ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

根性の全く変わらない現代の人々───イソップ

2016-05-31 20:26:34 | 知恵の情報
★家のなかにいる子山羊が、オオカミが外を通るのを見て、その悪口を言った。
オオカミが答えて言った。
「哀れなやつめ、わしの悪口を言っているのは、おまえではなく、おまえのいる
その場所だ。」


★飢えたキツネが、ブドウ棚からブドウの房がさがっているのを見て、取ろうと
思った。しかし、取ることができなかったので、つぎのようにひとりごとを
言いながら立ち去った。
「あれはまだ酸っぱくて食えない」。


★いつもいっしょに草を食べている三匹の牛がいた。ライオンが彼らを食おうと
狙っていたが、その結びつきが固いので襲うことはできなかった。そこで、
ライオンは巧言を用いて彼らのあいだに不和の種を蒔き、彼らが互いに
背きあうようにした。その後、ライオンは彼らがそれぞれひとりでいるのを
見てつぎつぎに食ってしまった。


★オオカミが羊の群れを襲う機会をうかがっていたが、犬が見張っていて
手を出すことができないので、目的を達するために策略を用いることに
した。オオカミは羊に使者を遣って犬を引き渡すよう求めた。自分と
羊とのあいだの反目の原因は犬であり、犬を引き渡しさえすれば、
羊とのあいだに平和が永遠に続くだろうとオオカミは言った。何が
起こるのかを予見できない羊は犬を引き渡した。いまや、絶対的
優位に立ったオオカミは、もはや守る者のいなくなった群れをほしい
ままに食い荒らした。


★マグロがイルカに追われ、つかまりそうになって跳ねたとき、勢い
あまって海岸に落ちた。イルカも同じようにとびあがって同じところに
投げ出された。マグロは振り返ってイルカが息を引き取るのを見て
言った。
「自分は死ぬのがもう悲しくない、。わたしの死の原因となった
あいつもいっしょに死ぬのが解ったから」。敵が不幸であれば
死んでも満足したのである。

─『新訳イソップ寓話集』塚崎幹夫訳 中公文庫
 『人間通になる読書術』谷沢永一著PHP新書より


これら光っている名品(上記)は、人間性そのものを照らし出す、と
谷沢氏は、語る・・・そして、紀元前六世紀の古代人と現代人と、人間の
根性は全く変わらない、ヒト種族の情念が、どういう風に発して
動くか、その航跡が余すところなく描きつくされていると
評している。

「哀れなやつめ、わしの悪口を言っているのは、おまえではなく、おまえのいる
その場所だ。」の話は、官僚の立場を利用して自分が偉くなって
話している者のへの痛烈な批判に当てはまる。

オオカミと羊と犬の関係は、大衆操作の謀略に当てはまる。
判断の甘い大衆、マスコミを巻き込んで洗脳して、自分にとって
不都合な相手を追い落とす方法だ。
昔、社会党が非武装中立論を唱えていたことを思い出す。
このイソップの寓話だけで、非武装中立という言葉のなかに
守りなくして平和は守れないのに、犬がいなければ永久の
平和がつづくと誘いかけるまぬけな非現実を語っていたとわかる。



私はいままで、嫌いな人に一人も会ったことがない───淀川長治

2016-05-30 19:20:24 | 知恵の情報
私は、映画から三つの言葉を学びました。
「がんばれ、苦労、来い」。
二番目は「他人歓迎」。
"他人”という言葉を持ちなさんな、みんな仲間と思いなさい。
映画は、そう言ってました。
もう一つは、「私はいままで、嫌いな人に一人も会ったことがない」。
「アイ・ネバー・メット・ア・マン・アイ・ディドント・ライク」。
これは、むずかしい言葉ですね。けれども、映画を見ていて、こういう言葉が
出てきたときに、私は、メモしました。
家に帰ってから、それを身に着けようとして、今日まで来て、どうやらどんな人
とも仲良しになれる気持ちになりました。
愛というものは、本当に、豊かな人生をもたらしてくれます。  淀川長治

─『夜中の学校③ 美学入門』マドラ出版
 『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2 
  谷沢永一著 PHP研究所より


「淀長」さんの言葉をみつけた。
「私はいままで、嫌いな人に一人も会ったことがない」という言葉は
彼の言葉としてずっと耳に残っていた。小さいころから。
嫌いな人に会ったことがないなんて、ホントかな、とずっと思っていた。
この言葉をみると、淀長さんも自分の目指すものとしていたんだなと
言うことがわかる。日々、人と仲良くしていこうというざっくばらんな、
彼の姿勢は、映画から学んだ、こころの哲学になっていたんだと思った。
彼の父との軋轢と母との愛の深さ、を少しだけ知っていたが
彼には映画が何にもましてなぐさめであり、あこがれであり、希望であり、
愛を学べる教えの光のようなものだったのだろう。彼のテレビの解説で
随分楽しい思いをさせていただいた。

最良の友とは、いつでも苦しいときに友を見捨てない人のことである。

2016-05-29 17:55:03 | 知恵の情報

 

人間はどんな友情をむすんでも、やはり、独立して伸びていくべきものであり、
友情から刺激を得るのはよいとしても、人まねに陥って、自分の個性を失って
しまっては問題にならない。

