ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

「春のワルツ」に癒される

2016-04-30 17:40:13 | 日記
 

「冬のソナタ」のチェ・ジウとパク・ソルミさんのことを書いたら、「春のワルツ」がみたくなり、
ビデオを見直してみた。タイトルバックの音楽がなにか、癒される感じがした。同じユン・ソクホ監督の作品だ。
彼の四部作は有名だが、私は、この「春のワルツ」が好きだ。出てくる人物が多くなく、また、自然の
中に役柄が入り込んでいるような感じがする。島で育った貧しい環境の幼馴染が幼い恋心を持ちながら
心臓病の少女の手術のことからある事件が起こり、別れてしまう。何年もたって、偶然に出会って、
その事件の真相がわかる。そして、そこに恋愛が絡んでいく。

ユン・ソクホ氏の才能だと思うが、人物をながめているカメラが映す空気のようなものが情緒として
感じられる。静かなカメラの捕らえ方のせいなのだろうか。
島の屋根の色など、カメラに入る風景に現れるものは、自分の感覚で選んだ色に塗り替えたしている。
部屋の色の配置を観察してみると、確かに、バランスをとって色を選んでいるのがわかる。
地味な感じの場面でもその色の構成のせいか、すっきりした感じがする。
風景に主人公たちの感情をのせるように写して表現するというのを以前に淀川長治氏が本に書いていた。
確か、例として、北野武監督の作品「あの夏、いちばん静かな海。」の波への感情移入のようなことだったと
思う。ユン・ソクホ監督の作品にもそれがあるような気がする。この作品を見直していると気持ちが
安らぐ気がする。「トンイ」を演じたヒロインのハン・ヒョジュさんの自然な穏やかな魅力もあるだろう。
作品の内容は、主人公たちの感情の変化を描いているが、見慣れてくると、それを冷静に見つめながら、
画面全体を気を休めながら見ている・・・

騒がしい町の出来事ではなく、どこか、ローカルな地方の地域で起きている、静かなドラマだ。
私は、その雰囲気が味わいたくて、時々この「春のワルツ」を見直したくなる。

    


チェ・ジウ、パク・ソルミのダイエット法とブドウ糖

2016-04-27 17:34:19 | 知恵の情報
「冬のソナタ」でおなじみのお二人だが、日本でも少し前にテレビでプライベートの話を
拝見する機会があった。そこで、自分たちの体型を維持する方法を話されていた。
じつに簡単な方法だった。

チェ・ジウさんは、とにかく「歩くこと」だった。必ず一時間以上は、歩くそうだ。あとは、なにも
されていない、とそのときは、語っていた。
パク・ソルミさんは、「体を震わす」方法だと話されていた。壁に背中を当てて、長座から、
足をひざをくの字にして、ももを震わす。また、立って、腕、体を震わす。それを
確か三分くらい、を一セットとして、やるのではなかったかと思う。。

いろいろなダイエット法がはやっているが、より簡単な方が続けやすいし、体にも
無理がかからない。仕事自体がハードで太る暇がないという場合もあるかもしれないが
このお二方のあまりに、体型維持の方法の簡単さには、驚いたものだ。

最近は、糖質ダイエットもはやっているらしく、テレビでよく耳にするが、これは、どうなのだろう。
分子生物学という分野があり、三石巌氏がたくさん本をだしているがそれを読むと糖分の取り方
について警告している。砂糖は、脳の働きをよくするために欠かせないものらしい。

以下、三石氏の文を引用してみる・・・

脳が必要としているのは、ただ一つ、ブドウ糖だけなのだ。砂糖は、そのブドウ糖の有力な
供給源になる。だから、頭を使う仕事をしている人や受験生は、積極的に砂糖を食べて
自分の「脳力」が全開になるようにすべきなのである。
ブドウ糖が不足していると、それを補うために肝臓がブドウ糖を作り始める。糖新生と呼ばれる
働きである。その際、骨格筋から取り出されたタンパク質が材料として使われる。それを
わざわざブドウ糖に変える。そのためには、多大なエネルギーが消費される。エネルギーが
大量に発生すれば、活性酸素も大量に発生する。それを避けるためにも十分なブドウ糖を
摂取しておく必要がある。
ブドウ糖の供給源は、砂糖だけではない。即効性では、砂糖がベストだが米や、パン、などが
持っているデンプンもブドウ糖を含んでいる。
とくに朝は、ブドウ糖を十分に含んだ食品を食べなければならない。朝食を抜くなどもっての
他だ。そんなことをしたら、、いわば、「脳死」状態で仕事や学校に出かけていくようなもので
ある。頭がボーッとしたままスタートしたのでは、ろくな一日にはならない。(三石巌)

