春の日の花と輝く

中小企業で働く女性の日記です。
ぼんやり子づくり→治療開始→なんとか出産

お知らせ

「独身実家暮らし会社員のしせいかつ」はタイトル変更しました。

コメント欄非公開で復活しました。

(お題)LINE使っていますか?

2015年09月29日 17時49分58秒 | 日記
gooブログがアメブ○みたいな「お題」を出してきたので参加します。

LINE使ってます。

元IT技術者ですが、新しいアプリに対しては疑り深いところがあるので、使い始めたのは結構遅かったです。

みんなが使っているから使わざるを得なくなったという感じです。

夫、母、上司、先輩、後輩、友人…。

義母以外はみんなLINEです。

お世話になっている不動産屋さんとか、所有している不動産の隣の家の人も、LINEでやりとりしています。

メールアドレスって長くて教えるの大変ですからね。

今は60代くらいなら割とスマホを使っているし、LINEも使えますので。

メールは業務連絡専用になってしまいました(義母…)。

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首座り前の外出

2015年09月27日 17時57分40秒 | 出産・子育て関連
首が座る前の外出ですが、子の運搬方法に悩んでいます。

今我が家にある道具は3点。

私としては下記1.のボバラップをうまく使えるのが理想です。

1.抱っこ紐?(ボバラップ(boba wrap))

5メートルくらいある長い布を体にグルグル巻きつけて、子どもを布の中に入れます。

私はマミーサロンと言うところでこれの紹介を受けたのですが、ちゃんとした使い方の講座は受講していないので、自分の包み方が正しいのかどうかいまだにわかりません。

と言うのもですね、これで包むと子どもがミルクを吐くんです。

赤子というものは割と気軽にミルクを吐く生き物なのですが、ボバに包んだ時は吐きすぎのような気がします。

全く吐かないこともあるので、私の装着方法にむらがあるのだと思います。

うまく包めれば、子どもも私も快適なんですよね。

上半身全体で子どもの重さを支えるので、母体はかなり楽です。

ただ、簡単につけたり外したりが出来ないので、外出したら最後帰るまで身につけたままを想定した方がいいです(座敷に上がって食事をするとかならつけ直せますが)。

2.スリング(ミニモンキー (mini monkey))

入院中に母が非常用にと買ってきました(ほぼ同じような避難用スリングが病院にはあったのですが)。

マミーサロンの講座では、スリングを買うときは留め具のリングが2つ付いたものを買うように言われていたのですが、これ留め具はプラスチックです。

私はこれもいまひとつうまく使えません。

子どもが首から(!)「くの字」になってしまうのですよね。

本人はちっとも苦しそうじゃないので良いのかもしれませんが。

スリングは片方の肩で子どもの体重を支えるので、母体はかなり辛いです。

落下事故防止のために常に手で支えていなければならないのも負担が大きいです。

既に子どもが5キロを超えたので正直もう使えないと思っています。

3.ベビーカー(F2plus エフツープラス)

フルリクライニングのため新生児から使えます。

とにかく軽いのでエレベーターのないところでも簡単に持って降りられます。

荷物はあまり積載できませんが、ベビーカーに荷物の運搬を頼るといざという時(それこそエレベーターがなかったり)に困ると思うので、私は荷物の積載量については少なくて良いと思っています。

ただ、軽量型だけあってサスペンションがイマイチで、ガタガタした道を通ると寝ている子が起きてしまいます。

段差を越えるのも結構大変です。

ベビーカーなので母体はかなり楽ですが、駅などでエレベーターを探すのは結構大変ですね。

東京の上野駅でJR京浜東北線から東京メトロ日比谷線に乗り換えようとすると本当にエレベーターの乗り継ぎが大変です(京浜東北線のホームからecuteに上がって、ecuteから中央改札に降りて、改札を出たらレカンの前からエレベーターで降りて…その先にエレベーターがなかったので、一旦ベビーカーをたたんで子どもを抱っこしつつ階段を下り、日比谷線改札内のエレベーターでホームへ)。

*****

首が座ったら抱っこ紐にしたいです。

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【出産レポ その12】 まとめ~これから出産する方へ~

2015年09月26日 09時47分50秒 | 出産・子育て関連
※後で加筆・修正の可能性がある記事です

今回の帝王切開において、私が一番困っていたことは

「果たして今の自分の状況が正常なのかどうかわからない」

ということです。

体にメスを入れたのが初めてだったことや、私の入院した病院がやたらと薬で痛みを抑えつける方針であったため、自分の不調がわかりにくかったです。

他の人の帝王切開レポを見ても、術後に脂汗が出るほど傷が痛んだという感想が多かったのですが、私の場合、ただ寝ている限り傷はそれほど痛みませんでした。

自力で起き上がったり寝がえりをうったりはできませんでしたが(これも痛くてできないというよりは怖くてできなかったのです)、リクライニングで体が起き上がったら、そこから立ち上がるのに傷の痛みは感じませんでした。

