ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

天からの使命があるのだろうか───宗教にかかわる人へ

2016-03-31 19:01:40 | 日記
何らかの宗教宗派に関わっている人はたくさんいるでしょう。
では、その方の使命はなんでしょうか。
自分の流派を広げ流布することでしょうか。

イスラムの一部の人は、全世界をイスラムの教えにすると語っている人も
います。子供もそれを自分の夢として、勉強しています。
キリスト教も植民地政策と同時にまず、教えを流布して、その教えによって
その国の質が変わったところで、政治的行動をする。たとえば、隣人愛で
その国の人の意識が変わると、強圧的にでても受け入れてくれる、という
ことが、あったでしょう。それを自分の優位の形で、使ってしまう。そのために
広めようとする・・・

聖書時代から、今日へ、時代が移り、科学というものの見方が
発達してきた。客観的にものをとらえ、論理(つなげてものごとを考え、
原因を探り、解決する形をだす)で考えていける人間の姿勢が
でてきた。より一般的に(多くの人に)通用する考え方、行動が受け入れられる
世の中になりました。

その欠点もあります。たとえば、ある、科学理論が認められると
それを元に次の研究の土台にしていく・・・。いったん認められた理論は肯定されて、
それを否定するものを排斥するということがおこります。しかし、それにめげないで
戦い、その理論を凌駕していく、気概があり、勇気のある科学者が今日を
開いてきたといえるのかもしれません。

多くの情報を日々、見て考えている人なら、一つの宗教宗派の考え方では、
足りないとに気づくことがあるのでは、ないでしょうか。
そこに、使命がでてきます。
つまり、たくさんの流派で、あり方を教えていますが、共通のものがあるはずです。
それを考え、探し出し、自分の流派から、一つの共通のさとり、境地へ移行する・・・

進化の現在、達しているのは、共存しているという意識でしょう。
動物も、本当は、棲み分けをしています。それは、本能に動かされてでしょう。
人間の場合は、おそらく、客観という見方を手に入れている。脳の働きが二つある、ということも
影響していると思える。本能に動かされながら、それを抑制しようという、葛藤の中に
存在しているように思います。万物の霊長というのは、本能をある程度制御できる
進化の体制に入っているから、つけられていると思います。
人間は、自然法則をいじることができるようになっているということです。
もちろん、自然法則にかなわない行動をすると、おそらく、死滅していくでしょう。(原子力
の無謀な使い方、あらゆる汚染、共存共栄をしない生き方・・・)
それがまた、大法則のおきてであると思います。

さあ、こういった科学の時代に宗教人がなさなければならないことは、なんでしょうか。
流派のなかで、こうしなければならないということに固執しますか。
医者や、看護士さんの役割を考えてみてください。人を救う仕事です。
彼らは、人の善悪や、人間性の良し悪しなど考えません。とにかく、命の
存続のために、自分の身を犠牲にされています。宗教の人もこころを救うなら、
何にもとらわれない境地で、人を救う必要があるのではないか。
もしその相手が自分の流派を認められない人なら、どうやってその人の悩み、苦しみを
解決してあげられますか・・・
ここに、天から与えられた宗教の人の使命が存在します。
相手の立場にたつには、どうすればよいか、という課題がつきつけられています。




論理を使いこなす

2016-03-30 18:23:04 | 知恵の情報
論理学などでは、むづかしい説明があります。
形式論理は、自同律、矛盾律、排中律などと・・・
私は、そういうとらえ方をすると、使えなくなるので、ただ、論理は、
「つながり」ととらえています。
そうして、本などで、考えをとらえていくときには、

=:イコールの関係(命題・具体例・エピソード・引用・比喩は、すべてイコールでとらえる)
←→:反対の関係
→:因果関係(原因。結果)

の三つだけを意識してとらえていきます。
考え方もこのように整理すると、すっきりするのではないでしょうか。
これは、出口汪さんの考え方をとりいれています。
「なぜそうなるか」を考えていくとき、この三つを使ってみるとよいと思います。
そうして、なぜそうなるかが、わかったら、解決(行動)も考えます。

