ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

運命づけられたものは何もありません

2017-06-30 21:59:24 | 人生の生き方
あながたが考えるとおりに、あなたは旅をします。
あなたが愛するように、あなたはすべてを引きつけます。
今日のあなたは、あなたの考えがもたらしたあなたです。
明日のあなたは、あなたの考えが連れてくるあなたです。
あなたは、あなたの思考の結果を逃れることはできません。
しかし、あなたは、結果にもちこたえて学ぶことができます。
結果を受け取って、喜ぶこともあります。

あなたは、つねに、あなたのもっとも揺るぎない考えと、真摯な
思いが導く好ましい場所にやってきて、あなたにふさわしい喜びを
受けます。
 あなたの愛が、浅ましいものならば、あなたは浅ましい場所に
行き着くでしょう。
 あなたの愛が美しいものであれば、あなたは美しい場所に到着します。

あなたは、自分の思いも考えも、改めることができます。
あなたの心の状態も、かえることができます。
あなたは、パワフルです。あなたは、無力ではありません。

運命づけられたものは、なにもありません。
すべてのことが創られるのです。


─『アレンの言葉 366日』ジェームス・アレン 葉月イオ訳 PHP

■正しい法則をとらえていれば、運命は、自分が作るものであり、決ま
っているものではないという確信が出てくる。

相対性原理から幸福を考えてみる

2017-06-29 18:51:51 | 知恵の情報
労苦のあるところ、至るところに幸福がある。それは、幸福と労苦と、相対的である
からである。相対性原理に、絶対速度のないように、幸福にも、一定不変の存在は
ない。上が高ければ、いよいよ下が深く、歓楽がいよいよ多ければ、ますます
哀情が強い。親から受けた富や門地は、本人のためには、中性である。幸福の
実感はない。

宝丹の語に、身家盛衰・循環の図というものがある。富足・驕慢・奢侈・淫暴・禍変・
困窮・悔悟・勤苦・節倹・貯積・富足・驕慢・・・・・・と多かれ少なかれ、常に循環して、
とまるところがないのである。

─『現代に生きる森田正馬のことば 生活の発見会編II 新しい自分で生きる』
 生活の発見会 白揚社より

■身家盛衰循環図系(シンケセイスイジュンカンノズ)
大正と元号が改まった時、安田善次郎が家族に遺し示した教えです。
人間が陥りやすい落とし穴と進むべき道を監事二文字の言葉で表し、それを線で結ん
で分かりやすくフローチャートのようにまとめられています。

 まず“困窮”の中にいる人間は、“発奮”するか“挫折”するかに分かれる。
“挫折”した者は前には進めないが、“発奮”した者は“勤倹”を旨として生活し、
やがて“富足”の状況となる。ここで分かれ道が待っている。“修養”の道を選んだ者は
“喩義”(真理の追求)に進み、“清吾”(教養のある趣味)を楽しみながら“安楽”の境地へと
至る。ところが、“富足”の段階で“傲奢”な生活を選んだ者は、“喩利”(利益の追求)に走り、
“煩悶”し、やがては最初の“困窮”の状態に戻ってきてしまう。

素質、才能、善良さ、偉大さは、因果の長期に渡る連鎖の結果です

2017-06-28 17:29:02 | 知恵の情報
植物の成長は目に見えてわかりますが、精神の成長は、目に付くものではありません。
たとえ見た目にわからなくても、私たちの中で、成長の過程は進行しているものです。

精神の成長過程が目に見えないというのは、一般的にわかりにくいという意味です。
聖人のレベルとまではいかなくても、真実をよく理解している人には、手にとるように、
その過程がわかるものです。