最上の友情でさえ、個性の代償となるものではなく、そういう時には友情らしい
見かけのもとで、しだいしだいに、おさえつけられていることに対する憎悪、あるいは
及びもつかないものに対する嫉妬と驚くばかり似た気持ちが、しばしば起こって
くることになるものだ。こうなると、このような友情はとつぜん破綻をきたす可能性
を持ち、二度とふたたび結ばれないにきまっている。

しかし、頃合いを見はからって、こうした交際にも中休みを置けば、完全に決裂
することだけは防げるものだ。(書簡 友情)

               ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

友情は、礼節を免除するものではない。
友情をそういうふうに取り、友達同士のあいだでは無礼講でもかまわず、自分の
くだらぬ面を出しても差しつかえないと思っているような人は、友情に値しない
人物である。(書簡 友情)

               ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

最良の友とは、いつでも苦しいときに友を見捨てない人のことである。
しかし、やや厭世的なことわざにもある通り、苦しいときには、「友人の一ダース
は半オンスの目方にもあたらない(金の切れ目が縁の切れ目)」のが普通である。
 
不幸な時に遠ざかるどころか、もし近づいてくる人があれば、それはその人の
性格が善良で信頼するにたることを示す一番いいしるしである。

ところが、逆に、友人が不幸になるとさっさと背をむけて、なに、あれはただの
「知人」だと格下げしてしまうような、まことにあつかましいやり口をとる抜け目の
ない人がないではない。こういう連中にかぎって、旭日昇天のいきおいで
友人に運が向いてくると、たちまちまた押しかけてくるのだ。こういう連中を、
その時、はねつけてやることは、われわれの義務である。(書簡 友情)

                ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

─『希望と幸福 ─ヒルティの言葉─』秋山英夫訳編 現代教養文庫 社会思想社参照


私にも無礼講で接しても構わないと思う接し方をしてしまった友人があった。
わかってくれるだろうという甘えがあったように思う。彼は、今頃どうしている
だろう。苦しいときでも変わらず接してくれた人だったのに音信不通である。
なんともさみしいときがある。自分が仲たがいをしたくない人だったのに
私の不用意な発言のため友情を壊してしまった。礼節は大変大切なものだと
身にしみた・・・私の心の成長はまだまだです・・・

(エル・ピラッテラ─ダンテ─ミルトン─ヒルティ)

「栄養のバランスが大切」「一日三〇品目を食べましょう」のウソ

2016-05-28 18:36:25 | 医療
「しかし、私に言わせれば、「栄養のバランス」などという考え方は全くのナンセンス
である、バランスという言葉が意味しているのは、各栄養素の相対的な量でしかない。
この発想だと、タンパク質、ビタミン、脂肪、糖分、塩分、ミネラルといったさまざまな
栄養素を、「あれもこれも万遍なく」摂取していれば事足りるという考え方に陥って
しまう。ある栄養素だけが突出して、多かったり、逆に極端に少なかったりしなければ、
バランスは取れていることになってしまう。

だが、ほんとうに大切なのは相対的な量ではない。たとえば、タンパク質、一日に
体重の1000分の1の量が必要である。「栄養バランス」だけを考えている人は、
他の栄養素が少なかった日は、タンパク質もそれに合わせて少なくてよい、と
思うことだろう。たしかに、そのほうがバランスはよい。しかし、極端なことをいえば、
仮に他の栄養素の摂取量がゼロだったとしても、やはり、タンパク質は体重の
1000分の1を摂取しなければいけないのである。
要するに、「体にいい食生活」の基本は「栄養のバランス」ではなく、それぞれの
栄養素の絶対量なのである。

唯一、「バランス」を考えなければならない栄養素は、ミネラルである。カルシウムと
マグネシウムを二対一の割合で摂取する必要がある。それ以外の栄養素は、
すべて必要な絶対量が決まっている。他の栄養素との比較によって摂取量が
決まるわけでは、断じてないのである。

「栄養のバランス」と言う発想は、おそらく栄養学のカロリー計算から始まったものだろう。
一日に食べたものをエネルギーに換算したとき、糖質が総カロリーの五〇パーセント、
脂質が三〇パーセント、たんぱく質が二〇パーセントという割合になっているのが
望ましい。これについては、たしかに「バランスが大事」だが、それは、あくまでも
カロリー計算の話である。だが、「カロリーのバランス」と「栄養のバランス」は似て
非なるものなのである。ところが、「栄養のバランス」と言う言葉は何となく説得力を
感じさせるためか、これが「常識」として定着してしまっている。

しかし、間違った「常識」を基本にしていると、そこからさらに別の「常識」が生まれて
しまう。「一日に三〇品目の食品を食べましょう」というのがそれである。三〇品目
も食べれば、当然そこにはあらゆる栄養素が万遍なく含まれている。だから、
「栄養のバランス」が取れるに違いない──という発想である。
 ・・・だが、そこでは栄養の絶対量がまったく問われていない。」

─『医学常識はウソだらけ─分子生物学が明かす'生命の法則’』三石巌著 クレスト社参照


要するに栄養のバランスを考えるのではなく、必要な栄養素には絶対量がある、
ということを言っている。それをちゃんと摂らないと体に支障がくるということ。
タンパク質は、血管の細胞になったりするので、必要量が不足すると、臓器に
問題がでたり、活性酸素が多く発生したりするのだろう。三石氏の栄養学を
もっと研究してみたほうが良い。



