今回も古い看板ネタでございます。
町中で見られる看板は、殆どがどこかしらの会社や組織なんかで維持・管理されています。
しかし、個人宅や個人所有の倉庫・塀に設置されたものの中には、時の流れから取り残されたまま存在している事があります。
そんな忘れ去られた看板見て、当時の街の雰囲気に想いを巡らすのが大好きなんですよ。
と言う訳で、今回は興津の民家に残された看板を紹介します。
現住所とスポンサー名が書かれている看板です。
経年による劣化は否めませんが、配色とフォントがアンティーク感たっぷりで目を引きます。
昭和レトロってやつですかね? そこはかとない懐かしさや美しさを感じます。
まず現住所表記についてですが、これから推察できる情報がなかなか多くて、
「県」の字が「縣」で旧字体を使うのがまだ当たり前だった頃で、興津が清水市に編入したのが1961年(昭和36年)なので、それ以降の物であると思われますし、
また現在のこの地域は「興津中町」と呼ばれているので、清水市編入後で興津町再編以前の物と言う事になるのかなぁ…と。
それから(寄贈)って書いてあるので、興津町が希望する各戸に配布したのかな?…とか、数字の部分は個別にマスキングして塗装したのだろうね。とか、
現住所の記載一つとってもこの看板が設置された当時の状況に思いを巡らす事ができます。
本題のスポンサー名の方ですが、「紳士服の伊藤 清水銀座三丁目」と書かれています。
やはり気になるのがこのお店が現存しているか否かと言う事になりまして、現地を調べてみました。
手っ取り早く住所を検索してみましたが、「清水銀座三丁目」という住所はそのままではヒットしませんでしたので、
「清水区 銀座3」と言う住所で検索しますと、画像中央の薄っすら赤い線で囲まれた場所がヒットしました。
波止場踏切の近くであり、清水銀行江尻支店のある一角ですね。
ま、この時点で、あー、こういう店は見たこと無いわぁ。と思いましたので望み薄でしたわ。
はい、それで現地の「ゆめのプロムナード」こと清水銀座です。
せっかく来たのに結局何も手がかりは見つけられませんでした。
それでも一応、銀座3の範囲を周ります。
甘寅の近くです。
空地も目立つのでそこに在ったのかもしれませんが。
今回も、探した店舗は無かったという結果になりました。
ちなみに電話番号についても、現在も何らかの商売をされているのならば、ヒットするかも?と淡い期待を抱きましたが何も無しでございました。
銀座と言う住所の範囲について絞り込みが甘かったかな?とも考えましたが、手掛かりが得られないのは仕方ありません。
思い返せば、昔は割とテーラー○○とか、○○洋品店とか洋服屋さんが身近に何店舗もありました。
そして微妙に品揃えが違っていて店同士で住み分けが出来ていたような気がします。
紳士服の伊藤は、そんな時代の中に在った店の一つなのかもね。
念のため、「映画ビーバップハイスクール 高校与太郎行進曲」の映像も確認してみたけど、手掛かり掴めず。
今回は以上でございます。
<2022.4.18追記>
ありがたいことに、コメントにて銀座3丁目の場所について教えていただきました。
どうやら紳士服の伊藤は、清水銀座のオシミ洋服店付近に在ったそうです。
※2014年撮影
お店は無くなってしまっても、あの看板は「紳士服の伊藤」の事を今なおアピールしています。
愚直に看板の職務を全うしていると思うと健気に思えてきます。
<追記終わり>
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町中で見られる看板は、殆どがどこかしらの会社や組織なんかで維持・管理されています。
しかし、個人宅や個人所有の倉庫・塀に設置されたものの中には、時の流れから取り残されたまま存在している事があります。
そんな忘れ去られた看板見て、当時の街の雰囲気に想いを巡らすのが大好きなんですよ。
と言う訳で、今回は興津の民家に残された看板を紹介します。
現住所とスポンサー名が書かれている看板です。
経年による劣化は否めませんが、配色とフォントがアンティーク感たっぷりで目を引きます。
昭和レトロってやつですかね? そこはかとない懐かしさや美しさを感じます。
まず現住所表記についてですが、これから推察できる情報がなかなか多くて、
「県」の字が「縣」で旧字体を使うのがまだ当たり前だった頃で、興津が清水市に編入したのが1961年(昭和36年)なので、それ以降の物であると思われますし、
また現在のこの地域は「興津中町」と呼ばれているので、清水市編入後で興津町再編以前の物と言う事になるのかなぁ…と。
それから(寄贈)って書いてあるので、興津町が希望する各戸に配布したのかな?…とか、数字の部分は個別にマスキングして塗装したのだろうね。とか、
現住所の記載一つとってもこの看板が設置された当時の状況に思いを巡らす事ができます。
本題のスポンサー名の方ですが、「紳士服の伊藤 清水銀座三丁目」と書かれています。