「論理」で注意しなければいけないのは、あくまで、つながりであり、
つながりの正しさ=真理であると思いこんでは、いけません。
巷では、この「論理」をとおして、正しがることが多いと思います。
論理的に語られていると、「正しいものだ」と信じ込みやすいと思うのです。しかし、
論理に含まれている各データが改ざんされていると、どうしようもなくなります。
論理でつながれている、データ、考えを常に、チェックする必要があります。

イスラエルのおばあさんから、ツキを呼ぶ魔法のことばをもらう

2016-03-29 19:04:46 | 知恵の情報
 

「ありがとう」
何か嫌なことがあったときに使う。
朝寝坊して会社、学校に「遅れる」というときに
「イライラさせて頂きありがとう」と使います。
誰かが亡くなっても歯をくいしばって「ありがとう」と言うのよ。
不幸は重なる、この世の法則。その不幸の鎖が断ち切れちゃうのよ。
それだけでなく、逆に良いことが起こっちゃう。
幸せという状況に変えてくれる。
‘ありがとう’は魔法の言葉。

「感謝します」
何か良いことがあったら‘感謝します’と言ってみてはどうかな。
待ちに待った運動会。晴れてほしいなあ、と思っていて、実際に
晴れたら、‘感謝します’

まだ起こっていない未来のことでも「明日、晴れました!晴れさせていただき感謝します」
「一週間後、○○○に合格させて頂き、感謝します」とイメージしながら言い切っちゃうと、
本当にそうなってしまう。何の疑いもなく、不安もなく、力まずに自然とそう思い込めばね。

言ってはいけない言葉がある。
きれいな言葉を使いなさい。
絶対に人の悪口は、いわない。

─五日市 剛さんの講演筆録より
 (イスラエルのおばあさんに会って不思議なことが起こった話からのメモ)

「北風と太陽」 人との上手なつきあい方の極意

2016-03-28 17:53:56 | 知恵の情報
「北風と太陽がどちらのちからが強いかで言い争っていた。旅人がやってくるのを見た彼らは、
彼らのうちこの旅人の服を剥ぎ取ったものを勝ちとすることにした。
北風から始めた。北風は烈しく吹きまくった。男が服をしっかり押さえたので、北風は、いっそう
強く攻め立てた。
しかし、ますます寒さが身にこたえるようになった男は、それまでの服の上に更にもう一枚服を出して着た。
それゆえ、北風はやる気を失って男を太陽にゆだねた。

太陽は最初は控えめに照った。
それから、男がさきに余分に着た服をぬいだので、照りつける強さを増した。
その結果、男は暑さにもはや堪えることができなくなり、きているものをみんなぬいで、
近くの川へ水を浴びに行った。」(『人間通になる読書術』谷沢永一著・PHP新書から)


谷沢氏は、このイソップの寓話を最高傑作と解説する。これは、人間関係論の極意であるとする。
結局、相手のことを考えず、やりすぎると、相手は、その思い通りにはならないということだと思う。
風=悪、太陽=善、という暗黙の設定もあるだろう。
ただ、太陽も照りすぎると、旅人が川へ入ってしまう・・・この点に目をむけるとこの物語の教訓を
うまく、自分の生活に使えるのではないだろうか。

私も去年、旧知の友人に自分の伝えたいことを押しつけるようになってしまい。相手を怒らせ、
去らせてしまった。伝えようとすることも太陽の照りのように自己をコントロールしながら相手の
立場に立って行動しなければ押しつけになる。同じものを信じている、わかってくれると過剰に
思い込んで伝えることをして失敗してしまった。

おそらく、ここで語っているのは、人間関係の極意だから、この教訓は、相手がどういう人かではなく、
思いをこめてなにかを過剰におしすすめるとそれが変化してしまう、人の性質というのは、そういうものだ、
ということを冷徹に観察して、たとえているのだと思う。無理強いしないことが大切だと私の場合、
肝に銘じている。