これを読むと、芸能人のオードリーの春日さんなどは、ボデイビルなどで糖質を制限して
いたのでは、なかったか。たんぱくだけとっているような話だったと思う。その結果として
か、それをやってから、頭の働きが悪くて、ボーッとしていると若林さんと笑いに持っていって
話していたが、危険な気がする。ボデイビルダーの人で、突然死した方が以前にいたが、
変な理論に従ったやり方は、やめたほうがよい。

この頃は、日本で、砂糖がよくなくて、糖分控えめが、常識になっているが、どうも変に
思う。ケーキでも、和菓子でも、甘さ控えめがよいと思い込んで、幸せそうな顔をしているが
違うのではないか。私は、アイスコーヒーが好きだが、販売されているものが最近では、
甘さ控えめでちっともおいしくない思いをしている。三石氏は、「そんなに頭を使いたくない
人が多いのだろうか」かと疑問を呈している。

「砂糖が体に悪い」という説は、実は、ケネディのキューバ危機で、キューバ経済が砂糖の輸出
に大きく依存しているために、それを海外に輸出させないように米国がでっちあげたものなのだ。
砂糖を罪悪視している医学論文をケネディのスタッフは躍起となって、捜し、何ら、科学的
根拠のない粗雑な論文を使った。その結果、ケネディサイドのキャンペ-ンは見事に世界に
広まっていった。医療畑の三石氏が明言しているのだから事実だろう。
政治が温暖化問題で二酸化炭素を悪玉にでっち上げたのと同じように科学を捻じ曲げた例だ。

─『医学常識はウソだらけ  分子生物学が明かす「生命の法則」』
  三石巌著 クレスト社 参照








 山村暮鳥 いちめんのなのはな 

2016-04-25 16:55:57 | 日記
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしゃべり
いちめんのなのはな


─風景 純金もざいく 山村暮鳥 弟二連より
 
この詩は、出会ったときにとても印象的な感じだった。ひらがなの言葉なのにそれが
菜の花に見えた。字面を追っていくたびに菜の花がみえてくる・・・
面白い作り方だ。彼の思いつきなのか、言葉の写生の極致なのだろうか・・・
これは、絵だ。


春の河

たっぷりと
春の河は
ながれているのか 
いないのか
ういている
藁くづのうごくので
それとしられる

─「雲」より





おうい 雲よ
ゆうゆうと
ばかに のんきそうじゃないか
どこまで ゆくんだ
ずっと 磐城平のほうまで ゆくんか

─「雲」より









ユダの思い違いについて───フランコ・ゼフェレリの「ナザレのイエス」より

2016-04-23 18:57:35 | 日記
「ナザレのイエス」は、長い映画だが、この中で、ゼフェレリのユダについての解釈にとても
興味がわいたのを覚えている。そこから、少し考えてみたい・・・

弟子のなかでも優れて理性的であり、ペトロと並ぶリーダー格の存在であったとも言われる
ユダは、決してイエスを憎んでいたわけではなかった。師としてとらえていたのだ。
彼は、イエスの奇跡や、話など、弟子として、その教えに感動していた。そのため、イエスを
多くの人に知らしめたいと思っていた。しかし、師の説く愛に不満もあった。
それで、ある演出を考えていたのだ。ユダが、時のローマの管理者に密告すれば、たとえ捕まっ
ても、師イエスは、その偉大な力を持ってそこから逃れるだろう。そうなれば、それこそ、
世界にその威厳を知らしめることができる。ユダは、そう考えた。そうして、その計画を実行した。

最後の晩餐のとき、ユダはその考えにとらわれていた。そのため、うつろな自分だけの世界に
入り、イエスが、「私と同じ器から、食べた者が裏切る」と話していて、つぎつぎに弟子が
「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出したが、ユダが「あなただ」といわれても
それを信用しない様子で、気づいていなかった。
ゼフェレリは、気づいていない、その映像をなにかが掛け違っているような、不思議な感じで、
表現していた。(ダ・ヴィンチをはじめ多くの画家がこの場面の表現しているのは、圧巻である
それをうまく取り入れていた。)
そうして、イエスは、ユダのせいで貼り付けになった。ユダは、自分の思惑と違った事態になり、
イエスが罪に定められたのみて、後悔し、金を返したが、結局、首をつった。

この、ユダの思い違い、というものは、自分たちの生活のうえでもあることだと思う。
この場合、「人間のあり方」というものに目を向けていないといえないだろうか。

イエスは、個人個人の救いのために出てこられたのであり、有名になるためにでてきたのではない。
一見、有名になり、多くの人が知り、イエスの教えが伝わる機会がふえる、とてもよいことでは
ないか、となるだろう・・・
しかし、そこには、ユダの心には、サタンに入られたとしても、有名にさせようという虚栄心がある。
また、イエスの説くことを理解せず、なんとか、広めたいという欲望、執着がありはしないか。
イエスがおっしゃる「隣人愛のもたらすもの以外の感情をとりさらなければ、天国からの使いも
神もみることは、できない」ということをなしていない。心の清い人たちのやるべきでない
ことをユダはしてしまった。