玄米は貧血を促す

2016-05-27 18:04:35 | 医療
テレビを見ていてもダイエットなどの話題がでるときに玄米を使っている話も
よく聞く。『医学常識はウソだらけ』の著者三石巌氏が気になることを書いている
のでそれを紹介したい・・・


「私の知る限り、この食品、(玄米)の信奉者にはきわめて意志の強い人が多い
ように見える。「玄米がいい」と決めると、徹底してそれしか食べようとしない。
しかし、その意志の強さが、健康にとっては裏目に出てしまうのである。

こんな人がいた。彼は、それこそ徹底した玄米・菜食主義の人物で、旅先にも
かならず玄米を持参する。宿泊するホテルのレストランにまで自分の玄米を持ち
込んで、それを特別に調理してもらう。それぐらい健康に配慮した生活を送って
いたのである。ところが、彼は、三〇代の若さでガンに冒(おか)されて亡くなって
しまった。それだけで玄米とガンに因果関係があると決め付けるつもりは毛頭
ないが、少なくとも彼が選んだ手段は健康維持という目的を達するのに役立たな
かったわけである。

また、ある病院に、生まれたばかりの赤ん坊が急患として担ぎ込まれた。
調べてみると酷い貧血で、輸血が必要な状態だった。心配のあまり顔面蒼白
になっている母親に聞いてみると、彼女は妊娠中、赤ん坊のためによかれと
思って玄米ばかり食べていたという。その一生懸命な姿は健気でさある。だが、
これも結果的には裏目に出てしまった。

一般的に、玄米にはガンを予防する効果があるといわれている。だからこそ、
信奉者が後を絶たないわけである。

玄米がガンを予防すると言われているのは、そこに含まれているフィチン酸という
物質が、重金属をはじめとする発ガン物質を吸着して対外に排泄させる働きを
するからである。そのフィチン酸の働き自体は、たしかにある。

ただし、フィチン酸が捕まえるのは発ガン物質だけではない。フィチン酸は人間の
ように目や頭をもっているわけではないから、体にいい物質と悪い物質を選別
したりしないのだ。そのため、重金属も吸着するが、鉄、亜鉛、銅、といった
必須ミネラルも捕まえて排出させてしまうのである。

玄米信奉者の母親が貧血症の赤ん坊を生んだのも、そのためである。胎児には、
母体から必要な栄養が送り込まれる。この母親フィチン酸を取りすぎたために
母体に鉄分が不足し、同時に、おなかの赤ん坊にも十分な鉄分が供給されなくな
ってしまったのである。

発ガン物質の除去というメリットにばかり目を奪われていると、その裏側にある
デメリットを見失ってしまう。フィチン酸がこんな余計なことをしてくれる物質だと
知っていたら、だれも玄米など信奉しないことだろう。

そもそも、あえてフィチン酸を摂取しなくても、体は重金属を体内から除去する
ようにできているのだ。せっかく体は合目的的にできているのだから、人間は
その働きを邪魔しないように食生活を心がけていればよい。わざわざ人間自身
が反目的的な手段を選らんでいたのでは、元も子もないのである。」



私も玄米は良いものだと思っていたが、昔の時代から、考えると、日本人は
白米に自然になってきたのだと思い当たった。やはり、皮が硬いし、食べに
くいのに比べて、白米は味が玄米ほどこくなどないかもしれないが、ほかの食べ
物とのあわせ方が自由にできるようになった。多様なおかずにあわせると
絶妙な味を味わえる。すしにしても、酢との相性がなんともいえない。
野菜が多様にとれたり、海産物、肉、いろいろなものが文明の発達により
でてきた。玄米はビタミンが豊富といわれるが文明の発達で玄米のビタミン
の代わりは、おかずで圧倒的に補える。人によっては、胃腸に合わない人も
いる。無理は禁物である。自分の体に聞いてとるのを判断して、良い物だ
と思い込まないことが大切です。

病気の人が、自然療法を選んで、玄米にすることもあるだろうが、三石氏の
本をよく読んで、現代のビタミンなどのバランスや問題点をよくつかんで
賢く利用するなら、自然療法が活きるかもしれない。米国の芸能人でも
ベジタリアンの人がかえって大腸ガンになって亡くなる話もきく。ただ、
良いと聞いてはじめるのではなく、よく勉強して自然療法をやってほしい。




「故郷」の歌───イデア界への郷愁

2016-05-26 18:07:29 | 知恵の情報

 

人々は輪廻転生によって、この世界へ出てきており、プラトンの言うイデア世界への
郷愁をもっている。そうして、理想と現代社会の現実の中で生きていることを時々
思い出す。
皆、懸命に生きているが、この歌を聴くとき、歌うとき、一時、イデア界にいたときの
感覚を思い出す。そうして、そうだ、良い生き方をしなくてはならなかったんだと
自己を省みる・・・