・『新訳イソップ寓話集』塚崎幹夫訳・中公文庫参照

がばいばあちゃんから勇気をもらう

2016-03-27 17:38:45 | 知恵の情報
 

『がばいばあちゃんの勇気がわく50の言葉』(島田洋七著・徳間書店)から、一部メモしていた、
気に入ったことばを紹介します。元気がでないとき、読み返すと、自分を見直すことができます。


・人にきづかれないようにするのが本当の優しさ、本当の親切。

・嫌われているということは、目立っているということ。
「こいつおもしろいな」と笑わせてしまえば勝ちだよ。

・二人、三人に嫌われてもあと地球には六十億人がいるよ。

・「暑い」「寒い」とうるさく言うな。
夏は冬に感謝し、冬は夏に感謝しんしゃい。

・拾うものはあっても捨てるものはないと。

・頭がいい人も、頭が悪い人も、
金持ちも、貧乏人も、
五十年経てばみーんな
五十歳になる。
心配するな─

・笑っておけば周りも楽しそうになるよ。
貧乏人が一番やれることは笑顔たい。

・子供が泣いても怒るなよ。
子供は、あんたを頼っているからね。

・私の人生、何だろう?とか
難しく生きるなよ。
終わりにしかわからんばい。

・本当の愛は、ぶつからない。
愛と愛を足したら大きな愛になるはず。

・まず、仕事をしよう、。仕事さえすれば、
みそ、しょうゆ、米、友達、信用がついてくるよ。

・ゼイタクすることが幸せじゃない。
小さな幸せを大きく感じることが本当の幸せかも。


「スタートレック」のスポックのように君は、自分の命を捨てられるか?

2016-03-26 17:41:01 | 原発
昔、見たストーリーで、スポックは、エンタープライズ号の故障を回避するため、命を賭す。
放射能の漏れたエンジンルームに決然と入り、故障を直した。そして、命を失い、
宇宙葬をされる。
スポックは、バルカン星人で、その星の星人の特徴は、「論理」に忠実に生きるものたちであり、
地球人と仕事を一緒にするようになり、地球人の感情の起伏があることがわかり、理解できなかった。
しかし、人間と仕事を続けるうちに、その人間の不確かな論理行動、感情の変化があることを理解し
受け入れるようになっていた・・・
そういう状況での事故であった。そして、スポックは、論理に従った・・・そのときは論理だったのだろうか?
このような記憶を私は、持っているが、正確なドラマの内容は、忘れている。
ここで、お話してみたいのは、
自分の命を捨てなくてはならない状況のとき、あなたは、「捨てられるか」ということである。

イエス・キリストは、「その友のために命を捨つ、これより、おおいなる愛はなし」と説いた。
ニュースで、洪水の映像を見ているとき、濁流の中で、自分より相手を救い、へりに乗せ
自分が濁流にのまれていったものをみた。津波のときも注意してみていると、人が屋根にあがりながら
流れていく人がいた。その状況でも、へりと同じ形があったにちがいない・・・
「自分よりも他の人の幸せを願う」それをいつも心にとどめているとそういう状況のなかで
決断できるのだろうか・・・

論理に生きるスポックの姿をみて、感動とともに、今日までに考えることがあった。
なにが大切かを判断できたのは、物事をつなげてみていくことができる、論理的な判断なのかと、
考えた。このブログをみていただいている皆さんは、どう考えるだろう。

原発、稼動は、どう見ても論理が破綻しているように見える。
論理で、ストレステストだの、地層は大丈夫だの、原発でないと、二酸化炭素を減らすことにならない。
電力が供給できない・・・
どんどん、つなげた理由がでてくる。人間は、感覚的な判断と論理的な判断の二つの脳の
働きを持っているように思う。放射能での地球滅亡の危険性は、皆わかっているのに、危険性の
判断に従わずになんとか、論理で、解決しようとし、その恐怖を変えようとしているように見える。
論理は、物事のつながりを考えていくだけであって、その最終の決断は、
人間の客観をとらえられる感性的な判断ではないか・・・(これを理性というのだろう)