人工地震を客観的に考えてみる

2016-04-22 18:45:17 | 政治
連日、熊本地震の大変なニュースをみていて、思い出したことがあった。
3・11東日本大震災の後、2011年7月11日衆議院復興特別委員会で、浜田和幸政務官が人工地震の
存在について認めていたことだ。私は、そのとき、とても驚いた。月刊「ムー」などで時々、
取り上げていたので、信憑性はどうなのだろうと思っていたが、まさに存在していたことを確認
できたのだ。

そこでは、3・11がその気象兵器のせいだとは、言わなかった。もし、そうだったとしても国際問題に
なるし、言えなかっただろう。私の頭には、そのときから、気象兵器なるものを意識するようになった。
そういえば、3・11の地震もそれまでの地震とは、体感で変な気がしたのを覚えている。
3回も定期的に大きなゆれが起きたり、震源地が何箇所もあったり・・・電離層の状態が変だったり。
ネットや研究書などみるとかなり、推測できるが、ここでは、この気象兵器は、戦後から、当たり前の
情報として、新聞に出ていたことを取り上げてみたい。

1953年9月13日・読売新聞    夕刊3面 「人工地震で九名ガス中毒 釜石」
1955年9月21日・朝日新聞12版・朝刊7面 「四ヶ所で原爆実験計画」
1955年9月21日・朝日新聞12版・夕刊3面 「原爆による人工地震計画」
1955年9月21日・読売新聞14版・朝刊7面 「人工地震と原爆」
1956年12月5日・読売新聞    朝刊7面 「最大の人工地震成功 茨城 ふきあがる地下水6本」
1957年8月26日・読売新聞    朝刊7面 「震度5で大成功 今晩、茨城で人工地震」
1957年9月7日 ・読売新聞    朝刊7面 「原爆で人工地震 ネバダで14日に初実験」
1958年6月17日・読売新聞    夕刊5面 「人工地震で落盤三十人が生き埋め」
1961年11月10日読売新聞   朝刊11面 「深夜の人工地震 新潟で本土横断の地殻構造を調べる」
1965年3月31日・読売新聞    夕刊3面 「人工地震 日本列島は生きている 気象兵器で地下の
                             構造を探る注目の海洋実験」
1975年6月20日・読売新聞    朝刊7面 「恐るべき環境・気象兵器 米ソで研究着々」
1984年3月12日・読売新聞   朝刊22面 「人工地震大きすぎた! 新幹線のダイヤ乱れる 震度1の
                             予定が4~5」

注1:1970年代 米ソは気象兵器での攻撃をお互い避けようと協定を結んでいた。
注2:エリツィンが大統領になり、エリツィンと当時のアメリカ大統領が会ったときに、地震兵器をアメリカに
   高値で売るそれで資金に、今まで開発した地震兵器のデータをアメリカに譲るということが新聞に
   でているそうだ。
注3:国が認める人工地震!2011年7月11日衆議院復興特別委員会で浜田和幸政務官
   https://www.youtube.com/watch?v=sfr6NoMEZYk
   http://ameblo.jp/hamada-kazuyuki/entry-10975299669.html
   (気象改変装置と冷静に言葉をえらんでいる・・・)
注4:これ以外にもでているようだ。興味のある方は、調べるとよい。

─泉パウロ氏の資料から


こんなに出ていて驚いた。これだと、ロシアも米国も完全に兵器として持っているし、現在だったら
改良が進んでいるにちがいない・・・最初は、原爆で、その後いわゆる電磁波兵器の改良に進んで
いるようだ。(米国のケーブルチャンネルの番組でも取り上げているのでびっくりである)
ネット、研究書などからみると、どうも政治の駆け引きにも使っているようだ。
ロシアと米国では、協定でお互い使わないようになっているらしいが、果たして使わないだろうか・・・
だれが使ったかわからないようにみせかけられる兵器に思えるし、使わずには、いられないのではないかと
思う。日本などの地震国で、使われたら、それによる誘発も考えられるし、自然の地震と見分けがつかなく
て、自然の地震に慣れている日本人には気がつかないにちがいない。
確か日本の大学でも人工地震は研究されていると思い出した。HAARP兵器と同じ形の
ものが東北あたりの大学で研究されていたはず・・・


棟方志功 真実を生み出す生き方

2016-04-21 18:49:36 | 知恵の情報
 

この間も、私の版画のにせものができたといわれましたので、私のものとにせ物と
合わせてみると、どうもにせ物のほうが上手ですね。とてもうまいのです。
非常によくできていて私のをみると汚くて阿呆らしくて、とてもみられないのです。
それでそばにいた人が、
「じゃ汚い方があたなのですね」というから、
「そうです」といったら、
「そうですか、汚い方が本物だなんて面白いな」と笑ったのですが、
むきになって彫っていたり、刷ったりするから、職人の方は別にこれ一枚刷って後世に残るとか、
これが一枚国宝になるとか思いません。また私たちも別にそれほどの考えはありませんが、私たち
の考えと、つまり、職人の考えとは全然別なのです。

