ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

腰を低くして、他人から学ぼうとする    ロジャー・ベーコン

2016-09-29 19:10:07 | 知恵の情報
人々が賢明になればなるほど、ますます、彼らは、腰を低くして、他人から学ぼうと
する。彼らは、自分たちに教えてくれる人たちの単純さを、軽蔑したりはしない。
彼ら、農夫や、貧しい女や、子供たちの水準にまで喜んで身を低める。賢明な
人たちの注意をひかないような、単純で無学な人たちには、沢山なことがらが
知られているのだ。・・・私は有名な博士たちからよりも、学校ではその名も知られ
ていないような、身分の低い人たちから、比較にならないほどに大切な真理を、
学んできたのである。

─ロジャー・ベーコン(1214~1294)イギリスの哲学者。自然科学者、数学と
 経験とを重んじ、実験的方法によって科学の近代化をはかった中世最初の
 学者。
─『一日一言 -人類の知恵ー』桑原武夫編 岩波新書から

帰納法を確立したのでは、なかったか。デカルトの演繹法とあわせて、科学の実験
方法として現代の科学の支えになっている。面白い逸話も存在する。シェークスピアの
作品を書いたのかもしれないという逸話である。最近では、外交官のような人が
シェイクスピアだと西洋では、研究されているが。シェイクスピアの本に赤線を
引いて相当研究しているあとがのこされている・・・ 
             

邂逅(偶然の出会い)の歓喜あるところに人生の幸福がある      亀井勝一郎

2016-09-28 18:10:36 | 知恵の情報
もしこのとき、この人(あるいは書物)に会わなかったならば、自分はどうなっていた
であろうと思うことがある。そこに生ずるのは謝念である。人生に対する謝念とは
邂逅の歓喜である。たとい貧苦病身災難のうちにあろうとも、邂逅の歓喜あると
ころに人生の幸福があると私は思っている。私はそれ以外の人生の幸福を信じ
ない。(『絶望からの出発』亀井勝一郎 大和出版)

邂逅(かいこう):思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。「旧友と―する」
謝念:感謝の心

この世の如何なる人であっても、望みの方向で一応の立場に達した場合、必ず
ふたつの条件が前提となっている。その第一は、とにもかくにも運がよかったから
である。その第二は、自分の素質を認めて引き立ててくれた恩人がいたことで
ある。あらゆる人は自分が悪運に引きずられなかった幸運を噛みしめるべきである。
そのうえで自分にとっての恩人に感謝しなければならない。謝念を忘れた人に
将来はないと見るべきではないか。(谷沢永一)
─『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2 
  谷沢永一著 PHP研究所より

過去を振り返り、内観してみるとき、私を助けてくれた人はたくさんいる。
思い返すそのつど、感謝せずにいられない・・・

内観:すべての事柄─自分をも含めて一切を客観的に考え、判断すること。

自信とはどんなものか

2016-09-27 18:54:33 | 知恵の情報
そもそも自信とは、どんなものですか。
強い人が勝ち、弱い人が負ける、上手な人がよくできて、下手な人が、うまくでき
ない。それが事実であって、その事実をそのままにみるのが、信念であり、自信であ
ります。

しかし、それではなんの変哲もないから、みなさんは、できないこともでき、強い人
にも勝つように、自信というものを作りたいという野心がありませんか。

そこが自欺のもとであり、間違いだらけになる原因であります。「事実唯真」
の私の言の反対になります.。

それで、たとえば高飛びのとき、気おくれがして、やれなくなる。そのときに、
どうすればよいかといえば、自信とか、そのほかいろいろの自分の心の態度を
きめる、とかいうはからいごとに迷わずに、私は、「静かに自分自身を見つめよ」
といいます。そうすると、自分がもう少し上達したい、ちょっとでも余計に飛びたい
という欲望があるかないかを見定めることができます。もし、欲望がなければ
楽なものです。気おくれもいらない。ただやめさえすればよい。しかし、また
欲望の強いときには、一方にはその努力の苦心を考えると、その欲望を否定
するような、「自分はこんなことよりも、勉強をしなければならない」とか、
「自分の素質には不適当だ」とかいうような考えが起こって、奮闘心を鈍らせて、
中止する。しかしまた、次の日は、ツイツイその欲望に駆られて、手を出して
みるというふうで、それでもやめずに続けていさえすれば、ついには上達して、
自信も出てくるようになる。

─『現代に生きる森田正馬のことば Ⅱ新しい自分で生きる』生活の発見会編 白洋社
  より再掲

「人間の魂の自由を奪うものは人間の欲望と虚栄心と執着なのです。」といわれるが、
この自覚をもちながら、欲望の状態をうまくあるがままにみていくとき、
その上達はすがすがしいものになるのだろう・・・

困難に直面して問うべきは、「さて、どうするか」     日野原重明

2016-09-26 18:25:38 | 知恵の情報
人は、耐えることを、自由を奪われることのように思っています。病の床にある人も
健康ならば享受できるはずの自由を病によってことごとく奪われているように感じる
ことでしょう。

けれども、耐えることを自ら選びとって病を耐えたとき、たとえからだは病によって
自由を奪われたとしても、その人の内面は心の大きなゆとりを体験します。
これほど豊かな、何ものにも束縛されない自由はありません。そして、この
内面の自由を体験したことによって、人は人間として一段と高みに立つことが
できるのです。
 