やはり気になるのがこのお店が現存しているか否かと言う事になりまして、現地を調べてみました。
手っ取り早く住所を検索してみましたが、「清水銀座三丁目」という住所はそのままではヒットしませんでしたので、
「清水区 銀座3」と言う住所で検索しますと、画像中央の薄っすら赤い線で囲まれた場所がヒットしました。
波止場踏切の近くであり、清水銀行江尻支店のある一角ですね。
ま、この時点で、あー、こういう店は見たこと無いわぁ。と思いましたので望み薄でしたわ。
はい、それで現地の「ゆめのプロムナード」こと清水銀座です。
せっかく来たのに結局何も手がかりは見つけられませんでした。
それでも一応、銀座3の範囲を周ります。
甘寅の近くです。
空地も目立つのでそこに在ったのかもしれませんが。
今回も、探した店舗は無かったという結果になりました。
ちなみに電話番号についても、現在も何らかの商売をされているのならば、ヒットするかも?と淡い期待を抱きましたが何も無しでございました。
銀座と言う住所の範囲について絞り込みが甘かったかな?とも考えましたが、手掛かりが得られないのは仕方ありません。
思い返せば、昔は割とテーラー○○とか、○○洋品店とか洋服屋さんが身近に何店舗もありました。
そして微妙に品揃えが違っていて店同士で住み分けが出来ていたような気がします。
紳士服の伊藤は、そんな時代の中に在った店の一つなのかもね。
念のため、「映画ビーバップハイスクール 高校与太郎行進曲」の映像も確認してみたけど、手掛かり掴めず。
今回は以上でございます。
<2022.4.18追記>
ありがたいことに、コメントにて銀座3丁目の場所について教えていただきました。
どうやら紳士服の伊藤は、清水銀座のオシミ洋服店付近に在ったそうです。
※2014年撮影
お店は無くなってしまっても、あの看板は「紳士服の伊藤」の事を今なおアピールしています。
愚直に看板の職務を全うしていると思うと健気に思えてきます。
<追記終わり>
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そこで、思いついたことを少し。
まず、清水で銀座という行政町名が生まれたのは1970年代初めだったと記憶します。
それ以前は稚児橋の通りから江尻大踏切に向かって、魚町、仲町、柳町、志茂町、七軒町、中浜町などの町名でした。そして、清水銀座商店街が通称として稚児橋の通りから踏切方向に、1丁目から5丁目と区分けしていたやに記憶しています。
では、銀座3丁目はどこ? ここからうろ覚えになってしまいますが、柳橋通りから大正橋通りまでが3丁目と4丁目だったと思います。境界は不明ですが。
写真のホーロー看板がその時代のものなら、今日の銀座3とは別の場所ということになりますね。
伊藤紳士服…、覚えがないなあ。お役に立てず、すみませんでした。
とても参考になりました。
私も銀座3丁目の場所が気になって、親に「伊藤」について知っているか尋ねましたところ、
「店自体には行ったことないが、踏切から柳橋近くのメガネの春田の間にはあったはずだ。」
との話を聞きました。
やはり鈴木さんの仰る3丁目の位置に合致してます。
現在の同付近は駐車場や介護施設などがありますが、その辺りに「伊藤」は存在していたのではないかと推測します。
また面白い記事を書いてくださるのを、東京で楽しみにしております。
ごきげんよう。
清水銀座商店街は昔から住居表示と商店街としての表示が違いました。
旧江尻城(現江尻小学校とその周辺)城下町の区分から、
以前は銀座1~2丁目は多分、魚町(うおまち~上町の転)と仲町(なかちょう~中町の転)
3丁目は志茂町(しもちょう~下町の転)
4丁目は七軒町(しちけんちょう)と呼んでいたと思います。
現在の
清水区江尻町6−15 久保山印房、清水区江尻町4−28 甘静舎
のある変則五叉路から銀座1丁目が始まり、清水区江尻町6−6 紅屋さん 辺りまでが銀座1丁目。
そこから
清水区江尻町2−13 天定ビル(旧たぐち肉店)までが銀座2丁目。
交差点を渡った
清水区銀座14−16 SCHOOL SHOP SUGIYAMA(スギヤマ洋品店)
清水区銀座13−26 メガネの春田 からが銀座3丁目で
清水区銀座10−9 旧テーラー雀荘(じゃくそう) 清水区銀座11−1 池田屋 まで。
交差点を渡った
清水区銀座9−17
清水区銀座8−12 から 銀座4丁目が始まり
JR踏切わき 清水区銀座4−10 ミヤモト額縁&画廊まで。
で、伊藤さんは、現在は空き地やシャッター閉ばかりになっている
銀座3丁目の
「清水区銀座14−7」から「清水区銀座14−9」辺りにあったテーラーでした。
オシミさんと伊藤さん、2軒のテーラーが並んでいました。
いまGoogleストリートビューで現地を確認していました。
やはり銀座3丁目の区分はメガネの春田から雀荘や池田屋の所までだったのですね。
そして紳士服の伊藤はオシミ洋服店の近くであったと。
もう店は無いけれど、少しだけ当時の空気に触れられたような気がします。