰安婦ハルモニ」と呼べなくて、侮辱と考え、「挺身隊ハルモニ」と呼んでいる。

1944年8月、朝鮮に女子挺身隊勤労令が下りたのは歴史的事実である。しかし、慰安婦
としてではない。挺身隊として朝鮮人に対して朝鮮総督府が強制動員したことは事実である。
韓国の団体は「挺身隊」と「慰安婦」を混同して使用することにより、無知な大衆に「慰安婦」も
強制動員されたにちがいないという推定を強要しているのである。
(金 完燮 김완섭、キム・ワンソプ記)

★  ★  ★  ★

■慰安婦は制度であり、その当時は、正統な軍の一部として機能していたのであって、
性奴隷という認識はなかったに違いない。オランダの飾り窓のように売春を正当とする時代
であったことを考えなければならない。現代は、その時代を振り返り、人権の立場から、その
意識も変わっている。現代から、昔の時代の体制などを悪だと決めるのは間違っていると
思う。

韓国の高等学校国定教科書は<日本軍慰安婦の実像>という題目で従軍慰安婦問題に
ついて記述しているが抜けていることがある。それは、慰安婦の四割は、前述のように日本人
だったにもかかわらず、その人権は全く無視している。日本人を除いて、アジア人が被害を
受けたとしているようだ。その記述を読んでいて情けなくなる。現実をきちっととらえていないのだ。
日本人も同じに扱われているのに自分たちだけが被害をこうむっていると思っているのが情けない。
日本人も日本政府の強制に被害を受けたのだ・・・

金 完燮(김완섭、キム・ワンソプ、1963年 - )氏は、『昭和史20の争点』(泰郁彦著)の中で
「証拠の有無を問わず、常識的に類推してみると、日本軍による慰安婦強制連行とは
話にもならないものである。なぜならば、軍部隊が多くの予算をかけて特殊慰安所を設置し、
軍人は高い料金を払ってここを利用したということ自体、外部に被害を与えないようにする
政策があったという証拠だからである。女子たちを強制的に捕らえて性奴隷とする軍隊ならば、
遠い朝鮮まで行って連行してくる理由はなかっただろう。そして、強制的に捕まえてきた
女子たちであるならば、料金を支払う必要もなかっただろう。」と説明される・・・

制度であるのに、韓国人が主張している点がやはり、被害者意識で、現実をとらえられていないのだと
思う。制度であっても慰安婦になるまでのあいだに、女衒にやくざが入り込んでいたり、斡旋に
おいて何らかの不備があり、ひどい目にあった方もいるかもしれない。しかし、軍用慰安所
へ来るまでの管理はできなかっただろう。不備はあるが、その後の管理で、奴隷として
扱ったのではないということだ。全体としてのとらえかたが、奴隷のような仕事、立場、そうせざる
得ない体制が奴隷と同じだ、と見るのかもしれない・・・しかし、それは、その時代の体制が人権の
とらえ方がちがっているのであり、現代にもってきて、それを罪とするのは現実をよく見ていないと
いわざるをえない・・・ 日本人の心ある人は韓国人の気持ちは充分承知している・・・

人間の人生のテーマは、共存共栄である。互いの命を助けるだけでなく、その繁栄もお互いに協力
する。そして、美しい姿というのは、朝鮮人の高史明(コ・サミョン)氏が『生きることの意味
 ある少年のおいたち』(ちくま文庫)で語っている、彼が半生でつかんだ「やさしさ」(相手を
思うこと)なのだと思う。
日本人を見境無く糾弾せず、日本以外の他の国の思惑のまま、スパイやマスコミの悪意に踊らさ
ることなく、他者への愛を育ててほしい。