直面する困難を自分のなかでどうとらえるか、そのとらえかた次第で私たちの
生きかたは大きく変わってきます。

苦難や不幸を、
「なぜ私がこんな目に遇わなければならないのか」
と呪っているかぎり、人はその状態にとらわれ、停滞し、身動きをとることができ
ません。その境遇にいつまでもこだわるのではなく、
「ここから始まるのだ」
ととらえ直すことができれば、私たちはかならず前進できます。発すべき問いは、
「なぜ、こうなのか」ではなく、「さて、どうするか」なのです。
両足は、「いま」という地点をしっかりと踏みしめ、目はずっと両方を見つめるのです。
 
そうやって耐えている姿は、外から見るかぎりでは何もせずじっとしているだけの
ように映るかもしれませんが、その人の心の内側には、自分の生きかたの流れ
を変える大きな力がすでにたくわえられようとしています。

耐えるとは受身で消極的な姿勢ではなく、これほど内なる勇気をもって現実に
立ち向かう態度は、ほかにはありません。

─『続生き方上手』日野原重明著 ユーリーグ株式会社刊より

小林真央さんのことを思い出した。
まさにこの状況にある。
ブログを立ち上げたのも彼女の心境が変わったのだろう。
ここから始まり、「さてどうするか」・・・
大きな力が、気となって蓄えられ、奇跡が起こせるか・・・
大腸がんをやった私としては、生きてもらいたい・・・

すべての宗教は同じもの    死後の世界は3次元とつながった世界

2016-09-25 18:06:44 | 知恵の情報
真実であり、本当であるものは、いつでもどこでも真実であり、本当のものです。
たとえば、敬虔なキリスト教徒と、敬虔な仏教徒に区別はありません。心を
浄化し、生活を信心深いものにし、聖なるものを目指す向上心を持ち、真理を
愛することは、仏教徒もキリスト教徒も同じです。仏教におけるよい行いは、
キリスト教におけるよい行いと変わるところがありません。

罪に対して自責の念を感じ、悪い思考や行動を悲しむのは、キリスト教徒だけ
ではなく、すべての精神的な教えを実践する人の心の中から生まれてくるのです。
どんな教えでも、憐れみが必要だというのは同じように素晴らしいこととされてい
ます。また、愛が必要だというのも、同じく、素晴らしいこととされます。

すべての思想の土台は同じであり、同じ基本的な真理を説いています。しかし、
これらの真理を実践せずに、自分が経験して知らないことについて意見を
述べたり、仮設を立てたりしてしまうと、自分たちの独自の理論をぶつけ合い、、
お互いに言い争うようになってしまうのです。

相手を非難することは、相手を迫害することにつながっていきます。
「私は正しい。あなたは間違っている」という考え方は、憎しみの種となり
ます。スペインの異端審問は、この憎しみの種から生まれました。

不変の真理を見つけたいと思う人は、独りよがりの考えをやめ、憎しみに
満ちた非難をぶつけ合うことをやめなければなりません。心の中から

「他の人はみんな間違っている」という有害な思想を取り除き、「間違って
いるのはわたしだ」という悟った思考をしなければなりません。

そして、このように考えるようになると、罪を犯すこともなくなり、すべての
人に対して愛と優しさをもって生きることができます。また、分け隔てする
ことなく、どんな不和にも加担せず、調停する人となり、派閥を強化する
ことはありません。こうして、慈愛をすべての人に向ける生き方をしていく
ならば、みんなとともに生きる人となれます。

そして、このような人は、大宇宙の真理、永遠の真実を理解します。
というのも、分裂を生み出すのは間違った考え方と自分本位の心ですが、
逆に真理は真理そのものを明らかにし、すべての精神的な教えは一つ
になるからなのです。

─『「意志」と「人生」の法則』 Light on Life's Difficulties ジェームズ・アレン
  松永英明訳 KKベストセラーズより

19世紀のジェームズ・アレンの洞察力には本当に感服するが、
20世紀末期に出された、宗教は同じもの、の根底には以下のようなとらえ
方がある・・・

「その教えは、あまねく宇宙を含めて同じ法則に従うものであり、自然、
人間、動物、植物を問わず、ありとあらゆるものならびに現象は宇宙
にその源をたどるものであり、宇宙はそのあらゆることがらや現象を産み
出したものと見做されるべきであり、これが即ち、皆さまが神と同じもの
と定義すべきであるというものなのです。なぜならば、いままで神と
あがめられたかたは、すべて偉大な人間の魂であり、進化の法則に従って
派生した一生物の一環をなすもの、動物の種族の一つである人間の
魂に過ぎないからです。私たち天使も、如来様も菩薩様も、偉大な学者
も発明家も、医者でさえも、死後は同じ人間の魂であり、それぞれの
位置するところによってその働きや役目がことなるだけなのです。」
(『天国の扉』たま出版)

これは、死んだ後、その世界へ行ったものの高次からの発表であり、
重要なことを含んでいる。
死後の世界は、特別な世界ではなく、三次元と呼ぶ私たちの世界
のほかに、異次元、つまり四次元という世界が存在していたのだという
ことである。私たちが死ねば四次元の世界に移行するだけだという
ことなのである。そうして、その世界も三次元で知った進化の法則
に従っているということ。四次元以降も自然法則のなかにいるという
ことである。UFO,異星人の情報を調べていると、死後の様子が
異星人たちには見えるという情報があったが、上記内容は、死者の
世界からの発表なのである・・・そうして、死者の世界にも役割として
の段階があることもわかる。