自然科学者が自然現象の因果関係に精通するように、聖人は、精神界の因果関係を
熟知しています。

聖人は、人格の成長過程を、植物が成長する姿のように促えています。

才能や善良な性格の開花が現れたとき、かれには、それがどのような種子から生じた
ものなのかがわかります。

みごとに開いた花のそこに至るまでの長い成長過程が、かれには計り知ることができる
のです。


既成のものは、何一つありません。
つねに、変化、成長、生成の過程があります。


─『アレンの言葉 366日』ジェームス・アレン 葉月イオ訳 PHP

必ずメルトダウンする─ めちゃくちゃな原発の実態

2017-06-27 17:58:08 | 政治
池田 東海・東南海地震は確実にあるのがわかっているのです。
     しかし、浜岡原発は600ガルの耐震でしかつくっていません。中越地震のとき
    も1700~1800ガルだった。浜岡は砂地ですから、最低は2000。3000ガルは
    確実に来ます。それを600ガルの基準でつくっているのだから、地震が来たら
    全部ひっくり返ります。ただでさえ、普段も漏れています。
     福島のときも、原子炉が140度で2気圧と放送したのです。普通、蒸気を
    出すやかんは100度、1気圧です。140どなら4気圧なければダメなのです。
    2気圧分は、地震で管が壊れてシューと抜けている。その瞬間に、どれだけ水が
    あってもやがて水はなくなる。だから、地震が起こると必ずメルドダウンは起こる。
     それを確認したならば、速やかに風向きを考えて、風はだいたい西から東に
    吹くので、頭の中でもいいから風向きの線をまっすぐに引いて、その直角方向に
    家族を3日以内に逃がす。100キロか、できたら200キロ逃げる。
     家族で万が一のことを考えて、家族ばらばらになっているときでも、何かが
    あったらどこに集まるとか、あらかじめ決めておけばいいのです。今の危機管理
    そういうのが必要だし、本当はそれを国レベルでやらなければダメなのです。

中丸 各原子炉からすこしずつ漏れているんでしょう。

池田 完全に漏れています。ウラン235が核分裂したとき、気体のものもでるのです。
    キセノンは気体で封じ込めることができない。
     原発には非常に高い煙突があります。あれは夜のうちに放出しているのです。
    普段から1分間に70トンの水で冷やさなければダメです。今は止めているよう
    ですが、1回火をつけたものは燃えています。ただ発電のほうに蒸気が行っている
    だけで燃えているから、必ず水で冷やさなければダメです。
     基本的に、100トンレベルでは1分間に70トンの水が必要です。1時間だったら、
    それに60を掛ける、1日だったら、さらに24を掛ける。1年だったら、さらに365を
    掛けると、1つの基でたいたい3000万トンです。それが54基あったら、日本の
    降雨量の3分の1ぐらいになってしまいます。降雨量の3分の1が7度高くなって、
    しかも、塩素と放射能で汚染されたものが海に行ったら、それは海も温かくなるし、
    環境が変わるのもわかりますね。

中丸 どこの海でも、みんなちょっと危ないですね。

池田 原発はドイツのように廃棄するしかないですね。その点、ドイツ人はある意味で
    は確かなことをやっているから賢いですね。悔しいのは、あのちゃらんぽらんな
    イタリア人でも原発をやめましたから。何が正しいかわかっているからです。

中丸 結局、日本はアメリカから言われているからでしょう。

池田 3月11日の後の3月20日に、アメリカの核の企業などの代表がスタンフォード
    大学の研究所に集まって作戦会議をやっています。どういうことを決めたか。
     まず、「福島はたいしたことない」ということを広報する。引き続き我々は核産業
    でカネを儲ける。この2項に基づき、アメリカ政府を中心として、メディアを通じた
    広報で福島は大丈夫だと教えて、引き続きカネを儲けるということを3月20日の
    時点で決めてしまっているのです。それに基づいて、日本は動かされているのです。
     しかしながら、ドイツやイタリアの人たちはそれをはねのけた。それは、国民が
    賢いからです。日本は、お上が「大丈夫」と言ったら、本当に安全だと信じてしまい
    ますから。

中丸 脱原発と言った人が悪かった。小泉さんと細川さん。今さら言うか、みたいな。

池田 あなたには言われたくない、となってしまう。

─『この底なしの闇の国 NIPPONで 覚悟を磨いて生きなさい!』
  池田整治+中丸薫 ヒカルランド刊

■この資料をみても原発は、廃棄物のキセノンがでているようだ。その核物質が異星人が指摘していた
ように極へ集まり、熱を発生させ、氷を溶かしている。また、世界にある原発435基の排熱処理で水を
使い、それが全世界の海を温めている。なんということだ、うそ、でっち上げの二酸化炭素温暖化に
ならないためにクリーンなイメージではじめた原発がその原因の悪の根源だったとは・・・・・
日本人も早く気づいて、ドイツ、イタリアのように完全に原発をやめなければならない。原発で
金儲けをしようとする1%の金持ち闇の権力者たちに、迎合ぜず、命を張って、政治家は日本のために
働いてほしい。竹下氏や、小渕氏、橋本氏、中川氏は連中の犠牲になってしまったが、彼らは
日本のために働いている。そして、これは、地球のためだ。

■■原発の世界の数を考えるともう、地球は終わりのような絶望感を感じる。地震や、地球の変位など
あれば、単なる自然災害どころでなく、原発という大気汚染をさらに生むとんでもない状態になっ
ている。たったひとつ救いがあるのは、異星人が見守っているらしいということである。
この記事の最初に以下のことが出ていた・・・

