この目さえ光を知らなければ
見なくていいものがあったよ
からだがあなたを知らなければ
引きずる想い出もなかった
…この歌詞とは若干ずれますが。
人が自殺をするのは、自ら命を絶つという概念を知っているから、という話があります。
人間以外の動物は(例外があるかどうかは知りませんが)、苦しくても悲しくても、生きていこうとします。
それは、自ら命を絶つと言う選択肢がないから。
私はかつて、過食嘔吐をしていました。
それは私が「食べた物を自ら吐く」と言う行為を知っていたからだと思っています。
最初にその行為を知ったのは中学生のときでした。
書道の授業をしていた先生が、突然授業中に「自分の口に指を突っ込んで吐いてまで痩せようとする人がいる」と言う話をしました。
これが、私に自主的な嘔吐をさせるきっかけとなりました。
この話がなければ、私は次に過食嘔吐の情報に触れるまで、そんな行為に及ばなかっと思っています。
好奇心が強く、いち早くネットの世界に飛び込んだ私のことですから、その時が訪れるのがそんなに遅くなるとは思っていませんが。
過食嘔吐は親子関係の不和も原因の一部と言われていますが、私に関して言えば、そうなのかもしれないし、そうでないかもしれない、としか言えません。
結婚への抵抗感を考えると、私の心は母の存在に束縛されていたと言わざるを得ません。
しかしそれが、マイナスだったのかどうかは、私自身は判断が出来ません。
私が過食嘔吐をしなくなったのは、夫と出会ってから。
…と言いたいところですが、実はそのその少し前からです。
それまでは母の実家が持つ家に格安の家賃で住んでいたのですが、肩身の狭さに耐えられず、自分でローンを組んで母と兄と一緒に住むために家を買ったことで、私の心は自分の足で立って生きることを覚悟しました。
不思議なことで、その頃から過食嘔吐をしなくなりました。
何か人生への覚悟が固まり、母への依存も少し緩和されたのかもしれません。
何が言いたいのかは自分でもわかりませんが、
この記事を見て、そんなことを思いました。
彼女がこの先も、過食嘔吐から解放されたままの人生を送れることを祈ります。
本当に、その精神的束縛があるのとないのとでは、人生の幸せ度が変わりますから。
多少は太っても、人間って幸せなんだと、実感することができます。