噴水用の鉄管と木管     「人と過ちを同じくすべし」

2016-09-22 18:34:34 | 知恵の情報
博覧会事務局から渡された噴水用の鉄管を調べた工事請負人の服部長七は、
とてもこれでは弱くて噴水の水圧に耐えそうもないと判断すると、監督技師の
工学士に取り換えることを要求した。明治初年のこの頃は日本の鉄工技術は
未熟で、高水圧に耐える鉄管はなかなか造れなかった。服部はそういう鉄管の
不便さから、木管で相当な水圧にまで耐えるものを工夫していたので、もし
この鉄管しかないのなら、自分の木管を用いてもよいと思っていたので、その
お伺いも立てると、工学士はにべもなくはねつけ、その鉄管でよろしい、という。

そこでやむなく服部はその鉄管で噴水の装置を作り、開会前日の試験を持った。
その日、服部の杞憂は事実となって現れ、噴水は最初のひとふきをすると、
鉄管はひび割れて用をなさない、あわてた工学士は「早く鉄管を取りかえろ」
ときびしく命じた。(だから言わんことではない)と服部は、はらの中で思ったが、
工学士の監督者という立場を思って何にも言わず、こんどは自分の工夫した
木管をひそかに装置したのである。そして翌日、第二回内国勧業博覧会は
花々しく会場された。その入り口を飾る美しい大噴水は来会者の眼を奪った
のである。

やがて、会期も無事に終えて、他の建物と共に噴水も取りこわすことになった。
工学士は鉄管の状態に強い関心をもって、取りこわしを見守ったが、掘り出さ
れたのは、かつて服部がすすめた木管ではないか。彼は赤面した、と同時
に自分の責任を無事に果たさせてくれた服部の厚い人情の前に深々と頭を
下げた。

「当に人と過ちを同じくすべし、当に人と功を同じくすべからず」という
「菜根譚」前一四一条の句は、上記の服部にあてはまる。こういう人情が
やがて自分自身を救い上げることになる。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院より

{参考}
当(まさ)に人と過(わざわい)を同じくすべく、当(まさ)に人と功を同じく
すべからず。功を同じくすれば、則(すなわ)ち相忌(あいい)まん。人と患難
(かんなん)を共ともにすべく、人と安楽(あんらく)を共にすべからず。安楽、
共にせば、則(すなわ)ち相仇(あいあだ)とす。

他人と失敗は分かち合う方が良く、成功を分かち合うのは良くない。
成功を分かち合おうとすると、互いに相手を遠ざけ仲たがいに発展してしまう。
他人と苦労を分かち合う事は出来るが、安楽を分かち合うことは出来ない。
安楽を分かち合おうとすると、互いに相手を遠ざけ仲たがいに発展してしまう。
つまり、不味い物は皆で食べれば何とか食べられるが、美味しい物は一人で食べ
ないと相互に不満が起きて、二度と不味い物を一緒に食べられる仲間には戻れなく
なるということ。言換えれば、活人が、友を大事にするなら、幸せな顔を見せない
方が良いということ。慧智(030622)

 ★  ★  ★  ★

最近の問題、築地~豊洲問題に服部のような人材が必要だ。
テレビで見ていると優れた見方をする方もいる。そういう人をたくさんスタッフに
お願いして、知恵のある方法で解決してほしい。
現実的には、いまの豊洲を改修して使うのがよいのだと思うが、私は、
築地の土地をねらう金融投資家などの動きが(外国資本など)あると聞くと、
それは、防ぎたいと思う。
世界に有名になっている、築地であり、昔の電車の車庫の半円形の形
は、面白いし、改造立替えをしたほうがよいのではないかと思ったりする。
老朽化というが日本の建築技術は進んでいるはず、どこかへ仮移転しなくても
少しずつ直していけばよい。どこかへ仮移転しなくては直せないというのは、
どうも豊洲へ誘導するためのうそに思える。実際駅などの直しを考えると、
日常の客の乗り降りをさせながらきように直しているではないか。
デパートもそうだし、大仏殿でもうまくやっている。操業しながらの方法は
なんとかなるはず。日本人の少しずつ積み上げて物事をなしていくのは、
日本の文化の特徴でもあるのではないか・・・

厳しさのない慈悲は人をだめにします

2016-09-21 17:59:36 | 知恵の情報
慈悲についてお話しましょう。
善人は憐み深く人助けばかりしますが、彼等が善人と呼ばれて賢人とならないのは
何故でしょう。

慈悲は悲しみを共に感じることから起こっています。
この自然の中で人類だけが意識を持ち、慈悲を持っているのは、苦しみながらも
生きてゆかねばならないことへの救いともなっています。

しかし、慈悲はそれだけでは人を救うには至りません。憐みという悲しみにとらわれ
ているだけでは一時しのぎの人助けしかできないのです。
何をする場合でも一時しのぎでは、後から必ず破たんが来るように、人助けもユート
ビアづくりもそうです。何がそれにとって建設的なのか、を考えて慈悲をかけねば
ならないのです。

厳しさとは言っても、きつくするのや、むざむざ失敗しようとするのを放って置く、
或いはしごく、というのとは違います。
直すべきところ、改善せねばならぬものを甘やかさず辛抱強く見守ることです。
善人であるだけではユートピアづくりは難しいのです。賢くなければ悪らつな人間
に頭からねじ伏せられてしまいます。

