何かに対して「こわい」と思ったとき、
「こわい。」と言う時と
振り子をふって「こわい」の一番さきっちょで飛び降りて
「こわい」を隠す
の2つの反応をしてしまうように思う。
後者は「こわい」を悟られたくないから
そうしてしまうんだと思う。
「かなしい」「さびしい」ときも同じことをしてしまったりする。
よわってる小さな自分を見られるのが「こわい」からかもしれない。
そして、不思議だけど
「しあわせ」「たのしい」「だいすき」
のときも似たような現象が起きたりする。
どうしてそうしてしまうのか分からないけど、
そうしてしまう。
誰だって多かれ少なかれそういうところあるとは思うけど、
私は感情を出すのを極端にこわがるのかもしれない
「こわい。」と言う時と
振り子をふって「こわい」の一番さきっちょで飛び降りて
「こわい」を隠す
の2つの反応をしてしまうように思う。
後者は「こわい」を悟られたくないから
そうしてしまうんだと思う。
「かなしい」「さびしい」ときも同じことをしてしまったりする。
よわってる小さな自分を見られるのが「こわい」からかもしれない。
そして、不思議だけど
「しあわせ」「たのしい」「だいすき」
のときも似たような現象が起きたりする。
どうしてそうしてしまうのか分からないけど、
そうしてしまう。
誰だって多かれ少なかれそういうところあるとは思うけど、
私は感情を出すのを極端にこわがるのかもしれない
すてき(*´∇`)ノ