太平洋戦争開戦当時の首相だった東条英機が戦後の自殺未遂の後、東京・大森の収容所に入っていたころのことだ。話し相手だった元陸軍参謀本部大佐に、統帥権独立が軍内の下克上の思想をもたらしたと反省を語った。と同時に、次のような言葉をもらす。
「治療の間つき添ってくれたアメリカのMP(憲兵)は立派だった。社会の動きにもそれなりの見識をもっていた。教育程度も高いだろうが、国民に知らせ、自覚をもたせ、これを掌握すれば力となる。アメリカのデモクラシーはこの点にあったのだ」。
開戦についても述べた。「日米両国は虚心坦懐(たんかい)に……直接交渉して、和平の途を勇敢に講じてみるべきではなかったか」。これら指導者としてあまりに素朴な後知恵による自省は、一般の怒りをかうことを関係者がおそれ、長く公表されなかった(保阪正康著「東條英機と天皇の時代」)。
終戦記念日にこんな話を振り返るのは、今さら当時の指導者の不見識を非難したいからではない。ただこんなたわいない認識の変化のはざまで、内外の途方もない数の人命が失われたのだ。そのむごさが胸を突く。一国の指導者の認識と現実のギャップは、際限なく人命をのみ込む。
米デモクラシーと同じく中国のナショナリズムについても戦後の後知恵の何分の一かの認識が軍部にあれば満州事変以来の歴史は違ったろう。ならばその時、世界の現実を正しく伝えるのが使命のジャーナリズムは何をしていたか。問いは私たちジャーナリストにはねかえってくる。
戦没者の魂を鎮め、平和を静かに祈るきょうである。だがジャーナリズムは自らに問わねばならないことがある。後知恵では取り返しのつかない今を、この世界を、私たちは正しく伝えているだろうか?
毎日新聞 2007年8月15日 0時07分
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