
先日ご紹介した,鎌倉幕府軍と新田義貞軍との「久米川の戦」では,新田軍の勝利となりました。
義貞が陣を敷いた背後は狭山丘陵の小高い丘となっており,関東八カ国が見渡せる山との由来から「八国山(はちこくやま)」と呼ばれていました。
後に分倍河原でも勝利した義貞は,一時この八国山に逗留し,そこにあった塚に旗を立てたと伝えられており,それからこの塚は「将軍塚」と呼ばれるようになりました。
あちこちの解説を読むと,「久米川の戦いの際に,義貞がこの塚に本陣を敷いて戦いを指揮した」とか,説がまちまちなのですが,少なからず新田義貞にゆかりのある塚であることは間違いなさそうです

晴れた日などは,ちょっとしたハイキングコースに最適です

見てお解りのとおり,「山」というほど高い山でもなく,ほんとに関東八国が見渡せたのかは疑問で,実際将軍塚からは,茂った木々が邪魔して下界の景色は何も見えませんでした

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