イエスは、「その友のために命を捨つ、これより、おおいなる愛はなし」と説いた。それは、
論理(律法)では、ないことを示唆しているのでは、ないか。
「その友」とは、どういうことを言っているのだろうか。
親子の動物にもある本能的な愛を言っているのではなく、人間の仲間、同胞の大切さ、同じ星、同じ時期に
生きるものそれを客観的にわかっている、その上での隣人への愛なのではないか。
イエスは、その時代の人々の心の荒さを変えるため、まず、神を愛するように導き、神への愛を育て、
それから、その愛し方で、隣人を愛するように説く。そうして、人々の愛が育ったところで、人々の愛から
それを全人類への愛へと広げ、愛の尊さとそのあり方を説いて歩いた。

カントは、こういう場合、内なる道徳法則に従えと説く。それは、条件のない、内なる声のような
(ソクラテスの語るダイモニオンの声だろうか)判断である。命令のような強い形のものである。
それは、条件のある論理では、ない、瞬時に出てくるものである。人間は、科学の発達とともに
万物の霊長と呼ばれて、ほかの動物や植物とは違うことを自覚している、脳科学者が
他の人と共感、共有できる考えを持てることが人間の人間たる進化の結果だという。
日ごろ、あり方について考えることを行い、「命を捨てなければならない」状況のときは
その、内なる声にしたがうべきなのか・・・・

自分自身に問うてみると、生死を選ぶ状況のとき、他者のために命を捨てられるとは言い切れない。
よりよき「生き方」は、学びながらいつも考えていこうと思っている。
だが、こうだ、とは決めていない。そうして、いざというときに、出てくる自分の判断にゆだねるだけだ、
と思っている。
日ごろの自分の生き方がそのとき出るのだろう。私の心のレベルの成長は、こんなところでしかない。

もう少し、金子みすず

2016-03-25 17:01:13 | 日記
 

蜂と神さま

蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。





お花が散って、
実が熟れて、

その実が落ちて、
葉が落ちて、

それから芽が出て、
花が咲く。

そうして何べん
回ったら、
この木は御用が
すむかしら。



蓮と鶏

泥のなかから
蓮が咲く。

それをするのは、
蓮じゃない。

卵のなかから
鶏が出る。

それをするのは
鶏じゃない。
 
それに私は
気がついた。

それも私の
せいじゃない。

金子みすずのやさしさ

2016-03-24 17:59:09 | 日記
  


  雀のかあさん


  子供が
  子雀
  つかまえた。

  その子の
  かあさん笑ってた。

  雀の
  かあさん
  それみてた。

  お屋根で
  鳴かずに
  それみてた。




  こだまでしょうか

  
  「遊ぼう」っていうと
  「遊ばない」っていう。

  「馬鹿」っていうと
  「馬鹿」っていう。

  「もう遊ばない」っていうと
  「遊ばない」っていう。

  そうして、あとで
  さみしくなって、

  「ごめんね」っていうと
  「ごめんね」っていう。

  こだまでしょうか、
  いいえ誰でも。




この二編覚えていますか。これは、2011年の東日本大震災、津波が起こったとき、
テレビの放送で新しい情報が出てくるまでの間に、広告機構が流していた詩です。
私は、このとき、初めて、金子みすずさんの存在に気づきました。
なんで、このとき、広告機構がこれを流していたのか、その理由は、わかりませんが。
非常時のときに流すものとして用意していたものと思われます。
それは、ともかく、彼女の繊細な感性に大変感動しました。その後、『金子みすず 童揺集』
(ハルキ文庫 角川春樹事務所刊)を手に入れました。
テレビでも生涯を描いたものが放映されたこともありました。最後は、かわいそうな形で
亡くなっています。
人間のエゴというか、宇宙の一部という意識も弱く、身を供して他のものを生かしている
植物、動物などに気づかない、大自然の法則を無視している人とは、まったく違い、繊細な、
暖かい心で生きとし生けるものに目を向けていると切に感じています。なにが大切なのかが
わかっていた方です。