職業的な願いと、版画家としての想いというのは違いがあるのでしょう。
それで、絵が全然きれいなのです。職人の人は軽くなでてもくろぐろと刷りができます。
けれども私はむきに刷る、汗をながして刷るので、紙の裏まで墨がとおっています。
ですから、裏が真黒に汚れているのが棟方で、きれいなのがニセ物です。

それで、おかしいな、きれいなのが本ものだろうに、汚いのが本物というのは初めてだ、
などといいますが、そんなものなのです。あまり上手になるとかえって不思議なものになるのです。
上手にならないということが、ある程度必要なのですね。
─棟方志功「大乗涙」浅草寺七七号より

これは仏画の版画家として世界的に著名な棟方志功氏のある講演速記の一部である。
棟方氏の版画だけでなく、すべて本物の芸術というものは決してきれいなものではない。
しかし、それでいて人の魂を打つ。そこにはひたむきな人間的な誠実さがあるからである。
ゴッホもセザンヌも、初めの作品はヘタクソな絵として世間からは、見向きもされなかった。
(『一日一言 人生日記』古谷綱武編より)

イエスの山上の垂訓もしっかり記憶しておこう

2016-04-20 17:31:48 | 知恵の情報
 

ブッダの八正道につづいて、イエスの山上の垂訓も冷厳なる真理である。
これも、しっかり脳に記憶しておくべきものだと思います。

聖書の時代といわれるころの人の意識は荒く、無知や闘いしか
知らぬ無骨な者が多かったといわれています。
野蛮な行為や、学者であっても、律法にしばられ、戒律で人を
裁く。分け与える愛や、平和を求める柔和な心、慈悲心、許す心
などの気持ちの知らぬものでした。

そのために、イエスは、神の国を作るためにはどのような人が
相応しいかを悟らせるために、山上の垂訓を説いています。
宗教流派には関係ありません。ブッダの八正道も、山上の垂訓も
太陽系・第三惑星の地球人としての遺産と呼べる真理です。
この内容を頭に叩き込み、日常の生活で、あらゆる場面で思い起こし、
よく考え、行動し、自分を成長させるべきだと思います。
   
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

{山上の垂訓}

心の貧しい人たちは幸いである。
 天国は彼らのものである。

悲しんでいる人たちは幸いである。
 彼らは慰められるであろう。

柔和な人たちは幸いである。
 彼らは地を受けつぐであろう。

義に飢えかわいている人たちは幸いである。
 彼らは飽き足りるようになるであろう。

憐れみ深い人たちは幸いである。
 彼らは憐れみを受けるだろう。

心の清い人たちは幸いである。
 彼らは神を見るであろう。

平和をつくり出す人たちは幸いである。
 彼らは神の子と呼ばれるであろう。

義のために迫害されてきた人たちは幸いである。
 天国は彼らのものである。

─マタイによる福音書より抜粋


・心の貧しき者とは、謙譲なる心の持ち主で高ぶらぬ心、おごらぬ心を指します。
 己を高しとする心や行為に天国はなく、天国を見ることもつくることもできない。

・悲しみや、苦しみ、悩みのある人は、人によって慰められなければ、天国からの
 霊によって、また、導きによって救い出され、慰められる。

・心の柔和な人、おだやかな人は、地上におけるよき支配者となり、人の心を良く
 導く者となるだろう。

・義に飢えかわいている者とは、正義を求める人で、そのようなものはないと
 絶望していても、きっと天も人も、その人を満ち足らせるだけの正義が地上にも
 あるということを、その人に知らしめるでしょう。

・憐れみの心を多く持つ人、これは慈悲の心から出るものです。そして、その人が
 苦境に陥ったとき、人から憐れみを受けるでしょう。

・心の清い人だけが、神を見ることができる。すなわち、うぬぼれや、自我、増上慢、
 自己顕示、憎しみ、姦淫、平和をこわすもの、その他すべて、人間として持っている
 隣人愛のもたらすもの以外の感情をとり去らなければ、天国からの使いも、神も
 見ることはないであろう。

・平和をつくり出す人は、もちろん、地上に神の国をつくるのです。それゆえ、真の
 神の子と見なされる資格があるのです。

・正義の心を持ち、信念を持ち、正しい事のために迫害を受けた人びと、キリスト教では
 多くの殉教者が出ましたが、それのみでなく、他の正しい思想のためにも人から誤解を受け、
 迫害された人びとはすべて、天国に来るべき人であり、また、天国を代表する人たちです。
 なぜなら、自己を犠牲にして、他に尽くす愛の心がそこにあるからです。

