出かけるのは止めたので

2011-08-18 14:56:54 | インポート

今日はちょっと出かけてくるつもりだったのだが、今年最高の暑さと聞いて止めた。日に焼けるくらいでは済まないのが最近の暑さだ。家に居ても全然涼しくはないが直射日光は避けられる。しかし、こんな暑い日でもおまわりさんは各家を巡って交番からのお知らせを配っているのだから大変だ。ちょっと頭が下がる。

それでも明日あたりからは少し気温もさがってくるらしいので、それを期待しながら、秋の面白そうな新作映画を探してみた。中でこれは見たいと思ったのは現在上映中の『ツリー・オブ・ライフ』と9月上映の『ライフーいのちをつなぐ物語』だ。シノプシスを見た限りではこの二つの映画には共通した面があるようだ。それはどうも、今自分がここに存在していることの不思議を考えさせていることのような気がする。

自分としては二作品ともぜひ見たいと思う。

      http://onelifemovie.jp/index.html

      http://www.movies.co.jp/tree-life/home.html

時にはちょっとまじめに考えてみてもいいテーマだろう。


ワールドユースデー

2011-08-17 19:33:55 | インポート

こんにちは~、ご無沙汰さんのマリーで~す。お久しぶりで~す。

なんたって、うちのおばはんの機嫌がよくないと、このごろあたしにも声がかからないのよ。ほら、本体無料でギャラクシータブに切り替えちゃったでしょう。ケータイのマリーの出番がなくなっちゃったのよ。今、あの人、あたしをいつもバッグの中に入れてもって歩いてるけど、殆ど全然電話としては使ってくれないの。いざというときには電話がないと困るけど、普段はなるべく公衆電話か、おうちの据付電話師か使わないの。

だってねえ、ギャラクシータブはインターネットしか使わないけど、あたしのほかに、もう2台、来年の夏まで契約に縛られている機械が2台あって、それを絶対使わなければ、その2台は基本料金だけだから月々の支払い料金が格安になる契約なの。来年の夏前に解約すると1台1万円かかるのよ。あの人が解約の時期を間違えるからこういうことになっちゃったの。

だけど、あの人にはインターネットは必要だからしょうがないわよ。新しいパソコンは当分買えないし、ドコモさんに頼るしかないんだもの。とにかくそんなこんなで、あたしが出る場面がすっごく少なくなっちゃったの。なんたって、あたしはケータイですからねえ。同じギャラクシーでもSだったらいいけど、あの人のはお目目に楽なTabなんだもん、どうしようもないわ。

そんでもってほら、3月11日の大事件以来、さすがのうちのおばはんも相当にショックだったらしくて、あんまり外に出歩かなくなっちゃったの。やたらに遠くまで行ってまた地震にあったらどうしようって、内心怖がってるの。足もよくないしね、歩いて帰れる距離以上行きたくないのね。象さんが大好きなのにいまや動物園も殆どいかないし、あれじゃ体重ばっかり増えて困るわ。検診のたびにお医者さんに言われてるのよ。猛暑の日はしょうがないけどさ、あの人、秋になったら断然歩かせたいわ。ショッピングカートを引いてでもいいから歩いてもらわなくちゃ。ねえ、誰だってそう思うでしょう。

まあいいけどさあ、今日の話からずいぶんそれちゃったわ。今日の話はうちのおばはんとはまるっきり反対の若い人たちと、若い人たちと一緒に行動している人たちのことなの。ワールドユースデーって聞いたことがあるかしら。

カトリック教会の国際的な催しで、今年はスペインで開かれているの。日本からも参加しているのよ。若い人たちはもちろん、若い神父様や、気持ちは若い司教様とかもね。うちのおばはん、あれでもフェイスブックにも参加していて、結構直接、間接の知り合いも多いの。若いときはものすごい人見知りだったのに、年をとって、ずうずうしくなってきたのかなあ。平気で知らない人にも声をかけてるの。

でもって、なんだか気がついたらカトリック教会の神父様、司教様にもつながりが出来てるの。あきれちゃうわ。あんまり失礼のないようにしてちょうだいよね。だけどそれでも今日は、ワールドユースデーに一緒に参加してスペインに言っている郡山司教様がたくさんの写真をフェイスブックに投稿してたわけよ。誰も何も言わないのもなんだからってあの人ちょこっと書き込んだら、司教様の長いコメントがきたわ。