イエス・キリスト、ゴータマ・ブッダの伝えたかったこと

2016-03-23 18:50:58 | 日記
イエス、ブッダの教えは、宇宙の「法則」を悟ってそれを前提にして生き方を説いているように思います。
教えを考えていくことによって、その「法則」の重大性についてわかってくるように思うのです。
最近では、この「法則」と呼ぶものを「サムシング グレイト」と表す科学者がいます。
イエス、ブッダの考え方を倫理参考書を使って少し見てみましょう・・・


ゴータマ・ブッダ
ブッタの悟った真理=法は縁起の法であり、これは、一切皆苦、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静(ニルバーナ)と
いう四法印を根本的特徴とする。
悟りへの道として四諦、八正道が説かれる。
縁起についての無知が我執(一切の煩悩の根本)を生む。
さらにブッダは、生きとし生けるものすべて(一切衆生)に対する慈悲の心を説いて人間の理想の姿の実現に
努めた。

イエス・キリスト
神の愛は無差別・無償の愛とし、永遠の愛であるとした。
神は人間に対し、神への愛と隣人愛を命じたとする。
使途パウロは、イエスの贖罪によって原罪にけがされた人類は、救われたとし、律法の行いによってではなく、
信仰によって人は義とされると説く。


この両者は、ブッダ=客観的とらえ方、イエス=主観的とらえ方といえるように思います。
しかし、「人間のあり方」として、同じ方向を見ているのです。
仏教では、絶対者=宇宙の根源としています。イエスは、人格神を設定していますがそれは、仏教の
絶対者と同じです。

ここで、神=霊の問題が出てきます。霊の存在自体は、最近のいろいろな情報の事例を見れば
否定はできません。仮死状態での臨死体験など、実にリアルです。これを脳の物質による仮想のものだと
する人もいますが、それは、研究が足りません。最近では、脳のシルビウス溝に電気刺激を与えると
幽体離脱することが起こり、それをカナダの大学では、体験させることをしているところがあるそうです。
自分も高校生のときに幽体離脱の経験がありますから、肉体と魂が別にあり、つながっている感覚があります。
霊魂と体の二重の形で人間は存在しているのです。霊などの別次元の世界があるのではないかということは、
量子力学がでてから、科学者も探求しだしているものがいます。

イエスが高次の霊から指示を受けたことは、あると認めるとして、では、なにが大切かというと、
「人間のあり方」なのです。
どうあるべきか、
イエスは、
「人その友のために命を棄つること。これより大いなる愛はなし。
 たがいに僕となること。
 己のごとく汝の隣り人を愛せよ。」
と説きました。

ブッダは、
「自分の心のなかにある善の自分、それこそが人間の心のすべてであり、永遠不滅の生命の根本である。
 心が善我だけならば心は、すがすがしく浄化され、何の苦しみも起こらない。
 善我とは、他人のために尽くし、愛を分け与えるということである。」
と説きます。

両者を見て、考えてみると、「共存共栄」の法則が見えてくるのです。

太陽系・第3惑星、地球人としての心得は「共存・共栄」

2016-03-22 19:05:33 | 日記
自然、人間、動物、植物を問わず、ありとあらゆるもの、ならびに現象は宇宙にその源をたどるものであり、
宇宙は、万物を一つに統一していように見える。
つまり、
宇宙は、宇宙の構成、宇宙の仕組み、変化しつつ、恒常的であって形は変わるが絶対的存在は、
変わらない不変のもの。そのあらゆることがらや現象を産み出したものと見做される。
これは、宇宙は、「法則」(決まった条件のもとで常に成立する関係)に従っていると推察される。
だから、人間はこれを神と同じものと定義すべきものではないか。