─イエス・キリスト



ブッダの八正道を人生のテンプレートとして使う

2016-04-17 16:57:43 | 知恵の情報
 

ゴータマ・ブッダは出家から、苦行を経て、それを捨てた。
その後の禅定で得た境地、中道から、八正道を考え出した。
現代の私たちが、見習うのは、苦行をして、悟ることではない。
ブッダが得た境地から、悟った八正道を手本として生きることだ。

コンピュータ時代で例えれば、テンプレートとして八正道を利用する
ことかもしれない・・・
使い方としては、まず、八正道をよく理解する。そして、完全に暗記する。
そうして、自分の人生、生活に悩んだり、いろいろなことで疑問に感じたとき、
八正道の項目にその問題点を照らし合わせてみるのだ。


正見(しょうけん)正しくものを見る。第三者の立場から事がらを見るのです。表面だけでなく、
   それに隠された真意を見るのが大切です。

正思(しょうし)正しくものを考える。思うことはその人の心を明るくするか暗くするかを決めます。
   思いやりの心を基に、正しくものを考えれば対人関係をよくし、自分自身の心も明るくなります。

正語(しょうご)正しくものを語る。正しくものを語るというのは、愛と慈悲のある言葉を語る、愛と慈悲を
   こめた語調で語るというものです。正しく語れば、調和をつくり出せます。

正業(しょうぎょう)正しく仕事をする。現代社会は分業によって成り立っています。自分の仕事を他の人、
   世の中への奉仕と考えれば、公害、貧富の差もなくなり、社会全体の調和へと繋がります。

正命(しょうみょう)正しく生活をする。自分の長所を伸ばすことと、短所を修正することです。短所は、
   持って行きようによっては、すぐ長所になります。

正進(しょうじん)正しく道に精進する。社会関係のなかの調和です。人間関係のなかで自分を
   見つめ、考え、道に沿って生活する、ということです。

正念(しょうねん)人の一念は三千の世界に通じ、それに応じて物をひきよせます。類は友を呼ぶのです。
   ですから、正しく、にごりのない心で念じないと、悪友、悪霊がついたりするのです。

正定(しょうじょう)以上の七つのことをおこなってきたかどうかを、第三者の立場から反省すること
   です。そうして、過ちを見つけ、同じまちがいはすまい、と決意することです。

 ─ゴータマ・ブッダ

八正道は、”第三者の立場”から、相手の立場に立ってものを考え、行動する”思いやり”、つまり、
”慈悲”の心に根ざしているという。生老病死からの解脱法だけではない。

ブッダは、宇宙と個人とはおなじものである。同じ法則に従った生まれ変わりを永遠に繰り返すもの
である。これを科学の世界では、物質不滅、質量保存の法則といい、ブッダは、生まれ変わり、
死に変わる永遠の魂を持っていることを輪廻転生と名づけた。

また、太陽があらゆるものに変わりなくその光と恵みを与えるように、人間の心も慈悲の心で
満たされなければならない。

そして、人間や階級の差別を無くすために、人々は、お互いを尊敬し合って正しい判断のもとに
中庸の心で生きていかねばならないことを教えられた。

─エル・ピラッテラ



論理を鍛えるために漢字のドリルを使う!?

2016-04-16 17:07:00 | 知恵の情報
これは、「えっ?」と思われるに違いない。
私も学んでみて、なるほどと思って驚いた方法です。

論理を鍛えるには、数学で学ぶことができるが、それ以外に日本語でも学べるという。
それには、漢字を自由自在に使えることだというのです。

なぜか、それは、日本の近代化が関係しています。
江戸時代には、抽象的な考えを持たず、非常に感覚的だったという。
そのため、明治になり、西洋の思想を取り入れるとき抽象語の言葉を
2字の漢字に置き換えた。適当な漢字が見つからなかったときには、
そのまま、カタカナに置き換えた。
そうした理由で抽象語、論理語のほとんどが2字の漢語となり、一部は、
カタカナになった。
だから、漢字を習得するということは、論理語、抽象語を獲得することになる。
そのため、漢字ドリルでは、例文の中でその意味、使い方にも
こだわらなければならない。

漢字ドリル(文のあるもの)をぼろぼろになるまでやって身に着けたとき、
獲得した言葉が次々と文章中に登場し始めることに気づくだろう。
そうやって、生きた言葉を習得し、使い方を文章の中で学んでいく。
漢字問題集にその決意を形で示すことができる。
これは、出口汪さんの考えです。

私も、なるほどと思い、漢字ドリルをやってみている・・・


ミレー 芸術家の気概

2016-04-15 18:05:17 | 知恵の情報
 

おばあさん子、というのがある。
孫を盲目的に可愛がるあばあさんが、幼少時代の
環境に影響して、わがままで無気力な子供にする。

フランスの近代絵画の巨匠もおばあさん子であった。
しかし、そのおばあさんは、偉かった。
熱心なクリスチャンで、ミレーを膝に乗せては、いつも聖書の
物語をして聞かせていた。
深い愛情をもって農民の生活を描いた数々の傑作は、この幼時の
祖母の感化によるもので、画家になったのもそうである。