中丸 宇宙連合のクエンティンさんと最近いろいろお話します。「心身の浄化さえして
    おけば、いざというときは、どこにいても大丈夫。どこで何かが起こるとか、
    一切心配しないでください」と言っています。それは、こういうお話を聞いたり
    本を読んだりする人には、全部通ずると思うのです。
     もし地球が住めない状態、あるいは日本には原発が54基もあるわけだから、
    それが爆発したときは、一瞬にして引き上げる。「一気に何千万人でも助け
    られる」と言っています。

地球人の意識が「共存共栄」を体得していない以上、頼るしかないのだろう。

人類にとって貴重な人間とは

2017-06-26 18:37:57 | 知恵の情報
人生を歩んだ人で、弱くなった時間や時期を持たなかったためしはない。真に気高く、
志操の高い、人類にとって貴重な人間とは、そのような時を全然ないしはごくわずか
しか持たなかった人々ではなくて──それは、通常、意気地のない気性のせいだ─
そのような時に屈せず、それを見事に克服した人々のことである。彼らはそのような
戦いと勝利を重ねるたびにいよいよ気高く、いよいよ練達となり、その国民全体
も、また一般に地上での善の仕事も益をこうむったのである。
(『幸福論』第三巻「高さ」より)

─『希望と幸福 ヒルティの言葉』 秋山英夫訳編 現代教養文庫
  社会思想社

健康診断とメンタルヘルスチェックは受けてはいけない

2017-06-25 17:15:20 | 医療
池田 アメリカの精神医学界はもっとひどいみたいです。薬品メーカーと医師がグルになって
    いるのです。メンタルチェックというテストをさせて、「不安がありますか」という項目
    がある。人間、失恋しても、試験ができなくても不安になるのだから、レ点を一つでも
    入れたら、すぐ精神科医に行きましょうというコース。だんだん症状が重くなるよう
    な薬を出しているのです。

中丸 だから、変な子どもが出てくる。

池田 最終的には廃人になって自殺するか、あるいは狂人になって銃を乱射する。

中丸 アメリカには乱射事件が多いですね。

池田 メディアでは、彼は精神病にかかっていた、治療を受けていた、早く病院に来て
    早期治療を受けていなかったからこうなったということまで流すわけです。人間、誰
    でもうつになるわけだから、ますますそういう人たちが行って、それで更にひどい状況
    になっている。
     もともとはかつてのドイツが精神医学で世界を牛耳る、そこから始まったのです。
    精神的なものは、この薬でどうなると絶対に見えないのです。それをいかにも効果
    があるように症例をずっと出している。

中丸 それをいよいよ日本に入れようとしているみたいですね。

池田 もう完全に入っています。

中丸 名古屋の河村市長もそういうことを言い出したということで、選挙民は「あの人は
    洗脳されたのかしら、おかしくなったのかしら」と心配しています。

池田 だから、健康診断とメンタルヘルスチェックは絶対に受けてはダメなのです。受けたら
    それが入り口で、コースが決まっているのです。
     でも、日本の厚労省がそれを推進すれば、8割の方が行くようになるでしょう。
    そうしたら、薬の上に放射能、遺伝子組み換え、今のアメリカ人と一緒です。豚の
    ようになって病気になってしまって、自然淘汰されてしまいます。アメリカの軍人も
    75%ぐらいが薬漬けです。これも怖いですね。

中丸 アメリカの国自身が病んでいますね。ぼろぼろです。

池田 日本人もいいかげんに独立してもいいんですけれども、そこに利権が埋まっています
    からね。
 
中丸 大衆から立ち上がる。結局は、一人一人の自己責任に訴えかけていく、それしか
    ないですね。

池田 こういう対談を皆さんが聞いて、日本人の1%が変われば日本も変わると思うの
    です。100万人変われば日本は変わる。その中の核心1万人です。1万人の
    先覚者がいれば、大きく変わっていきます。

─『この底なしの闇の国 NIPPONで 覚悟を磨いて生きなさい!』
  池田整治+中丸薫 ヒカルランド刊

■医原病に始まり、医療の世界では問題が起きている。現場の関係者と政治的な
医療界の動きがある。西洋医学というのは、システム化され、ルールもしかれ、自由な
発想の治療ができないようになっているようだ。そのため、がんにかかってもやり方が
決まっていて、死期は予測できても、治癒するための工夫が自由にできない。
日本では自然生薬を絶対作らせないことにもなっている。裏権力者の思うままになっている。
ただ、少しの救いは、その絶対権力がいま、揺らいでいる。世界的な関わっていた
連中が二分し、一部は追い落とされているという。医療界の矛盾に気づいている
人がそれを正す勇気で改革のため出てくることが求められている・・・


