長岡京市観光協会のブログ

長岡京市の出来事を紹介します。

~潤福寺の”おみきさん”~

2014年05月29日 | 伝説


その昔、小畑川の自然堤防に広がる古市村が

まだまだ草深い里でキツネやタヌキが、

たくさん住んでいた頃の潤福寺でのお話です。

潤福寺のお堂の下におみきさんと呼ばれる

キツネが住んでいました。



ある時、お堂の前に娘が座りこんでいたので、

村人が心配して声をかけると・・

うわぁ~!と腰を抜かしてしまいました。

なんとその顔は真っ白で目も鼻も口もない、

「のっぺらぼう」だったからです。

娘の正体はおみきさんで、

キツネに戻ったおみきさんは、

村人が落としていった大福をちゃっかりいただきました。

いたずら好きのおみきさんではありましたが、

村の人はかわいがっておりました。





ある日、おみきさんがいつもの様に軒下で昼寝をしていると

二人の泥棒が寺に忍びこんでいるではありませんか!

二人の泥棒は部屋の隅の小振りながらも、

黄金に輝く観音様をみつけて「きっと高い値がつくに違いない」と

汗をぬぐいながら盗んでいってしまいました。

「もう、ここまでくれば大丈夫!」と観音様を見たとたん、

泥棒たちは腰を抜かして驚きました。

観音様はいつの間にか恐ろしい顔をした

不動明王にかわっていたからです。

暫らくして元の姿に戻ったおみきさんは、

「今度は住職のおみやげでもいただくか」というと

また軒下で昼寝を始めました。






ハイキングを計画されている方へ

2014年02月23日 | 伝説
【2/27~3月末】に、京都府・長岡京市・大山崎町が連携して

イノシシ・シカの一斉捕獲を実施します

被害農地の周辺をねぐらとするイノシシ・シカを中心に行う

個体数管理の一環で、市町の境界を越え関係市町が連携して

広域的に行う有害捕獲です。

適正で安全な捕獲事業が出来るよう、実施当日は事業実施エリアの

現地の立ち入り等が制限されますので、地域の皆様のご理解、

ご協力をお願いいたします。

また、ハイキング等を計画されている方は日時・場所をご確認のうえ

気を付けて行かれますようお願いいたします。


第1回

実施日時:平成26年2月27日(木)、午前9時~午後4時

実施場所:大山崎町天王山鳥獣保護区周辺

その他:雨天の場合2月28日(金)の同時間


第2回

実施日時:平成26年3月19日(水)、午前9時~午後4時

実施場所:京都市・長岡京市境界付近一帯

その他:雨天の場合3月20日(木)の同時間


第3回の1

実施日時:平成26年3月26日(水)、午前9時~12時

実施場所:長岡京市野山一帯

その他:雨天の場合3月27日(木)の同時間


第3回の2

実施日時:平成25年3月26日(水)、午後1時30分~4時30分

実施場所:京都市西京区大原野石作町周辺

その他:雨天の場合3月27日(木)の同時間



詳しくは長岡京市ホームページこちらをご覧下さい。

伝説:馬場先お地蔵さん

2014年01月12日 | 伝説

長岡京市の泉ガ丘公園内に「馬場先お地蔵さん」があります。



20体以上のお地蔵さんと呼ばれる石仏です。




昔々村人たちにはこの石仏を拝めば病気を治してもらえると

信じられている信仰心がありました。

ある日子どもが病気にかかり医者も何もできない状態で

お母さんは大変心配で困っていました。

それで、人々の病気を治してくれるお地蔵さんの話を聞き、

子供のためにこの石仏に昼も夜も祈りました。

すると、神秘的に子供の病気はすっかり良くなったという

伝説があります。






お地蔵さんは人々を助けるという仏教の守り神です。

頭がつるっとしたお地蔵さんは特に子供や旅人を

守ってくれると言われています。



 伝説・ 台座のない仏像

2013年10月03日 | 伝説




昔々大雨の後、村人が小畑川のところに泥まみれた

薬師如来像を見つけました。

不思議に思って村人は潤福寺にもって帰りました。



それは京都の広隆寺の有名な仏像でした。

長岡京に住んでいるおばあさんが広隆寺を訪ね、

仏さんに妊婦である自分の娘の体調が悪いとお話をして

娘を助けるために一緒に来てほしいと頼みました。

仏さんは助けに行きたかったのですが残していく

村人たちのことも心配でした。

長岡京に行っている間、病気を治す力を残しておくため広隆寺に

台座だけ残していくことに決めました。

大雨でお寺が水つきになった時、仏さんは台座から離れて

長岡京へ浮いて行ったという伝説です。

村人たちは仏像を修理し、金ぱくを塗って敬いました。

薬師如来は病気の人々を救う仏さんだと信じられています。





潤福寺に今、萩の花とムクゲの花が綺麗に咲いてます。




伝説・合体した仏像

2013年08月30日 | 伝説





空海が乙訓寺の別当に任ぜられたのは、弘仁2年(811)の晩秋です。

乙訓寺に入った空海は当寺とゆかりのある早良親王と

人々の心を癒すために、八幡大菩薩の仏像を作ろうとしました。

でも、仏像の形のイメージがわきません。

ある朝、空海は一人の老人に出会い、

自分が空海の体の部分を彫るので空海には老人の頭の部分を彫るようにと言われ、

空海がうなずくと老人は突然、姿を消しました。

空海が頭の部分を彫り終わった時、老人が再び現れ、

仏像の体の部分を贈ったという伝説があります。

頭と体はぴったりと合い、まるでひとりの人が彫ったようでした。

この像は頭は八幡大菩薩で、体は空海を形どって

神聖な合体仏(秘仏)として乙訓寺のお堂にまつられています。



長岡京の都の造営官の暗殺の罪をきせられ、島へ流される途中に、

無実をはらすことなく悲運の死を遂げた早良親王の御霊も慰められたのでしょう。

第50代桓武天皇と早良親王は兄弟で母は高野新笠父は光仁天皇

二人とも父母の愛情いっぱいで大きくなったのにその母はどんなにつらかったでしょう。

その母はあまりの悲しみの衝撃で早死になったのではと思います。

その高野新笠こそ昔々韓国の王族の姫で第49代光仁天皇はその姫を王妃として

迎えたという言い伝えがあります。

いま、乙訓寺にサルスベリの花が綺麗に咲いてます。