故郷

うさぎ追いし かの山
小鮒つりし かの川
夢はいまも めぐりて
忘れがたき 故郷


いかにいます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思いいいずる 故郷


こころざしを 果たして
いつの日にか 帰らん
山はあおき 故郷
水は清き 故郷


─大正3年6月 『尋常小学唱歌(六)』 高野辰之作詞 岡野貞一作曲より


この歌は、三番まで歌って、実感がわいてくる。
日本の田園風景などの里の郷愁が漂う。最近亡くなられた、富田勲さんの
「新日本紀行」のテーマ曲とおなじ感動の感覚を受ける・・・
故郷がない都会の人でもなんらかの感動がある、感情移入ができる。
それは、潜在的に心の中に、この世へ出てくる前の思い出があるからだ。
皆それを忘れている。忙しい日々、時には静かな時間をとって
「内なる声」に耳を傾けるべきです。




人から誤解されない方法───「李下(りか)に冠を正さず・・・」

2016-05-24 17:35:20 | 知恵の情報

 「李下(りか)に冠を正さず。瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず」

これは、中国の書「文選」に「君子は、未然に防ぎ、嫌疑の間に処(お)らず。瓜田に履を
納れず。李下に冠を正さず。」とあるところから出ている。

すなわち、李や梨の木の下、ブドウ畑など果物の実っているところで冠(かぶ)り物の
曲がっているのを直すために手を上げれば、これを見た人は実っている果実をもぎ
とるために手を挙げたものと思うだろうし、また、瓜畑や西瓜畑などで、履物の紐が
解けたのを結びなおそうとして、腰をまげて俯いたり、手を下げたりすると、あたりの
人は西瓜や瓜を盗むためにしゃがんだと曲解するであろう。このように、自分で
正しいことをやっていると思っても、嫌疑をかけられることがあるから、自分の行動には
十分に注意しなければならない。

イソップ物語にもこんな話がある。
ある夜、蜜蜂を飼っている家に盗賊が入って蜜蜂の巣の蜜まで盗んで行ってしまった。
深夜のことで、蜂たちも知らなかったし、飼い主も知らなかった。あくる朝、主人がからっぽに
なっている蜜の巣を見て、残念がりながらそのあたりをウロウロしていたのであった。
一方、蜂も夜が明けて見るとせっかく丹精こめて貯めた蜜をごっそり盗まれたので気が
立っているときで、飼い主とも気づかず、それっ、盗賊が又あらわれたとばかり寄って
たかって、散々に刺したので、主人はとうとう悲鳴をあげながら「俺は、お前たちの
主人だ、何故そんなに刺すのだ」と叱ったところ、蜜蜂もようやく興奮からさめて、
「物の失くなった場所に来てウロウロしていると、盗人と間違えられてもしかたあります
まい。」と答えたという。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院参照


枡添氏は、知事としての用心をしていたのだろうか・・・
人からどう見られるということを気にしていることは大切なことだ。虚栄心とか見栄とか
偽我を生んでしまう可能性もあるが、そういうことでなく、善なる人がみたらどうだろ
うと、自分を諌めることに使えばよいのではないか。身を正すということは、他人の
目を気にすることからも始まるような気がする。
その上で、自分の哲学(生き方)から、人からどう思われても、なすべきことをする
のだと気概を持てば良いのである。

禅と俳句の境地は同じ

2016-05-23 19:09:07 | 知恵の情報
 
 

松尾芭蕉は確か禅のお坊さんと付き合いがあり、学んでいたように思うが
俳句を作る境地は、禅に通じている気がする・・・
あるがまま、という境地だろうか。
私の好きな俳句を少し、紹介してみたい。


「いくたびも雪の深さをたづねけり   子規」
この俳句をよむたび、自分が経験した雪の積もる夜のしんとした状況が
よみがえってくる・・・大自然の雪が自分のこころに積もっていくようななんとも
世の中の動きを抑え、時を止めていくような感じ。
正岡子規が病に倒れ、世話してくれている妹にふと聞いた瞬間なのだろうか。
何度も深さを聞いただけの表現のなかにこころを詰まらせるものがある。


「柿食えば鐘がなるなり法隆寺   子規」
この詩は私には、絵が見える。茶屋だろうか、個人の家だろうか。一息ついて
柿をほうばったときにご~んと鐘がなった。私には、法隆寺の上に真っ青な
空が広がっているのが見えた。柿の珠の色と空の青の色がこころに広がって
美しさを感じた。


「閑かさや岩にしみ入る蝉の声  芭蕉」
この句は、私にはどうしても一匹の蝉に思えなくなる。強い一匹の蝉が岩に
しみこむように鳴いているというのが普通の解釈だ。
私の場合、小さいときに田舎の森へ遊びに行ったときのことを考えると、森に
入ると雨が降るように蝉がざーざーないていた。それが、静かな森の中で
しみこむような不思議な気がしたものだ。この句を見るとそのときの体験が
どうしてもでてくる・・・


「五月雨を集めて早し最上川  芭蕉」
これは、自分が川面を眺めている気がしてくる詩だ。最上川ではないが
自分の経験のなかにある川の流れを見ていると水の勢いや、流れが
筋になって自然の力を表しているすがたがあり、それをぼーっと眺めて
しまう自分がいる。