医原病:医師や看護師の医療行為が原因で起こる病気。医原性疾患。

悟りの境涯は「明鏡止水」に

2017-06-24 17:51:23 | 知恵の情報
なお注意すべきは、われわれの心は、良きも悪しきも、正も邪も、反対観念もヒネクレた
心も、時と場合とに応じて、出没極まりなく、さまざまに変化して、決して自分の意の
ごとくならぬものであるからその起こるがままに起こし、心の流れるままに流して
いけば、いわゆる「明鏡止水」というふうに、心が自由自在の働きができるようになり
「悟り」の境涯にもなるものであります。そのわれわれの心がさまざまにヒネクレ、ネジケル
のは、たとえば、松の木が必ずしもまっすぐに伸びず、曲がりくねるのと同様です。
これについて、一休禅師の話があります。あるとき、一休が、「この松を誰かまっすぐに
見ることのできるものがあるか」という問いに対し、ある人が「この松は曲がりくねって
いる」と答えたとのことです。すなわちその松を、あるがままに正しくまっすぐに見て、
正直に表現したのであります。曲がった松を直ぐに見直そうとし、ヒネクレタ心を単純に
取り直し、思い曲げようとするところに、種々の強迫観念や、妄想煩悶が生起する
のであります。

─『現代に生きる森田正馬のことば 生活の発見会編II 新しい自分で生きる』
 生活の発見会 白揚社より



境涯:きょうがい ;人がこの世に生きてゆく上での立場。境遇。身の上。

明鏡止水
【読み】 めいきょうしすい
【意味】 明鏡止水とは、邪念が無く、静かに落ち着いて澄みきった心の状態のたとえ。
【明鏡止水の解説】
「明鏡」は、一点の曇りもない、よく映る鏡のことで、「けいめい」とも読む。
「止水」とは、流れずに静かにとどまって、澄んだ水面のこと。
 曇りの無い鏡と澄んだ水面のように、安らかに落ち着いた心境をいう。
『荘子・徳充符』にある「明鏡」と「止水」の二つの言葉を合わせてできた句。
「明鏡」は、甲徒嘉のことば「鑑明らかなれば則ち塵垢止まらず、止まれば則ち明らかならざるなり
(鏡が きちんと磨かれていれば塵は付かない、塵が付くのは鏡が曇っているからだ)」から。
「止水」は、孔子のことば「人は流水に鑑みること莫くして、止水に鑑みる。唯止まるもののみ能く
衆衆の 止まらんとするものを止む(人は流水を鏡として使うことはなく、静止した水を鏡とする。   
ただ不動の心を得た者のみ、心の安らぎを求める者に対して、それを与えることができる)」から。
【出典】 『荘子』
【注意】 「名鏡止水」と書くのは誤り。
【類義】 虚心坦懐/光風霽月
<故事ことわざ辞典より>

日本人とユダヤが変われば世界が変わる

2017-06-23 17:39:09 | 政治
ユダヤ人は世界一優秀な民族です。その能力はほかの民族と比べて突出している
のです。
 例えば資本主義を作ったのも共産主義をつくったのもユダヤ人です。科学の分野での
活躍は申すまでもないでしょう。
 およそこの文明社会でユダヤ人と関係ないシステムを探すほうが難しいのです。経済
システム、政治システム、国家のあらゆるシステム、全部ユダヤ人の手になるもの
ばかりです。
  
当時エジプトのプリンセスであった私がユダヤ人の赤子のモーセを池からひろいあげ
育てた時代、ユダヤ社会は神を発見しました。宇宙創造神です。そのご褒美にあずか
って、神はユダヤ人を特別に引き立ててくれた面は確かにあったと思います。
 しかし、その後、ユダヤ人イエスがユダヤ人のパリサイ派と言われる人たちを糾弾
しました。神の道から外れるな、本来の道に戻りなさいと。
 戻った人もわずかにはいたと思うのですが、大半の人たちはその後シオニストと呼ばれる
ようになって現在に至ってると思うのです。
 
「ユダヤのタルムード」はこの系譜につらなるユダヤ人たちの足跡が非常によくわかる
ものです。
 タルムードをバイブルとした人たちの一部は、本当に魂というものを忘れ去ってしまった
かわいそうな人たちなのです。
 しかし、その反面で物質文明の超最先端を作り出してきた優秀極まりない人たちでも
あるのです。
 これが今日言われる「ユダヤ人問題」なのです。