個々の家庭でもそうであるように、より良く生き、家庭を守り、外からの侵入を
許さないというには賢さが必要なのです。
厳しさのない慈悲は人をだめにします。賢さのない善は実らないのです。
(エル・ピラッテラ 3月24日 口述筆記土田展子)

─『希望と愛と光』 JI出版より

慈悲とは、生きとし生けるものすべて(一切衆生への)の慈悲の心と理解している。
慈しみ、哀れみの心だがそこに厳しさが必要だといわれる。
慈悲とは素直に考えると感情的な感覚だと思うのでそこに厳しさを加えると慈悲自体の
性質に矛盾がきはしまいか・・・
慈悲の気持ちを持っても、それに流されるな、客観的に自分を見ていなければいけない
ということなのだろうか・・・


温暖化のもう一つの原因──地震やハリケーンを人工的に引き起こす「HAARP」

2016-09-20 17:56:35 | 知恵の情報
最初に使われたのは1976年。当時は地球を温暖化させるつもりだった。
(おそらく当初は、氷河期が来るという話があったのでその対策だったかもしれ
ない・・・オギ)
この兵器の情報はプログラムの開発に携わったバーナード・イーストランド博士
が1987年に特許を取ったとき、マスコミで報道されたことがある。原理は電子
レンジに似ていて、周波数を調整することによって嵐に熱を起こさせる。その
エネルギーは莫大で、仮に電子レンジを600ワットとすると、HAARPは17億
キロワット。ハリケーンに電磁波を飛ばせば、勢いが増し、被害は大きくなる。

1994年の夏、大きなハリケーンがアメリカに上陸した。ミシシッピ川があふれ、
ハリケーンは不自然にずっと同じ場所に停滞した。これはHAARPによるもの。
『ニューヨークタイムズ』は「500年に1回しかない」と表現した。

ちなみに、2005年8月にメキシコ湾からニューオリンズに上陸したハリケーン
「カトリーナ」や2008年5月にミャンマーを襲った巨大サイクロンも気象操作
によるものだ。いずれも激しく、同じ場所にとどまったのが特徴である。
科学雑誌は「500年に1度」と書いたが、無理もない。普通に天気学を勉強
した人に説明できるわけがないからだ。

地震の場合は、対象となる物質が持つ特有の周波数を強力に送り込むこと
で引き起こす。オペラ歌手が、高い声でガラスのコップを割るパフォーマンス
を見たことがある人も多いだろう。同様に、地面にある周波数の電波を発信
すると石が割れる。テスラ(エジソンがいた時代の鬼才の科学者)が
「地球でもリンゴを割るように」と表現した通りである。また、電子レンジと
同じ周波数を出すと地下水が熱くなり、地殻が膨張する。これによって地震
を起こすことができる。

人工地震の特徴は、地震が起きる前に空でプラズマの塊が目撃されること
である。HAARPは高周波の強力な放射ビームを地球の電離層に飛ばして
から、地面に跳ね返させることができる。1976年に中国で唐山地震が起き、
公式発表で約24万人の死者が出たが、このときも凄い光が目撃されている。

2007年7月の新潟県中越沖地震の前も、2008年5月の中国の四川大
地震の前にも、同じくプラズマが撮影されている。新潟の地震のとき空に
現れた前兆は、インターネット動画サイト「You Yube」に「FULFORD
VS HAARP」の題でアップしているから、ぜひ見てほしい。

─『闇の支配者に握り潰された世界を救う技術』ベンジャミン・フルフォード
  (元『フォーブス』アジア太平洋支局長)ランダムハウス講談社

 

 

 


以前にも書いたが大変な話である。この本が2009年5月に出ているもの
だから、その後の地震も疑ってみなくてはならない・・・岩手沖の地震も
熊本の地震もだ。神戸の地震も。(今は、政治的駆け引きで使われているらしい。)
アメリカではケーブルテレビでディスカバリーチャンネルというのがあるが
そこでもこの兵器の問題は扱われている。最近では、韓国でも取り上げられ
たり、海外では、扱われている。日本のメディアは、だめである。柔軟な姿勢が
なく、発言で自分がたたかれることを気にしてニュースにしない。日本の国民は
井の中のかわずで、自分の考える方向をコントロールされている。
これは、夢物語ではないのである。ネット社会になりつつあり、若者は
きっと目が開きつつ、こういうことを「とんでも本」の範疇だなどと軽く判断
しないでまじめに考えてくれることを願っている・・・

エルニーニョ、ラニーニャなどの現象、海水が暖まるのは、この兵器で操作
されているともいわれている。
アメリカの戦略のなかで、研究されてきたものだろう。長い時間をかけて
太平洋上や、大陸で、実験を繰り返してきているのにちがいない。
ロシアも持っている可能性がある。ブログの以前の記事「人工地震を客観的に
考えてみる」で紹介したが米ロ両国で、1953年から考えられ、1970年
には完成し、互いに使わないように協定を結ぼうとしていた。その後どうなったか・・・

