シナやインドの学者のいうように、東洋では、何事も人格の完成ということに
関係させているが、西洋では、科学は科学のため、藝術は藝術のためなどと
いって、そのものの独立性をやかましくいう。日本などでも、人間のやること
は何でも──生花でも剣道でも、踊りや謡でも、何でも──人格の向上と
いうことに関係させるのである。画家にしたところが、胸中万巻の書がなくては
駄目だという。西洋の美術にそのような注文をつけるものはあるまい。ここに
東洋と西洋との相違があるといってもよい。
─『新編 東洋的な見方』鈴木大拙著 岩波文庫
日本では、野球道とか相撲道という。「心・技・体」などという。技を極めることに
人間の心のあり方が問われているようだ。私も柔道をやったが、技を研究しながら、
自分の生き方を考えていた。
柔道には、加納治五郎大先生の柔道原理がある。
精神力最善活用と自他共存共栄という理念だ。
自分の体の力と精神を最善に使うということと、他者を生かしていくということである。
そして、柔道を稽古する目的は、「己を完成し世の捕益となす」ためにというものだ。
単なるスポーツではなく、人間形成の道徳教育と結びついている。
人格の完成ということは、個人の問題でなく、他者とどうやっていくかという問題では
ないだろうか。周りの人とうまくやるには、人間ができていなくてはならないし、
人間社会全体のあり方を考える上でも人格の成長のある人が必要だ。
これは、東洋というより、日本の特質のようにも思える。
戦後は、日本のこういった精神性を解体するようにGHQなどが動いた。
米国の娯楽などを入れ、3S政策(スクリーン、スポーツ、セックス─数学者岡潔氏
指摘)を通じ、日本精神をなくす取り組みがされた。戦後の米国の娯楽がたくさん
入ってきていたのはそういう意図があってのことだ。また、政治に関しても独立して
日本がやっているようにみせかけながら、指導していたのである。
最近、年次改革要望書なるものがずっと日本に米国が出されていて、指導していたことが
わかった。電電公社の解体や、国鉄の解体、郵政局の民営化も米国の指導によるものらしい。
細かいところにも指示していて、高速道路へのバイクの交通許可なども米国の指導だとも聞く。
マスコミ、テレビの王手は、株を20%くらいは外資にとられているという。番組への
指導もありそうだ。NHKには、内部にGHQからの番組をチェックしている米国系の
部門がいまだあるとも聞く・・・
しかし、日本人は野球にも道をみて、日本精神にある、「明き、清き、直き、心」をめざす
道は失っていない、会社で働くことにも道を見つけていた。日本人の血に流れる
精神は米国にどうすることもできるものではない。
日本人の資質を改めて問い直して、日本人の誇りを取り戻す時期に来ているのかもしれ
ない。若い人の一部が米国の文化をただ取り入れていたりするとちょっと悲しくなる。
よいものは、取り入れても日本の形に変えていってほしい・・・
日本人というアイデンティティー(主体性)を失わないでほしい。
関係させているが、西洋では、科学は科学のため、藝術は藝術のためなどと
いって、そのものの独立性をやかましくいう。日本などでも、人間のやること
は何でも──生花でも剣道でも、踊りや謡でも、何でも──人格の向上と
いうことに関係させるのである。画家にしたところが、胸中万巻の書がなくては
駄目だという。西洋の美術にそのような注文をつけるものはあるまい。ここに
東洋と西洋との相違があるといってもよい。
─『新編 東洋的な見方』鈴木大拙著 岩波文庫
日本では、野球道とか相撲道という。「心・技・体」などという。技を極めることに
人間の心のあり方が問われているようだ。私も柔道をやったが、技を研究しながら、
自分の生き方を考えていた。
柔道には、加納治五郎大先生の柔道原理がある。
精神力最善活用と自他共存共栄という理念だ。
自分の体の力と精神を最善に使うということと、他者を生かしていくということである。
そして、柔道を稽古する目的は、「己を完成し世の捕益となす」ためにというものだ。
単なるスポーツではなく、人間形成の道徳教育と結びついている。
人格の完成ということは、個人の問題でなく、他者とどうやっていくかという問題では
ないだろうか。周りの人とうまくやるには、人間ができていなくてはならないし、
人間社会全体のあり方を考える上でも人格の成長のある人が必要だ。
これは、東洋というより、日本の特質のようにも思える。
戦後は、日本のこういった精神性を解体するようにGHQなどが動いた。
米国の娯楽などを入れ、3S政策(スクリーン、スポーツ、セックス─数学者岡潔氏
指摘)を通じ、日本精神をなくす取り組みがされた。戦後の米国の娯楽がたくさん
入ってきていたのはそういう意図があってのことだ。また、政治に関しても独立して
日本がやっているようにみせかけながら、指導していたのである。
最近、年次改革要望書なるものがずっと日本に米国が出されていて、指導していたことが
わかった。電電公社の解体や、国鉄の解体、郵政局の民営化も米国の指導によるものらしい。
細かいところにも指示していて、高速道路へのバイクの交通許可なども米国の指導だとも聞く。
マスコミ、テレビの王手は、株を20%くらいは外資にとられているという。番組への
指導もありそうだ。NHKには、内部にGHQからの番組をチェックしている米国系の
部門がいまだあるとも聞く・・・
しかし、日本人は野球にも道をみて、日本精神にある、「明き、清き、直き、心」をめざす
道は失っていない、会社で働くことにも道を見つけていた。日本人の血に流れる
精神は米国にどうすることもできるものではない。
日本人の資質を改めて問い直して、日本人の誇りを取り戻す時期に来ているのかもしれ
ない。若い人の一部が米国の文化をただ取り入れていたりするとちょっと悲しくなる。
よいものは、取り入れても日本の形に変えていってほしい・・・
日本人というアイデンティティー(主体性)を失わないでほしい。