ある日、入院している祖母の調子が悪くなりました。
急に血圧が下がったため親族が呼ばれたのですが、その日は持ち直して、集まった人たちは夜遅くに解散となりました。
翌日もやはり調子が悪かったです。
私は午前中から病院に行っていましたが、容体に変化がないようだったので、昼過ぎに一度家に帰りました。
病院のスタッフは「昨日調子が悪くなって、一時的に持ち直したけれど、今日も以前と同じくらい良くなっている訳では無い。だんだん悪くなって行っているという事は確かです」と言っていました。
後で聞いた話ですが、私がいなくなった後に、私と年の近い従兄弟家族がお見舞いに訪れると、彼らを目で追うなどして多少意識がある様子だったということです。
看護師である従兄弟の奥さんは「手も握り返すしね…」というようなことを言っていたようです。
私は家で夕飯の準備をして、夫と少し近所の散歩をして、ご飯が炊けたタイミングで病院に戻りました。
そうしたらちょうど母があちこちに電話をしているところでした。
歩いていたので気付かなかったのですが、病院に到着する2分前に私の携帯にも着信がありました。
その時、祖母の呼吸はだいぶ乱れていました。
突然容体が悪くなり、病院のスタッフから「持ってあと3時間」と言われたようです。
その場には、母と私と、その日病院に泊まる予定だった私より10歳年上の従兄弟がいました。
母と従兄弟で必要な連絡先には全て連絡したようでした。
それか30分の間に、祖母の呼吸は浅く、ゆっくりとした感覚になっていきました。
「あと3時間」と言われていたけれど、このペースだともっと早く心臓が動かなくなりそうでした。
私たちは時計を見ながら、他の人たちは果たして間に合うだろうかと心配していました。
素人ではありますが、脈をみたり、呼吸の確認をしたりしていました。
私が到着してから1時間後、祖母の長男と次男が病室に入ってきました。
その5分後に三男が到着。これで全員そろったというところで、祖母は大きく一呼吸して、動かなくなりました。
科学的に呼吸や脈の確認をするための機器は一切付けていないので、私たちが見て判断して、ナースコールをしなければいけませんでした。
一分くらいして呼吸をしていないようだったのでナースコールをして、その旨伝えたところ、担当の看護師さんは「2~3分呼吸が止まる人もいるから、もう少し様子を見ましょうか。最後の時間ですから、みなさんでゆっくり過ごしてください。急ぐことではありませんから。後でまた来ますね」と言って、いなくなってしまいました。
看護師さんが発した「急ぐことではない」という言葉が印象的でした。死亡を確認した時間というのは法律上重要だけれども、実際にいつ息を引き取ったかというのはさして重要ではないんだなということをぼんやりと感じました。
さて、それからがおかしな話でした。
「生きているのか、いないのか」ということをはっきりと判断されないと落ち着かない素人たちが、自分の手でそれを判断しようとし始めました。
目を覗き込んで瞳孔を見たり、手首や首筋から脈を感じ取ってみようとしたり、胸やおなかに手を当てたりして「動いているような気がする」とか「でも体が冷たくなってきた」とか、しても仕方のないようなことを次々とやりはじめました。
そうこうしているうちに10分ほど経過し、先ほどの看護師さんがまたやってきました。
「どうですか?」と聞かれたので、私が「はっきりと息をしているという感じには見えません」と告げると「じゃあ先生を呼んできますね」と言って再び出て行ってしまいました。
そして医師が現れると、瞳孔の確認をして、聴診器をあてて、「生体反応はありません」というようなことを言いました。
入院してから一か月足らずでした。
この病院は少し変わっていて、死に化粧を遺族が行うという事だったので、女性陣がみんなで祖母にファンデーションを塗りました。
看護師さんが「下の入れ歯がハマらないのよねー。上は大丈夫なんだけど。入歯をいれないと老けて見えるから、入れた方がいいんだけど、どうしますか?」と言いました。
あまりにもカジュアルに祖母の死に化粧をしていくうちに、私たちの心が整えられた気がします。
風変りではあったけれど、ああいう時間が持てたことが、私たちにとっては大きな意味を持っていたと思います。
なんだかいろんなことが消化できました。
病院の体制や、看護師さんの思想が大きかったと思います。
その看護師さんは30歳を過ぎてから資格を取って転職したと言っていました。
人生って、色々ありますね。
一日一日を大切に。
無理をしないでね。
大事なことがたくさんあるね。
祖母は幸せだっただろうか。
なんて。
色んなことを考えた日でした。
でも、思ったより悲しくはありませんでした。