人類が残した先人の優れた考えを見てみると、四大宗教を始め先人の優れた、教えは、あまねく、
「同じ法則」に従うものであるといえそうだ。(大宇宙、大自然の法則と呼べるのではないか・・・)
「共存共栄」はこの法則をわかりやすくとらえた真理だと思う。
従って、宇宙の一部である人間は、お互いに助け合い、身を供して他のものを生かしている植物や動物、
あるいは、恒星と惑星間のつながりにも見られる大自然の法則を無視して勝手な行動にでるのは、
許されないことになる。

「共存共栄」の意識を上手に使い地球に生きるものとして気概を持って生きたい・・・

島崎藤村からのアドヴァイス

2016-03-21 16:51:19 | 日記
昨日は藤村の詩を紹介しましたが、こんなことを言っています。

「 すぐれた人の書いた文章は、それを黙読玩味するばかりでなく、
 ときには心ゆくばかり声をあげて読んでみたい。
  われわれはあまりに黙読になれすぎた。文章を音読することは、
 愛なくてはかなわぬことだ。島崎藤村」

詩を音読することは、気に入ったものだと楽しいものです。カラオケで
歌うことも楽しいでしょうが、自分の声で詩を声をだして音読すると
なんともいえない内容の実感が感じられてきます。
情緒を豊かに育てるのによいのではないかと思っています。
   
 それと、もう一つ面白いのは、
音読は、詩だけでなく、昔は、素読と言って、
「論語」などをはじめ四書五経などを日本では、音読で勉強しました。
実は、この音読は、脳科学が研究されてきて、脳の中の写真記憶と
つながっていて、繰り返しやっていると、記憶力があがるらしいという
ことが言われています。覚えた内容は、記憶の深いところに
(海馬よりもっと深い間脳)記憶されるようです。
耳から入った繰り返される記憶が記憶力を高めるらしいのです。

真言を100万遍唱えるという只管暗唱法によって能力を開いた人物に
空海、弘法大師がいる。
また、明治、大正のころ、千葉県に山崎弁栄(べんね)という上人が
いて、本をぱらぱらと二度三度めくっただけで、その内容をすべて理解し、
記憶した人として有名だそうです。この方も二十一、二歳のころ朝から晩まで
念仏三昧に明け暮れたためで、情報がスッと取れ、イメージで再現できるという
能力をみにつけこの働きは、右脳の回路を開いていたためだといわれています。
これは、七田眞氏の本でよく紹介されています。

最近の教育は、理解しなくては、何回唱えて暗記しても無駄だ、という考え方
がありますが、私は、そうは思いません。
理解できていなくても覚えていたことが後で経験とつながって理解ができるという
ことがあります。それに、何度も繰り返して脳に入れる方法が記憶力をあげるのですから、
気に入った詩を何べんも音読して楽しみながら、やってみるべきです。
情緒を豊かにして、記憶力もあげられるのですから、一石二鳥です。




「小諸なる古城のほとり」を鑑賞する

2016-03-20 16:32:52 | 日記
    

    小諸なる古城のほとり
    雲白く遊子悲しむ
    緑なすはこべは萌えず
    若草も籍くによしなし
    しろがねの衾の岡辺
    日に溶けて淡雪流る

    あたたかき光はあれど
    野に満つる香りも知らず
    浅くのみ春は霞みて
    麦の色はつかに青し
    旅人の群れはいくつか
    畠中の道を急ぎぬ

    暮れゆけば浅間も見えず
    歌哀し左久の草笛
    千曲川いざよふ波の
    岸近き宿にのぼりつ
    濁り酒濁れる飲みて
    草枕しばし慰む


    「落梅集」島崎藤村より

英語勉強法・英語は、日本語の「主部+述部」でとらえる

2016-03-19 17:40:42 | 英語
   

昨日の続きですが、これは、「~は~です」というパターンで、英語もとらえると
簡単になるのではないか、という方法です。
つまり、

{MY boss has}までを「~は」と、とらえて、
{a bad taste}を「~です」と、とらえます。

英語でも、日本語でも、おそらく他の言語でも、「主部+述部」のパターンは、変わらない。
日本の英語の授業のように分解して、日本語の文法に当てはめるのではなく、
「主部+述部」のパターンは頭のなかに置いておき、英語も、日本語も頭から、言葉を
はめていくのです。