この物質文明のリーダーはユダヤ人です。
しかし、今、世界は破滅の淵に直面しているのです。
あまりに物質文明一辺倒になってしまったツケがいよいよ回ってきたのです。
だから、世界は今、「ユダヤ人問題」の解決なしには成り立たないのです。

どうしたらこの問題が解決するでしょうか。
それはユダヤ人の改悛以外にありません。
ユダヤ人が変われば世界が変わるのです。

だから、日本人は同族としてユダヤの悪い面をはっきり指導して、本来の神の道に
戻ることを強く促していいのです。
 悪いユダヤ人を叱りつけていいのです。

モーセが神から授かった本物の十戒を捨て去ったユダヤ人よ!
本来の命の道に立ち返りなさい!
今のあなたたちの道は、人類すべてを巻き込む破滅の道です。

世界は今、日本人が「ユダヤ人問題」を解決してくれることを待ち望んでいるのです。
是非全文を入手して読んでいただきたいと思います。

─『この底なしの闇の国 NIPPONで 覚悟を磨いて生きなさい!』
  池田整治+中丸薫 ヒカルランド刊

■ユダヤの二部族(ヨセフ族、ユダ族)が日本に着き、天照大神を祖とし、神道の形で
新生日本を作ろうとした。そのため、古事記、と日本書紀を新たに作った。
そうして、現代の日本人は、遠い自分の先祖を忘れ、現在に生きた。時代が
変わり、古代の情報も多数現れるようになった現代は、ユダヤのつながりを思い返す
ときかもしれない・・・第二次世界大戦で、新生日本人の誇りは失わせられたが、遠い
歴史に目覚めることは、誇りを取り戻すのに役に立つに違いない。幸い、中丸薫氏は、皇室と
関係ある方であり、今の天皇家の方たちも中丸氏の著作群の本を読んでいるとも聞く。
かなり、詳しい事情が多数の本に書かれている。昔の他の著者の日ユ同祖論の資料と合わせて
読むといままでの日本の不明だったことがはっきりとして、過去のアノミー(行為を規制する
共通の価値や道徳的規準を失った混沌)状態から救われるだろう。
私の過去のブログ「ヘブライの民でもあった日本人」のところの資料も見てほしい。

正しく自覚・認識さえすれば、そのままでよい

2017-06-22 17:18:37 | 知恵の情報
親鸞聖人は「自分は悪人である、罪人である」と決めた。ソクラテスは「自分はなんにも
知らない。ただ何も知らないということだけを知っている」といった。その自覚・自認だけで
よい。

そこでちょっと思い違えて「だから、善人にならなくてはならない」「知者にならなくては
・・・・・・」ということになると、脱線して迷路に陥ることになる。ここが、「思想の矛盾」と
いうことの私の説明を理解しない人には、ちょっと難しいところであります。

ちょっと一口説明してみれば、その考え方は、事々物々に当たり、絶えずあれも知りたい、
これもなしたい、という向上一路心はなくなって、自分は人から、知者善人と思われたい、
先生の前で、悠然と見せかけたいというふうに、いたずらにごまかしと照れ隠しとに、
日もこれ足りないというふうになるからであります。

この「正しく自覚・認識さえすれば、そのままでよい」ということは、体験しなければ、
単なる理屈では、決してわからない。これは、ここの治療法で、素直に規定どおりに
実行しさえすれば、成績のよい人は、四十日以内で、体験することのできることで、
容易といえば、はなはだ容易なことであります。

─『現代に生きる森田正馬のことば 生活の発見会編II 新しい自分で生きる』
 生活の発見会 白揚社より


思想の矛盾
この火を冷たくし、死を恐ろしくないようにしようかというのを、「思想の矛盾」という。
矛盾とはアベコベになることである。恐れをなくしようとすればするほど、かえって
ますます、アベコベに恐ろしくなる。早く眠ろうとすれば、かえってますます眠れ
なくなる。これに反して、恐れるべきものを、当然恐れれば、恐れまいとする考え
はなくなり、考えがなくなれば、すぐおそろしくなる。つまり、当然あるべき事実を、
そうでないようにと、無理に人為的に、作為しようとするのが、僕のいわゆる
「思想の矛盾」である。この「思想の矛盾」と言う言葉は、僕の思いついたことであるが、
面白い言葉とは思いませんか、これを禅の方で、悪智というのではないかと
思います。(『現代に生きる森田正馬のことば  生活の発見会編 I 悩みには
意味がある』白揚社より)

