ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

『吾輩は猫である』夏目漱石──を例にして繰り返し読むことを考えてみる

2016-06-08 19:07:35 | 読書

 

渡部昇一さんが『渡部昇一の 人生観・歴史観を高める事典』(PHP研究所)という
変わった本を出しています。とても感銘を受ける内容ばかりですが、今日は、本を繰り返し
読む大切さについて触れているところを少し紹介してみます・・・

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繰り返し読むということの大切さ
私が特にお勧めしたいのは、繰り返して読むということです。というのも、一回読んだら
もう読まないという方があまりにも多いように見受けられるからです。なにか、一度読んだ
ものをもう一度読むことは、損なことのように受け止めていらっしゃるのでしょうか。
しかし、本当はその逆で、繰り返して読むlことによって、その本ならではの味が分かって
くるのです。
      
繰り返して読むということは、筋を知っているのにさらに繰り返して読むということですから、
内容の細かいところやおもしろい叙述の仕方に注意が及んでいくということです。

実はそうしなければ、文体の質とか、文章に現れたものの背後にある理念のようなものが
感じとれません。その本の芯の部分や妙味を感じ取るには、どうしても再読・三読・四読・
五読が必要なのです。言い換えれば、反復によるセンスの練磨しかないのです。これは、
読書の質を高めるための必須の条件であり、本のすばらしさを本当に味わうための唯一
の方法なのです。

そこに新聞や雑誌を読むときとの大きな違いがあるのです。新聞や雑誌はニュースを知る、
つまり、出来事の筋を知ることにポイントがありますから、一度読めばいいのです。しかし、
読書は筋を読めばそれでいいというものではなくて、自分の精神形成に役立てるためにも、
その奥に流れる理念や哲学を読むことが必要になります。

また、読書の方法としてお勧めしたいもう一つは、昔読んだ名著を再度紐解いてみることです。

例えば、『吾輩は猫である』を考えてみましょう。
あの本を小学生か中学生の時に読まれた方は多いでしょう。しかし、それであの本は
もう読んでしまった本だと思ってはいませんか?

実は、あそこで交わされている会話は、当時、漱石宅の客間で、寺田虎彦や森田草平や
小宮豊隆や野上豊一郎などを相手にして、実際に漱石がしゃべっていたのと同一水準のもの
なのです。それをそんな人生経験の少ない年頃に読んで、その会話にぞくぞくするような
知的快感を感じることができるでしょうか。

「主人は好んで病気をして喜んでいるけれど、死ぬのは大きらいである。死なない程度に
おいて病気という一種のぜいたくをしたいのである」

「女はとかく多弁でいけない。人間も猫ぐらいの沈黙であるといい」

「のんきと見える人も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする」

「金を作るにも三角術を使わなくちゃいけないというのさ・・・義理かく、人情かく、恥をかく
是で三角になる」

「芸術というのは自己の表現に始まって自己の表現に終わるものである」

これらは、同署の中の警句(フレーズ)のほんの一部分に過ぎませんが、やはり人生経験
をそれなりに積んだ時に、「なるほど、うまいこと言うなあ」と感ずるのではないでしょうか。
ですから、以前愛読したといっても、もう一度紐解いてみるということが、読書において
欠かせないと思うのです。(渡部昇一)

            


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そういえば、茂木総一郎さんが、『吾輩は猫である』の本を小学校のときに肌身離さず
持っていた、とご自身の本に書いていたと思う。その理由は、漢字がたくさん入っていて
これを読んでいれば漢字が身につくと思っていたという。ちょっと面白い動機だったので
覚えている。この本の内容のコメントは、どうだったか、覚えていないが、私には、
量が多すぎて手に余って今日まで来ている。ときどき拾い読みをするが飽きてしまった。
渡部氏の指摘する点を頭において読み直してみると面白いものが見えてくるかもしれない。




(エル・ラファエルライエル─曾子─豊臣秀吉─夏目漱石)