郡山司教様ってねえ、鹿児島教区の司教様で、カトリック教会でもインターネットを早くから取り入れた方なのよ。この方と、新潟(札幌)教区の菊地司教様のブログはかなり前から、うちのおばはんも読んでるのよ。

   http://sdemo.net/pken/Blog/30b530f330c130e3306e591c

   http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/

うちのおばはんが直接お世話になっている東京の大司教様も一応フェイスブックに参加してるみたいだけど、たぶん忙しすぎるのねえ。あと補佐司教様のブログもあるけど、純粋に読み物として面白いのは菊池司教様のブログかなあ。あ、そうそう沖縄の押川司教様もフェイスブック組よ。司教様達って普段殆ど接触がないからどんな方たちなのか良くわからないじゃない。その点、こういう自己表現をしてくださっていると、信者としても有難いのよねえ。

さて、今日はこのへんで引っ込むわね。早く暑い夏が終わってくれないかしら。あの人、眠れないものだから毎日朝寝坊で困るわ。今のあたしが出来ることは目覚まし機能くらいだから、しっかり大音量で鳴っているのに、起きてくれないんじゃほんとにどうしようもないわ。

とにかくほんじゃまたね。バイバーイ。

 


助け合い

2011-08-16 16:04:39 | インポート

さて、どうせまだ9月まではかなり日があるので、いつもの日常に戻っての話になります。日経電子版の『オフタイム』の中に食べBのコーナーがあるわけですが、さすがに今の時期は野瀬さんもお休みで、そのかわりに番外編でデスク氏の、秋田・由利本荘市でのご当地グルメイベントのリポートが載っていました。どうして秋田くんだりにと思って読んでみるとなるほど事情がわかりました。

 http://www.nikkei.co.jp/category/offtime/tabeb/article.aspx?id=MMGEzq000009082011

今回の大震災では東北で食文化を通して町おこしに取り組んでこられていた地域も大きな被害を受け、特に原発に近かった地域では町おこしどころか、町ごと外に避難していかなくてはならなかったりもしているわけです。それで福島を離れて、秋田の地に移った方々と、秋田でやはり食文化を通しての地域起こしをしていた方々が今、協力しあっているのだそうです。

一気にどうこうできるようなことではないので、身の回りの手の届く支援を重ねていくことが大切なようです。


仕方がない、秋を待とう

2011-08-14 20:28:41 | インポート

取りあえずは、現状の改善を図るために法テラスに相談にいく。今回は借金の清算一筋だ。その後のことは秋になって日常に戻ってからでないと動けないと思う。なんといってもまだ教会も大学も夏休み中だ。

 今日の吉祥寺の在世会の雰囲気では正しい話しは伝わっていないようだし当分こちらも距離をおこうと思う。相手は普通の人たちだから仕方がない。やたらな話しはできないもの。思うに上野毛で出会った人たちと違って、祈りの世界への憧れは少ないけれど、しっかりした現実的なおばさんたちと思える。そのうちいつかわかりあえれば良いお付き合いの出来る人たちだが、今はまだその時機ではなさそう。これも仕方がない、無理はしないことにする。

 あとは、秋になって相談したいと思っている相手が戻ってきてからだ。日記での、この話しもこれで当分おしまい。秋にならないと進みようもないので。その昔、観想修道会のシスターになりたいと思って親元を出たのが、こんな状況になるとはまったく想定外。笑うしかないさ。


ファティマのマリア様

2011-08-14 10:48:52 | インポート

思い出していくと、自分でもすっかり忘れていたような事柄がいくつも出てきた。

何故あの頃、マスコミに付きまとわれていたのか、果ては父ブッシュの国際電話か、考えたくもないと自分でも考えるのをやめて忘れようとして忘れてしまうらしい。誰にも信用されないような話をまた持ち出さなくてはならないのはこちらとしても楽ではないのだ。

当時、プロテスタントの信者だった当方、ある時期からプロテスタントの考え方に合わなくなってしまい、もともと子供の頃に初めに出会ったキリスト教がカトリックだったから、カトリックに戻りたいと思うようになり、地元のカトリック市川教会に通い始めた。1974年か5年頃からだったと思う。

