peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

一関市大東町猿沢のシオン(紫苑) 2015年10月6日(火)

2015年10月07日 | 植物図鑑

2015年10月6日(火)一関市大東町猿沢にある石清山 観福寺(大東町猿沢字野田前37)に行きました。本堂と庫裏の前の庭に植栽されているシオン(紫苑)が淡紫色の花を沢山咲かせていました。

(上)山門と鐘楼

(上)本堂と庫裏(下)

(上)観音堂

 シオン(紫苑)キク科 アスター(シオン)属 Aster tataricus

高さ2mほどになる大形の多年草。本州の中国地方と九州の山地に稀に自生しているが、庭に植えられているものを見ることのほうが多い。茎や葉にはザラザラした毛がある。葉は長楕円形で先は尖る。花期は8~10月。頭花は淡紫色で直径3㎝ほど。栽培されているものに比べると、自生のものは花のつき方がまばらで、茎や葉が細い。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]


一関市大東町渋民のカリン(花梨)の実 2015年10月6日(火)

2015年10月07日 | 植物図鑑

2015年10月6日(火)、一関市立渋民市民センター(一関市大東町渋民字小林29-4)に行きました。隣接する公園風に整備されている畑の縁に植栽されているカリン(花梨)の果実が黄色く色づき始めていました。

 カリン(花梨)バラ科 ボケ属 Chaenomels sinensis

 中国原産の落葉小高木。日本には古い時代に入り、庭木として植えられている。高さは5~10mになる。樹皮は鱗片状に剥がれ、その痕が斑(まだら)模様になってよく目立つ。葉は長さ4~8㎝の卵形~倒卵形。花期は4~5月。直径3㎝ほどの淡紅色の花が咲く。果実は長さ8~15㎝の楕円形または倒卵形で、香りが良い。果肉が堅いので生では食べられないが、果実酒や砂糖漬けにする。喘息(ぜんそく)や咳止めなどの薬用にも利用される。最近は果実のエキスでのど飴がつくられている。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]


史跡めぐり~磐井の石めぐり第1回(その7)観音山の仁王像ほか 2015年10月3日(土)

2015年10月07日 | 史跡、名所、

2015年10月3日(土)、一関市博物館主催の平成27年度「史跡めぐり~磐井の石めぐり」第1回 舞草・長島方面が、市のバスを使い、舞草史跡調査会舞草神社の協力のもと実施されました。

最初の訪問地は、「上(うえ)の山の屏風石」(一関市舞川字穴倉・佐藤家の裏側で、次は篭石(関市舞川字境)、その次は様石(ためしいし)・日光石(一関市舞川字榎木)でした。

4番目は観音山と呼ばれている所にある白山妙理大権現(一関市舞川字吉祥)でした。バスに戻ってさらに東参道 を登って行きます。車1台が通れるだけの細い道なので怖いほどでした。

儛草神社(以後「舞草神社」とも表記、一関市舞川字大平5番地)の髄身門(仁王門)の前に着きましたが、ここで駐まらず、先に「大部ケ岩」を見学しました。

「大部ケ岩」を見学してから儛草神社に戻って、拝殿をお借りして昼食休憩しました。

延喜式内・儛草神社:社名は、「まいくさ」と呼び、「もくさ」とも呼ばれる神社で、「延喜式」成立時(927年)に既にあった、古い由緒をもつ神社である。

一説によれば創建は 奈良時代にまで遡るが、社伝によれば、大同2年(807)坂上田村麻呂が蝦夷征伐成就の返礼として、この一画に観音を建立したのが事実上の始まりで、その後奥州藤原氏の帰依を受けて「吉祥山東城寺」と称する一大寺院にまで発展したといわれている。(神仏習合思想により神社とお寺が併存)。古くは白山岳に鎮座していたという伝承もある。

白山岳周辺には、鍛冶遺跡があり、舞草鍛冶として有名で、全国の刀工の祖神としての崇敬も篤いという。

仁王門(現在は「随身門」)から移した2体の仁王像が安置されている吉祥山東城寺跡に向かいました。髄身門の前から続いている砂利敷きの道を200mほど歩いて下って行きました。

 このお堂を管理している隣家(千葉家)に鍵を開けて貰って、仁王像を見せていただきました。

観音山には、以上のほかにも三吉山の正現石、舞草神社境内の手懸(掛)石休石雨乞石などがあるそうですが、今回は割愛されて見学できませんでしたので、主催者が参加者に配布した資料から写真を掲載します。

(上)三吉山の正現石:観音山は、小戸(おど)山ともいい、その山頂は「三吉山」と呼ばれ岩が露出しているので、これが正現石のひとつとも考えられる。なお、観音山は平泉町との境になっており、小嶋村の風土記にも、小戸山の名石が2つ書き上げられている。

正現石二ツ 場所:おと山観音堂地、大きさ:高1丈、幅1丈。高1丈、幅1丈。由来相知れず候。(1丈=10尺=約3.03m、1尺=30.3㎝)[舞草村の安永風土記(「風土記御用書出」安永4年『宮城県史』所収)。

正現石 場所:三吉山山頂、 大きさ:300×240㎝、高250㎝[舞草史跡調査会による調査]

(上)手懸石 場所:おと山観音堂地、大きさ:高1丈、幅1丈、高1丈、幅1丈。由来相知れず候。[舞草村の安永風土記(「風土記御用書出」安永4年『宮城県史』所収)。

 手掛石 場所:舞草神社表参道、大きさ:230×240㎝、高160㎝。[舞草史跡調査会による調査]

(上)休石 場所:おと山観音堂地、大きさ:高5尺、幅1丈5尺。由来相知れず候。[舞草村の安永風土記(「風土記御用書出」安永4年『宮城県史』所収)。

 休石  大きさ:300×280㎝、高200㎝。[舞草史跡調査会による調査]

(上)雨乞石 場所:舞草神社表参道中段より東側180mの平場。大きさ:300×400㎝、高180㎝。[舞草史跡調査会による調査]

(上)平石 場所:一関市舞川字平石 大きさ:530×330㎝、厚:70㎝。[舞草史跡調査会による調査]地名の由来となった石である。