私は、俳句が好きで、歳時記などを見ると、気候の周期が法則として
感じられていたがここ何十年かは、どうも異常気象といわれて台風の
動きもおかしい。よく、台風が何時間も停滞して動かない現象が最近は
あるが、この兵器のせいだと考えると納得がいく。
しかし、アメリカの一部の連中はどうして、自然を征服しようとするのか、
共存していかないのか。野獣の動きをするのか。核兵器競争の時代に、
アメリカは、オゾン層など大気圏上層で、核の爆発の実験をしようとした。異星人が
それを察知して持っていったという。また、アポロ13号で月に核を運んだが
それも取り上げられたと言われている。この連中の先祖は、金星にいた
邪悪なる意識を持つものの集まりともいわれている。金星人がこの連中を
金星から追い出して地球に来たという話もある。地球人にウォークイン
した金星人オムネク・オネク女史の言である・・・

今、ここで友愛を実践する    ジェームズ・アレン

2016-09-19 18:02:17 | 知恵の情報
世界中の人との友好を広めることができないのは、仲間が自分と同じ見解を持って
いないからではありませんし、他の人が自分の思想を信じてくれないからでもありま
せん。あるいは、自分と同じ見方をしてくれないからでもないのです。
そうではなく、自分の心の中に悪意が残っているからにほかありません。

自分と違っているからという理由で、他人を憎んだり、避けたり、非難したりしていれ
ばどうなるでしょうか。「世界中の人と友好に」という大儀名文を掲げていながら、
わたしたちが言うこと、なすことすべてがそれに反しているわけです。

そのため、自分たちの目標も笑いものになり、茶番劇として見られるようになって
しまいます。

ですから、自分の心から、憎悪や悪意を完全に取り除きましょう、。本当に身近
なところにいてわたしたちを試してくれる人たちに対して、好意を持って接しま
しょう。自分を憎む人を愛しましょう。自分を批判し、自分の信じている教えを
批判する人たちのことを寛大に考えましょう。

一言で言うなら、友愛精神が最も必要とされる身近なところで友愛精神を実践
することが、世界中の人との友好を実現するための最初の第一歩だというこ
とです。そして、一人ひとりにとって重要なことで友愛精神を持つことに成功
したらば、世界中にその友愛精神が広がることも、それほど遠くはないでしょう。

─『「意志」と「人生」の法則』 Light on Life's Difficulties ジェームズ・アレン
  松永英明訳 KKベストセラーズより

  


天(宇宙)により、指示された善行とは善我に基づき行動することです。
すなわち相互保存─互いに助けあうことです。
「人その友のために生命を棄つること。これより大いなる愛はなし。」
「たがいの僕となること。」
「己のごとく汝の隣人を愛せよ。」

フィクションの魅力    ターナーと時代劇の問題点

2016-09-18 18:05:13 | 知恵の情報
 

夏目漱石の名作「坊ちゃん」の中で、イギリスの風景画の巨匠ターナーが紹介されて
以来、ターナーの名前はわが国では早くからおなじみである。そのターナーが晩年の
ある展覧会へ、すばらしい夕焼けの絵を出品したことがある。そのとき会場にいた
ターナーの傍らに知人の天文学者が来て、
「ターナー君、私は永年天文学者として、空の観察をしているが、こんな夕焼けは見た
ことがない。それに気象学上このような夕焼けはできるはずがない」
ときめつけた。するとターナーは微笑を浮かべながら、
「博士、あなたはこのような夕焼けを、ご覧になりたいとはお思いにないませんか」
とやりかえした。博士は芸術を実物の模写と思ったのだろうが、すべて芸術は自然の
ままでは成り立たない。風景画は実景をそのまま写すのではなく、そこに画家の
幾分かのフィクション(創意)が加わって素晴らしい風景画となる。そのフィクションと
いうのは、実際は自動車が通っているのに、人力車にしたり、何もないのに塔が描き
加えられたりもする。

フィクションは、絵画ばかりではなく、文学にもある。しかもありのままをつたえるところに
値打ちのある「紀行」や「日記」にさえフィクションが加味される。有名な芭蕉の紀行文
集「奥の細道」にしても、その正確さにおいて資料的価値ありとされる「永井荷風日記」
にしても、フィクションされた部分がある。

女の化粧も素顔に対してはフィクションといえる。このフィクションに男は異性美を感じ
恋心を発して結婚にゴールする。結婚後このフィクションが除かれるところに悲劇が
生ずる。やはり化粧も、永久にはげない名画のフィクションであってほしいものである。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院より

時代劇の衣装など、現代のドラマでは、実に色が鮮やかできれいに表現できるはずである。
しかし、時代考証を考えて、その時代のものに忠実にするとなんともおかしなものになる。
地味で、ドラマの華やかさがなくなる。ところが、その忠実さが正しいと誤解している。

そして、最近、不満なのは、NHKの大河ドラマである。時代考証のせいだとわかるのだが
ライトの当て方が妙に暗い。その時代の部屋では昔の時代劇のように明るいはずが
ないというところから、来ているように思えるが、私は、がっかりしてしまう。
そんな時代考証は、社会科のドラマ仕立ての教育映画でやればよい。ストーリーの
展開が息をつかせぬときにその部屋の中で薄暗く役者の演技など見えない。
着ている着物のあでやかさなど、見えない。なんとも薄気味悪いのである。
貧乏くさい、よれよれのリアリズムを追及するドラマなど見たくない。