その頃の市川教会には片隅に小さなケースに入った大変美しいマリア様のご像が安置されていて、信者の方がファティマのマリア様だと教えてくれた。プロテスタントの教会ではマリア様は正式には殆ど表に出てこない重んじられていない存在だったし、当時はファティマどころか、ルルドのご出現も聞いたこともなかったのだ。だから、ファティマのご出現とか予言とかといわれて、カトリックっていまだにそんなことをいっているのかとびっくりしたのだ。おかげで逆に印象に残り、その後、カトリックに改宗したあと、いったいファティマのマリア様のご出現というのはどういうことだったのかと、当時の聖三木図書館で古い資料を漁りまくって調べてみた。信じる信じないはとにかく、これは現実に何かがあったのだということはよくわかった。

我が家はキリスト教にもカトリックにも関係のない父方も母方も古くからの仏教の家だったのだが、父の実の父親という人が実はお寺さんだったとかで、うちの父は結構、宗教的だったのだ。それで長女で一番上の当方も父の影響を受けて、子供の頃から宗教的なセンスを植えつけられてきたと思う。それでこの件も一概に否定など出来ないと感じたわけだ。

しかし、それからずいぶんこの話は忘れていたのだ。思い出したのは当時のベビーシッターグループの手伝いをしていたので、あるとき司祭がみんなにお土産のポストカードを下さったのだが、その写真がなんとファティマのマリア様で、それ以来、ファティマのマリア様のことはずっと心に残っていた。

そして時は経ち、ニュースなどでもあちこちで、今、核戦争が起これば、核の冬現象で人類は絶滅するというはなしがでて、その頃のミサの中で、今は亡きオブォンク師は人類の危機とおっしゃっていたのだ。それで当方、ふと、ファティマのマリア様の予言のことを思い出し、このままいくとあの予言は現実になってしまうのではないかと、当時、ご縁あってちょっとした関わりで時々手紙をだしていた遠藤周作先生や、霜山徳爾先生、また一部の司祭にこの話を伝えたのだ。この件でかかわっていた方々というのは実は皆様、河合隼雄先生をはじめ、ほぼ共通していたのはユング心理学だったのだ。

どこでどう情報が漏れたのか、それ以来いまいましい朝日を初め、いろいろなところがこちらに付きまとい始め、ただの女の子だった当方、周囲のうわさにすっかり疲れてしまってまともに会社で働けなくなってしまったのが現在の状況の始まり。

河合隼雄先生は、偶然が重なるときはそれは偶然ではなく、必然だとおっしゃっているが、まったく、あの頃はいくつもの偶然が重なって状況が進んでいったのだ。あの時、たまたま当時のソ連のことを書いたら、チェルノブイリの事故が起こって、それ以来、ますますこちらの状況はめちゃくちゃになった。それこそ、ファティマのマリア様に何とかしてくださいと願い続けるだけだった日々。

その後のことはあまり思い出したくない。人間は安全だと思うとすぐに欲を出して、何でもお金儲けに利用しようとするのだ。つくづくよくわかったし、そんなものにもうこれ以上関わりあいたくない。それだけだ。どこかの誰かさんたちのように散々利用するだけで、こちらがまともに生活できないというのに放ったらかしにするお人たちなどもうたくさんだと思う。

 


法テラスの2

2011-08-12 21:49:39 | インポート

まずはこれまでの経緯を書いたから次はこれからどうしたいかだ。

今年の11月で62歳になる。れっきとしたおばあさんの仲間入りだ。足腰はどんどん悪くなっているし、緑内障のある目の方も不安だ。白目の隅が青黒く変色しているのを発見して以来、決して点眼を忘れなくなったが不安だねえ。

自分は集団生活向きの人間ではないのもつくづくとわかる。修道院にとはどうも思えないのだ。そうではなくて、在俗の形で、しかし、宗教生活を実現させたい。こちらのほうが現実に即していると思うのだ。

とにかくまずは経済状況の改善から手をつけねばならぬ。ゆえに法テラスも利用しよう。借金の整理が先決だ。丸井さんはこれまで当方とのかかわりで決して損はしていないはず。いい宣伝になっていたはずだと思っている。こちらはもうこれ以上支払いを続けるにはゆとりが無さすぎるのだ。無さ過ぎて、食べることにも事欠きかねない現状なのだ。このへんで勘弁してもらいたい。

吾唯足るを知る、という禅の面白い言葉があるが、まさに求めるのはそれだけだ。(4つの文字に共通する口へんのお遊び)それは別に特定の集団の中での生活を意味するものではなかろう。