ですから、

My boss has /a bad taste/ in tiies.は
私の上司が持っているのは(主部)/悪い趣味です(述部)/となります。
「in ties」は、述部にいれます。ですから、
/悪い趣味で、ネクタイについてです(述部)/とします。

日本の文法で
1.S+V
2.S+V+C
3.S+V+O
4.S+V+IO+DO
5.S+V+O+C
という基本がありますが、「S+V」=主部、「C,Oなど、後半」=述部と考えます。
「S+V」=「~は」として、「C,Oなど、後半」=「~です」とします。「~です」の中の
その後の内容は並列してとらえていきます。

こうすると実にシンプルになると思いませんか。全体をたった二つのパターンでとらえているわけです。
英語圏の方もこのように実は単純に使っていると聞いたこともあります。
発音のときも、これを意識していると、読みやすくなるようです。
NHKのラジオ講座でも「S+V」を判断語としているところもあります。
このパターンを使って、どんどん多読しましょう。




英語の勉強方法、これが一番ベスト

2016-03-18 17:13:58 | 英語
   

いろいろな英語勉強法の情報をみて、検討していましたが、現在ベストだと考えているものを
紹介してみたいと思います。
それは、三つの方法をやればよいというものです。

1)音読をする
2)多読をする
3)必要最低限の英語表現を覚える

1)の音読は、国弘氏が昔すすめていた、只管音読と同じだと思います。テープ、CDなどの教材の
ように後からついて何度も発音します。音になれたら、今度は、シャドウィングといって、発音のすぐ後
をかぶせて発音していき、テープ、CDの発音が終わると同時に自分の発音も終わるというように
練習します。
日本語と英語は、周波数域が重なっていないので、それになれるためでしょうか。日本人の英語がなじまない
というのは、多分ここに原因があると思われますが、只管音読(ただひたすら発音していこと)をつづけて
なれるということでしょう。

2)の多読は、単語を文章の中で覚えることと、英文の構造になれる、ということだと思います。
ある英語勉強法を書いている方の奥様が、フィンランドの方でやはり、英語ができなくていたらしいのですが、
その方の方法は、英字新聞を毎日、隅から隅まで読むということだったそうです。最初は、大変、苦労されて
いたそうですが、だんだんなれてきて、自然にわかるようになったらしいです。
英語は、ただ前から読むということですが、これについては、面白いくふうがあります。

My boss has a bad taste in ties.

という文があるとします。これを最初から読んでいくと、どうなるか・・・こうなります。

 My boss has / a bad taste /in ties.
「私の上司が持っているのは(は)、/ 悪い趣味で、/(それは)ネクタイでです。」

つまり、日本語の正しい文法に置き換えないで、つじつまを合わせて読む、ということです。幸い、日本語は、
助詞、助動詞、連体詞、代名詞が多いのでそれで、それを駆使して前から読んで意味をとります。
それをやっていると、わざわざ助詞、助動詞、連体詞、代名詞、を使わなくても、英語だけで順番になれるというわけです。
なにも最初から、英語になれなくても、日本語で、最初から読んでいけばよいのです。
以前に英語圏の国でない人で、修道士の方が自分の言語でマスターしていったということを知ってどうやって
いたのかと思っていましたが、日本語も使って読むことができると気づき面白いなと思ったものです。
コツは意味をとり、言葉を対応させないことです。

3)は、慣用句や、いつも使っている英語圏の言い回しを覚えるということでしょう。
すらすらと英文ができるまで音読して、身に着けてしまうというものです。
最近はやっている、スピード・ラーニングは、これと同じでしょう。私の場合、ワン・フレーズに一つのイメージの絵が
ついているものを暗記しました。イメージとフレーズをつなげて何度も繰り返すとたやすく覚えられます。

『英語を学ぶのは、40歳からがいい─3つの習慣で力がつく驚異の勉強法』(菊間ひろみ・幻冬社新書)
を私自身の経験をいれて紹介しました。
今後も、勉強法は、研究していこうと思っています。