「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる  芭蕉」
彼の浮かんでは止まぬ俳句への想いが感じられる。晩年の句だと思ったが
夢と枯野の組み合わせがこれまで生きてきた生き様が見えるようだ。
まだ、まだ、という想いが伝わってくる・・・


「すみれほどな小さき人に生まれたし  漱石」
なんとも純な気持ちを感じる。すみれの薄いむらさきの色も見えて。
自分の生きている人生でいろんな苦悩があり、ふとすみれをみて
そっと咲く純粋ななにもしがらみのない無垢な自分になりたいと
思ったのではないか・・・なにかさわやかな感じがする。


「水枕ガバリと寒い海がある  三鬼」
これは、やはり、自分の経験と重なるので感動した句だ。
水枕に頭を乗せると、ガバリと水の音がする。横に向いても
ガバリと。これを西東三鬼は寒い海ととらえた。
見事だし、面白いと思う・・・



「分け入っても分け入っても青い山    山頭火」
「うしろすがたのしぐれてゆくか      山頭火」
「とうしようもないわたしが歩いてゐる  山頭火」
種田山頭火は彼の生き様を思い、読むと彼の気持ちが入ってくる
ようだ。放浪の旅をしながら、そのときの心境が自分も経験した
山の姿と重なりながら、つかめない心はだれにでもあるな、とか、
自己へのあきらめや、自然のなかの自分の存在の確認のような
なぐさめを感じ、簡単な表現だが読んだとき、一瞬思いにふける。


俳句はたくさんあり、もっと取り上げたいが印象に残っているものを
思い出してみた。
俳句は絵画とつながっているような感じで、絵がでてくるものが
私は、わかりやすくて好きだ。
いろいろな解釈、定番のものもあるが自分の経験とあわせたり
して楽しむのがうれしい。
いい作品は禅の境地に達しているように自然や人間の生業を見事に
とらえているように思う。今後も折りあるごとに鑑賞していきたい。






簡単に絵がうまくなる方法

2016-05-21 19:31:39 | 知恵の情報
 

絵を描くのは、小さいころから、みな描いたことがあるので、大人になって
へただと思う人も描いてみると楽しい気持ちがでてくると思います。
自由自在の気持ちで何でも良いから描けばいいのですが、ちゃんとしたいと
思っている人にひとつ提案してみたいと思います。

デッサンの練習など絵画教室で練習したくても時間がない、金がない。
人前で描くのは嫌だという人には、うってつけです。

それは、「観察画」を描くことなのです。できれば最初は、植物を描きます。
植物は根っこまでついているものを用意して画用紙の大きさは実物の大きさ
が描けるものにします。植物がかわいそうなら、鉢植えにしてください。
最初は、小さいものを用意して観察して描きます、

良い絵を描くのではなく、観察したことを画面に描いていくのです。
この植物の絵をボタニカルアートといいます。イギリスで始まったものです。
このジャンルはすごい表現力のものがたくさんあります。
そこまでいくのではなく、その方向性をまねします、良い絵を描くのでは
なく「観察」をしっかりしたものを描きます。バランスが悪くても構いません。
そして、大切なことは、原寸で描くということです。
葉の形や、葉脈や枝ぶりなどを良くみて表してみます。
画用紙からはみ出そうになったら、画用紙をテープで継ぎ足して描くことを
して進めていきましょう。
最初はモノクロで鉛筆、ペンなどで、興味があれば彩色で。

何枚か描いて、観察画として絵を描いたが絵として見直してみてください。
そうすると、以外にうまく描けていることに気づきます。
そこからが、表現の始まりです。自分の観察、表現の力を持ったのです。
その表現力でなんでも描いてみます。表現力に迷ったら、また観察画を描いて
みてください。
こんな方法で、一度絵を描いてみてください。

 

ユーモア(笑い)をうまく使う

2016-05-20 19:04:08 | 知恵の情報
昭和の初め、ちょうど満州事変のさなかに、斉藤博は駐米大使として赴任したが、
当時の対日感情は言うまでもなく、きわめて悪かった。出迎えの米国新聞記者団の
感情もとがっていて、会見早々彼らの口をついてでた言葉は「何のためにやってきた
のですか?」だった。

斉藤はすかさず「米国人と酒を呑むためにさ」とユーモアの応酬をしたとたん、とがった
空気が笑いでほぐれた。そこを斉藤はとらえて、「ただし、公正な米国人とね」。

この記者会見は斉藤の圧倒的勝利だった。その言のごとく斉藤は公正な米国人に
公正な日本の立場を分からすべく努力を傾注したのである。

国際外交の場や議会政治での議場での上品なユーモアは確かに有効であるが、
社会生活や、家庭生活での役割も大きい。とくにひどくあわてているときなど、
軽いユーモアや笑いがあると落ち着くものである。

わが国喜劇の元祖曾我廼家十郎が高血圧で御殿場の家で静養していた頃、
関東大震災が起こった。十郎は寝床のままかつがれて庭へ出されたが、
あまりの恐怖のショックに全身にふるえを生じ、それがどうしても止まらない。
一同は、心配したが、そのとき十郎は、「こんなにふるえが止まらないと、
次の地震が来てもわかりゃしない」といったので、皆んな思わず泣き笑いを
した。すると、不思議に落ち着きをとりもどし、十郎のふるえもおさまった。