ただ、二回目の手術をする前は、体勢を変えるときに横腹に激しい痛みを感じていました。

これは腹腔内の炎症から来る痛みだったのですが、私には外側の傷の痛みなのか、子宮を開いた傷の痛みなのか、それともそれ以外の痛みなのか判断がつかなかったのです。

もっと言えば、「帝王切開によって想定されている傷以外に痛みが生じる可能性があるのかどうか」すらわからなかった。

実際に私が感じていた痛みと言うのは、帝王切開以外に3つありました。

一つは腸閉塞による癒着。

癒着している部分を消化物が通り抜けようとするとき、刺されるように激しく痛みました。

これは腸が動き始めてからは何日も続きました。

二つ目は子宮内の炎症。

体をひねったときに激しく痛んだり、立ち上がろうとするときに腹部が熱くなるのを感じたりしていました。

これをスタッフや医師にもっとうまく強く説明できていたら、もう少し炎症の発見は早かったかも知れません。

加えて三つめに、子宮収縮の痛みもあったので、余計ややこしかったような気がします。

医師は炎症や血圧の値が上がったり、私が痛みを訴えたりしたときに、とにかくそれを抑えるための薬を投与することでしか対応しませんでした。

これも問題だったかなと思います。

炎症に関して言えば、帝王切開に踏み切るまでの時間が根本的な問題でした。

私が入院していたのは大きい総合病院で、あらゆる決断を行うために「数値」と言う厳格なルールがありました。

私はその「数値」が長時間満たされなかったため、帝王切開に至るまで子宮がずっと感染にさらされ、子宮が腫れあがるほど炎症を起こすことになりました。

一回目の手術の後で腸閉塞を起こしたのもこの炎症に起因する可能性があるという話でした。

担当の医師からは、産科専門の個人病院であればもっと早いうちに帝王切開していたかもしれないけど、自分たちの基準ではそれが出来なかったと言われました。

退院してから、不妊治療をしていて最近妊娠した方のブログを読んだら、不妊治療の先生に「産院を探すときは大学病院は避けるように」と言われていたのを見て、自分の産院選びが失敗だったかもと思いました。

もちろん、総合病院・大学病院にも良いところはたくさんあると思います。

しかし、得意不得意もあると思うのです。

これから出産される方は、じっくり産院を選ぶことをお勧めします。

おそらくこれで出産レポは最後です。

後からちょこちょこどうでもいいエピソードを足していきますが、それはくだらない覚書になります。

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それから、自分の体が意外と大丈夫であっても配偶者には大げさに辛く見せた方が良いです。

本当に平気だと思われますから…。

私はもっと痛がっておけばよかったです。

病院では平気でも家に帰ってからは結構辛いですよ。

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【出産レポ その11】 順調に回復、オマケで退院

2015年09月25日 16時38分11秒 | 出産・子育て関連
※後で加筆・修正の可能性がある記事です

・出産12日目(入院13日目)~出産17日目(入院18日目)

2回目の術後は経過が良好でした。

あんなに高かった血圧も、体内の炎症反応も手術の翌日からウソみたいに低くなりました。

術後3日目には知らないうちに痛みどめが外されていましたが、リクライニング機能を使っている限りは痛みを感じることはほぼありません。

1回目の術後はベッドから立ち上がる時にお腹に熱さを感じていましたが、それもなくなりました。

腸も問題なく動いています。

お腹に刺さっていた3本のチューブは体内から出る浸出液の減少とともに1本ずつ抜かれて行きました。

チューブを抜くときは処置室に行くのかと思ったら、ベッドの上で普通に外側から引っ張って抜きました。

痛くないのが不思議でした。

2回目の手術になったという事で、心配した上司と義母がこの期間に再度お見舞いに来てくれました。

二人とも前より元気な私を見て安心して帰って行きました。

今度こそ退院できそうでしたが、念のため退院の日の朝に血液検査をすることになりました。

・出産18日目(入院19日目)

