ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

邂逅(偶然の出会い)の歓喜あるところに人生の幸福がある      亀井勝一郎

2016-09-28 18:10:36 | 知恵の情報
もしこのとき、この人(あるいは書物)に会わなかったならば、自分はどうなっていた
であろうと思うことがある。そこに生ずるのは謝念である。人生に対する謝念とは
邂逅の歓喜である。たとい貧苦病身災難のうちにあろうとも、邂逅の歓喜あると
ころに人生の幸福があると私は思っている。私はそれ以外の人生の幸福を信じ
ない。(『絶望からの出発』亀井勝一郎 大和出版)

邂逅(かいこう):思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。「旧友と―する」
謝念:感謝の心

この世の如何なる人であっても、望みの方向で一応の立場に達した場合、必ず
ふたつの条件が前提となっている。その第一は、とにもかくにも運がよかったから
である。その第二は、自分の素質を認めて引き立ててくれた恩人がいたことで
ある。あらゆる人は自分が悪運に引きずられなかった幸運を噛みしめるべきである。
そのうえで自分にとっての恩人に感謝しなければならない。謝念を忘れた人に
将来はないと見るべきではないか。(谷沢永一)
─『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2 
  谷沢永一著 PHP研究所より

過去を振り返り、内観してみるとき、私を助けてくれた人はたくさんいる。
思い返すそのつど、感謝せずにいられない・・・

内観:すべての事柄─自分をも含めて一切を客観的に考え、判断すること。

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1 コメント

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Unknown (高橋慶子)
2019-11-15 01:01:40
ニックネーム オギさん、 2019年 11月15日、感動でペンをとりました。はじめまして。高橋慶子と申します。今年3月満70歳になり 古希を迎えた老人です。 古希を迎えたんだと感じた時 正直 気分は悪くありませんでした。 人生を達観でき、人生の推も甘いも噛み分けることができる年齢に達したのだから と、得意にもなりかけました。 ところが最近 自分自身に対しての失望感に襲われる出来事があり、以来毎日言葉にならない寂寥と向き合い味わっています。そして思いました。これまでの70年の人生を価値あるものにし、もっとも輝かせたのは一体なんであったか と。 すぐにわかりました。[邂逅]です。若い時に 亀井勝一郎さんの[人生は邂逅なり]に出会い、以来私の脳裏から消えたことはありません。 毎日の寂寥から抜け出したい と 思っていた時 突然もう一度その言葉に出会いたいと思い、さがしましたらここに導かれました。物凄い感動でした。 私はまだまだ学べる、まだ学びたい気持ちがある、そんな気持ちになれたこと、まさに素晴らしい[邂逅]でした。もう若い時のようではありませんが それでも残された人生を再び輝かせたい、そんな気持ちになりました。 感謝で胸がいっぱいで、言葉が要領を得ませんこと どうぞご容赦くださいませ。 
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