今日の私は、会社を休みましたが、台風の接近もあり、全く外出していません。多分明日の部活も中止でしょう。カーポートの屋根が心配です。さらに言えば、停電も心配で、オール電化の我が家は、影響大です。
昨年の今頃、台風の直撃を受けました。
その時のブログがこれ。
「台風の被害は?」
この時の我が家の被害は、
10分程度の停電と、
実家のカーポートの屋根の半分が飛んでしまった事。
静岡市の一部では、
台風一過の翌日まで停電が続きましたが、
それでも、確か翌日?2日後?には復旧。
今回の台風はそれを上回る規模の台風。
直撃なのか関東へ上陸するのか?
まだまだ予断を許しませんが、
備えあれば患いなし。そこまで準備はしていませんが、
今回は雨戸を閉め、
雨戸のない窓には奥様がガムテープを貼りました。
私も、実家のカーポートが飛んでしまわないように、
端をガムテープで止めてきましたが、
セブンイレブンの布タイプのガムテープは売り切れ。
仕方なく紙タイプのもので補強したので、
正直効果は薄いかもしれません。
まず、吹き飛ばないことを祈り、
吹き飛んでも、
他人の車や家に被害を与えないことを祈るしかありません。
風も雨も激しいようで、
現在925ヘクトパスカル。
風速は50メートル、最大瞬間風速は70メートルとなっています。
明日の夜までの降水量は、東部で1000ミリ、
中部でも800ミリ。
相当激しい雨です。
その昔、静岡の七夕豪雨の思い出はしっかり残っています。
七夕豪雨(たなばたごうう)とは、
1974年(昭和49年)7月7日(日)に
台風8号の影響により静岡県全域で浸水害をもたらした集中豪雨。
1974年7月7日午前9時から8日午前9時までの静岡市の24時間連続雨量は508mmを記録し、これは静岡地方気象台観測史上最高記録となった。
この雨により特に被害が大きかったのが静岡市内を流れる安倍川流域と、下流域が当時の清水市である巴川流域で、各所で決壊・氾濫が発生するとともに崖崩れ・土砂崩れが発生し、死者27名、全壊・流出家屋数32戸、床上浸水11,981戸、床下浸水14,143戸もの被害が発生した。それ以外の市町村では浜松市で死者8名、沼津市で死者5名、森町と富士市と三島市でそれぞれ死者1名の被害も発生した。
巴川においては流路勾配が1/750~1/50,000のため浸水被害を起こす要因となった。この災害をきっかけに巴川の氾濫防止のため大谷川放水路(1999年(平成11年)5月完成)の建設が促進された。
当時沼津東高校生だった私。
もちろん月曜日は休校だったし、
沼津の名物?一つ目ガードは水でプール状態だった。
更に今回取りざたされている狩野川台風。
昭和33年9月の台風なので、私は生まれて半年。
全く覚えていないが、雨台風で、
狩野川台風(かのがわたいふう、昭和33年台風第22号)は、1958年(昭和33年)9月27日に神奈川県に上陸し、伊豆半島と関東地方に大きな被害を与えた台風である。被害の大きかった狩野川流域では、27日未明には雨もやみ、夜空に月が輝いていたことから、狩野川台風は9月26日に上陸した台風であると思い込んでいる人が多い。
狩野川の氾濫?鉄砲水や土石流により伊豆半島で多大な被害が発生。
狩野川流域では、破堤15箇所、欠壊7箇所、氾濫面積3000ヘクタール、死者・行方不明者853名に達し、静岡県全体の死者行方不明者は1046人で、そのほとんどが伊豆半島の水害による。
最近静岡県では他地域に比べ台風の被害がほとんどなかった。
だからこそ、注意や準備、が疎かになっているので、
それはとっても心配です。
静岡だけでなく、すべての地域で被害がないように!
少ないように!祈るばかりです。
さて、今年の目標である年間読書100冊。
今年度、120冊目です。
大沼紀子 真夜中のパン屋さん
午前2時の転校生 評価は2
さて、今年の目標である年間読書100冊。
今年度、121冊目です。
岡崎琢磨 道然寺さんの双子探偵 評価2
どちらの本も結構凝っているというか、
工夫している点が似ている?
最近、
こういう内容の本を読んでいるうちに疲れてしまう?
困ったものです。