peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

一関市才天のカリン(花梨) 2016年11月29日(火)

2016年11月30日 | 植物図鑑

2016年11月29日(火)、一関市才天国道4号線沿いにある民家の庭に植栽されているカリン(花梨)が、黄橙色に熟した実を沢山付けていました。 

カリン(花梨)バラ科 ボケ属 Chaenomols sinensis 

中国原産の落葉小高木。日本には古い時代に入り、庭木として植えられている。高さは5~10mになる。樹皮は鱗片状に剥がれ、その痕が斑(まだら)模様になってよく目立つ。葉は長さ4~8㎝の卵形~倒卵形。花期4~5月。直径3㎝ほどの淡紅色の花が咲く。果実長さ8~15㎝の楕円形または倒卵形で、香りが良い。果肉が堅いので生では食べられないが、果実酒や砂糖漬けにする。喘息(ぜんそく)や咳(せき)止めなどの薬用にも利用される。最近は果実のエキスで喉飴が作られている。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]


一関市才天のカンツバキ(寒椿) 2016年11月29日(火)

2016年11月29日 | 植物図鑑

2016年11月29日(火)、一関市才天国道4号線沿いにある民家の庭に植栽されているカンツバキ(寒椿)と思われる樹木が、紅紫色で八重の花を沢山咲かせていました。

 カンツバキ(寒椿)ツバキ科 ツバキ属 Camellia×hiemalis

原産地がよくわかっていない園芸種で、関西では「シシガシラ(獅子頭)」と呼ばれ、古くからよく栽培されている。サザンカの品種の一つと考えられたり、中国から入って来たとする説もあるが、サザンカとツバキの雑種から生まれたという考えもある。最近ではシシガシラの形質を受け継いだ品種群をまとめて「カンツバキ」と呼ぶことが多い。花期はサザンカより遅く、名前のように真冬(12~3月)に次々と花を咲かせる。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]


和井内和夫著『盛岡藩の戊辰戦争』を読む! 2016年11月25日(金)

2016年11月26日 | 読書、本

 

2016年11月25日(土)、何日か前から読み始めた和井内和夫著『盛岡藩の戊辰戦争終章~幕末の動乱から東北の強兵まで』&『続・盛岡藩の戊辰戦争~幕末の動乱と東北戦争』(盛岡タイムス社・発行)を読み終えました。「盛岡藩が、閏4月に始まった東北戊辰戦争が峠を越えた8月になってから、すでにどう見ても敗色濃厚と思われた奥羽越列藩同盟側について参戦したのはなぜ?」と疑問に思っていたのですが、著者の見解が述べられています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E5%B1%B1%E4%BD%90%E6%B8%A1[楢山佐渡:Wikipedia]

http://blogs.yahoo.co.jp/syory159sp/27134939.html[盛岡藩主席家老楢山佐渡の墓(歴史)-奥羽★温故知新-Yahoo!ブログ] 

 盛岡タイムス社、2012年4月15日 初版第1刷発行

盛岡タイムス社、2010年2月25日 初版第1刷発行。

第4章 盛岡藩の情勢判断:余談の3 仙台藩の勤皇派(117ページ)

 藩内意見の紛糾は、小藩に限ったことではなく仙台藩も同様で、閏4月20日の鎮撫総督府参謀世良修蔵の暗殺以後、東北諸藩を糾合して薩長に武力対抗するという方向が決まる前は、九条鎮撫総督の命令に従って会津藩を攻撃すべしという意見と、九条鎮撫総督と会津藩の間に入りその宥恕を図るべしという意見があり、そしてその背景にはいろいろな思惑があったことは前に書いたとおりである。

 仙台藩で戊辰戦争に関連して名前がよく出てくる、但木土佐・坂英力・そして世良暗殺の実行者姉歯某などが対薩長主戦派である。

 それに対し数少ない勤王派の代表が三好監物である。三好は仙台藩若年寄で、戊辰戦後薩長藩閥政府により顕彰されている。

 黄海(今の岩手県一関市藤沢町の大字)の領主と称されているが、そこに知行地があったということであろう。

 戊辰政変に際しては、薩長藩閥政府に対抗することを否と考えていたが、権威や権力の本質について独自の考えを持っていたようで、無条件に会津藩武力討伐を是としていたわけではなかったようである。