朝食を抜いて医師国家試験に落ちた大学生

2017-06-18 17:51:04 | 医療
タンパク質の話のときに登場した自治医大の香川靖雄教授が語ったことだが、自治医大の
出身者で医師の国家試験を受けた人間を調べたところ、不合格だった受験者は、決まって
朝食抜きの習慣の持ち主であった。

自治医大は全寮である関係上、食事の管理がきちんとできる。右の事実が分かってからのち、
同大学では朝食を重要視するようになり、医師国家試験の合格率は郡を抜いてよくなったと
いう。さらに、同大学では1978年、79年に、朝食を抜く学生と抜かない学生との成績の
比較を行なった。両者の明瞭な差異は、「栄養学雑誌38」に見ることができる。

この現象も、脳の温度で説明がつく。その含まれる栄養に関係なく、食事をすれば体温が
上がる。そのピークは約一時間後に来て、約三時間後に元に戻る。これを「食事の特異的
作用」と言う。結局、食事を摂って一時間後に試験会場に入るのがベストコンディションと
いうことになる。朝食抜きの人間が不合格だったと気づいたことは、お見事と言うほかはない。

食物が口に入れば咀嚼が始まる。そこでは神経伝達もあり筋肉収縮も起こる。そして
消化酵素の生産もあり分泌もある。さらに胃の筋肉の活動もあり、さらに数種類の消化酵素
生産もある。これらの物理的・化学的変化では、すべてエネルギーが消費されている。

一般にエネルギー消費は、必ずエネルギーのロスを伴うという大原則がある。たとえば
電球のフィラメントに電流を流すと、その電気エネルギーはけっしてすべてが光になるわけ
ではない。エネルギーのロスは熱エネルギーの形を採る。だから電球は熱くなるのである。
このエネルギーの損失が人体でも起きる。それが食物の得意作用なのだ。

食物の特異的作用と呼ばれる体温変化は、それに並行する形で脳の温度変化を惹き
起こす。その結果、知的作業能力も変化するのである。
 
その知的作業能力の向上は、医師の国家試験という難関が突破できるかできないかを
分けるほど大きなものだったのである。

─『脳細胞は甦る 分子栄養学が明かす活性化の原理』三石巌著 
 クレスト社刊

■分子栄養学を踏まえての食物のとり方は、すばらしいものだ。自然食の良さの根拠に
なるものだと思う。なぜ、昔からの食べ物が身体に良いのかは、分子栄養学から
みると理にかなっているということが判るような気がする・・・

以前に紹介した、三石氏の文を取り上げてみる。

「脳が必要としているのは、ただ一つ、ブドウ糖だけだ。砂糖は、そのブドウ糖の
有力な供給源になる。だから、頭を使う仕事をしている人や受験生は、積極的
に砂糖を食べて自分の「脳力」が全開になるようにすべきなのである。

ブドウ糖が不足していると、それを補うために肝臓がブドウ糖を作りはじめる。
糖新生と呼ばれる働きである。その際、骨格から取り出されたタンパク質が
材料として使われる。それをわざわざブドウ糖にかえるわけで、そのためには
多大なエネルギーが消費される。エネルギーが大量に発生すれば活性酸素
も大量に発生する。それを避けるためにも、十分なブドウ糖を摂取しておく
必要がある。

なぜ、砂糖罪悪感が広まったのか
もちろん、ブドウ糖の供給源は砂糖だけではない。即効性という点では砂糖
がベストだが、米飯やパンなどが持っているデンプンもブドウ糖を含んでいる。

とくに朝は、ブドウ糖を十分に含んだ食品を食べなければいけない。朝食を
抜くなどもってのほかだ。そんなことをしたら、いわば「脳死」状態で仕事や
学校に出かけていくようなものである。頭がボーッとしたままスタートしたのでは、
ろくな一日にはならないことだろう。

すぐに頭をフル回転させたかったら、なるべく朝食に甘いものをたべたほうが
いい。ご飯一膳、パン一枚でもいいから、かならず食べるようにする。どうしても
時間がなければ、バナナ一本でも構わない。
「甘さ控えめ」がありがたがられるご時世だが、世の中、そんなに頭を使い
たくない人が多いのだろうか。」

これを読めば朝食をとる大切さがわかる。

鍛錬しなければ「サル譲りの脳」になる

2017-06-16 18:02:31 | 科学
哲学という学問がある。人間や世界について各自が独特の方法で攻究する学問が
哲学である。自然科学が自然界を支配する法則を実証的に捉えようとするのに
対し、哲学は人間界や世界に対する主観的な見方を確立しようとする。