このごろのNHKの時代劇は万事が万事こんな具合のように思える。昔のドラマのほうが
見せたいところがはっきりしていた。最近は愚かな監督が増えたものである。
時代絵巻のようなドラマは、心象的な光をあてるべきだ。そして、昔の時代の様子
を忠実に表現する必要はない。学校の授業ではない。昔の博物館に残っている
絵巻物だって輝かしく描かれている。描く人のフィクションが入っているのだ。
NHKのドラマでは、現代の染色技術や、背景、光の心理的な当て方など、現代の最高の技術で
豪華にできるところが面白いと思われないか・・・昔の草木染自体はいいものだろうが、その色は
テレビなどでは、地味なものである。やはり、鮮やかに染色した現代の技術で
フィクションの絵巻物を見たいものだ。現代こそ時代絵巻の豪華さが楽しめるはずだ。
テレビドラマも大衆芸術と言ってよいと思う。もっと芸術を意識すべきである。リアリズムの追求
ではない。
時代劇の華やかさでは、韓流の時代劇に負けている。

自分の苦しみを受け入れる       ジェームズ・アレン

2016-09-17 18:53:09 | 知恵の情報
自分の問題や厄介ごとが山積みになるときがあります。失敗して友人たちが離れて
いくときがあります。今まであなたを褒めそやしてきた人が鋭く批判してくるときが
あります。あなたの唇に押し当てられ、柔らかく、温かい愛情のこもったキスをして
くれた愛しい人の唇が、あなたをあざけり、馬鹿にしてきて、一人寂しく悲しみに
暮れるときがあります。昨日はその冷たい体を芝生の下の棺に横たえるときがあり
ます。

イエスも、自分が十字架にかけられる運命を予見して、ゲッセマネの園で苦悶し
ました。さまざまな苦しみがあなたの身にふりかかるとき、そのような苦難のとき
がきたのだと考えましょう。苦悩のさかずきはあなたのものですから、それを自分
で飲みほさねばなりません。黙って飲みほし、文句を言ってはいけません。

苛酷で暗く、一寸先も見えない苦悩が押し寄せるときには、どんな祈りも助けには
なりません。天に叫んでも、気分転換させてもらえるわけではありません。信じて
絶えようとするしかありません。そうすれば忍耐力が身につきます。愚痴をこぼす
こともなく、だれをも非難せず、自分自身の運命としてその苦難を受け入れて、
おとなしく、穏やかな心ではりつけの場所へ向かうことができるようになるのです。

─『「意志」と「人生」の法則』 Light on Life's Difficulties ジェームズ・アレン
  松永英明訳 KKベストセラーズより


あるがままに受け入れ、それに耐えること。森田先生のアドバイスもそうだった。
それに逆らおうとすると、精神が変調してきてしまう。思想の矛盾がでたりする。
苦しみをどうにかしようとするのではなく、それを受け止め、耐えることそれが
正しい生き方の選択だと教えている。

正しい行いで向上する     ジェームズ・アレン

2016-09-16 18:50:01 | 知恵の情報
ブッダが説いた「八正道」(完成に至るための崇高な八つの道)の一つは、「正道」
すなわち「正しい行い」「よい振る舞い」です。他の人にたいして思いやりを持ち、
愛想よく、相手のためを考えて行動する方法が身についていない人は、神聖な人
生の道にまだ入っていません。それはだれの目にも明らかでしょう。

心のにごりを取り除くなら、振る舞いのにごりも取り除かれます。逆に、振る舞い
が浄化されれば、心を浄化する助けとなるでしょう。

下品で、残酷で、怒りっぽいというのは、獣なら当たり前のことかもしれません。
しかし、社会のよき一員でああろうとするならば(よりよい人間であろうとするなら
なおさら)、自分のなかにあるかもしれない獣のような習性をすぐに捨て去るべき
です。

音楽、絵画、詩、作法など、人を優雅にする助けとなるものはすべて、自分を
向上させる助けとなります。逆に、粗暴な人を見習えば堕落します。野蛮である
ことと素朴であることは違いますし、下品であることと正直であることは同じでは
ありません。

他の人と接するときに、自分のことばかり考えず、親切で、思いやりがあるならば、
優しさや愛想のよさ、優雅さが外側ににじみ出てきます。「うわべだけ、こういった
優雅さを備えているふりをすればうまくいく」と考える人がいるかもしれませんが、
そんなことはありません。見せかけや偽善は、じきに暴かれます。遅かれ、早
かれ、だれの目にも薄っぺらさが明らかになり、最終的にはよほどの役者でも
なければごまかしきれなくなります。

エマソンもこう語っています。
「打算があってやったことは、打算のためにやったことだとわかる。愛のために
なしたことは、愛のためになしたのだと感じでもらえる。」

─『「意志」と「人生」の法則』 Light on Life's Difficulties ジェームズ・アレン
 KKベストセラーズより

八正道は、記憶していて損はない。
仏教解説書、や、倫理教科書など、いろいろなところででてくる。
八つの項目を完全に理解してしまえばよいが、すぐできなくとも暗記だけは
しておくべきだ。昔、日本人が寺子屋で論語を暗記したように八正道を完全に
覚える。それをすすめます。(ブログの前の方にもわかりやすい解説があります。)

この宇宙は正しい行いをするよう求めている

2016-09-15 17:36:48 | 知恵の情報
孔子は、衣食、礼節、束の間の会話─つまり、人生のささいなことにも細心の
注意を払いました。それは、極めて重大な国事や、高尚な道徳の法則に
対するのと同様だったのです。孔子は弟子たちにこう教えています。

「なすべきことを、どうでもいいことと考えるのは、卑しく、愚かな心の持ち主で
ある。賢明な者は、自分に課せられたことすべてに注意を払い、すべてを
賢明に、思慮深く、正確に行うのである」

