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いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

詩~昨日はどこにもありません~

2019-01-06 20:09:33 | 文学



「昨日はどこにもありません」


昨日はどこにもありません
あちらの箪笥の抽斗にも
こちらの机の抽斗にも
昨日はどこにもありません

それは昨日の写真でしょうか
そこにあなたの立っている
そこにあなたの笑っている
それは昨日の写真でしょうか

いいえ昨日はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません
今日を打つのは今日の時計

昨日はどこにもありません
昨日の部屋はありません
それは今日の窓かけです
それは今日のスリッパです

今日悲しいのは今日のこと
昨日のことではありません
昨日はどこにもありません
今日悲しいのは今日のこと

いいえ悲しくありません
何で悲しいものでしょう
昨日はどこにもありません
何が悲しいものですか

昨日はどこにもありません
そこにあなたの立っていた
そこにあなたの笑っていた
昨日はどこにもありません




「会う」ことを歌う歌

2019-01-06 19:25:09 | 短歌


「会う」ことを
歌った歌は、古今に多い。
今回は、現代の「会う」歌を挙げてみる。

「会ふ」といふさびしき言葉に吾はゐぬ小楢の透ける空を見にしが
                           河野愛子
河野愛子は、20代の頃、結核をわずらった。
すでに既婚であったので、おりおり、
夫が見舞に来た。
「会ふといふ寂しき言葉」。
「会う」というより、
客観的で醒めた視点が感じられる。
病室から、健康にそそりたつ楢の樹に
軽い嫉妬を覚えたのであろう。

百年の椿となりぬ植ゑし者このくれなゐに逢はで過ぎにき
                           稲葉京子

歌の中の「椿」を植えたのは、
父なのかもしれない。
「死」という言葉を使わずに、
死のことを歌ってしまった。
ある植物は、植えたひとよりも
ずっと寿命が長いのである。
そこに「会う」ことの
切なさをも感じ取ることができるであろう。

岡井隆の断筆の歌

2019-01-06 18:54:46 | 短歌


あけぼのの星を言葉にさしかへて唱ふも今日をかぎりとやせむ

‥‥‥

1970年、
すでに歌壇で中心的な存在であった岡井隆は、
家庭も医師としての仕事も歌も
擲って、
九州に身をひそめてしまった。
そのおり、
最後に発表したのが
冒頭の歌である。

それから5年、
すべてを取り返す如く、
家庭にも仕事にも歌も
復活した。

高名な歌人だったため、
この中断は、
後々まで語り継がれた。

なお、
歌人としての岡井隆に学んだ人のなかには、
復帰後の彼の作品に魅せられた者も
多い。

対局日誌~その33~

2019-01-06 18:27:00 | 人生


ある意味で、
将棋ほど因果な趣味はない。
囲碁なども同じなのだろうが、
対局中は、
気難しい顔をして、
目をギラギラさせているに違いなく、
人に見られると困る表情をしているはずである。
それでもなお、指したいのは、
単にいい気持になりたいためで、
勝つまでの道は険しい。
プロではないのだから、
勝負にこだわらなくてもいいい、
と思っても、
やはり負けると悔しいし。

本日は、
地域の将棋サークルで数局。

第1局は、
高段者に教えていただく。
手順前後がたたって、
負け。

第2~4局は、
ライバルが相手。

第2局。
角換わり腰掛け銀から
力戦模様となり、
勝ち。

第3局。
相中飛車となり、
競り負け。

第4局。
力戦中飛車対右四間飛車で、
序盤のミスが響き、
完敗。

新年から、
なかなか勝てないが、
プロの棋譜ならべを続けて、
少しでも強くなりたい。