ミレーの絵が本当に認められ少し生活が楽になったのは、晩年の
1867年パリの万国博覧会で受賞してからである。
それまでは、サロンの美術展には落選する、貧乏につぐ貧乏で
あった。その頃、パリでは、裸体画が流行していたので、ミレーは
売れない風景画を一時やめて生活のために裸体画を描いたことが
あった。そういうミレーを少しでも楽にしてやろうと思って親切な人が、
パトロンを連れて来たことがある。

「裸体画を専門にやるなら買ってあげてもよい。君は好んで貧乏ぐらし
の絵を描くが、共産主義にかぶれて金持ちへの反感を現すものではないか」
とその金持ちは言った。
ミレーは、これに対して物静かに
「芸術の本当の価値は愛の心です。私が田園の農夫ばかり描くのは、
私がそういう純真な勤労を愛するからです。べつに他意はありません。」
ミレーはそう言って、金持ちの申し出の裸体画をきっぱりと断った。
そして、食うや食わずの苦しい生活を続けながら、人間愛の絵を
描いていったのである。

─『一日一言・人生日記・古谷綱武』参照、参考

(エル・パヌルエラ─ジョット─シニョレリ─ミレー)

彼の空間の表し方が私は、好きだ。ダ・ヴィンチの空気遠近法というのが
あるが、それに近いような空気が感じられる。こういう捕まえ方は、
やはり、才能だろう・・・

読書のコツ─立花式

2016-04-14 17:41:21 | 読書
 

『僕はこんな本を読んで来た』(立花隆著・文藝春秋)の本から私が気になったコツを
書き留めておいたものを紹介します。参考にしていただければ幸いです。


・スピードでめくっていくだけで、不思議に必要なところが目にとまる。(めくっていくことが重要)

・目がとまったらそこは、意識を集中してちゃんと読む。

・本当に重要なことは、どの本でも繰り返されているから自然と頭に入る。

・つまらない本は即座に読むのをやめる。(2割くらいはそうなる)

・買ってきた本は机の上に積み重ねる。同じテーマの本を数冊選んで来る。

・ひたすら読む。

・概説書を読む。読み飛ばす。一冊を読むと大体の輪郭がつかめるから二冊目からは、楽になる。

・精読しない。ノートもとらない。はじめから張り切りすぎると必ず途中で挫折する。ノートを
 とりながら精読したりすると2時間で読める本も二日もかけてしまうことになる。

・本は、はじめから終わりまで読むべき本と必要なところだけ拾い出して読めばいい本とある。

・絵のようにながめ、音楽のように読む。

・ノートに取る代わりにアンダーライン、ページを折っておけば良い。


使える方法は、参考にして、効率よく本を読みましょう。

心のうちに打ち立てられた 確信

2016-04-12 16:54:42 | 日記
愛するということと信じるということは同じ一つのものからでています。
愛は感情ではなく最上の理性のあらわれであるように、信じるということは
無条件の服従を意味せず、心のうちにうち立てられた確信をいうのです。

信じることにより人は苦悩や懊悩から逃れることができ、また、信義(うそを
言わず正しい道をまもること)により互いを守り、保護することもできます。
信義は、苦悩や懊悩を超え、害や悪を打ち負かすための防壁でもあり、
建設的な考えをもつ者の精神なのです。

信じるというのは、、内にこもるものではなく、それだけで外に向かって
出ざるを得ないものです。愛がその人を善へと駆り立てるように、
信もまた人を義(人がふみ行うべき正しい道理)へと走らせるのです。

       ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
 
人を信じることとは、その人の可能性を信じ同じ思いを知るものとして
対することです。時には、歪むことがあっても、その心の中に飛び込む
気持ちで忠告をすれば、必ず正しい道に戻ります。

人を信じることは、やさしい心と同じ、寛容な態度でその全人格、言葉や
行いを受け入れ、また、正しい方向に向くまで待つことです。勿論、
忠告をして待つので、その人の反省すべき点を指摘せずに待つことは
無意味です。

賢明な人には、穏やかに言葉を選び、はっきりと言わなければならぬ人には、
はっきりと。

しかし、忠告や助言に対して、反発心しかわかず、素直に受け入れがたい
独善的な人は、それ以上の向上は望めず、放置しておくしか仕方がありません。
プライドの高すぎる人も同じです。助言に柔軟に応じる人は、ますます人格が
幅広く円熟し、磨かれたものとなるのは言うまでもないでしょう。しかし、
勿論、柔軟なjだけでいつまでも賢明になれぬ者は、助言を真に受け入れたとは
言えません。

