Peace!!のブログ

岐阜県富加町の古い家で、小さな店をしていました。暮らしや、ご飯について、政治について思うことなど。

親子で食べ過ぎてますっ。

2017-11-24 14:02:53 | インポート
期間限定って思っているからかも知れませんが、引きこもり生活、わりと飽きずに過ごしています(笑)。
一時は、世の中の活躍しておられる方々の事に思いを馳せたりして、「こんな無益な時間を過ごしていて良いのか!」と焦りを感じたりもしましたが(苦笑)、
今は子どもを優先すべきだし、この時間にも何か得るものがあるだろう(結果的には)と、腹をくくって、あと少し、ゆっくり子どもとの時間を楽しもうと思っています。
再開しましたら、頑張って美味しい時間をお届けしたいと思っています。

12月の半ばには再開できると思いますので、また知らせします。

今は平日は娘と色々作っています。



クッキーに穴をもくもくとあけています。



ちょっと焦げた。



パンを捏ねるのはしょっちゅうやっていて、これは、オラフをイメージしたパンらしい。



粉ものばっかりですね…。
子どもご機嫌とりメニューの、手巻きクレープ!野菜も沢山巻いて食べてくれるので嬉しいです。



手術レポート④退院まで

2017-11-10 11:13:00 | インポート
手術翌日には一般病棟へ移れる予定だったので、着替えやDVDの荷物を作って会いに行きました。
佳奈は口の管が外れて、小さい声で話せるようになっていました。1時頃に目が覚めたけど、大人しくしていたそう。
看護師さんが「ここのスタッフ、皆子どもいるんですけど、うちの子だったらあんなに聞き分けよくない!って話してたんですよ~」と誉めていただきました。持ち前の社交性を術後も発揮したようでした。

午後1時半、元居た一般病棟のベッドに移ります。この日からまた付き添いになるんですが、私は甘かった。術後は、具合が悪いのです!
始めの内はお茶を飲みたがったり、果物を食べたりした佳奈でしたが、夜に吐いてしまってからはとにかくグッタリ。丸二日くらい、「なにもしたくない」「何も食べたくない」初めて見る恐ろしく無気力な佳奈に、こんな風で大丈夫なのか。と不安でなりませんでした。泣いたり怒ったりもせず、目に力が無くて。
お世話になっている循環器内科の先生に泣きついたら、「お母さん、もう少し我慢してください。胸を開けて、心臓を止める手術をしているから、3日位かかる」と言われて、ようやく落ち着きました。
心臓病の治療というと、カテーテル治療というのが最近は多くて、こちらは心臓を動かしたまま出来るのですが、うちはカテーテル適用では無かったため、開胸して人工心肺を使って手術しています。今までよく分かっていなかったけれど、人工心肺を使うということは、自らの心臓の血を抜いて動かないようにして手術を行うということ。ザックリ言うとですが。現代は人工心肺は非常に精度が高くて、技師の人でもびっくりするくらいの安全性らしいですが、体への負担はどうにもなりません。
しかも、佳奈は無輸血で手術しているので、血が薄く貧血状態でした。
そんな人に「食べろ」とか「遊べ」とか言っても可哀想だな、見守ろう!と思って迎えた3日目の朝、佳奈の顔が笑っていて、やっと「あ、大丈夫そう」と思えました。

この日、グッタリしながらもちょっとずつご飯を食べて、DVD を見て過ごしてからはうなぎ登りに元気になりました。

元気になった後で困ったのは、採血と管を抜く処置です。
佳奈は「手術は切るから痛い」と思っていて、手術までは我慢をしていたので、それなのに体はしんどいし、痛い目に遭わされるなんて!!「ねぇ、手術って済んだんでしょ」と何度言われたか…。術後の事を前もって知らせておく必要はないだろうけど、保護者は事前に知っておくと心構えが出来るかも知れません。

私達からしたら佳奈だってすごくしんどそうだし、まだまだ不安要素はいっぱいです。が、病院はベッドが足りない状態で、術後5日目の朝、「元気だし、明日帰ろうか」とお許しが!早い!帰って何かあったら、とか考えたらきりがないですが、確かに病院でしてもらうことはあまりないので、何かあれば病院に走れば良いと思って、退院を決めました。

小児心臓外科の病棟には、佳奈とは比べ物にならないくらい、深刻な病気の小さいお子さんが入院していて、その子たちは、退院はおろか外泊すらいつ出来るとも分からないで生活していました。退院した今でも、あの子達の事を考えてしまうし、殆ど予定通りに進んだ自分達が申し訳無いような気持ちになったりします。
でも、入院中に知り合ったお母さんとも話していたのですが、病気を持った子どもを育てるのはそれぞれに大変で、重い軽いの違いはあるけれど親は我が子しか見えないものです。
だから、私が申し訳なく思ったり、同情したりするのは違うと思う。病気の子ども達がなるべく偏見の目でみられないように、個人個人を尊重してもらえるように、と思います。

最後に、もし今後子どもが手術を受けられる方が読んでいらっしゃったらお伝えしたいこと。
病院は術前の感染症や風邪を嫌いますが、それは相当安全に手術してもらえるということなので、気にせず延期した方が良いです。
佳奈は風邪が治っていて手術をしましたが、もう咳や鼻水が出なくなっていても、術後人工呼吸器を外すときに喉に痰が多くて苦しい思いをしたそうです。

我が子が手術をうける、と思うと暗闇を歩いているようで、終わりの無いような気持ちになります。でも、病気の深刻さに関わらず、多分夜が明けないことは無いので、1日いちにち時間は過ぎていくので、大丈夫です。
私くらいのヘタレな親でも何とかなっているので、多分、みんな大丈夫です!