 その考えの基になっていたものであるが、盛岡藩の楢山と同様相当期間京都に滞在しているので、その時の見聞や他藩人との交流から視野が広くなり、事態を客観的に見ることができ、思考に柔軟性があったということであろう。また但木土佐楢山などとは違い、いわゆる門閥の出ではないこともその考えに影響していると思われる。

 会津藩宥恕嘆願が総督府から却下され、藩論が薩長藩閥政府と武力対決という方向に変わったことにより藩政から退けられ、その後反対派の糾弾を受け自死した。

(注1)但木土佐 仙台藩家老。3月の九条鎮撫総督の仙台入り以来藩を主導してきた。仙台藩の反薩長論者の中心であったと言われ、楢山が京都の帰り仙台に立ち寄った際、一度ならず話し合ったと伝えられている。7月25日の更迭されているので、仙台藩は事実上その時点で方向転換したと考えてもいいであろう。権力者が失脚するということは、本人にとっては”寝耳に水”であっても、それまでになんらかの底流があったはずである。福島方面での頽勢が明らかになった7月中旬には、仙台藩の内部でなんらかの変化が起きていたのであろう。

 その当時の仙台藩内は、但木・坂などそれまでの主流派のほか、徹底抗戦派、それまで鳴りを潜めていた勤王派、また引き続く敗戦により台頭してきた和平恭順派などにより主導権争いが起き相当混乱していたようである。敗戦後、楢山と同様刎首の刑に処せられた。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%86%E6%9C%A8%E5%9C%9F%E4%BD%90

[但木土佐:Wikipedia]

http://www11.plala.or.jp/hutatsuya/tadaki-tosa.html [但木土佐]

http://mitinoku.biz/hist_walk/hist_miyagi/?p=4137 [但木土佐の墓:みちのく悠々漂雲の記/宮城県] 


一関市東山町「柴宿団地」の南天&黄実の南天 2016年11月24日(木)

2016年11月24日 | 植物図鑑

2016年11月24日(木)、一関市東山町長坂「柴宿団地」呼ばれている住宅団地の民家の前に植栽されているナンテン(南天)が、真っ赤に熟した実を沢山付けていました。近くにはキミノナンテン(黄実の南天)と呼ばれている果実が黄色く熟す南天もありました。

(上と下8つ)「東京都心で11月に初雪が観測されるのは、54年ぶり」と報道されましたが、私が居住する一関市でもうっすらと雪が積もりました。この日の朝7時頃、夕べ降った雪が未だ残っていました。

ナンテン(南天)&キミノナンテン(黄実の南天)メギ科 ナンテン属 Nandina domestica

山野に自生しているものも見られるが、古くから庭などに植えられ、生け花にもよく使われている。高さ1~2mの常緑低木。葉は3回奇数羽状複葉で、茎の先に集まってつく。小葉は長さ3~7㎝の広披針形で、先は鋭く尖る。花期は5~6月。長さ6㎜ほどの白い花が円錐状に多数つく。果実直径6~7㎜の球形赤く熟す。赤い実は咳(せき)止めの薬になる。果実が白シロミナンテン(白実南天)などの園芸品種もある。分布:本州(茨城県以西)~九州。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]


一関市千厩町千厩のハナミズキ(花水木)の果実 2016年11月22日(火)

2016年11月22日 | 植物図鑑

2016年11月22日(火)、一関市千厩町千厩(せんまや)字構井田国道456

号線沿いに植栽されているハナミズキ(花水木)の街路樹が、真っ赤に熟した

果実を沢山付けていました。葉がすっかり落ちてしまったので、赤い実が目立

っていました。

 ハナミズキ(水木)ミズキ科 ミズキ属 Cornus florida

北アメリカ原産の落葉小高木~高木で、「アメリカヤマボウシ」ともいう。1912年に東京からワシントンに桜を寄贈した返礼に贈られたもので、現在では庭木や街路樹として広く植えられている。ヤマボウシ(山法師)に似ているが、花びらのように見える総苞片の先が凹んでいる。高さは5~12m。葉は長さ5~15㎝の卵形。花期4~5月。原種の総苞片は白色だが、淡紅色紅色などの園芸品種もある。果実長さ1㎝ほどの核果。アオキの実より少し小さい。紅葉もなかなか美しい。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑1・春の花」&

同「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]