自然科学が一つの法則を見つけようとするのに対し、哲学はいくつもの見方を
許容するが、論理を貫徹する点は同じである。その意味において両者は学問の
双璧となり両輪となっている。科学不在も哲学不在も困るのだ。その好例を
見せたのがオウム真理教の行動ではなかったか。

科学書や哲学書を読もう。それが大脳新皮質を鍛える最高の方法だ。

鍛錬を怠った脳は、「利害の選択」を任務とする。これを「サル譲りの脳」と言った
のは、ビタミンCの発見でノーベル賞を受けた。ハンガリーのセント・ジェルジであった。

念のために記すが、鍛錬されていない脳、つまり理科離れの脳には、利害の
判断はできても真偽の判断はできない。真を語るものは自然科学のみなのだ。

真偽の判別のできない脳は、容易にニセモノに引っかかる。「こうすれば頭が
よくなる」の類の話はいくらもあるが、よくなった頭はそれを否定するだろう。
否定しなければ、その頭はよくなっていないのだ。

─『脳細胞は甦る 分子栄養学が明かす活性化の原理』三石巌著 
 クレスト社刊

■哲学史をたくさん勉強するとその思想を支えている大法則が見えてくる。
そうして、科学史とあわせて考えていくと、その実在性が確かになって
いく。そこには、宗教流派も超えた、神と宇宙が同じものではないかと
いう発想が出てくる・・・

あせってしかたがない

2017-06-15 18:08:50 | 知恵の情報
「あせってしかたがない」─われわれは常に心がハラハラとあせっているようなのが
最も優秀な心身の持ち主であります。それは食欲が強盛で見るもの聞くもの何でも
食いたいという健康な人と同様です。知識欲向上欲にかられているものは、常に
周囲の刺激に対してハラハラせざるを得ないものであります。『生の欲望』の中に
「急いで落ち着く」というところに書いてあります。それでこれは「自然に服従し、
境遇に従順なれ」という心であってはじめてこれができるのであります。「自然に
服従」とは、「忙しければ気がハラハラする」のはわれわれの心の自然の事実
であるから、これを落ち着けようとか無感覚になろうとかするのではなく、その心
のまま忍従してあせっていることをいうのです。そして「周囲の境遇」に応じて、
例えば人前ならガミガミせずに、静粛に立ち居振る舞いするのであります。

ここで最も大切な心がけはそのハラハラの心を抑え付け否定してはいけない
ことであって、この心がはじめてその人を偉くする最も大切は基礎であります。

─『現代に生きる森田正馬のことば 生活の発見会編II 新しい自分で生きる』
 生活の発見会 白揚社より


自然に服従し、境遇に従順なれ

2017-06-14 17:02:40 | 知恵の情報
病は苦しい。しかたがないから我慢して時節を待つ。これが自然に服従である。
医者の命令はいやおうなしにこれを厳守する。これが境遇に従順である。

人生はさまざまな迷いが起こる。その煩悶を思い捨てようともがく、これが自然に
不服従である。迷いのために、良い職口もそのチャンスを逃し、親の気に入る良い
結婚口も決することができない、。これを境遇に不従順というのである。

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今私が「試験を受けよ」と忠告する。そのとき本人は「こんなに頭が悪くて、できる
はずがない」と考える。それを「我」という。しかし、森田がせっかくそういうから、
「よき人の仰せに従って、地獄か極楽か、一かバチか、行き着くところまで、やって
みよう」というのが、平たくいえば、「試みる」、上品に言えば、「まかせる」という
心境である。この「我」と、「試みる」ということとが、意識的に自覚して、はっきりと、
こころのうちに両立して、実行に現れるのを「従順」というのである。

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なお、私が常にいう従順と申すことは、「疑い恐れ、あやぶみながら、仮に試みに、
これを実行し服従すること」であります。「なるほど、理の当然であると信じて、
そのとおりにすること」を従順とは、申さないのであります。

なお母上や周囲の人々や女中やを疑い、恨み、かこち、憎み悲しむなどのことは、
そのままで、少しもさしつかえありません。たとえば、風が寒い、薬は苦い、面倒な
ことは嫌いとかいうのも同様で、何とも致し方なく、そのとおりに感じてさしつかえ
ないことであります。ただこれを主張・反抗せずに、仮に「何か自分の気のつかない
理屈もあろう。たぶん無理なことはあるまいか」とか、大目に考え見逃すこと。
これと同時に、また風にも当たり、薬も飲み、面倒も、がまんしてするというふうに
なれば、それが従順ということに適うのであります。人を恨まないように、薬を苦い
と感じぬようにし、あるいは、人の考えを矯めなおし、天津風雲の通路(かよいじ)を
吹きとめるようにとかいうふうに、大自然に対して、反抗の気分を起こさぬ人が、
正常の良い人かと存知ます。それで私は、常に「自然に服従し、境遇に従順なれ」
と申しているのであります。