退院の日です。

とにかく早く退院したかったので、朝一で採血をしてもらいました。

結果が出るのは10時半とのことです。

夫と母には退院準備のために朝から病院に来てほしかったのですが、二人とも結果が出たら連絡をくれという感じでした(今まで何度も騙されたので信じていないようです)。

予定通り10時半に医師が結果を告げにやってきました。

血液検査の結果、これまで問題となっていた数値はすべて落ち着いているが、今度は血小板の数値が異常に高い。

まさかの異常値。

血小板と言うのは、たとえばけがをしたときにかさぶたを作るために存在するもの。

早い話、血を固める効力のあるもの。

手術をすれば体が傷を治そうとするため自然に数値が上がってくるが、それにしても高すぎる。

血小板の数値が高いと血栓ができる可能性が高くなる。

だからと言って、絶対に入院していないといけないわけではない。

このまま入院を継続した場合、明々後日また採血を行って結果を見て、数値が下がっていれば退院になるし、万が一上がっていれば対応を考えることになる。

今日退院して、明々後日外来で採血しても構わない。

「どうしますか?」と言われました。

明々後日に採血をするまでやることが無いのであれば退院したいと思ったので、明々後日外来の予約を取って、この日退院することにしました。

なんだかモヤモヤが残ったけれど、やっと退院です。

医師からは急に足がむくんできたり、体がしびれたりしたら、血栓の可能性があるのですぐに病院に連絡するように念を押されました。

出産から2週間半病院にいたこともあり、新生児室では一番のビッグベビーとなっていた我が子ですが、家に帰ってきたらとにかく小さかったです。

こんなに小さい子をこれから育てないといけないなんて大変!!というのが家での最初の感想でした。

この後、夫は外から帰ってくるたびに「外にいる赤ちゃんは大きい」というようなことを言っていました。

あっという間に大きくなるみたいですけどね。

・出産21日目

外来での血液検査の結果、血小板の数値は減少傾向にあるという事で、次の検査は1カ月検診(とはいっても2週間後)となりました。

減少傾向と言ってもまだまだ異常値でしたけどね…。

これにて、出産にまつわるトラブルはひと段落したのでした。

出産レポはまだ少し続きます。

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【出産レポ その10】 短期間に2回の手術は無理がある

2015年09月24日 12時14分59秒 | 出産・子育て関連
※後で加筆・修正の可能性がある記事です

・出産11日目(入院12日目)

午後から歩行許可が出ました。

前回で要領を得ていたので、最初から飛ばしてガンガン歩きました。

痛み止めが効いていることがわかっているから怖くない。

怖いのはまた腸が動かなくなること。

腸閉塞も重症化すると手術が必要になります。

さすがに3回目の手術は耐えられません。

無理のない範囲で積極的に病棟の中を歩きました。

…と、足元に何か液体が垂れているのを感じました。

なんだろうと思ったら、お腹にあけた穴から出したチューブを覆っているガーゼがビショビショになっていて、受け止めきれない浸出液(体液)がガーゼから滴り落ちていました。

慌ててベッドに戻りスタッフを呼んだところ、ガーゼを新しく取り換えてくれました。

この調子だと再びガーゼがキャパオーバーを起こすのは目に見えていますが、こまめにガーゼを交換する以外に方法は無いようでした。

意気消沈しながらも再び歩行を始めましたが、今度は大量の汗が噴き出してきました。

おかしい。

痛みを感じている訳でもないし、今まで寒いと思っていた病棟の中でこんなに汗をかくのはおかしい…。

2回目の開腹手術で体が悲鳴を上げているのを感じました。

とはいえ体感的にはそこそこ元気だし、痛みも無いしで、授乳をするために新生児室に行きました(2回目の手術が決まった時点で母子同室は一旦中止し、新生児室に子どもを預けていました)。

しかし授乳中も汗が止まりません。

汗だくで授乳をする私を見たスタッフが、夜間授乳はしなくていいと言ってくれました。

病院にいる限りは子どもの面倒を見てくれる人はいるのだから、私の体の回復を優先させることにしました。

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お礼

2015年09月23日 12時20分57秒 | 日記
コメント欄を解放したところ嬉しいコメントをいくつか頂きましたのでお礼を申し上げます。

ずっと見ていてくださった方がいらしたことに驚くとともに喜びを感じています。

同じくらいの年の方は、それぞれ新しい生活を始められたようで時の流れの早さを実感します。

今後ともよろしくお願いします。

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【出産レポ その9】 再手術!