十郎はいつか夜遊びの外泊で帰った時、神さん(妻)の小言を恐れて、
カンナを持ち出し、玄関の敷居を削り始めた。「何してんの」と神さんの
雷鳴に十郎は「敷居が高こうてはいれんさかいに削ってるんや」と応酬、
これには神さんも笑って小言はいえなかったという。
まさにユーモアの功徳。

─『一日一言 人生日記』 古谷綱武編 光文書院より紹介


枡添氏が金の使い方の卑劣さで問題になっているが、ユーモアを使いながら
自分の非を認め謝りながら、都民に「しょうがない許してやろう」と思わせる
ような説得はできないのか・・・彼は、フランスに留学していたんではなかったか。
そういうエスプリはないのか・・・

たとえば、「いま私がリコールになると新たな知事選で税金が45億かかります。
私の’裸の王様(自分がわかっていない)の無駄遣い’をどうぞ許してください。
任期までやらしていただければ、45億もかかりません。けちの能力を都の健全
運営のために使わせてください。今後定例の発表のときにも都民の皆様に
見張ってもらうため私のお金の使い方を発表します。」と言ってみたらどうだろう・・・

笑いなく、細かく説明しているのを見ているとだんだん問題点が大事になっている。
使い方は、大衆の見方が良識として正しいだろう。だから、素直になることだ。

しかし、現場のなかで、忙しい仕事がつづき、慣習にあわせていただけもあるし
政治資金の使い道は公私を分ければ、不動産以外はなんに使っても良いと聞いた
ことがある。彼なりの工夫はあったのだろう。これくらいいいだろうという
油断もあっただろう。
そこをうまく、フランスのしゃれなど使って謝りと許しを乞えないか・・・
仕事はこなす人に見えるのに、彼の欠点が見えてきて、見ていてさびしい気がする。


近代科学が得意とした分析、観察が通用しなくなった

2016-05-19 19:18:25 | 知恵の情報

「物質の究極の本質を探ろうとすると最後には観測したものが違っている」
「物質を正確に観測しようとすればするほど間違った情報が導き出される」

これは、量子力学の創始者の一人ともいわれているハイゼンベルク(1901~1976)
の不確定性原理である。
たとえば、物を観察するためにはどうしても光が必要だが、物質の究極の真実を
求めて素粒子などのきわめて微小なものを観察しようと光をあてると、その光によって
物質は光をうける前の位置が変わってしまうというものです。
「電子の位置と運動量は、同時には精密に決めることができない。」
この理論は物理科学に波紋を投じた。アインシュタインがこの理論を破ろうと
したができませんでした。その後も70年たってもだめです。
近代科学思考の誤謬や限界を指摘する新しい理論がでている。

「カオス理論」などもそうではないか。
方程式で書き表される決定論的なものであっても、許容範囲とされるごくわずかな
初期値の違いで結果的には予測不可能な状態になる、つまり予測はあり得ない
と言うことになる・・・
こういったものから、細かく分析して観察すればわかると言う絶対的な
近代科学思考は、新しい思考方法を見出さなくてはならなくなっているのでは
ないか。

先に紹介した、千島喜久雄博士は、科学的方法論として弁証法をとなえている。
弁証法は変わるという「変化」を中心にしている哲学である。
「すべての事象は時間の経過と場所の変化に応じて絶えず流転する」
彼は、形式論理でものごとは測れないと何万ものプレパラートの観察と
思考により、赤血球が細胞に変わっていく姿をみていくうちに気づいたものを
重要視している。この気づきは、ときに母親の勘や、おばあちゃんの知恵、
伝統民族の本能、また子供の心の純朴な見方とらえかたなどとおなじものだと思う。
こういったものは、いかなる科学をも上回る結果を導き出すことがあるのではないか。

つまり、「分析から統合へ」、全体としての人間の機能と言う点から総合することが
重要なのではないか。
「分けて物事をみる」「客観的なものだけが正しい」とするとらわれた近代
思考から自由になることが必要だ。

科学を信仰するよう洗脳された人々がたくさんいる!

2016-05-18 19:28:18 | 知恵の情報
「科学の基本は・・・
観察と実験(帰納と演繹)によって、できるだけ多くの現象を集め現象の背後にある"法則”を
見出してゆく。見出された法則は、とりあえず"仮説”段階にとどまり、実験による検証を
重ねながら、徐々に法則としての一般性を高めていく。
むろん、観察と実験さえ行えば法則が見つかると言うものでもなく、そこに一種の
直感(想像力)が必要なのは当然である。   稲垣真澄」
(産経新聞1998年3月23日朝刊・本の紹介より)

上記のように科学は大切な「方法」であるがしかし、それを「方法」と捕らえずに宗教のように
絶対視して他を寄せ付けない人がいる。それは、科学のおごりとして批判されるべきである。
科学の方法のなかでも形式論理に現代の科学は固執してしまっている。
一つの現象や名前をつけて、その働きを決めるとそれを論理の確固たるものとして
疑わなくなり、論理をつなげていく。そうして、間違いに気づかなくなる。
自分が単一素因論で考えていることに気づいていない。