日本にある55(廃炉含めて)基の原子炉はすべて廃炉にしなげればならない

2016-03-16 18:57:10 | 原発
昨日、深夜NHKで再放送のNHKスペシャル「原発メルトダウン」{危機88時間を実録ドラマ化)を見た。
ひどいものだ。そこで、勇敢に働く人たちが戦争で戦っている兵士たちに見えた。
頭が下がる思いだった・・・

日本の原子力発電事業は、最初の一号機建設当時、湯川博士が最新の注意をしてよく理解し、しかも、
日本の独自の形で行わなければならないといわれていたと思う。NHKの別の番組で見た。
しかし、日本の科学者がわからぬまま、米国の圧力で、政治の駆け引きで、結局導入し、使い方だけを学び、
国民が知らないまま、あっという間に日本全国に55基もできてしまった。
私もクリーンだという宣伝に楽な気持ちで原発をとらえていた。しかし、ことが起こり、調べたり、
考えたりするととんでもないものだとわかった。

私が調べたのでは、原子炉を冷やすための排熱がすごい。(冷温停止にしていても動いているという
恐ろしさ・・・)
稼動しているときの状態は、日本全体では、毎日、広島に投下された原爆100個に相当する巨大な熱量になる。
広島の原爆は一瞬で町を焼き尽くして跡形もなく消し、14万人の命を奪った。
それが毎日100個であればどうなるか。この熱量で海の生態系がこわれないはずがない。
「電力の三分の一は原子力です」という前に「原発は発電量の二倍の熱量で海を加熱している」と
いうべき。

北海道の原発で、海が暖かくなり、「たら」がとれなくなり、「たらこ」も海外輸入になっている。
北海道・岩内のスケソウを取る船が100隻だったのが、2009年には5隻になってしまっている。
「たら」は、寒い海で上にあがってきてとるのだが、海が熱くなり、みんな下へもぐってしまったという。
海水温を現地の方が測りつづけてきて、泊原発、運転により、ぐんぐん海水温があがってきた、と
証言しています。このことを政府、公機関に伝えても、相手にされないようです。
ここに政府の海外の原発プラントへの会社への迎合がみえませんか。
「こんぶ」、「わかめ」、も寒い海でなければいけないのに、ひどい状態になっていると聞きます。
「こんぶ」の生息が豊かだとそれをえさにする「ウニ」が繁栄しますが、それも現在少ないようだ。
現在は、日本全国の原発稼動が止まっているので、一時期猛烈に暖められた日本近海は
戻ってきているような気がしますが、また、稼動したら、フクシマと同じ危機と、さらに排熱による
近海の海産物の変化が大きく変わることになる。

私が気になっている温暖化のもう一つの情報として、実は、原子力の廃棄物の放射能が、地球を暖めて
いる、という説が存在します。
その指摘には、今までの核実験により出た放射能が、極に集まり、それは、熱を持つという
ものです。それが、北極などの氷を溶かしているといいます。
これを知ったとき、では、原発からも安全に稼動しているときでも、放射能が少しでているのですから、
それも極に集まっている可能性があります。

結局、
原発は、クリーンではなく、海水を温め、また、大気も暖め極の氷をとかす。
フクシマのようにコントロールできない、いい加減な中途半端な機械であるということです。
一基備え付けるのに2億円動くといわれますから、相当な商売です。
原発プラントを売る巨大資本の会社は、膨大な儲けになります。
原子力を研究するのは、否定しませんが、中途半端なものを製品化して商売にして儲けるのは許せません。
温暖化については、この原発を推進する連中がいろいろなところへ売るための理由として、
二酸化炭素温暖化をでっちあげた、ということも聞きます。
また、地震国日本であるのに関わらず、巨大資本が金のために科学者も巻き込み、論理的な理由を演繹的に
当然のことのようにしてでっちあげている、のも聞こえてきます。

『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(広瀬 隆著・集英社新書)

の本を是非、読んでみてください。私の憤りが理解できると思います。