2015年09月22日 16時11分55秒 | 出産・子育て関連
※後で加筆・修正の可能性がある記事です

・出産10日目(入院11日目)

食事が復活してから回復食(おかゆなど)が続いていましたが、この日の朝から普通食になりました。

そんな喜ばしい朝食の後で、スタッフから診察室に行くように言われました。

病棟の内診室の隣にある個室です。

ここに呼ばれた事は無かったので、何事かと緊張感が走りました。

医師から告げられたのは、一番悪い選択肢でした。

CTの結果をみたら、超音波では見えないお腹の奥の方に膿が広がっていた。

超音波で血豆のように見えていたのは表の方に出てきていた膿の一部だった。

帝王切開のときに洗浄が行きとどかなかった部分があり、残った膿が増殖してしまった。

患部が体の奥にあるので、針を刺して膿を抽出することはできない。

血圧が高いのも、体内の炎症反応が高いのも、発熱したのもこの膿のせいだと思われる。

だからもう一度お腹を開いて膿を洗浄する必要がある。

また、膿の一部が子宮にかかっているように見えるので、もしかしたら膿の原発は子宮の内部にあるかもしれない。

子宮を開いて中を診た結果、子宮の中から膿が出ているようなら、原因となっている子宮の一部を切り取らないといけないかもしれない。

今日の午後にも手術をするので家族を呼んでください。


私は話の内容を受け止めきれなくて、思ったよりも冷静でした。

この時私が質問をしたのは「どうしてももう一度お腹を切らなければいけませんか?」と言う事だけでした。

とりあえず夫と母にLINEで状況の説明をしました。

夫は仕事に行っていて連絡がつかず、母に来てもらいました。

医師から母に説明をしてもらって、手術の段取りを進めていくことになりました。

手術は夕方行うことに決まりました。

せっかく普通食に戻ったのに、また昼から絶食です。

昼過ぎに夫が今から会社を早退して病院に向かうと連絡してきました。

手術の開始時間には間に合いませんが、来てくれるなら安心します。

私は夫の到着を待たず、予定通り午後3時に手術室へ移動しました。

今度の手術は全身麻酔とのことでした。

麻酔の準備をしている間、急に不安になって泣きそうになりました。

もう一度開腹して今度こそ元気になるのか、子宮を切除しないといけなくなるのか、子宮の機能は残るのか…。

ずっと頭の隅っこに押しこんでいた不安が、一気に表に出てきました。

しかし、注入され始めた全身麻酔のおかげで、あっという間に意識が遠のきました。

目が覚めたときには、喉がガラガラになっていました。

喉からチューブで何か入れられていたようです。

部屋に戻ると、母と夫が待っていました。

私がベッドに戻されたときにはもう夜になっており、面会時間の終わりを知らせるアナウンスが流れました。

私の無事を確認した二人はあっという間に帰って行きました。

医師がベッドサイドにやってきて、説明を始めました。

子宮の中に膿はなかった。

体内はきれいに洗浄した。

腹腔内の膿の状況を診るために、お腹に3つ穴をあけてチューブを外に出してある。

膿がチューブから排出されるようになっているので、この膿が出てこなくなったらチューブを外す。


私のお腹からは1本の透明なチューブが出ていて、その先は四角いボトルにつながれていました。

残りの2本のチューブは短いもので、お腹にガーゼを当てて出てきた膿を吸わせているということでした。

私はこの状況が恐ろしくて身震いがしました。

ただ、子宮を切除しなかったことには安心しました。

またお腹を切ってしまったので腸閉塞が再発しないかどうかが不安でした。

今度は許可が出たらすぐに歩き回れるように、ベッドの上でもなるべく体を起こすようにしようと決意しました。

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【出産レポ その8】 やっぱり退院できない

2015年09月21日 17時49分36秒 | 出産・子育て関連
※後で加筆・修正の可能性がある記事です

・出産8日目(入院9日目)

検査の結果、子宮の炎症反応があがっていると言うのでこの日の退院は先延ばしになりました。

原因は2日前の診察で指摘を受けた腹部の血豆。

特に問題はないだろうということでしたが翌日にCT検査をしてから退院しようと言われました。

私はずっと続く腹部両脇の痛みのことをスタッフに訴えました。

しばらくしてから痛み止めが処方されましたが、この対応には疑問が残りました。

家に帰ってからも痛み止めを飲み続けなければいけないのか…?

