ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

ゲーテが『ファウスト』の冒頭で(「天上の序曲」において)言い あらわそうと試みたもの、神の壮大な見方 

2018-03-15 19:01:16 | 人生の生き方
悪の起源や、もともと悪がどういう根拠を持っているかといったことを考えめぐらすことは、
無用なことである。しかし、神がこの点について、われわれ人間よりか、はるかに壮大な
見方をしておられること、ゲーテが『ファウスト』の冒頭で(「天上の序曲」において)言い
あらわそうと試みたものにおそらくはほぼ近い見方を取っておられることは、確実と見て
よいだろう。

いずれにしても、神は、人間のたましいが、自由な決断によって善に就くことを、
望んでおられるのである。

恐怖や強制の国を、神は望みたまわぬのである。

それゆえ、悪は、常に可能たらざるをえないのだ。従って人間の試み得べきことは、
はたして悪によって幸福になれるものであるかどうか─これは経験上、不可能なこと
である─、善によって悪を克服するかできるかどうかである。
それゆえ、ヘブライ語の聖書原典にだけある聖書冒頭の意味深き一句にも、あらゆる
罪はそれ自身を克服することを求めている、と言われているのである。
〈書簡集『人間をそだてる芸術』 「神の国はどうして来るか」)

─『希望と幸福ーヒルティの言葉ー』秋山英夫訳編 社会思想社 現代教養文庫

■神はその解釈が現代では宇宙の法則、自然の法則として置き換えられる。
神=宇宙の法則と置き換えてとらえるとヒルティなどの教訓も考えると見えてくるものがある・・・
人間の個々の見識が大きく広がってきて、神としていた、何か人間には理解を超えるものは
現代では、宇宙の中に存在する法則となっていると理解すべきだろう。だからと
いって、過去の唯物論のようなものではなく、異次元が存在する,霊界が存在する
しかし、その世界も宇宙の法則の前では従わざるを得ないものとしてとらえるべきだろう。
霊界からの通信でその状態を語っているものがある・・・

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