peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

一関市舞川「観音山」のマムシグサ(蝮草)の実 2015年10月3日(土)

2015年10月05日 | 植物図鑑

2015年10月3日(土)、一関市博物館主催の平成27年度「史跡めぐり~磐井の石めぐり」(第1回 舞草・長島方面)が、市のバスを使い、舞草史跡調査会舞草神社の協力のもと実施されました。

4番目は観音山と呼ばれている所にある白山妙理大権現(一関市舞川字吉祥)でした。バスに戻ってさらに東参道 を登って行きます。車1台が通れるだけの細い道なので怖いほどでした。

儛草神社(以後「舞草神社」と表記、一関市舞川字舞草太平5)の仁王門の前に着きましたが、先に「大部ケ岩」を見るため、更に先に進みます。遠くに見える一関遊水地の監視用鉄塔が建っている所でバスを降りました。

舞草神社周辺に生えていたマムシグサ(蝮草)の果実が、赤く色づいていました。

 マムシグサ(蝮草)サトイモ科 テンナンショウ属 Arisaema japonicum

 この仲間は葉柄の下部が花茎を包み込んでいて、茎のように見える。マムシグサの名は、この茎のように見える部分に紫褐色のまだら模様があることからきている。

山野のうす暗い林の中に生える多年草。葉は2個つき、7~17個の小葉が鳥足状についている。小葉の形や大きさは変化が多い。花期は4~6月。テンナンショウの仲間の花は仏炎苞と呼ばれる筒状の苞に包まれていて、外からは見えない。マムシグサの仏炎苞は緑色から濃紫色まで色の変化が多いが、いずれも白い筋がある。果実は液果で赤く熟し、果軸にびっしりとつく。分布:北海道~九州。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑1・春の花」&同「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]


史跡めぐり~磐井の石めぐり第1回(その5)大部ケ岩 一関市舞川字無草太平5 2015年10月3日(土)

2015年10月05日 | 史跡、名所、

2015年10月3日(土)、一関市博物館主催の平成27年度「史跡めぐり~磐井の石めぐり」第1回 舞草・長島方面が、市のバスを使い、舞草史跡調査会舞草神社の協力のもと実施されました。

最初の訪問地は、「上(うえ)の山の屏風石」(一関市舞川字穴倉・佐藤家の裏側で、次は篭石(関市舞川字境)、その次は様石(ためしいし)・日光石(一関市舞川字榎木)でした。

4番目は観音山と呼ばれている所にある白山妙理大権現(一関市舞川字吉祥)でした。バスに戻ってさらに東参道 を登って行きます。車1台が通れるだけの細い道なので怖いほどでした。

儛草神社(以後「舞草神社」と表記、一関市舞川字舞草太平5)の仁王門の前に着きましたが、先に「大部ケ岩」を見るため、更に先に進みます。遠くに見える一関遊水地の監視用鉄塔が建っている所でバスを降りました。

(下)「大部ケ岩」は30mほど離れた所にありました。岩の上からの眺望は市内随一。風土記にも「おど山からは、山目乱梅山、中尊寺、須川南部の諸山から黒川郡七ツ森、牡鹿郡十三濱などまで見渡せる」と書かれている。[主催者の一関市博物館が配布したプリントより]

「大部ケ岩」頂上からの眺望:蛇行して流れる北上川東北新幹線の線路、北上川に架かる鉄橋、整然と四角に区画整理された田圃などが見渡せます。

「大部ケ岩」場所:おと山 大きさ:高さ16丈(1丈=10尺=約3.03m)往古衆徒大部坊居り候所ニ付名づけ候申し伝え候事[舞草村の安永風土記(「風土記御用書出」安永4年『宮城県史』所収)