食べ物を口に運ぶのにナイフだけを使おう、などと主張すれば退けられますが、
だからといって社会のほうが勝手な決まりに縛られているというわけではありま
せん。ナイフは切るためのものであって、食べるためにはちゃんとフォークがある
からです。そして、生活のほんのささいなものであっても、間違ったつかい方、
いい加減なつかい方をすることは、発展させるどころか悪化させるものであり、
混乱を招くものです。

他の人に対して思いやりのない思考や行動を続ける限り、至福の世界から閉め
出されてしまいます。だからといって、この世の中の法則が横暴だと考えるのは
筋違いの逆恨みです。自分の利益ばかりを考えていると、混乱や無秩序を
招くため、苦痛を感じたり、不安になったりするのです。

宇宙は厳格な法則に支えられています。そして、秩序に基づいてできています。
宇宙は「正しい行いをせよ」と私たちに告げています。知恵を求める人は、
自分のやり方を観察することでしょう。そして、思考を清らかのものにし、穏やか
に話し、優雅な行動を取ります。そして、見かけだけでなく、心の内側においても、
自分の性格をすっかり洗練させていくのです。

─『「意志」と「人生」の法則』 Light on Life's Difficulties ジェームズ・アレン
 KKベストセラーズより

因果律、原因と結果の法則は、大きな法則の捉え方だが、まだまだ、捉え方はある。
生活の中できづく法も法則である。法則を大きくとらえ、また、細かくとらえ、
そのつながりを俯瞰できるか、それが個人の悟りになるのだろう・・・

竹内まりや「駅」のせつなさ

2016-09-13 19:12:17 | 知恵の情報
  
駅    作詞・作曲竹内まりや


見覚えのある レインコート
黄昏の駅で 胸が震えた
はやい足どり まぎれもなく
昔愛してた あの人なのね
懐かしさの一歩手前で
こみ上げる 苦い思い出に
言葉がとても見つからないわ
あなたがいなくても こうして
元気で暮らしていることを
去り気なく 告げたかったのに・・・・

二年の時が 変えたものは
彼のまなざしと 私のこの髪
それぞれに待つ人のもとへ
戻ってゆくのね 気づきもせずに
ひとつ隣の車両に乗り
うつむく横顔 見てたら
思わず涙 あふれてきそう
今になって あなたの気持ち
初めてわかるの 痛いほど
私だけ 愛してたことも

ラッシュの人波にのまれて
消えてゆく 後ろ姿が
やけに悲しく 心に残る
改札口を出る頃には
雨もやみかけた この街に
ありふれた夜がやって来る




この「駅」はとても好きな歌です。この間、NHKラジオ深夜便でやっていてまた、いい詩
だな、と思ってここでも紹介してみました。
この曲は、ご存知の通り、中森明菜さんのアルバムのために竹内まりやさんが書いた曲
でした。この曲で面白いのは、歌の解釈が中森さんと竹内さんではちがっているという
ことです。

「私だけ 愛してたことも」の解釈が違う。
「(アナタは私を愛していなくて)私だけ(が)(あなたを)愛していたこと」なのか
「(アナタは)私(のこと)だけ(を) 愛して(くれ)ていた)」

面白いですよね、竹内、中森の歌い方からそれがわかるか、どこかでその違いが紹介
されているので調べてみてください。

彼が気づかず、私がいろいろな思いを浮かべそれを心にとどめて、彼は、何事もなく
また、普通の生活に、それを大きな愛で眺めている、そういう情景がたまらなく、
せつない・・・

異星人は核実験を含むすべての原子力開発の中止を迫った

2016-09-12 19:18:13 | 知恵の情報
先日「核実験、核開発は地球温暖化の原因であることをまだ世界は気づかないか!!」の
タイトルで書いた記事は続きがある。とても量が多くて書きたいが書きにくい。まず、
抜粋だけを紹介してみる・・・

これは、核競争の時代の警告である。
★「核爆発が、なぜ危険であるか教えよう!
地球の大気の上層部の層は、放射能のフィルターであるのみならず、地球を宇宙空間から
守るのである。
太陽放射が僅かに増えて、地上の生命を阻害し、人間を変え、電波、気候を変えるならば、
核爆発による地球の地表に飛び込む放射線の増加で、どんなに多くの害があるであろう
か。

太陽の変動は周期的であり、波動の結果であるから、その影響はすぐ消えるけれど、
核の塵は、浮遊しているときは高層大気を損傷するし、落下すると万物を汚染する。
惑星は微妙な有機体であり、自然のバランスが崩れると、無事には済まない。
余分な放射能は、人間の脳に影響し、著しく損傷する。まもなく、発狂する地球人が
多くなるだろう。(2016年現在は、核競争が下火になり、発狂のような状態はない。種々の
核による難病は出ているのかもしれない・・・)}

★「現在の核爆発は(核競争時代の)、すでに地球の平均気温を増加させ、毎年0.3度づつ
増加が続けば20年後は気温は6度あがる。

そうなれば上層大気の放射能は、極冠を溶かすのに充分であり、その結果として低地の
市街を洪水にするのにも十分である。

核戦争が起これば、大混乱となろう。それ以後、両極の氷は溶ける。奇妙な病気が
現れる。住民は生きた実験材料であり、世界にバラ巻かれた放射性元素を摂取して、
肉体を守る元素を作る能力を失うだろう。

