nhk室蘭放送局の前に大きなモニュメント「FURAI」(風来る)が設置されています。当市出身
の”鉄のゲーイジッ家”篠原勝之(通称:クマさん)の制作。モニュメントの中央の可動リングは斬新
な色彩。3個のリングは、風に吹かれると不規則で立体的な回転を見せてくれます。
ギャラリーに展示されています。往年の活躍を彷彿とさせるTVカメラやテープレコーダーの
名機です。
NHKが本格的なTV放送を開始したのは1953年、ほぼ時期を同じくして民放でも放送を開始。
国民の誰もが熱狂的に小さなブラウン管に目をくぎ付けにした時代。当時、TVは高価で一般家庭
では高嶺の華。
我が家にTVがやって来たのは放送開始から5年後、小生が13歳の時。今では考えられないが、
TVの付属品としてブラウン管を覆うカーテン付き。展示されている機材を眺めていると当時の状況
が鮮明に目に浮かびます。
nhk室蘭放送局の3階テラスから眺める、昨日降った雪が残る室蘭市の中心地。後方で街
を取り囲む小高い丘は、当ブログに度々登場します絵鞆半島です。
この画像からは想像しがたいでしょうが、半島の外側には太平洋の大海原と断崖絶壁の景勝地
が連なっています。絵鞆半島の投稿画像からは人里離れた場所に見えているでしょうが、このよう
に街と手付かずの自然が隣接している場所です。一方、視線を右遠方に向けると港や白鳥大橋方
面の眺望が開けます。
ほぼ同じアングルの屋上の定点カメラからは、時折、全国版の天気予報などのスポット画像として
放映される風景です。
クマさんは室蘭出身でしたか…
TVでの風貌とトークから初めは芸術家とは思いませんでした。
室蘭市をバックに、斬新なデザインのモニュメントが映えますね。
II.sanさんの話から昔話を思い出しました。
TVが普及し初めて何年目だったでしょうか、近所にはまだまだ少なくて、
我が家には夕方は近所の子供達が集まり、食事までして行く始末。
夜には近所のおじさんが観に来て、自分の家のテレビであって好きな番組を見せてもらえませんでした。
子供心にそのおじさんが大嫌いになって、どうぞきょうは来ないでと願ったものです。
子供なので後先考えないで、そのおじさんに対してふくれっ面で接して親に叱られたものです。
今は懐かしく思い出しました。
じがしますね。鉄の造形作家、執筆活動、さらに、TV
やラジオへの出演とマルチ人間のようです。
TVの出現は全国民が小窓から別の世界を見るよう
な感動・驚きだったのでしょう。放送時間が限定されて
いたのでしょうか、記憶ではkokoroのお宅と同じように
夕方になりますと近所の子供、大人が数人。TVの前
で正座、誰もが黙ってブラウン管に目を注いでいまし
た。全国津々浦々で同じ光景が繰り広げれていたので
しょうね。