─『現代に生きる森田正馬のことば 生活の発見会編II 新しい自分で生きる』
 生活の発見会 白揚社より


{参考}
原文 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ

現代語訳(口語訳)
天の風よ、雲の中の通い路を吹き閉ざしておくれ。美しく舞う天女たちの姿をもう少し
地上にとどめておこう。
 (天を吹く風よ、天女たちが帰っていく雲の中の通り道を吹き閉
 ざしてくれ。乙女たちの美しい舞姿を、もうしばらく地上に留め
 ておきたいのだ。)
 僧正遍照(12番) 『古今集』雑上・872
 

時代によっての生き方 『菜根譚』前集五〇から

2017-06-12 17:59:07 | 人生の生き方
秩序が確立している時代なら、あくまでも正義を貫いて生きよ。
秩序が混乱している時代なら柔軟な処世を心がけよ。秩序が失われた末世に
おいては、正義を貫きながらしかも柔軟な処世を心がけよ。

対人関係でも、善人に対しては寛容、悪人に対しては厳格な態度で臨み、
普通の人に対しては寛容と厳格の両面を使い分けなければならない。
(前集五〇より)

─『新釈 菜根譚』守屋洋著 PHP文庫

人を憎むも自分、人をゆるすも自分

2017-06-11 17:52:01 | 知恵の情報
3年前、末期のがんを病んでホスピスに入院されたある女性のことを、私は、
いつも思い出します。

彼女は死をとても恐れていました、。お話をうかがってみると、死んでいくこと
自体を怖がっているのではなく、大きな悔いを残して人生を終わらざるをえない
ことに心を苦しめられておられるようでした。

彼女は夫に裏切られ、大変な苦労を背負ってきたとかで、夫と別居して久しく、
ホスピスへの入院も自分一人で決断して何一つ知らせていませんでした。
夫にだいなしにされたという恨みの日々を送ってきた彼女が、ホスピスで
幾日かを過ごし、迫り来る死を目前にして、そんな自分自身に怯えていたのです。

私は彼女にこう申しました。
「ご主人が変わってくれるのを望むには、もう、あまり時間がなようですね。けれど、
あなたが回心をしてご主人への思いをすっかり変えてしまうことはまだできるかも
しれませんね」

と。「回心」とは、方向を失っている人生に新たな価値観を手にいれることです。
人生のありかたがそれによっておおきな転換をとげる、いわば全人間的な変革
です。ふたたび悪を行なわないと心を入れ換える「改心」とは違うものです。

さて、彼女はしばらく悩んでいましたが、ついに夫にいまの自分の居場所を
知らせました。何年ぶりかでホスピスで再会した夫に、彼女は、「会いにきてくれて
ありがとう」と「何も知らせなくてごめんなさい」とのことばを伝えたのです。
頑なであった夫の態度は見る間に変わっていきました。

この夫婦のあいだに残された時間はわずかでしたが、二人は互いにゆるし
合う夫婦となれたのです。ゆるすことで彼女の魂は救われ、平安のなかに死を
むかえることができました。

いさかいやわだかまりを残したまま生を終えることほど、死にゆく者の心の
平安を脅かすものはありません。その精神的な苦痛は想像するよりはるかに
耐え難いものです。たとえ死の間際にあっても、和解をし、心残りをなくすことが
できれば、安らかなこころで人は死を迎えいれることができます。

─『続 生き方上手』日野原重明 ユーリーグ株式会社より

{注}参考
かいしん【改心】
今までのことを反省し、心を改め正すこと。 「 -を誓う」 「非行少年を-させる」

えしん【回心】
〘仏〙①心を改めて、仏道にはいること。改心。
   ②小乗の信仰を改めて、大乗を信ずること。
   ③浄土真宗で、自力の信仰を改めて他力を信ずること。

かいしん【回心】
あるきっかけで、従来の生き方を悔い改め、新しい信仰に目覚めること。
宗教的思想や態度に劇的な変化が生じ、それまでの分裂・葛藤状況が解消し、
統合された新たな自我が生まれる体験。 「一七歳の時に-しキリスト教徒になった」
〔「えしん」と読めば、邪心を改めて仏の正道に帰依するという意味〕

─大辞林 第三版の解説より

■日野原氏によって「回心」の意味を新たに知った。回心へ自分の心を向ける
ことは、悟りへの道に通じる。