幼い子供と、生殖能力を失った老人は、白血病に侵される。ガンが急激に広まり、恐ろしい
疫病が皮膚や目を襲い、治すことが出来ない。骨を蝕み、白血病がもたらす致死の害を、
子供を育てる母親が持っていると知って、母親は泣くであろう。そのような苦しみに耐えら
れず、生を呪い、自暴自棄になり、多くの人々が自殺する。

そのとき、人類は神なき進歩がもたらした結果に愕然とする。狂人は街に出、不具者は
いたるところにあふれ、病院は満員で、墓地はいっぱい。食料庫は空っぽで、数千万人
もが戦争で死に、町は荒廃し、平野は汚染され、水は毒を含み、孤児ははあふれ、
大衆はテロ化し、伝染病はひろがり、神をそしり、悲しみと絶望がひろがってゆく、地上の
人々は苦悶し、空では宇宙の法則がくつがえる。

このとき、核を積んだ大陸間弾道弾を使用すれば、人類は終わりである。光のきらめく
一瞬の後に、炎の雲が地上の全生命を消しうる。なぜなら、ミサイルが他の大陸に
行くには、純水素の存在する成層圏上空に上がるからである。

大気の上層では、核反応は異なる法則に従う。磁場は弱くて核爆弾は起爆しやすい。
臨界質量および臨界距離は地上とは同じではない。上層の莫大な量の純水素は、
確実にヘリウムへと変わり、全地球が燃える地獄となる。すべては、終わりである。
たぶん、徐々に終わるよりは、まだましであろう。」

★「核爆発のテストが続けば、いつの日にか戦争が起こるだろうし、放射能の増加を
もたらすだろう。
いつまでも核爆発を続けさせれば、その狂気の結果がいつかは出るだろう。
そのときになってからでは、もう遅いのである。だれでも電離層の最上層における、
核爆発効果を計算できるのなら、この愚行を終わらせるべく、ビルの屋上から大声で
叫びたくなるであろう。」

★「人類が宇宙において最も進んだ文明を持っていると考えるのをやめ、その自惚れ
から作られた台座から降りて、科学者は一度立ち止まって謙虚に考えるべきである。」



1952年に、アメリカ合衆国の議事堂上空に多数のUFOが出現した。このとき、
アメリカ政府では、空軍が出動して蜂の子をつついたような、てんやわんやの
大騒ぎになった。そして、その2年後、アイゼンハワー大統領は異星人と会見して
いる。

私は、この会見はおそらく、アダムスキーが仲介していると思うが、このとき、異星人
は核実験を含むすべての原子力開発の中止を迫ったということである。

さらにその翌年の1955年、大統領はスイスのジュネーブで、米ソ英仏の四大国巨頭
会議を開催したが、この会議の内容は、どうも異星人からの要請に対する対策を
協議するためのものだったらしい。その証拠に、巨頭会議が始まった日の朝日
新聞の朝刊トピック欄に、次のような記事が掲載された。

「世界惑星協会ではこのほど、四大国巨頭会議を開くことに決定したのには
”秘密の理由”があると発表した。これは同協会から四頭にあてた覚書のうちに
のべられているが、同協会総裁ナホン教授の語るところによると、その秘密の理由
とは、ある惑星の住民から、"英国とソ連の原子力工場を破壊する”と地球に警告
がよせられており、これといかに折衝するかを討議するためだそうだ。覚書は
"原子力の利用は平和目的であっても宇宙の破壊をもたらすものであり、惑星の
住民はよくこの危険を知っている。そして、これらの惑星からの攻撃を阻止する
唯一の方法は原子力を放棄することだ”と述べている。」

─『ラムー船長から人類への警告』久保田寛斎 たま出版 参照


これらを読んでどう思われるか。ある時期を境に核開発の競争が止まったのは異星人
の警告によるものだったと推察できる。
アイゼンハワーの後、ケネディーが大統領になったが、彼はアダムスキーを仲立ち
として、異星人と会っているらしい。ケネディーはその後、理想主義政策を打ち出し、
その政策を推し進めるべく、他の惑星の同朋と手を取り合って理想社会の実現
を目指そうとして、国民に重大発表をする直前、凶弾に倒れた。(この演説内容は
以前にこのブログで紹介している、前の記事を参照してください)
これをみると、アメリカ合衆国の支配者階級が、明らかに異星人の提案に対して
拒否反応を示していることがわかる。

こういった資料を見れば、地球温暖化が恐らく核が原因になっているのではないか
と思えまいか・・・
核は、半減期が長い。いまだに残っているのもあるし、原発から出る放射能もあるの
ではないか・・・
現代では、異星人が警告していた、核の平和利用をまた、やりだしている。・・・
「科学者よ!論理の呪縛から倫理へ帰れ!」
やろうとしているのは、米国のどうやら金に固執する支配者階級の裏の連中であると推察
できる。なぜ、金のためにこれほどまで自分たちをも壊してしまうことをするのか・・・
欲のコントロールは人間の最大の課題なのか・・・天(異次元世界)は、人間の魂の
自由を奪うものは、人間の欲望と虚栄心と執着と示唆している・・・
北朝鮮がこういったいきさつなど知らず、また、核ミサイル開発の動きを見せているが、
いずれ異星人の介入があるのかもしれない。1980年代に異次元の世界からメッセージが
出ているがその次元からのものも核の所持について警告、否定していることを
お知らせしておこう・・・