また、人を信じるとは、疑いながらその言葉を聞くのではなく、真直ぐな心で
受け入れることなのです。

人が偽りを言い、あざむこうとする時、それに気づくのは、遅くても構いません。
他の証言を得、あらゆる点から見て、あなたに真実を語らぬと分析的に証明
し得た時、はじめてあなたはその者を悪と断じ拒否すればよいのです。
その場合には、毅然として譲らずに。関係をたつことに未練を残さずに。
それまでは、お互いの善我を信じ、許しあいましょう。

─エル・ラファエルライエル参照、参考

このお話で、愛と信が同じものからでている、そして、心のうちに打ち立てられた
確信であるというのは、読んでいてはっとした。私は、そういう思いで、相手を
信じていただろうか・・・
相手の可能性を信じ、同じ思いを知るものとして対するというのも大切なことだと思う。




相手を、信じること    孔子

2016-04-11 18:45:12 | 知恵の情報
まっとうな人間は、なにを特色とするか。
それは、信である。
人の世に生き行く道の、もっともの根幹は、信である。
子曰く、人間がもし信用をなくせば、どこにも使い道がなくなる。
馬車に轅(ながえ)がなく、大八車に梶棒がないようなもので、
ひっぱって行きようがない。

葉公(しょうこう)が孔子に話した。
私の領内に正直で名を取った者があって、
その父が羊を盗んだときに、子がその事実を証言しました。
孔子曰く、
私の町の正直者はそれとは全く違います。
子に悪い点があれば父が匿(かく)してやり、
父に悪い点があれば子が匿してやります。
それが自然の性質に従った行為というべきではありませんか。
原文では、直きこと、其の中にあり、という言い方を選んでいる。

直きこと、人情の自然に即した行為、それを孔子は、全面的に肯定した。
匿すこと、それは、悪いことであるかも知れぬ。しかし、この世には、
人為の法律が定めた善悪正邪の基準よりも、より大切な根本の
立脚点がある。それは、普遍的な人間性である。人間の一般的な
本性に基づかない理屈に従うのは、間違っている。孔子は、そう考え、
そう教えたのである。

谷沢永一さんの説明だが、「信」は、この普遍的な人間性なのだろう。
(『人間通になる読書術』谷沢永一著・PHP新書参照)

天がなにもしてくれないとき、われわれはどうすればよいか

2016-04-09 18:47:40 | 知恵の情報
 


 天薄我以福、吾厚吾徳以迎之。
 天労我以形、吾逸吾心以補之。
 天厄我以遇、我享吾道以通之。
 天且奈我何哉。

 天が冷遇して幸福をさずけてくれなければ、わが徳をみがいて
 幸福を勝ちとるがよい。
 天が苦役を課して肉体を苦しめてくるなら、わが心を楽にして
 苦痛をいやすがよい。
 天が苦境に突き落として行く手をはばむなら、わが道をもって
 初心を貫徹するがよい。
 これなら、天といえども、どうすることもできまい。


 ─天命を超克する、『新釈 菜根譚』守屋 洋・PHP文庫より

日本人のものを根こそぎとるつもりの「ISD条項」・・・TPPの本当の姿!

2016-04-08 18:52:36 | 政治
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)となんだか、格好のいい名前がついているが
じつは、とんでもない協定だ。
東京MXテレビで苫米地英人氏が猛烈に注意・警告を呼びかけていた。

TPPは自由貿易に見えるが実はそこがポイントではない。
TPPにある、「ISD条項」を使うことが目的である。
 
ISD条項とは─
企業がある国の決定により不利益をかぶった場合には、国を被告として世界銀行の
傘下の第三者機関である「国際投資紛争センター」に訴えることができる項目のことをいう。
 数名の仲裁人がこれを審査するがISD条項に基づいて企業や投資家が政府を訴えた場合
「政府の政策が投資家にどれくらいの被害を訴えたか」という点だけが問題とされる。
つまり、その政策が自国民によって必要かどうかは一切考慮されない
しかも、この審査は、非公開で行われるため、不透明で、判例の拘束をうけない。
結果が予測不可能。結果に不服があっても上訴できないし、たとえ審査結果に法解釈の
誤りがあったとしても、国の司法機関は、これを是正することさえできないのです。

このセンターは、公平な国際司法裁判所のように思えるが実は世界銀行(名前は、公のようだが
知る人ぞ知るで、これは、個人の企業です。)の傘下にあり、世銀の総裁は代々米国企業の
社長が就任している。苫米地氏は、裁判所(センター)側が米国人であり、訴えた国が1として、
1:2の関係になり、どうしても訴えた側(米国)が勝つことになっていると言います。

