錆色港町

熱しやすく冷めやすい趣味の話を、地元清水と絡めながら徒然と・・・

大曲界隈を巡る

2018年01月21日 | 清水
今いる場所に昔何が在ったか・・・? なんて事に興味ありますか?

まぁ、今が良ければそれで良いのかも知れませんが、
ちょっとだけ昔の事に関して予備知識を持ち合わせておいても損は無いですぜ?(絶対得だ、とも言わないが)


今からは想像もできないような過去の風景の中で、どんな人間ドラマがあったか? 
なんて想いを馳せるのも楽しいものです。

・・・多少強引な導入ですが、今回は昭和20年代頃まで遊廓(風俗街)があった大曲界隈を巡りました。



はい、巴川の川岸です。川上へと進んで行きます。
先に申しておきますが、今尚この地で大曲遊廓を今に伝える店舗(風俗店)はありません。
そうでなかったらこんな静かな住宅地では無いでしょうね。



国道1号線に出ました。
富士山が見えますが、あちらではなく反対側の西側へ進みます。



東大曲の看板がある交差点。
かつて遊廓が在ったのはこの辺り一帯です。

元々宿場町であり街のあちこちに遊廓が在ったらしいのですが、
当時も風俗店の存在は風紀的な見方から表立っているのはよろしくない・・・。とされ、
明治期に何処か一箇所に集約しようと言う構想はあった様です。



まず、江尻地区の小芝神社の裏が候補地に上がった様ですが、
江尻小学校の近くだと言うことで地元から反対の声が上がったそうです。

そんな訳で、いくつかあった候補地の中で有力だったのが入江町の元屋敷(大曲)でしたが、
莫大な税金が入江に入ってしまうことから江尻が承知しなかったと。

良いですね~  0か、1か?だけでは決められない人間の性。
白黒ではない、グレーな部分。いつの時代も綺麗事だけでは話は進まないのね。



秋葉山の近くも候補地に上がったけど、清水東高の敷地になると言うことで諦めたとか。

所が決着は意外なところからやってきて、大正後期に周辺町村の合併で清水市が誕生し、
税金の問題が解消した事により元屋敷(大曲)に落ち着いた。

清水“市”の存在が遊廓の位置を決定付けた・・・なんて、これはこれでドラマを感じますわ。



今はご覧の通り静かな住宅街ですが、当時はお目当ての女の子の元へ通う兄さん方で繁盛していたんでしょうね。
勢いのある先輩に「お前も女遊び位したらどうだ?」と、初めて連れられて来た若い衆もいたんだろうな・・・とか
最初は遊びのつもりだったのに通っているうちに女の子にマジで恋しちゃった奴とか・・・

あと、聞くだけで涙が出そうな辛い話も山ほど在ったのだろうと・・・

俺なんかのドラマかマンガで覚えた安っぽい想像なんか遥かに上回る人間模様が交錯していたんだろうな・・・
と思うと、ただ通り過ぎるだけであったこの風景も、少し違ったものに見えてきました。


最初に遊廓を今に伝える店は無いと書きましたが、痕跡を示す設備が残っていますので紹介します。
(ちなみにこれはフォロワーさんに教えて頂きました。)



何本かあるNTTの電柱(電話線の架かっている電柱)に注目します。




「廓」と書かれています。 遊廓の「廓」ですねぇ
なんかちょっと字を見ただけでもかつての建物、街並みの雰囲気伝わってきませんか?

鉄道の施設にも古い名前が残っている物がありますが、電柱にもそれは当てはまるようです。
今の街並みに合わせてわざわざ変える必要が無いのでしょうね。



今度はプレートに「廊」の字が書かれています。
廊と廓がありますが、違いがよく分かりません。



電電公社マークの入った手書きの物も。
このマーク久しぶりに見た。



と言う訳で、今回は以上です。


この記事を作成するに当たり、季刊清水 第26号 1988年(昭和63年)発行を参考にしました。

余談ですが、その記事を書いた方があとがきに記した言葉が心に響くのですねぇ。
要約すると、「自らが高齢となり記憶も気力も衰えてきたが、後世何かの役に立つかもしれないので残しておくことにした。」
とあります。なかなか公式な文章に載らない内容ですので、記憶を記録しておくのは大事な事ですね。

おかげさまで清水の事をもっと知ることが出来ました。ありがとうございます。



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