いつになったら痛みどめ無しで生活ができるようになるのか。

自分の体がどうなっているのか全くわかりませんでした。

私より後に入院して帝王切開をした女性は、もうとっくに退院して行きました。

スタッフの間では私がそろそろ退院できそうと言う話になっているようで、今まで新生児室に預けっぱなしにしていた娘を私のベッド脇まで連れて来ました。

家に帰るまでに一日娘の世話をするようにと指示されました。

この段階で私は子どもを家に連れ帰って一緒に生活するという実感がまったくわいていませんでした。

いまだにベッドから起き上がる時はリクライニング機能を使用していましたし、自力で娘の世話ができるとは思えません。

そんな状態にもかかわらず、夕方にスタッフから明日退院しても良いが準備はできるかときかれました。

急に言われても難しいと伝えると、明後日退院のつもりでいるようにと言われました。

・出産9日目(入院10日目)

午後からCT検査を行いました。朝一から検査をするという話でしたが、結局午後まで待たされました。

退院がなくなったので後回しになったのかもしれません。

造影剤を使用しているため24時間は授乳ができないので、授乳の時間が来るたびに新生児室にミルクをもらいに行きました。

まさかこんなに長期間の入院になるとも、こんなに体調が悪くなるとも思っていなかったので、明日退院してから揃えていないベビー用品についてどうやって準備しようかと考えました。

ところが17時をまわったころにやってきた医師が、子宮内の炎症反応がおさまらないため明日の退院は先延ばしにすると言いました。

体が辛いので家に帰らないで済むことは助かりましたが、また先の見えない闇に引き戻されました。

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【出産レポ その7】疲労からの発熱?

2015年09月20日 19時05分10秒 | 出産・子育て関連
※後で加筆・修正の可能性がある記事です

・出産6日目(入院7日目)

朝、血液検査、尿検査、レントゲン検査が実施されました。

腸の中はだいぶきれいになっているということで、昼から流動食が開始されました。

一週間ぶりの待ちに待った食事だったのに、重湯150gが苦しくて食べきれなかったのがショックでした。

重湯の他にミニ野菜ジュースと豆乳紅茶が出ましたが、重湯でお腹がいっぱいになってしまったので、取っておいて後で飲みました。

食事が配膳されたときにスタッフから午後一で退院にむけても診察と指導を受けるように指示されました。

これらは通常退院の前日に受けることになっています。

私の退院日は決まっていないものの、食事を開始できたので退院できる見込みが出てきたと言う事だと解釈しました。

退院診察ではお腹の中に豆粒ほどの血だまりが見えると言われました。

自然に消えるかもしれないし、最悪手術が必要になるかもしれない、ただ、小さいから今のところは経過観察にしようと言う話になりました。

手術になるかもしれないというのが引っかかりましたが、医師の顔はそれほど深刻そうではありませんでした。

この日は夕方に義両親と会社の上司が病院を訪れました。

午後は退院指導、シャワー、上司面会、義両親面会と久々に長時間体を起こしていたため、とても辛かったのを覚えています。

来る人来る人にお腹が膨らんでいることを驚かれました。

産後はすぐにお腹がへこむわけではないと聞いていたので、お腹が膨らんでいるのは普通のことと思っていましたが、私のお腹のふくらみは異常なようでした。

面会中にスタッフが血圧を測りに来ました。

降圧剤の点滴をしているにもかかわらず160もありましたが、面会しているせいだろうと考えていました。

最後の面会を終え、夕方部屋に戻ると酷い寒気を感じました。

私は4人部屋に入室していましたが私のベッドは冷房のすぐ脇にあり常々寒いと思っていました。

しかしこの日の寒気は強烈で、スタッフに設定温度を上げることはできるか聞きました。

エアコンの設定温度を上げてもらいましたが、寒気がおさまることはありません。

夜になり、日課の検温をしたら発熱していました。

寒気がしたのはエアコンのせいではなかったのです。

疲れすぎて熱が出たのかなと思いました。

毛布を持ってきてもらって体をあたためてもらいました。

そのおかげか、翌朝には熱が下がっていました。

・出産7日目(入院8日目)

「検査の結果次第では明日退院できるかもしれない」と言われました。

私はまだお腹が重く、体内に痛みを感じていたので、家に帰って生活ができるのかどうか、ただただ不安を感じていました。

ベッドから立ち上がる時に力を入れると、お腹が熱くなります。

これは正常なんだろうか。帝王切開になった人はみんなこうなのだろうかと言う疑問が頭の中に湧き始めました。

私より後に帝王切開の手術を受けた同室の人は、もっと元気なように見えました。

この日新生児室に行くと、昨日退院指導を受けたせいか子どものコット(キャスター付きミニベッド)に「退院おめでとう」のカードが刺さっていました。

もちろん、私は退院できるわけではありません。

このこともそうですが病院のスタッフの仕事は機械的で、配慮がないなと感じることが多かったです。

特に私は通常の産婦のようにスケジュール通りに事が運ばなかったので、入院中のルールや院内サービスなど、説明されていないことが多々ありました。

スタッフも忙しいから仕方がないのですけどね…。

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墓が乗っ取られた話

2015年09月20日 16時07分13秒 | 日記
家系とは何かを考える

今年の2月にこんな記事↑を書いていてですね。

一番最後に「墓はどうするのか」と疑問に思っていたのですが、なんと、

乗っ取られました

父は3兄弟の末っ子でした。

兄弟の構成は長男、長女、次男(父)です。

父方の実家は商売をしていたのですが、長男は駆け落ちして家を出たため、次男である父が店を継いでいました(長男は勘当されたわけではなく、普通に実家に出入りしていました)。