長い長い手術入院レポートでした。つまらなかったと思いますが、読んで下さってありがとうございました





退院後のごちそう2連発!

佳奈、お赤飯を茶碗に2杯半食べました
私は、手術済んだら飲もうと決めていたワインをいただいています(笑)。
入院前、ちょっと痩せていたんですが、案の定太り始めています



退院しました!手術レポート③

2017-11-08 18:34:41 | インポート




おかげさまで、11月7日、めでたく退院することが出来ました!
佳奈がサーティーワンアイスクリームへ行きたがっていたら、車で食べるのなら良いよ、とのお許しが出たので、帰りにごほうびのアイス。大きかったのにペロリ。食欲は相当戻ってきています。


(レポートの続き) 手術中は、親は無事を祈る以外何も出来ないし、とにかく手術室に送り出せたという安堵で、私は家族控え室のソファーベッドで少し寝てしまいました。
夕方4時ごろからは、「もう呼ばれるだろうか」「遅くないかな」と、そわそわ時計ばかり見ていましたが、5時頃「ICU にご案内しますね」と看護師さんから声を掛けていただきました。
娘は、子ども用のICUが空いていなくて、大人のICU です。これは手術直前に主治医から告げられて「えー、そんなん可哀想。子どもに慣れてない看護師さん達が見るんでしょ!」と申し訳ないけれど不満に思っていたのですが、ICU スタッフの方々は「子どもさんだし緊張します!」と、大切に見守って下さったので有り難かったです。可愛がっていただいたようでした。
いよいよ対面した佳奈は、たくさんのチューブや測定器、酸素の管を口に入れられていて、それはもう痛々しい姿でした。
この時はさすがに貧血だったようで、まぶたが白っぽい気がしました。
佳奈が眠っていて状態が良いので、主治医から画像を見ながら説明を受けました。
心房の孔は14ミリほど空いていて、思いの外負担が掛かっていて、心臓が大きく膨らんでいたようです。
この孔を縫い合わせて閉じてくださったとの事でした。
もうひとつの小さい心室の孔も探してみたけれど、見つからなかったから、とりあえずこちらは治療は要らないので、胸を閉じて戻ってきた、というお話でした。
画像で見た14ミリの孔は、私にはすごく大きく見えました。5歳の子どもの小さな心臓に14ミリもの孔が開いていると、「これは必要な孔じゃないんですか!」と思えます。やはり、手術を受けさせるのが親の責任だったな、と画像を見せていただいて痛感できました。

ICU は、8時以降は退出しなくてはなりません。
佳奈は眠っているし、家で春樹がお祖母ちゃんと留守番していたので、先生と看護師さんに挨拶をして7時頃に帰り支度をしようかと相談していたら、佳奈がモゾモゾと動き出して、目をうっすら開けました。
先生が「早いですね!」「帰っちゃうのわかったんかな??」もちろん、まだ話しませんが、意識はちゃんとしていました。
「頑張ったねー」「ありがとうね~(泣)」
口々に声を掛けて、皆さんにお願いをして、この日は帰って春樹と一緒に寝ました。

実は、この翌日からが大変でした。手術レポート、④に続きます~。



手術レポート②

2017-11-04 09:18:53 | インポート
10月30日、月曜日に入院。(私たちは、岐阜県総合医療センター、小児心臓外科へ入院しました。)
入院前の診察はサラリで、「元気だね、じゃあ病棟へ案内します」と言われるも、病棟に入ったら「お鼻が出てたみたいなので、薬をやめてみて、手術前に鼻水や咳が出るようなら、手術見合わせましょう」と主治医に決められて、「え!ここまで来て、そんなスリリングな!」と軽いショックを受けました。
結果、鼻水も咳も出なくて手術できたのですが、私の焦りを感じている娘は、気丈に頑張っていました。(病院のスタッフの方がおっしゃるには、延期になって帰られるお子さんもみえるそうです。)
採血も泣かず、病院食も手術前まで完食を続け、汚い話ですが毎日快便でした。
看護師さんが「本番に強いタイプね」と言って下さったりしたのですが、
今思えば明らかに強がりでした。
私が佳奈の体調を気にするから、「絶好調よ!」という振る舞いを続けていたんでしょう。
手術の前日に、点滴を入れるための管を入れる処置をして、その際、万が一の輸血のために血もとったらしいのですが、針をずっと見ていて吐いてしまって。看護師さんが「気分悪くなったんだろうけど、風邪じゃないですよね?」
と私に聞いているのを「シマッタ!」という顔で見ていましたから。
本当に健気でした。
 手術後の今、体力落ちている佳奈には、甘~く接してあげたいと思っています。