宇宙の成り立ちも「ビッグバン宇宙論」「恒常宇宙論」「プラズマ宇宙論」・・・などの仮説が
たくさんあるが、一部の学者は、「ビッグバン宇宙論」を信じ込んで講義をしている。
NHKの番組の’熱血教室’を見ていても、ビッグバンが当然のことのように講義して
いる。それを私は、疑問に思ってしまう。多くの説を紹介するならよいが決まってもいない
ものを論理の推理だけで決めて教えるとはどういうことか。ドップラー効果などから、光分析に
置き換え、ハッブルの法則を打ち出して、宇宙が膨張していると説く。しかし、銀河のような
大きな楕円軌道の中にいて、前後左右を観察するとある方向は近づいて、膨張して見え、
反対の方向は、遠ざかって見える。銀河の渦の中にいても地球がどう動いているか
現代の観測技術が発達しているとは思えない。UFOの推進技術にも取り組めない
科学力しかない現代科学がどうして、宇宙の成り立ちまで結論できるのか。
科学者のおごりとしか思えない・・・

ヒッグス粒子については、よくわからないが、重力レンズの発見の顛末を新聞で見ると
どうも怪しくなる。データがはっきりでなくて、なんども決まらずにいたのに、ほんのちょと
データがでたのでそうだろうと決めた様子が紹介されていた。私は、それを読んで
ちょっとびっくりした。こんなことでいいのかと。
どうも論理で推理予測したものの当てはまるものを探しているような気がしてならない。

日本の科学者で異端と呼ばれるのだろうが、血液研究により、腸造血説をとなえた
千島喜久雄博士がいた。赤血球に核がないのに目をつけそれが体の全体に
流れていって、細胞になることを観察によってみつけ唱えた。細胞は、分裂とこの二つの
かたちで出来上がっているという。西洋人の確立されている細胞分裂や、脊髄の
造血作用を頭に決め込んでいると、こういった情報は馬鹿にされて相手にされない。
しかし、よく彼の論文を読んでいると、可能性がみえてくる。そうしていたら、いつだったか
腸造血の話が海外ででているのを聞いたことがある。異所造血というのがあるそうだが
まだ研究の余地はあるのだと思う。

問題にしたいのは、一度決めて、論をたてるとそれに固執することだ。
そうはしないというのは、科学者には、反論が必ずあるだろう。仮説を常に立てて、
やっているんだというだろう。しかし、原発のずさんな、論理で再稼動する姿。
温暖化は、二酸化炭素が原因ではなく、他の原因で起きている。何らかの理由による
温暖化によって、二酸化炭素が増加しているのに、相変わらず悪玉にしている。
(広瀬隆氏が『二酸化炭素温暖化説の崩壊』データをだして論じている。)
子宮頸がんのワクチンの問題も被害者が出ているのに海外のデータをうのみにして
また、再開しようとする。
メタボの問題もアメリカを基準にすると日本人は全然メタボでないので基準をいじって
日本の基準をつくってしまった。よく注意してみていくと、まだまだ、変な理屈がつづく・・・
こういった問題の原因は、人間は論理、形式論理という方法を手に入れるとその方法の
信仰者になってしまい、宗教の教理のようにそれに固執してしまう資質が見えているということだ。

万物流転、と言うとらえ方がある。つねにすべては変化している・・・
「人間は同じ川に二度足を浸すことはできない」
ギリシアのヘラクレイトスが今から2500年前に唱えた真理は、いまも生きているような
気がする・・・

同情───それは、普遍的な人間愛のもとになるもの

2016-05-17 18:46:53 | 日記
「いかに世慣れた人でも、他人に同情を持ち得ない限りたいていは、人間を軽蔑するか、
あるいは恐怖することになりやすいものである。そういうことにならないようにわれわれ
を守ってくれるのは、ひとり同情のみであって、理性や愛ではない。

普遍的な人間愛といっても、それは、同情ということにほかならない。
さもなければ、それは、ただ、無害ではあっても、しょせんかなり無関心な心構えを
呼ぶ名称にすぎない。
 
同情のみが、力強い、あたたかい、活動的な感情である。それは、傲慢に上から
見下ろすような気持ちでもなければ、また、他人の不幸を見てよろこぶような不純な
気持ちでは絶対にない。とういうのは同情とはまさに「苦しみを共にする」ことだから
である。

他人の苦しみを自分の苦しみと感じることから、他人に救いの手をさしのべようと
いう本当の衝動がわいてくるのであって、そういうことがなければ、せっかくの
気持ちの張りもあまりに微力な心のはずみに終わってしまうであろう。

ある美しい回教の物語に次のような話が語られている。
ある男が、とある深い泉で渇きをいやして上ってくると、そこに一匹の犬がいて、
のどから舌を垂れさげているのに気がついた。この時、この男は自分にこう言って
きかせた、「この犬は、さきほどの私と同じ苦しいおもいをしているのだ」と。
男はもういちど泉へ下りていき、長靴に水を一杯入れて、歯で長靴の口をおさえ
ながら、上へ上がってきて、その犬に飲ませてやった。」