長女も結婚して家を出ていたため、父方の祖父母の面倒は私の母が見ました。

私たちも祖父母とは別居していましたが、病気で具合が悪くなってから祖母が私の母を呼び寄せたのです。

それからほどなくして祖母が亡くなり、その後一年半の間に祖父と父が相次いで他界しました。

その後、長女(伯母ですね)が私が受取人になっていた祖母の生命保険を勝手に受け取ってマンションを購入したり、祖父母の家の鍵を付け替えたりして、私の母と伯父伯母との間で泥沼の相続争いが始まります。

これを機に母は父の家(前回と同じく仮に五十嵐家とします)から籍を抜き、旧姓に戻りました(私と兄は学校があったのでそのまま)。

相続争いにかかる裁判は10年近く続き、最終的にお金をもらって解決をしましたが、墓についての話はなんとなく宙に浮いていました。

長男と長女は家を出たため、当初寺の住職は私の父が、ひいては私の家の誰かが墓の後継者と言う認識でいたようです。

母は必要であれば寺にお金を払っていましたが、五十嵐の墓に入るつもりはなく、別の寺に墓を購入していました。

ただ、父と生後間もなく亡くなった私の姉の骨は五十嵐家の墓に入っているため、お盆やお彼岸、それぞれの命日には五十嵐家の墓に墓参りをしていました。

でですね。

今年の春に伯母から封書が届いたと思ったら、墓を伯母の家の名義(伯母の配偶者の姓)に改装したという知らせでした。

相続争いをする中で、父や姉の遺骨を母が買った墓に移す話が出たことがあったため、その時のことを引き合いに出して、遺骨を移したいなら寺に申し出るようにと書いてありました。

希望があればと書いてありましたが、名義が変わってしまっているということは出ていけという事だと私たちは解釈しました。

事後報告でしたから慌てて寺に話を聞きに行くと、住職は私たちが改葬を知らなかったということに大変驚いて「合意の上だと聞いている」と言ったそうです。

墓の名義を変えるときは合意の書類などが必要になるそうですが、私たちは何も話を聞いていないので、おそらく文書偽造が行われています(私名義のお金を勝手に取るような人ですから文書偽造には抵抗がないでしょう)。

住職から、墓の名義を変えたきっかけが五十嵐家の長男が亡くなったことだと聞いて、私たちはさらに驚きました。

長男の死を知らなかったからです。

伯母は五十嵐家の3兄弟の中で、残ったのが自分だけになったので、墓を自分のものとしたようでした(伯母の立場からすれば「継ぐ」という思いもあったのだと思います)。

名義が違うのでは仕方がないので、母は父と姉の遺骨を自分の墓に移すことにしました。

これが結構手続きが大変で、自治体や現在埋葬されている寺、そしてあらたに遺骨を移す先の寺から証明書をもらわなければいけませんでした。

そして私が産休に入ったころ、改葬が終わりました。

母が買った墓はまだ空っぽでしたから、父と姉の二人きりの墓になりました。

私は、父が寂しくないだろうかと心配になりました。

家族の仲がどうだったかはわかりませんが、今までは両親と兄と、先祖代々のみんなと同じ墓に入っていたのに、幼い姉と二人だけの墓になってしまって良かったのかと、答えの出ない疑問が頭の中から消えませんでした。

母がこの先一人になることがなくなったと思えば、それはそれで良いのかもしれませんが…。

冒頭にリンクを貼った記事を書いてすぐに伯母からの封書が届いたので、墓について考えたのは虫の知らせだったのかなと、今となっては思います。

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ちなみに私と兄には伯父の遺産の相続権があります。

今回はこの件について争うつもりはありませんが、おそらく全て伯母が手にしています。

そして、そのお金の一部を墓の改葬費用にあてたのでしょう。

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【出産レポ その6】 数値が異常

2015年09月19日 20時35分21秒 | 出産・子育て関連
※後で加筆・修正の可能性がある記事です。

帝王切開は通常5日目に退院できるはずですが、腸閉塞を発症した私は出産5日目の段階で退院日が未定のままでした。

いつから食事を開始するのかも決まっていませんでしたし、懸念材料は腸閉塞の他にもありました。

・陣痛開始から急に高くなった血圧がまだ下がらない

・血液検査の結果、体内の炎症反応が高い

私には

・降圧剤

・抗生物質

・イオン水

の点滴が処方され、酷いと3つすべてが腕につながれていました。

本来は手術の翌日から母子同室で過ごすはずですが、具合が悪い私は新生児室に子どもを迎えに行けず、出産4日目までは授乳の時間が来るとスタッフが子どもをベッドまで連れてきてくれていました。

