思い出していくと、自分でもすっかり忘れていたような事柄がいくつも出てきた。
何故あの頃、マスコミに付きまとわれていたのか、果ては父ブッシュの国際電話か、考えたくもないと自分でも考えるのをやめて忘れようとして忘れてしまうらしい。誰にも信用されないような話をまた持ち出さなくてはならないのはこちらとしても楽ではないのだ。
当時、プロテスタントの信者だった当方、ある時期からプロテスタントの考え方に合わなくなってしまい、もともと子供の頃に初めに出会ったキリスト教がカトリックだったから、カトリックに戻りたいと思うようになり、地元のカトリック市川教会に通い始めた。1974年か5年頃からだったと思う。
その頃の市川教会には片隅に小さなケースに入った大変美しいマリア様のご像が安置されていて、信者の方がファティマのマリア様だと教えてくれた。プロテスタントの教会ではマリア様は正式には殆ど表に出てこない重んじられていない存在だったし、当時はファティマどころか、ルルドのご出現も聞いたこともなかったのだ。だから、ファティマのご出現とか予言とかといわれて、カトリックっていまだにそんなことをいっているのかとびっくりしたのだ。おかげで逆に印象に残り、その後、カトリックに改宗したあと、いったいファティマのマリア様のご出現というのはどういうことだったのかと、当時の聖三木図書館で古い資料を漁りまくって調べてみた。信じる信じないはとにかく、これは現実に何かがあったのだということはよくわかった。
我が家はキリスト教にもカトリックにも関係のない父方も母方も古くからの仏教の家だったのだが、父の実の父親という人が実はお寺さんだったとかで、うちの父は結構、宗教的だったのだ。それで長女で一番上の当方も父の影響を受けて、子供の頃から宗教的なセンスを植えつけられてきたと思う。それでこの件も一概に否定など出来ないと感じたわけだ。
しかし、それからずいぶんこの話は忘れていたのだ。思い出したのは当時のベビーシッターグループの手伝いをしていたので、あるとき司祭がみんなにお土産のポストカードを下さったのだが、その写真がなんとファティマのマリア様で、それ以来、ファティマのマリア様のことはずっと心に残っていた。
そして時は経ち、ニュースなどでもあちこちで、今、核戦争が起これば、核の冬現象で人類は絶滅するというはなしがでて、その頃のミサの中で、今は亡きオブォンク師は人類の危機とおっしゃっていたのだ。それで当方、ふと、ファティマのマリア様の予言のことを思い出し、このままいくとあの予言は現実になってしまうのではないかと、当時、ご縁あってちょっとした関わりで時々手紙をだしていた遠藤周作先生や、霜山徳爾先生、また一部の司祭にこの話を伝えたのだ。この件でかかわっていた方々というのは実は皆様、河合隼雄先生をはじめ、ほぼ共通していたのはユング心理学だったのだ。
どこでどう情報が漏れたのか、それ以来いまいましい朝日を初め、いろいろなところがこちらに付きまとい始め、ただの女の子だった当方、周囲のうわさにすっかり疲れてしまってまともに会社で働けなくなってしまったのが現在の状況の始まり。
河合隼雄先生は、偶然が重なるときはそれは偶然ではなく、必然だとおっしゃっているが、まったく、あの頃はいくつもの偶然が重なって状況が進んでいったのだ。あの時、たまたま当時のソ連のことを書いたら、チェルノブイリの事故が起こって、それ以来、ますますこちらの状況はめちゃくちゃになった。それこそ、ファティマのマリア様に何とかしてくださいと願い続けるだけだった日々。
その後のことはあまり思い出したくない。人間は安全だと思うとすぐに欲を出して、何でもお金儲けに利用しようとするのだ。つくづくよくわかったし、そんなものにもうこれ以上関わりあいたくない。それだけだ。どこかの誰かさんたちのように散々利用するだけで、こちらがまともに生活できないというのに放ったらかしにするお人たちなどもうたくさんだと思う。