手術前の絶飲食は比較的楽に終わりました。佳奈は手術室の関係で、12時からのオペでしたが、絶食は7時以降、飲み物は9時以降だったので、プレイルームで遊ばせている間に時間が過ぎました。

12時きっかりに手術室に案内されました。
主治医の先生が佳奈の緊張している顔を見て「手術室まで一緒に入って、麻酔かかるまで居てもらいましょう」とおっしゃって親と手を繋いで手術室まで送りました。
この時が一番泣けてきました。
手術室の入口で名前を聞かれて「ふたまたかなです」と応えたら「これくらいの年だと、言えない子が多いのに、自分で言えて偉いですね~」と誉められました。いつもなら謙遜するのに「そうなんです、本当に良い子なんです~」
と泣き笑いで答える私。
当然ながら佳奈が心配そうにしているので、「眠くなるお薬が効いている内に終わるからね。先生達にしっかりお願いしてあるから大丈夫だからね」と声を掛けました。
手術台の上に佳奈を寝かせて、手を繋いで麻酔がかかるのを待って部屋を出ました。

手術中は、夫婦で家族控え室にて待機です。
片方が院内のコンビニへ行くくらいは良いけれど、手術が済んだら声を掛けるので、それまでは病院から出ないで下さい。という決まりでした。
事前の説明では、12時から麻酔をかけて、全ての処置を終えるまでには6時間位かかるんじゃないか、というお話でしたが、実際には5時に呼んでもらえました。

③へ続く(長くてすみません)



手術終わりました!「手術レポート①」

2017-11-03 03:53:17 | インポート
11月1日、佳奈の心臓外科手術が無事に終わりました。ご心配お掛けしました!ありがとうございました!

これから、私の個人的な記録として+今後手術される方の情報になるかも知れないので、入院手術について、少し詳しく書いていこうと思っています。(何回かに分けて書きます)
医療的な事はケースバイケースだと思うので参考にはならないかも知れませんが、心臓に病気のあるお子さんをお持ちの方の不安感を和らげるのにちょっとでも役立つといいかな、と思います。(まあ、私達だってまだまだ渦中で、この先の事は全然分かんないですが)もし、良かったら読んでください。ある意味、私がどれほどヘタレかっていう話ですが。
娘については親バカ丸出しになると思います。すみません。

娘は「心房中核欠損」と、「心室中核欠損」という、心臓の中の壁に孔のある病気を持って生まれてきました。
娘が大きくなり、検査入院の頃には、世の中には家よりもっとずっと大変な心疾患の子どもさんがみえることを知るわけですが、産後は「心臓に二つも孔があるなんて」と、絶望的な気持ちでした。
心房の方は「けっこうしっかり開いている」心室は「こっちは塞がることがあるかも」と言われてきました。
少なくとも「しっかり開いている」心房の孔はいずれ塞がなくてはならないのだろうと、うっすらとした覚悟を持って育てて来ており、カテーテル検査入院で「開胸」手術じゃないと治療出来ませんよ。という結果だったので、先生を信頼して手術を決めました。
母親の私が手術前に一番しんどかったのは体調管理です。
小さい子どもなんて、何回も風邪をひいて強くなるような部分があると思うのですが、手術前一月位は発熱風邪は無いように、もちろん、インフルエンザ、おたふく等はご法度と言う指示で、それが手術が近づくほどに猛烈なプレッシャー。
結果的には手術前一ヶ月前頃に鼻風邪をひいて、かつて無いほどに耳鼻科へ通いました。耳鼻科の先生にも手術を伝えました。

うちは、2才半の息子が保育園へ通っているので、きっと風邪をもらって来るだろうと思い、二人ともを10月始めから登園お休みさせました。(Peace !! を長く休んで申し訳ありませんでした。)

子ども達には相当退屈な思いもさせたと思うけど、入院前検査で炎症反応が出ないくらいに風邪が治ったので、手術に臨むことが出来ました。
ここで私がとても悔やんでいることは、体調管理は母の仕事!という思いが頭を占領していて、娘の食欲が
なかったり、鼻水が治らないのをに気にしすぎたことです。
一度、お風呂で娘が頭を撫でてくれて、「ママ、大丈夫、大丈夫」と言われた事があって、私がしゃんとせなあかん~、と反省しましたが、結局この不安は手術始まるまで治まりませんでした。本当に反省。

娘は私が崩れ落ちそうなのを見て、「うちがしっかりしないと!」と思ったのか分かりませんが、とにかく機嫌よく、ごはんをモリモリ食べて明るくふるまってくれていた気がします。



入院前に娘、息子と焼いたツナチーズパン。


②に続きます