授乳も起き上がってするのではなく添い乳です。

お腹が痛くて座っているのが辛かったからです。

添い乳をするにしても体を横向きにしなければならず、その体勢も辛いため、酷いと添い乳もせずに機械で搾乳だけをしていました。

出産4日目の夜からは新生児室に行って昼夜問わず3時間おきに授乳を開始しましたが、医師からは血圧が上がりすぎているので夜中の授乳は休んだ方が良いと言われました。

スタッフにその旨を伝えると、夜中は3時間おきの搾乳になりました(結局起こされるのでは意味がないような…)。

見舞いに来た夫に、何も食べずに授乳をしていると言ったら、カロリーのある点滴をすることができないかとスタッフに掛け合ってくれましたが、大人は少しくらい食べなくても大丈夫と言われて終わってしまいました。

血圧も炎症反応も異常値でお腹の痛みも引かず、いつ退院できるのかわからないこともあり、闇の中にいるような気分でした。

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母性とは

2015年09月18日 17時29分07秒 | 日記
出産レポを書きながら自分の文章力と構成力のなさにあきれています(白目)。

世の皆さんはなんであんなに美しい出産レポが書けるの…?

ここで気分転換に違う記事を書こうと思います。

母性について。

いろんなブログを読んでいると、子どもを産む前から母性があふれ出ている人や、子どもを産んでしばらくしてから母性が出てくる人など色々な方がいますね。

私は元々子どもには興味が無く、単に夫が欲しがったからということと、私の仕事が忙しすぎて逃げ出したいと言う理由で子作りを始めました。

正直なところ人間の子どもなんか可愛くないし、犬や猫の方がよっぽど可愛いと思っていました。

妊娠中も胎教なんかしなかったし、お腹に話しかけることもしませんでした。

産んだ瞬間は「ついに出てきてしまった…」と思ったし、その後も産後の経過がよくなかったこともあり、「これ(「この子」ですらない)、本当に家に持って帰らなきゃいけないのかな…」と気が遠くなる気分でいました。

家に帰ってからも体調不良で授乳は面倒だし、夜は起こされるしでしばらくは似たような感じで。

どこから可愛いと思ってきたかはわかりませんが、とにかく途中から可愛くて仕方がなくなりました。

ここまで来るには産んでから一カ月くらいかかったと思います。

可愛いと思い始めてからは、笑った顔も泣いた顔も可愛いですし、泣かれたらすぐに飛んでいきます(最初から泣かれたら相手はしていましたが、赤子にたどり着くまでの動きは緩慢だったと思います)。

昨日からメリーをベッドに取りつけたのですが、思った以上に反応が良く、とても喜んでいるので、片っ端からおもちゃを買ってあげたくなりました。

自分がヒト(人間)の子を可愛いと思う日が来るとは思わなかったので驚きです。

というか、ちゃんと可愛いと思えて良かったです。

で、思ったことがあります。

世の中には産んですぐの赤ちゃんを遺棄する母親がいますが、産んですぐならできそうだと。

いや、する気はなかったですけど!

私にはそうする理由がなかったから。

でも必要に迫られたら、愛情が生まれる前の新生児を遺棄することはそんなに難しいことではないと感じてしまいました。

もちろん、命あるものを捨てるのだからそう簡単にはできないですけど。

要は、その個体に対する愛情が無いという状態を理解できるということです。

…。

変な方向に話が行ってしまった。

まあとにかく、時間をかけて母性というものは育つものですよということが言いたかったのです(強制終了)。

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問題は以前から電車で乗り合わせた赤ちゃんに興味がある素振りを見せていた夫がお世話をあまりしてくれないことだ。

