人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

介護バー不使用起床

2018-10-07 18:35:43 | 日記
血圧129 70 脈動40 朝まで目覚めはなかった。左脚がしびれる。
 起床時、上体をまっすぐ起こした。少しそのままに姿勢を保って、正座姿勢へ。上布団をたたむ。続いて布団収納作業のために立ち上がるが、左ひざを立てて軸足にし上体を持ち上げた。ぐらつくことなく、体をねじることなく、立ち上がることが出来た。そして布団をしまう。一日の始まりだ。介護バーのお世話にならない時間が少し増えた!
 午前中から、講演レジメのうち、略年譜執筆、完成。セガン年譜に新しい視点を加えている。「ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌」の昨日今日のページ。
 
 こんなあんばいで筆は進んでいく‥‥
 「セガンの少年期の学びの機会は、セガン研究の巷間で語られているような、自由で進歩的で愛情豊かなものであったとは考えられない。乳母、里親、家庭教師という、上流社会に伝統的な子育て環境の中で育ったセガンは、地域エリート・財閥などの上流階級の子弟がしたように、軍隊的寄宿生活の学習環境の中で、ラテン語・ギリシャ語・キリスト教を主軸にして学んでいる。やはり、父親による人生航路選択だったのだろう。
 続いて、セガンはパリに出る。パリにしかない王立特級コレージュ5校のうちの、サン=ルイ校を選んだのは、セガンが数学の学力が高かったからだろうか。同校は、グランゼコールの中でもトップに数えられる王立理工科学校(エコール・ポリテクニック)の予科とみなされ、超トップクラスのエリート候補者養成をもっぱらとしていた。事実セガンは、数学特別選抜クラス第4次席という優れた成績を残している(1829年)。同校への進学も、父親の希望に沿ったものだったと推測される。
 セガンは、総じて、「とても優秀で、いいところの品行方正なお坊ちゃま」として、少年期を送って青年期を迎えていたのだろう。」


 今日も今日とて、「何で今更、お前が、セガン研究なんだ!」というお叱り?のメールが届いた。門外漢が専門に口を挟むな、と。おお怖わっ。
 もう一度言いますね、しつこく言いますね。「(特定の人物が)その時代・社会の中で(なんのために)どう生きようとしていたか。」 これが私の教育学研究の基本テーマとなります。自身の生育史にこだわり続けている根本です、今もなお、その解を求めてあがいている、もうすぐ、後期高齢者です。
 上田庄三郎、木村文助、ペスタロッチ…、そしてセガン。とくに、幼年期、少年期、青年期の「生の姿」を解き明かしたいと願ってきています。
 今取り組んでいるのは、セガンの青年期自立の問題。障害児教育とは縁もゆかりもありません。
 「フランス革命の国、すなわち人権解放の社会 その中で育ち、啓蒙され、人権思想に基づいて白痴教育を開拓した。」 こんな「ためにする陳腐な」テーゼは成立しないのですよ。