人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

講演草稿書き継続

2018-10-14 17:19:27 | 日記
血圧129 69 脈動49 
 畳や廊下の平場で爪先をかければ上体起こしが容易にできることが分かった。手を突かなくてもよい。ただし、背骨が曲がっている(極端な猫背)のため、その痛みに耐えなければならないのは苦痛。結局、マッサージチェア頼り。今朝は40回連続腹筋。

腹筋をやりすぎて 
腹が痛くてたまらなかった日々が懐かし
それやれこれやれの今朝
 ーーー痛くてたまらなくなるほど、腹筋運動ができるようになりたいなあ

 お昼は久しぶりに、西洋風おでん。玉ねぎ、にんじん、ジャガイモ、ソーセージ。根昆布をふんだんに。


 講演草稿 法学部に進んだことの「ワケ」は見えず。どう表現しようか。某氏のように「人権に目覚めた!」と言い放つことができればどんなに気が楽か。しかし、虚妄と虚言だけはすまい、すまい。結局、次のような表現にとどめ、サン=シモン主義との出会いに移る。講演草稿はそれでおしまい。
「それにしても、なぜ「法学部」に進路を定めたのか。あるセガン研究開拓者は「セガンが人権に目覚めたからだ」と私に断言したが、それは虚妄による虚言としか評しえない。この時代の「法学部」は、ナポレオンI世の実学主義教育改革の目玉の一つであり、人権という思想哲学とは無縁の法律処理術修得の場として、古典法学主義の場「法学校」を改組して創設されたものである。課程修了しても、せいぜい法廷弁護士か地方自治体の中間役人の職、あるいは新興産業 のサラリーマンぐらいしかその進路はなかった。セガンの後年の白痴教育とかかわらせて「人権に目覚めた」というのは、あまりにも早計な断言だろう。それにしてもなぜ「法学部」なのかの解は見出すことはできない。」

ジョニーの肖像
 幻想的な、超時空恋愛劇 主演の二人は、いくつかの映画で共演。名k中素晴らしい俳優さんだと思う。
白昼の決闘
「序」が長い。こんなの初めて。西部劇だよなあ。

〇今日の「しんぶん赤旗」の広告欄で、某氏の新著の広告が掲載されていた。テーマそのものはとても大切だと思うものの、この書の出来上がり過程情報をある人からぼくに「(当事被害者の立場で)訴えられた」ことを思うと、もろ手を挙げて、いいお仕事をなさいましたね、とは言えない。ぼくが某氏から受けた「許しがたい」ことと同じこと、あるいはそれ以上のことがこの本の出来上がり過程にあるからだ。資料集め、下書き、などなど(「ある人」は「あなたの手持ちの原資料をすべてコピーして送れ」「併せてそれらに関するレポートを綴って添付するように」など)。ぼくの場合血反吐を吐き、大金持ち出して「お仕え申し上げた」にもかかわらず、出来上がり作品には謝辞一つないのだし、。もういい加減で、社会から姿を消していただきたい。勲章までお受けになったのだから、もうすることないでしょう、と怒りがこみあげてくる。