徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

私版の心を整える?長谷部さんとは大違いのお話

2018-01-19 00:00:10 | テニス
先日書いた、「偶然見た 挑戦へのエール」という、
ブログは言葉足らずの部分があることを、
自分でも判っていながら放置しておりました。
それがずっと気になっていたので、
ここで補足させて頂きます。

ブログの中で書いた文章に次の言葉があります。

心が入っていないから、
上手くいかないといらだつし、
自分の成長もなかなか実感できない?

の部分ですが、
本当にいい加減に部活動をしている部員も、
実際には存在しますが、
ほとんどの部員は一生懸命に部活動しているのです。
ここは私も理解していますし、認めてあげて欲しいのです。
ただ、「一生懸命」と「心がこもる」に、
大きな違いがあると思っています。

言って見れば、
一生懸命は本人の問題。
上手くなりたい!強くなりたい!だから練習も頑張る!
これを一生懸命と言います。
でも、
心がこもるというのは、
感覚的に言えば、
一定の条件がそろうことによって、初めて
こもってくれるもの?と私は思っています。

上手く言えませんし、
私自身本当に解っている訳ではないかもしれませんが、
良く、ゾーンに入ったとか、
無我夢中とか、無心とか、
物事に集中できたときに、
実力以上のものが出ることありませんか?
試合の時なら少しわかりやすいかもしれませんが、
練習でも、同じことが起こりうると思っています。
ただ、中学生のようにまだ心身共に成長段階というか、
未熟な時には、
簡単に味わえる感覚ではないでしょう。
それを承知で、時間のないことを言い訳に、
簡単に流してしまったのが反省材料です。

ある意味、部活動を一生懸命やることは当たり前だし、
みんなやっていることです。
でも、一生懸命やるだけでは、到達できない領域があり、
そこに到達するためには、
それ相応の試練を乗り越えたり、
偶然でもいいので、
無我夢中の領域に突入することが必要です。

因みに、挑戦へのエールの中では、
先輩が築いた書道パフォーマンスの輝きが、
今は当たり前のこととなり、
先輩の苦労を知らない後輩たちは、
何時しか、パフォーマンスを見ていただけるという、
感謝の気持ちが無くなって、
自分自身にひたむきさが無くなっていることに気付けなかった。
彼女たちも、一生懸命だったはずなのだが、
心がこもらなくなっていたんだと思う。

だから、自分たちでスーパーなどの店頭で、
自分たちの書を書く姿を見てもらい、
学校で自主的に開くことにしたパフォーマンスを、
見てもらうために学校を訪問していただくという課題を与えられた時、
見知らぬ人に話も聞いてもらえない状況で、
それでも、何人かに見てもらったり、
学校に来てくださった人に、
感謝し、素敵なパフォーマンスを見てもらいたいという、
心が初めてこもった時に、
テレビ画面にも感動がにじみ出した。
そういうことなんだと思う。

言うは易く行うは難し。

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