女性でも男性でもやたら子ども好きをアピールする奴にろくな奴はいない(偏見です。わかってます)。

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【出産レポ その5】 腸閉そく発症

2015年09月18日 16時06分01秒 | 出産・子育て関連
※後で加筆・修正の可能性がある記事です。

・入院4日目、出産から3日目

この日の朝、術後からずっと入っていた吐き気止めの点滴を外されました。

AM9:00にレントゲンを撮るように言われ、車いすでレントゲン室に移動しました。

とにかく体がだるくて、お腹の中が全体的に痛かったです。

レントゲンは横になって撮影しましたが、自力で寝起きすることはできませんでした。

私が入院していた病院では帝王切開の場合、手術から5日目で退院となっていたのですが、とても翌々日に退院できるとは思えないコンディションでした。

喉が渇くため水分だけは摂り続けていましたが、膨満感があり昼ごろから水が欲しくなくなりました。

そして午後に差し掛かったあたりから、吐き気に襲われて断続的に嘔吐しました。

出てきたのは緑色の液体でした。

私は頭が回っていないながらも、もしかしたらこれは腸閉塞かもと思っていましたが、この時点で医師からの説明は何もありませんでした。

朝のレントゲンで医師は腸閉塞と診断したらしく、腸を動かすために夕方から下剤入りの点滴をされました(点滴の中身については後から知りました)。

この日から3時間おきにスタッフが私のベッドまで子どもを連れてきて、授乳が始まりました。

普通の人は自力で新生児室まで行くか、自分でベッドまで子どもを連れてきて授乳をします。

私はお腹が痛くて起き上がることが出来なかったので、寝たまま授乳をしました。

・入院5日目、出産から4日目

なぜか吐き気がおさまってきました。

医師から許可が出たため入院してから初めてシャワーを浴びました。

調子が良いなと思っていたら午後から水下痢が出ました。

出てきたのは昨日口から出ていたような緑色の液体です。

腸が通ったのかもしれない、と思いました。

あまりにも下痢がひどかったので、この日の夜、医師を捕まえてどのような状況なのか質問をしました。すると初めて点滴に強力な下剤が入っているという話をされました。

この会話の中で初めて自分が腸閉塞になったということをはっきりと認識しました。

水を飲むと胃痛がすると言ったら、下剤を外してもらえることになりました。

何度もお腹を下していることから腸が通ったと判断されたからだと推測されます(※)。

腸が動くと癒着した部分が剥がれるのか、みぞおちあたりが刺すように痛みました。

また、それとは別に両わき腹にも痛みを感じていました。

スタッフが傷の痛みはどうかと聞いてきたので、「お腹の傷口は痛くないのですが、お腹の中が痛いです」と言ったところ「先生に聞いてみますね」と言われました。

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※最初に受けたレントゲンから入院5日目までの間にレントゲンを計3回受けているはずですが、記録に残していなくて詳しく覚えていません。

下剤を外してもらえたのは、レントゲンをみて腸が動いていることが確認できたからというのもあると思います。

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【出産レポ その4】 ガスが出ない

2015年09月17日 18時37分46秒 | 出産・子育て関連
※出産レポその2が長すぎたので分割して2と3にします

外科手術の後は、ガスが出るまで食事ができないというのはよく知られています。

これがなぜなのかと言うと、腸がきちんと働いているかを確認するためです。

術後に腸が癒着を起こしていると、腸閉塞になってしまいます。

簡単に言うと腸が詰まってしまうことです。腸が詰まると下から便が出て行かないため、酷いと最後には消化器系の内容物が逆流して口から出てきてしまうのです。

私はなかなかガスが出ませんでした。

手術の翌朝には最後に食事をとったときから50時間は経過していたので、ガスが出ないのは当たり前だと思っていました。

術後は血流を良くして傷の直りを早くしたり、腸のはたらきを促したりするため、なるべく早くたくさん歩くことを要求されます。

手術の翌日、私は午前11時からスタッフの手を借りて歩くことになっていました。

ここでスタッフが操作したことにより初めて、ベッドにリクライニング機能がついていることを知りました。

ところが、立ち上がった瞬間に酷いめまいと吐き気に襲われ、嘔吐してしまいました。

60時間近くほぼ寝たきりだったので、突然立ったことにより脳貧血を起こしたようです。

ベッドのリクライニング機能を知っていたら、少しずつ体を起しておくことができたのですが…。

とにかく立てないため、11時の歩行訓練は中止となり、15時から再度チャレンジすることになりました。

次こそはと今度はリクライニング機能を使ってなるべく長時間体を起して15時を迎えました。

貧血さえ起こらなければ、歩くのは簡単でした。

まだ麻酔が効いていたのか、点滴の痛み止めが効いていたのかわかりませんが、傷の痛みと言うのはあまり感じず、トイレまで歩くことができたので、手術前に入れた導尿のカテーテルが外されました。

水だけはガブガブ飲んでいたので、この後3時間おきに自力でトイレに行きました。

しかし、いつまで経ってもガスはでませんでした。

ガスが出ないので、絶食したまま入院3日目を終えました。

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この日、私は結構元気で、携帯から会社や友人たちに出産の連絡をしました。

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