これから、TPPが結ばれれば、これを使って日本の先人たちが文化・伝統として育んできたものが
貿易障壁とされ、失われる可能性が高いといいます。
項目数が多いのをみると、「日本の社会構造をアメリカのルールに変えることが(アメリカナイゼーション)
が彼らの意図」(小沢一郎言)といわれている。
すでに、韓国、カナダ、メキシコ、がその被害にあっているので、日本がそのえじきになるのは、目に
みえているのです。日本の政府、政治家は、米国の狡猾さに気づいていないのです。

・韓国は米韓FTA発効から、三ヶ月後、さっそく、ISD条項による訴訟が起こされた。
アメリカのローンスターという投資ファンド会社によって起こされている。彼らは、破綻寸前の
KEB(韓国外換銀行)を安値で買取り、大量のリストラをし、帳簿を黒字化し、やく3000億円で
売却しようとしたが、韓国の検察に止められた。しかし、結局売却されたが、この間、株価が下落した
ためそのときの損害を政府に賠償してほしいということでISD訴訟が起こされている。

・カナダ政府がガソリン添加物MMTの輸入について、神経系統に影響を与えるとして販売禁止規制を
行ったところ、アメリカの企業が3億5000万ドルの賠償を求めてきた。
企業との調停と協議の結果、「不必要な貿易障壁」とされ、カナダ政府が巨額の賠償金を支払うことになり、
規制は、撤廃されてしまいました。

・メキシコでは、砂糖以外の甘味料に対する課税措置がメキシコ国内の砂糖事業者への優遇措置である
として、アメリカ企業が提訴し、メキシコ政府が違反したと認定されている。

・現在、米自動車協会は、日本国内のシェアが低いとして、軽自動車の規格そのものを廃止するよう求めています。

・アメリカは、BSE(牛海綿状脳症)対策の規制緩和求めています。TPPを結べばこれらの要求は
通ってしまうでしょう。

・現在、日本では、約650種類の「食品添加物」しか認可されていませんが、アメリカは、
3000種類の食品添加物を認可しています。米国のお菓子にはTBHQ(ブチルヒロドキノン)という
防腐剤が使用されているものが多いのですが、日本では、禁止されているため輸入できません。
元農務長官のダン・グリックマンが「これを禁止するのは、日本の科学が誤っている」といって圧力をかけている。
TPPがとおれば当然訴訟になり、日本は負けるでしょう。甘利氏は、「日本の安全を守る」といっていましたが、
すきを利用され、米国に追い落とされ、いまでは、いなくなりました。

・飲料水などの最重要ライフラインもTPPによって外資に略奪される可能性が高い。その兆しは、始まって
いる。愛媛県松山市では、上水道事業をフランスのヴェオリア社に委託し、その結果、水道料金が
倍以上にあがりつつあるといいます。ヴェオリア社にとっては、今後100兆円市場といわれる
水道事業を手に入れ同時に地域を支配するきっかけになっています。先を見通せず、政治はなにを
やっているのか・・・

・モンサントが遺伝子組み換えの作物を輸入させようとしている。
遺伝子組み換えは、なぜ悪いと訴訟を起こすのではないか。
日本の、種もねらわれている。ヨーロッパの人たちは、それをみぬき猛烈に反対して、モンサントは
撤退した。東欧でも、クロアチアなど、遺伝子組み換えのトウモロコシの畑を市民が焼き払う。
そこまで、やったので、モンサント社、は、あきらめたという。日本人にその気概はあるだろうか・・・

・TPPが結ばれれば、欧米の医療ビジネスがどんどん日本に進出してきて、医療費の高騰が進むでしょう。
なぜなら、「日本の医療費は不当に安く、自分たちは、不利益をこうむっている」とISD条項で訴えられたら
負ける可能性が高いからです。その結果、安価なサービスが受けられなくなり、国民皆保険制度も
破壊されると予測されています。

参考
米国では、皆保険制度がないため、盲腸手術=250~300万円
日本では、12万円くらい、保険がないと40万円

米国では、救急車が1000ドル(約10万円)
40度の熱で心臓が止まったので入院。10日間入院
入院と診断の結果が日本円で2000万円!
この患者さんを、よく調べもしないで、医者が、ただの肺炎のようなのに、心臓にペースメーカーを
入れた方がよいと決断した。ひどい話だ。

これを、読んでどう思いますか、米国の何かが狂っていると思いませんか?
営利至上主義が広がっています。

米国は、TPPに加入させ、金融、メディア、医療、保険、農業、食品業界、を、訴訟を通じて、各業界を掌握、
する機会を待ちのぞんでいます。
日本は、内需だけでも十分に食べていけるのに、なぜ好き好んで、多くの反対を押し切ってまでTPPをすす
めるのでしょうか。なにか政府に、圧力がかけられている気がしてしょうがない・・・
苫米地氏は番組で、このISD条項をはずすべきだとおっしゃっていました。日本の政治家にそれができる人は
いないだろうが、とも・・・


─ジャーナリスト中丸薫氏の情報を参考、参照