京都駅
2005年06月11日 | 旅
京都駅は鉄とガラスの高い天井が印象的。
ミラノのヴィットリオ・エマヌエル2世アーケードに似ている。
天神のエルガーラのアーケードに似ている。
でもそれらよりもっともっと空まで続きそうな伸びゆく感じと
古都のイメージとのギャップが面白い。
京都とお別れするとき
コンコースを見下ろせるカフェでお茶をした。
沢山の人が改札を出たり入ったり。
どこから来たんだろう。どこに帰っていくのだろう。
どんな思いを抱えて京都に来たんだろう。
京都でどんなこと感じたんだろう。
それぞれ。
人が流れてる。
流れの中からちょっと飛び出して流れを眺めている私。
長い間、私の喉に魚の小骨のようにつきささっていた事があった。
ささったばかりの頃、
とっても痛くて、抜きたくって喉に手を突っ込んで、ぐいぐい深くささり
痛くて情けない思いをしていた。
最近はそんなこと忘れて感じなくなっていたけど、
ささったまんまだった。時々かすかにうずいていた。
でもこの旅の中ですーっと抜けて流れた。
そして今、また新しい小骨が喉にささっている。
今は痛いけど、いつかはこの骨も流れていくんだろうな。
あの頃のように喉に手を突っ込んだりしないから
今度はもっと早く流せるだろう。
同じパターンの円の中をぐるぐる回って抜け出せていない気もする。
でも、その円がだんだん小さくなって、点になって、そのうち線になって、
そして流れを作れるような気はしている。
大きな駅や空港が好き。
そこは滞りなく流れている場所だからかもしれない。
ミラノのヴィットリオ・エマヌエル2世アーケードに似ている。
天神のエルガーラのアーケードに似ている。
でもそれらよりもっともっと空まで続きそうな伸びゆく感じと
古都のイメージとのギャップが面白い。
京都とお別れするとき
コンコースを見下ろせるカフェでお茶をした。
沢山の人が改札を出たり入ったり。
どこから来たんだろう。どこに帰っていくのだろう。
どんな思いを抱えて京都に来たんだろう。
京都でどんなこと感じたんだろう。
それぞれ。
人が流れてる。
流れの中からちょっと飛び出して流れを眺めている私。
長い間、私の喉に魚の小骨のようにつきささっていた事があった。
ささったばかりの頃、
とっても痛くて、抜きたくって喉に手を突っ込んで、ぐいぐい深くささり
痛くて情けない思いをしていた。
最近はそんなこと忘れて感じなくなっていたけど、
ささったまんまだった。時々かすかにうずいていた。
でもこの旅の中ですーっと抜けて流れた。
そして今、また新しい小骨が喉にささっている。
今は痛いけど、いつかはこの骨も流れていくんだろうな。
あの頃のように喉に手を突っ込んだりしないから
今度はもっと早く流せるだろう。
同じパターンの円の中をぐるぐる回って抜け出せていない気もする。
でも、その円がだんだん小さくなって、点になって、そのうち線になって、
そして流れを作れるような気はしている。
大きな駅や空港が好き。
そこは滞りなく流れている場所だからかもしれない。
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