「すべての生物に対して平和の心(同情)をもって生活をするならば、その心の持ち主
には、おびただしい平和がもたらされる。」

─『希望と幸福』ヒルティ 秋山英夫編 現代教養文庫 社会思想社より


「同情するなら金をくれ」というドラマの言葉が心に残っている。
あのドラマは、強烈だった。逆説的な主人公の救いへの叫びがあのような
表現になったのだと思うが粗い言い方である。
同情しないでくれ、などと否定的な使い方もよくする。
しかし、この行為の本当の力は、人に対する愛情を育てるものだ。
子供のころに遊びを通して学んだり、日常、人間の感情を共感するとても
美しい、人間として大事な行為の一つだろう。相手の立場に立つときにやさしく、
同情する心を持って接したい。 

(エル・ピラッテラ─ダンテ─ミルトン─ヒルティ)

 

一つとして同じ物はない───常に新しいものへのくりかえし

2016-05-16 18:53:54 | 知恵の情報
『宮本武蔵』に代表される数々の名作を残した吉川英治は、小説家になる前にはいろんな
職業に携わった人である。その中の一つに象牙の箸へ漆絵を描くという仕事があった。
その絵というのが鹿と紅葉を描くのである。明けても暮れても、シカとモミジばかり
描かされる単調さに、全くあきあきした気持ちになった。そんなある日、フトこんなこと
を考えた。
 
同じようにシカとモミジを描いても、その一つ一つは違うのである、いや同じである
はずはない。と思って筆をはこぶようになると、シカもモミジも生きて来、描く自分も
張り合いができてきたという。この仕事の張りが次の仕事を呼んで、吉川英治の大文学
を築いていったのだろう。

益子焼の絵付けを永年していた皆川マスという婆さんはもうなくなったが、その絵付け
はドビンでも火鉢でも、図柄はきまって、霞ヶ浦の眺めである。それを何十年飽きずに
描き続けているうちに、不要な線が一本一本消されて、ついに必要ぎりぎりの線だけが
残って、いかにも簡素な抽象的な風景の美しさを表現するようになった。マス婆さんの
絵付けは決して同じもののくりかえしではなかったわけで、この絵付けが益子焼を有名に
するのにあずかっている。

日本語の全く話せないある外人のところへ、おとく、と言う婆やが手紙を持って使いに
やらされた。その外人は婆やの「とく」という名前だけは知っているので、彼女を
イスにかけさすにも「おとくさん」といってうながし、返事の手紙を渡すのにも、おとく
さんといって会釈して渡す、といったぐあいで、始めから終わりまで、おとくさんの
一点張りだが、おとく婆さんはひどく満足して帰った。同じおとくさん、のくりかえし
でも、そのたびに表情がちがい誠意があふれていたからである。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院 より紹介

平気で生きて居る事──正岡子規が悟ったこと

2016-05-15 18:19:47 | 知恵の情報

「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる
場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟りといふ事は如何なる場合
にも平気で生きて居る事であった。」(『病床六尺』)

『古典の知恵 生き方の知恵』(古今東西珠玉のことば2)PHPで谷沢永一氏がこの
一節をとりあげて、解説している・・・
彼は、禅宗で言う「悟り」は嘘っぱちであり、無邪気な信徒をおどかして、騙すための
虚勢であり、その証拠に、悟りを開いたと称したり囃し立てられたりして、すまし顔
のはったり屋はいたが、悟りとはどういう心境かを説明した人はいないし、悟りを開いた
後の態度が、それ以前とはどう異なるのかを、われわれにも理解できるよう判然と示した
者もない。そういう証明が不可能であるがゆえ、悟りとはついに悟った希有な傑物にしか
わからないのだと、誤魔化しのいいのがれを用意しているだけなのだ。──と語る。
そうして、正岡子規の痛切な述懐こそ、人間の究極の境地なのではなかろうか、と述べている。
若死にすることが目に見えている難病にとりつかれ、それでも気が萎えず弱気に沈まず、
志す仕事にますます精励し、平常心を持して着実に進みゆく、病臥に横たわりながら俳句の
新風を起こし、達意の散文をもって後世に範を垂れたのである。──と続けた。

読んでいて、納得させられる感じだった。苦悩の中から正岡子規が生きる意味をみつけた至言
だろう。
私は、「悟り」とは、「迷わなくなること」と理解していて、「平気で死ねる」という境地は、
多分、正岡子規のあきらめとその残された時間をどう生きるかという迷いがなくなったから
だろうと理解している・・・
自分の生き方を決めるのは難しい、一生それを探す人もいるし、早くから気づいてその役目に
徹する人もいる。早くから気づいている人は、私から、見ると、生き方に迷いがなく、
人生がなにをわれわれに期待しているかを理解した人だろう。

どちらが良いということは言えないと思う。それぞれに段階があり生まれてきているのだから。
ただし、『夜と霧』のV・E・フランクルのおっしゃるように「人生から何をわれわれは
まだ、期待できるかが問題なのではなくて、むしろ、人生が何をわれわれから期待しているかが
問題なのである。われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として
体験されるのである」これを観点変更というが、これをとらえることによって、迷わなくなるの
ではないかと考えている。

つまり、問われたものとして何をすべきなのか、それをとらえなければならないが、
彼は、「人生から、意味実現の機会がまったく失われることなどない」つまり、もう
遅いとか、時間がないということはなく、死ぬ直前までその機会は存在すると
いうこと、そして使命中心の生き方をすすめている。